実質的にマルタは宗教国家ではなくなるわけか。法律と道徳が癒着していることの問題について。
「PTAにはいじめを解決する力がある」という命題が全く信じられていないんだな。それで、いじめのきっかけを作らないことにばかり意を払う。横並びでリクルートスーツを着る就活学生と一緒。
また、ひたすら「誤解」を恐れるばかりで、手紙が教室に集まる方々に「自分を理解してもらう」ツールでもある、という事実には目を向けない。「どんな人で、何を考えているのか、全くわからない」状態なら、トラブルを起こすきっかけもないだろう、という発想。徒競走をしなければ順位がつくことはなく、個々の差異は顕在化しない、という発想と似ているように感じる。
下手な手紙で子どもが笑われたっていいんじゃないの。そりゃ恥ずかしいだろうし、傷付きもするだろうけどさ、そういうことを極端に恐れる感覚の方に、私は不気味さを感じるな。模範解答を見ながら書けば、そりゃ、ひとつはトラブルを回避できるだろうけど、なんか頑張りどころを間違ってるように思う。
あと、ネット上にテンプレートがないことを愚痴りながら、自分は手紙を公開しないというのも、ちょっと抜けている感じがした。いや、やっぱりそのままだと公開できないんだと思う。プライバシーとかいろいろあって。でも、それなら、愚痴をいいつつも「まあ、仕方ないね」という感じになるのが本当じゃないの?