趣味Web 小説 2011-06-04

「人と自動車が共生できる街」の理想と挫折

地図

私が3歳から21歳まで過ごし、いまも両親が暮らす街、成田ニュータウンについて、とくに資料を参照せず、一住民の認識を書き記す。1980年代までの成田ニュータウンは、自動車と歩行者の接触事故がない街マイカー不要の街の理想に迫っていた。だが、挫折した。(2011-07-18 写真や図版を追加し全面改訂)

1.構想

図A

千葉県成田市の成田ニュータウンは、成田空港関連従業者および経済発展に伴い増加する人口を吸収する街として計画された。JR成田駅西側の丘陵地帯を用地とし、1968年に事業着手した。事業面積487ha、計画人口6万人(人口密度:約1.2万人/km^2)の計画だった。

成田ニュータウンの特徴を列挙する。

  1. 生活空間は丘を削った場所に、自動車用道路は沢の底に建設する。
  2. 徒歩移動者は、階段の上り下りなしで車道を横断できる。
  3. 住宅を集合住宅に限ることで車道を最小限とする。
  4. 車道のない大きな街区の中だけで日常生活が完結する。
  5. むしろ自動車を利用する方が遠回りで不便なので、大半の人が街区内を徒歩で移動して生活する。
  6. 街区=小学校の学区。小学生は自動車の心配をせず友人宅へ行ける。(集合住宅ブロック内の自動車は徐行+昼間の交通量はゼロに近い)
  7. 駅前に駐車場が乏しい→みんなバスで駅へ→利用者が多いからバスの本数が増える→とても便利→通勤・通学・買い物はバスでOK(=マイカー不要の街)

自然の地形を利用しているので、全ての場所で構想を100%実現できていたわけではない。だが、全くの絵空事に終わっているわけでもなかった。

2.写真4枚

成田ニュータウンで撮影した写真を、いくつか示す。

図B

歩道橋へ向かう坂の勾配がきわめて緩やかなことを確認できると思う。徒歩空間と自動車空間が立体的に分離された街であれば、人と車が接触(=交通事故)は、きわめて起こりにくい。

図C

街区内の緑あふれる歩道。歩行者に最高の道が用意されている街だから、みんな徒歩で移動したくなる。車道の脇に用意された歩道ではなく、歩行者専用の道だから、子どもも、大人も、高齢者も、安心して自分のペースで歩くことができる。

図D

左側は幼稚園。学校等は車道に面しており、低い位置に作られている場合もある。また「2車線の歩道」は他の街では滅多にお目にかかれない貴重なもの。広い歩道を家族連れが歩き、狭い歩道を自転車が駆け抜けていく、といった使われ方をする。無駄なようで無駄でない。

図E

車道が生活空間よりかなり低い位置にあることがわかる。車道は十分に広く、また通勤の他にマイカー需要がほとんどない(街区内の徒歩移動で生活が完結する)から、渋滞しない。

これが、成田ニュータウンの提案した「人と自動車が共生できる街」だった。

3.挫折

図F

成田ニュータウンは自転車操業で事業が進められたため、成田空港の拡張工事が遅れたことは、計画に甚大な影響を及ぼした。居住希望者数に見合った集合住宅を売るのではお金が足りないため、計画人口6万人の看板を下ろし、集合住宅を一戸建てに切り替えて販売した。結果、人口は4万人止まりとなった。

集合住宅ブロックなら、車道との接続口が1箇所限定でも買い手があった。だが戸建住宅街では、車道との接続口がいくつもなければ売れなかった。集合住宅ブロックの住人は「車道が遠い」ので街区内を徒歩で移動したが、戸建住宅街の住人は「車道が近い」ので自動車で移動した。いったん自動車に乗ってしまえば、300mも3kmも大差ない。

  1. 集合住宅から戸建住宅への変更により、各街区の計画人口密度は大幅に低下した。そして戸建住宅の住民たちは、自動車に乗ってニュータウンの周辺に続々誕生したロードサイド型の大型店舗へと向かった。各街区内の商店は、未来を閉ざされ、足下の業績も悪化し、バタバタと潰れていった。
  2. 各街区内の商店が減り、徒歩のみでは生活が成り立たなくなると、集合住宅ブロックの住民も、自動車で買い物に出かける他ない。すると、なし崩し的に、ニュータウンの中にもロードサイド型の大型店舗の進出を認めることになった。かくて各街区内の商店は自転車で移動する層の需要も奪われ、大半が淘汰された。
  3. 戸建住宅とロードサイド型の大型店舗で土地を浪費した結果、新住民の流入ペースが落ち、小学校は1学年1~2クラスとなった。生徒不足で老朽化した校舎の建替えが難しくなる一方、学校の統廃合にも反対の大合唱。かくて教育環境の劣化が進み、ますます子育て世代に敬遠される悪循環。
  4. 各街区内の医療地区には空き地が目立つ。開業医を最初から全街区に揃えるのは無理だから、人口増に合わせて開業医を呼び込む計画だった。が、みなが自動車で移動するようになれば、徒歩通院を基本とする医療地区には患者が集まらない。
  5. 徒歩圏内で買い物も医療も教育も完結する、自転車に乗るのも難しい老人に優しい街を目指した成田ニュータウン。しかし現在は、バスが欠かせない。そのバスも自家用車に需要を奪われ、「利用者減→本数が減る→不便→さらなる利用者減」というスパイラルの瀬戸際にある。先行きは暗い。

自動車の社会的費用 (岩波新書 青版 B-47)

成田空港は、21世紀になってようやく第二滑走路が供用された。増大する労働人口を吸収するため、戸建住宅で埋まった成田ニュータウンの外に「美郷台」「はなのき台」「公津の杜」が建設された。いずれもロードサイド型の商店や病院を中軸に据えた自動車本位の街だ。歩道が車道のオマケになっている街だ。

3つの新市街と成田ニュータウンを合わせて、ようやく人口は6万人を少し超えた程度。成田ニュータウンは本来、古い集合住宅の建替高層化で7~8万人まで人口を増やせた。第二滑走路が20年早く建設されたなら、土地を浪費せず「老人に優しく、子どもが安心して遊べる街」を実現できていた。つくづく残念でならない。

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