私の印象はTogetterのまとめとは違っていて、山本幸三議員が日本銀行の白川方明総裁の答弁に聞く耳を持たず自分の主張をするばかりだから、議論にならないのだと思う。
山本さんがしつこく確認を求めているのは、国債の日銀直接引受が特別会計の予算総則に基づいて実施されている事実と、そうでありながら現時点で円の信認は失われていないという事実だ。山本さんはここから「復興財源を日銀引受の国債で調達してもいいじゃないか」という話に持っていきたい。
山本さんだって、際限なく国債を日銀が引き受けていけば、どこかで通過の信認が失われると考えている。だが復興国債の規模は年額10兆円程度が想定され、既に行われている国債の日銀引受(年額11兆円)が約2倍に増えるだけのこと。だから通過の信認が「崩壊」するわけがない。円高が少し緩和される程度の影響が出るのは、むしろ望ましい……というのが、山本さんの認識なのだと思う。
ただ、国債の日銀引受が増えるにつれ通貨の価値が緩やかに下がっていくとは限らない。過去には突如として通貨価値が大幅に下落して経済が混乱した例がある。だから少なからぬ人々が、通貨の信認に傷を付けるような政策には不安を感じている。白川さんも、その一人なのだと思う。
山本さんは「政府が国債の直接引受に安心して復興にかこつけて将来の税収見込みの立たない大出費をすると日銀は予想しているのか。日銀は政府を信頼していないから直接引受に反対なのか」という意味の質問をする。だが、「通貨の信認が崩壊する」のは、人々が通貨価値の崩落を強く予想したときであって、実際に政府や中央銀行がそのような行動を取ったときではない。そうだからこそ、野田佳彦財務大臣と白川さんは「李下に冠を正さず」の方針を堅持したいと答弁しているのだが、山本さんはサラリと無視している。
この問題についてのリフレ派の言い分は、私の理解では、こうだ。債務残高が変わらない借換のための直接引受と新規国債の直接引受の区別には形式的な意味しかない。インフレ・デフレは全体の状況から生まれてくる。毎年、政府の債務残高は増えていて、日銀は約10兆円の直接引受をしている。直接引受の対象が借換債でも新規債でも、それは取引の名目の違いに過ぎず、トータルの結果に実質的な違いはない。
だから山本さんは、白川さんらの議論を受け流して、日本経済に巨大なデフレギャップが存在する以上、直接引受を年10兆円ほど積み増してもハイパー・インフレは起きないから、これをやるべきだ、という。
私は山本さんの主張に与する者だけれども、議論を追う限り、山本さんが白川さんや野田さんを説得できなかったのは当然だと思える。通貨の信認は人々の疑いによって容易に崩壊しうると考えるなら、金融政策は保守的にならざるを得ない。山本さんがすべきは、相手の不安を頭ごなしに否定することではなく、実証に裏付けられた説得だったろう。
白川さんや野田さんも理屈を述べるばかりで何ら実証的な説得をしていないのだが、正当な手続きを経て権力を付託された者を相手にそんな文句をいってもはじまるまい。お互い観念的に自説を主張するだけなら、野党の側に勝ち目はない。