趣味Web 小説 2011-05-05

子どもに家事を任せよう

今日は「こどもの日」。

1.

子どもが中学生か高校生になったら、一家の食卓を担当できるよう教育すべきだと思う。いくら部活が忙しいといったって、食事もまともに作れないほど忙しいとしたら、そんなの部活のスケジュールの方がおかしいわけで。

部活帰りにスーパーで買い物をして、帰宅後実働30分くらいでパパッと料理する、といった技能は、自然と身につくほど簡単なものではない。現代だと、そういうことを実践している子が「かわいそう」といわれてしまうようだが、そんな世の中の方はどうかしている。親子が同居している間に、伝授すべき技能を伝授しないのは、無責任じゃないか。

  1. ある週は、子どもが献立を決めて、親子で買い物に行き(週末など)、子どもが買う物を決めて、親が財布を出して、家に帰ったら子どもが料理をする。親は子に付き添って、子どもの考えをよく聞き、最小限の手伝いをする。基本的に助言はしない。
  2. 次の1週間は、親子の役割を逆にして、親は子に自分の考えていることを存分に語る。

これを、2ヶ月に1回ずつ、1年間続ける。年間で12週を要するカリキュラムで、うち子どもに料理を任せるのは6週間である。子どもの実力が不十分なら、さらに1年続ける。すると、「なるほど、お父さんはこう考えるのか」「お母さんはこんな工夫をしているのか」ということが、よく伝わる。

……などと人に話すと、「いや、ふつうの家庭では無理でしょ、そんなの」といわれる。でも時間の問題はないはず。買い物も料理も子どもの教育と関係なくやっていることでしょ。「中学生になると親子仲がヤバくなるから無理だ」というなら小学生の間にやればいいんじゃないの。じつは私もそうだったし。

世の中の親御さんたちのいう「無理」は、「子育てにそんな手間はかけたくない」という意味なんじゃないかな、と私は思う。でもさ、子どもが自分で料理をできるようになれば、週に1日くらいは「親が料理をしない日」を作ったりできる。子どもを信頼できるようになれば買い物だって任せられる。教育に手をかければ、いずれ自分だって楽をできるのに、どうして目先の苦労を厭うのだろう。

2.

「私は毎日こんなに苦労しているのにどうしてお前は!」と子どもを叱るのがいいか、授業参観日に子どもが「日曜日はお母さんの休日なので、ぼくが料理を、弟が掃除をしています」といった作文を読むのを聞いて「おかげさまで週休1日です」と胸を張るのがいいか。

子どもが2人も3人もいて、それで「家事がたいへん。つらい」というのは、私にはよくわからない。子どもがよほど小さいうちならともかく、上の子が小学生になれば、まず床まわりの掃除は任せられるようになる。背がもう少し伸びたら、洗濯もお任せできる。高学年になれば、料理も問題ない。なのに、どうして子どもに何も教えずに、自分一人で家事を抱え込もうとするのだろう。

家事が好きで独占しているならまだいいけど、ことあるごとに「お前たちのために私は毎日とても苦労しているんだぞ」と恩着せがましいことをいって子どもをいいなりにさせようとするのだから、ひどい話だ。子どもが「ぼくなんかいない方がお母さんは幸せだったんじゃないか?」と考えるのは当然ではないだろうか。

とはいえ、「両親はだいたい居間でゴロゴロして笑ってたような気がするな」と子どもに思わせるのは、簡単なことではない。子どもに様々な家事を任せて「ありがとうね」「いつも助かるよ」といい続けるために、両親がどれだけの手間をかけたか。私がそのことに思い至ったのは、ハタチを過ぎてからだった。

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