趣味Web 小説 2011-04-30

説得できる気がしない

1.

不安を感じる人間がなるべくリスクを避ける行動をした。
ただそれだけの当たり前の行為に難癖をつけ始める不合理さ。

私は「当たり前」を肯定する感覚には与しない。みんなが間違っているなら、「当たり前」を批判するのが正しい。

いや、引用文中の「当たり前」は、文章を素直に読めば、そういう意味じゃないよね、という反論があるかな。つまり、「回避できるリスクを回避するのは合理的」であって、「リスクの甘受ばかりを説くのは不合理」だ。こんな簡単な理屈、誰だって理解できるだろう……という意味の「当たり前」でしょ、これは、と。

人間の直感は、リスクの客観的な比較には向いていない。いま、少なくとも東京では、放射性物質は過剰に怖がられている。もし放射性物質のリスクへの対処にそれほど高いコストを支払っていいというならば、もっと優先順位の高いことがあるわけだ。

例えば、未成年者の飲酒・喫煙の撲滅に、どれだけ真剣に取り組んでいるか。20歳になるまで喫煙と飲酒をしなかった人は、その後も喫煙や飲酒を習慣化する割合が低いというデータがあったと思う(私の記憶力には問題があるので、あまり信用しないでください)。もし私の記憶が正しいとすれば、子どもに喫煙や飲酒をさせないことは、多少の放射線よりよほど子どもの寿命に大きな影響があると考えられる。

2.

飲食に話題を絞っても、塩分、糖分、脂質の方が、放射性物質より重要じゃないか? 中高生が小遣いやバイト代を何に使っているか、砂糖水やお菓子を大量に摂取してはいないか、十分な関心を向けている保護者がどれだけいるのだろう。というか、自分たちが子どもに与えている食事が塩分・糖分・脂質過剰でないと断言できる人は、じつは少ないと思う。

あるいは、料理の習慣がないまま子ども下宿させると、食生活が途端に乱れることが少なくない。で、そのまま社会人になってしまう。これは性別など関係ない。それなのに、子どもに勉強だけさせて食事を作らせない親御さんが、やたらめったら多い。勉強より命の方が大切じゃないか? いやまあ、失業こそ寿命を縮める最大の要因だから、勉強はもちろん重要なのだけれど、そのために犠牲にしていいことと悪いことがある。

また別の話題になるが、ひとつのリスクに対処するために、大人の視点で勝手に「そのメリットは無視できる」と判断されたもののリストを見ると、「本当にこれ、やめちゃっていいの?」と首を傾げる。外遊びとか、プールとか、海水浴とか。別に原発事故があろうとなかろうと「数字に表れている明確なリスクと感覚的なメリットのどちらが大事なんですか」という論法は成立する。もともと子どもの外遊びを禁止していたご家庭は一貫しているとしても、事故で考えを変えた方には、その根拠を問いたい。

……と、調子よく書いてきたものの、どうも分が悪いな。これで1人でも説得できるという気がしない。

本当は「つまらない心配をする方がよほど健康を害する」といいたいが、調べていったら一般論として持ち出せそうな明確な根拠を見出せなかった。で、それを封じてしまうと、結局、「心配のしすぎ」だと思う私にも、あまり他人を説得する材料はないんだな。

3.

須田さんの文章は面白い。いま起きていることは、「バカな人が大騒ぎしている」という話ではないと思う。別に私だって専門家のいってることはよくわからない。わからないが、須田さんや私のような視点から見ると、「放射性物質のリスクばかり、ことさらに騒ぐ理由がわからない」とはいえる。

頭の出来の問題ではなく、視点・価値観の問題。

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