いい加減しつこいけど、もう1回だけ。
島国大和さんが批判されている「国際競争によって企業を鍛えて強靭な産業を作る」という意見は、私もナンセンスだと思う。日本の農業や繊維業の歴史を振り返れば、それは明らか。しかしながら、産業保護をやめること自体には、賛成します。
例えば中国は。検索にせよ、webサービスにせよ。ガチガチに自国産業を保護している。その結果どうなったか。かの国にはちゃんとweb産業が成り立ち、自分たちの利益を確保している。その上で他国に打って出るだけの力を有した。
保護していない国はどうか。web上の利益の殆どを海外サービスに持っていかれているではないか。
これは違う。輸入した方がリーズナブルなら、輸入すればいい。私たちは、作って儲かるものを作ればいいのです。そうやって国際分業を進めた方が、結局はみんな得をします。
幼稚産業の保護は、有害です。比較劣位の産業に労働力を縛りつけ、消費者の商品選択の自由を奪う。誰も得をしない。「我が国にもweb産業が勃興した! 誇らしい!」ただそれだけのために、人々は税金を取られ、海外の素晴らしい商品やサービスを利用できなくなるのです。
自然に存在する言葉の壁や文化の壁は、いいのですよ。日本語、日本人の文化、それはどの企業に対しても平等な条件ですから。偏見や差別はいけませんが、「契約書は日本語がいいな」という消費者の声があるのに政府が「英語の契約書を拒絶するのは禁止」なんてルールを作ってはいけない。言葉の壁を乗り越える費用を誰が負担すべきかは、市場の判断に任せるのが正しい。
自由な競争の結果なら、海外企業の日本進出が失敗しても、逆に日本企業の多くが世界市場から撤退しても、それは何ら悪いことではありません。日本のゲーム業界が『GTA』を「作れない」ことを引け目に感じる必要はないのです。市場に対応し、儲かること、自分にできることに取り組んでいけば、自ずと分業が実現し、誰もが利益を得られます。
個別の企業が、苦手を克服しようと努力するのはいいことです。大逆転の例は多々あります。しかし、政府の仕事は、1)人権保護の枠組み作り、2)自由で公正な競争環境の実現、3)激変緩和措置、などであって、「日本はゲーム作りが得意なはずだ」と決め付けて保護するのは間違っています。
「先進的」っぽい産業が世の中に登場すると、「我が国にもこの産業がほしい!」と人々は思いがち。これは心理の罠です。
幸福なんて主観的なものだから……と割り切るなら、「国家の威信」や「民族の誇り」や「アイデンティティー」を賭けて、特定の産業を守り抜いてもいい。民主主義は文化的消費としての税金の無駄遣いも正当化しうるでしょう。しかし実際には、産業保護が経済全体に客観的な利益をもたらす、という俗説が添えられていることが少なくない。虚偽の説明は、いけません。
かつて共産党指導部は計画経済による重工業の発展を企図しましたが、比較劣位の産業に注力する政策は失敗し、経済の停滞と飢餓を招きました。この反省を踏まえ、漸進的な自由主義経済の導入を進めてからの30年間は、年平均9.8%の高度成長を持続しています。結果、巨大な人口を背景に、多くの経済指標で世界一となり、GDPも米国越えが視野に入りました。
しかし今なお中国政府の経済政策は計画経済の尾を引きずっており、いずれも中国経済に負の影響をもたらしています。
したがって、中国が末永く経済成長を持続するために必要な経済政策は、1)自由な経済環境の整備、2)市場の失敗を補う枠組の構築、3)社会保障制度の充実、です。幼稚産業の保護政策は、経済実態と無関係に資源を配分する、上記第1項の経済失政に属します。決して感心するような政策ではありません。