「ご都合主義」をめぐる見解の相違かな。だいたい現実というのはつまらない。確率の高い事象ばかりを材料にしたのでは、まず面白い話にならない。特異な価値観・能力・強運を持つキャラクターと、確率の低い事象が次々起きる歪んだ舞台を用意するのは、小説の定石じゃなかろうか。「ふつうじゃない=リアリティがない=面白くない」といったら、たいていの小説に当てはまってしまう。
もしドラに登場する、主人公にドラッカーの『マネジメント』を薦める書店員を「リアリティがない」とか「実在したらダメ店員」と批判するのは、揚げ足取りだと思う。岩崎さんの仰る通り、それがなきゃ主人公のチームが県大会を勝ち進むことはなかったわけで、結果オーライで「店員さん、ナイス判断!」と解釈するのが小説の読み方というものだろうと、私も思う。
これは映画でも何でも同じでしょ。『踊る大捜査線』の映画第2作では、指揮官が部下の自主行動に任せる判断をして結果的にうまくいくのだけれど、個々の場面では部下の自主行動に任せてうまくいくこともいかないこともあるだろうけど、総合すれば組織捜査の方が勝率がいいはず。馬鹿すぎる上司を無理やり登場させて、観客の庶民根性をくすぐって夢を見せているだけ、という批判も成り立つけど、だったら何なの。
私もいろいろケチをつけたがる方なんだけど、じゃあ自分の好きな作品に同じような欠点がないのかといえば、そんなことはない。「スルーすれば楽しめるのに、なぜか気になってしまう」ポイントが人それぞれ違うという話でしかないのだと気付いた。
「気付いた俺エライ」かよ……ってウンザリされるかもしれないけど、「自分がスルーできるこのご都合主義は、いいご都合主義。なぜなら……」と説明を試みたならば、その苦しさに愕然とされると思う。例えば、もしドラの書店員がダメで、DBで超サイヤ人がボコボコ登場するご都合主義は許せる理由なんて、きれいに説明する手があるようには思えない。