趣味Web 小説 2011-03-06

記事のタイトルを考えるのは面倒だ

1.

Tumblrは、そこがネット上のわが家だと自信を持って呼べる場所になるよう作られている。Tumblrは非常にデザイン指向で、自分の個性に合わせてカスタマイズできる、それもMySpaceのような悪趣味にではなく。

製作者自身がそのように考えていたのか……。納得しました。デザインの不統一は、閲覧者としては不便だけれど、見た目に楽しいのはわかります。ああやって各利用者が個性を発揮し「わが家」感覚を持つことで更新が長続きするなら、メリットの方が勝つだろうと思う。

2.

Tumblrが簡単かどうかについては、いろいろ議論のあるところ。個人的には、とりあえずブログとの比較でいえば、「記事タイトルの入力は任意」という1点で、相当に投稿の敷居が下がっているように感じます。

  1. タイトルを考えるのが面倒だから記事の投稿が億劫になる
  2. ブログ化する前はよく書いていた200字程度の小さな記事は公開意欲が投稿の面倒くささに負ける
  3. どうせ公開しないから書かない
  4. テキストエディタを開くのが日々の習慣ではなく「とくに何か書きたいことが思い浮かんだ日」だけのイベントになる
  5. アウトプットが見えないとインプットの意欲も減じる
  6. 更新頻度の低下

かつてウェブ日記をブログ化した際、私はザッとこんな流れで更新頻度を低下させていくことになりました。これだけが理由ではありませんが、これも無視できない理由のひとつ。

そういえば、私が以前はてなダイアリーを気に入った大きな理由のひとつが「記事にタイトルをつけなくていいこと」だったのを思い出しました。実際には割とマメにタイトルをつけていたのだけれど、「どちらでもいい」ことで、どれだけ気が楽になったか。

オマケ

2009年春の時点で全14回か……。

3.

ここ数年「数ヶ月遅れ+数日分ずつまとめて」という形で記事を公開しているのは、タイトルを考えるのが面倒くさいというのとは、また別の理由です。

理由、理由、理由……どれも書き留めておきたいんだけどね。いちいち自覚してやっているわけじゃない。「無意識にそういうことになっている自分」を見つめなおして、それでようやく理由が見つかるというわけなので。いま理由を追究せずに数年放り出したら、本当の理由はわからなくなってしまう。分析をした時点の自分の推測になってしまう。まあ、何が本当の理由なのかなんて、どうせ自分ではわからないのかもだけど。

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