少し前に、暴力装置がどうのこうのという話題に興味を持って書店へ行ったら、ソレル『暴力論(上・下)』とかシモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』といった作品の新訳が岩波文庫から出ていた。
「きっと何年も書棚を占拠しつづけてきたんだろうな。こういう本をこういう値段(ベストセラー作家の小説と大差ない)で売る決断をする出版社もすごいし、ちゃんとそれを仕入れる書店も偉いな。利益は度外視なんだろうか。いやそんなわけないよな。しかしともかく、誰かが買わないと、こういう仕事って続かない。どういう人が買うんだろう。この書店の客で、この本を買う人って、本当にいるのかな。いま自分が買うために、数年前に店主はこの本を仕入れたんじゃないか? でも正直、自分のレベルよりだいぶ高いんだよな……」とか何とか逡巡した末、買った。
で、苦労して読み終えたんだけど、やっぱり全然、頭の中で話がつながってない。新約だから読みやすくて、いま読んでいる数行の意味は取れる。でも、1ページ全体の主張となるともう怪しくなり、10ページ前の記述と関連付けて考えようとすると、もうダメ。これは、背伸びしたときの典型的なパターン。
積読にならず、一度は目を通すことができたので、個人的には満足した。書店が補充でこの本を仕入れることはないだろうし、私が買っちゃってよかったのか、という気もするけど、考えても仕方ないな。ちなみに地元の図書館も買っていることを確認。だったらまあいいか。
マックス・ウェーバー『職業としての政治』は書店になかったので図書館で借りて読んだが、これも私の頭には入ってこなかった。続いてヴェーバー『社会学の根本概念』も読み終えたが……。
『暴力論』が書店の棚に並んでいた。再入荷されたのか、もともと2冊以上を仕入れていたのか。