この話題と直接の関係はないのだけれど、産経新聞が陸前高田市(だったと思う)の被災者へのアンケート結果を載せていて、集落単位での避難・仮設住宅への入居・高台への移転を希望しているのは、じつは1/3くらい、という結果だった。もちろん無視できる数字ではない。けれども、「やっぱり報道から受ける印象とは違うんだな」と。
いや、だってさ、私が被災したとして、集落云々とかどうでもいいもん。集落にこだわっている人は1/3くらいだというなら、納得できる数字なんだ。
で、私が違和感を持っていたのは、若い人を中心にサッサと個人・家族の単位で避難していくことに「寂しいねぇ」という声が、よく報道されていたこと。そういう他人の事情に頓着せず、個人の意思で自由に移動できる世界をこそ望む人が過半じゃないの? と不思議だった。アンケートの結果を見て、ホッとしたというか、「何が何でも集落単位じゃなきゃダメ」とか騒ぐ人がいなくてよかったね、とか。
労働組合もそうだけど、結束している集団は強い。でも、個人の自由にしましょ、というと、集団としての交渉力はガクンと落ちてしまう。片っ端から切り崩されていくから。1/3の側にとっては、個人の自由派は苦々しい存在。なので、「仕方ないね。でも寂しいね」で済んでいるのは、本当に21世紀でよかったな、と。