過去の言動を振り返るに、自説に沿った提案が実施された結果がサッパリでも、どこかにケチをつけて「だから結果がイマイチなのだ」というのが私の常だった。半分くらいなら説得力もあるが、9割方そういうことをいってきたので、私は責任逃れ体質なのだと思う。
私は毎回、大真面目に話しているのだけれど、「全体として失敗した」事例の9割が、「瑣末な問題の積み重ねで失敗したのであって根本は間違っていない」なんて考えにくいだろう。言い訳の自覚がなく、本気でそう考えているのが、むしろ問題なんだ。
もっとも、状況の変化に応じて、あるタイミングで敗者復活戦が行われ、いったん負けた路線が成功軌道に乗る場合がある。そのとき、以前の成功パターンに慣れた人は路線転換に苦労して置いていかれがち。人類に「持論に固執する」性質があるのは、社会の多様性を保ち、状況の変化に対応するための仕組みなのかもしれない。人の頭が固いのは改善不可能だから、頑固さが多様性・柔軟さを実現するように進化した……。
全てのことにこだわりを持つ人はいない。たいていのことは周囲に流される。だからたいていの事柄について、自分の意見を持った頑固な少数派と、その時々に(主観的に)結果のよい方を選ぶ節操のない多数派から社会は成り立っている。このバランスが、頑固さと多様性・柔軟性を結ぶ鍵なのだろう。
ただし、これは他の頑固者を許容するための考え方であって、私個人の生き方の指針ではない。
デフレに陥った後に残された政策方針は、伝統的な政策手段が効果を失うなら、困難は多いがデフレを「優等生的に止める」、つまりマイナス1~2%の物価上昇率の状態から、(一度もプラス4%以上の物価上昇率にしないようにして)プラス2~3%の物価上昇率の状態に、1~2年間でソフトランディングする政策に挑戦するか、一時的に高率のインフレになることを甘受してでもデフレの状態を直ちに止める政策を講じた後に、高率のインフレを収束させる政策を講じるかの、(極言すれば)どちらか究極の選択を迫られているのだと思います。
少し補足すると、ソフトランディングを目指す場合、いつまでもランディングできない=デフレが続く可能性がある。だから究極の選択
になる。デフレの害をどの程度と見積もるかによって、取れるリスクが変わってくる。これまで日銀はソフトランディング路線を選択してきた。「日銀はデフレに苦しむ人々に冷たい」と批判されてきた所以だ。
リフレ政策支持といっても、マイルドな方は「ソフト路線の枠内でもっと果敢に攻めろ」という主張で、必ずしもリフレ=ハードランディングではない。これまで十分な結果を出せていないソフト路線だけど、ゼロ金利解除の条件などに工夫の余地が残されているので、ソフト路線の中でやれることは、まだまだあるようだ。過去の実績だけ見て、切り捨てられるわけじゃない。
私自身はデフレにうんざりしていて、ハードランディングを希求している。「政府貨幣を発行して、デフレが解消されるまで、毎月5~10兆円ずつ市中国債を買って償還していく」とか。それはそれでよいとしても、結果に責任は取れない……のはともかく、世の中がどうなってもハードランディングを支持したことを反省しない未来の自分の姿が見えるので、もやもやする。
いや、実際に「やり方の問題」で、デフレ脱却の強行策を採ったこと自体が否定されるべきではないのかもしれない。だから、そういう批判を一律に「後付の言い逃れだろ」といって聞く耳を持たないことが正しいとは思わない。ただ、私のいうことはマトモに取り合わなくていいよ。
以前も書いたけど、選挙権を得て以降の政治関連の話題で、私が支持して後悔したことの筆頭はイラク戦争。結局、大量破壊兵器も、テロ支援の証拠もなかった。悪い独裁政権が倒れてよかったね、という話には乗れず、どうして査察の結果を待てなかったのかな、と。怖い怖いと思って、幻を撃った結果が大勢の死。
何も、言い訳が思い浮かばなかった。1割くらいは、そういうこともある。