「人を試す」側のメリットは明らか。これは予行練習のメリットに近い。「机上検討が十分なら予行練習は必要ない」と断言する人は、あまりいないと思う。問題は「試される」側のデメリット。
「試される」側のデメリットは、主観的なもの。アタマさえ切り替えられれば、「ま、試すのが合理的だよね」「一時的に不愉快になるのは仕方ないけど、こういうのはお互い様だし、別に気にしないよ」と考えることが可能。といっても、現実にはアタマを切り替えるのは難しくて、ダメな人はダメ。
では、いろんな人が集まっている会社では、どういう風にやっているのか……と思って観察してみると、ちゃんと答えは出ていた。
会社というのは、社員を信頼しつつ疑う必要があって、検査・調査は、どうしても欠かせない。そこで、最初は小さなことから始めて、だんだん大きなテストへと段階をシフトしていき、検査に慣れていってもらう、ということをやっている。
重要なのは、基本的に検査は予告ありだということ。そして、最後まで完全な抜き打ちテストはやらない。最低限、「1ヶ月のうちのどこかでやる」「範囲はここからここまで」くらいの予告をする。
社内のいろいろなルールがきちんと浸透しているか、実践されているか、本当に実態を知りたかったから、いちばん効果的なのは抜き打ちテスト。それはわかっているけど、それはやらない。そういうのを押し通すと、メリット以上のデメリットが生じるから。
ルールを徹底しなければならないクリティカルな部分は、どう管理したらいいか。
正解は、「毎日チェックする」。もっと重要なものは、毎回、「全てチェックする」。劇薬の使用量管理とかですね。で、その毎日のチェックが形骸化していないかどうかのチェックは、「定期監査」として実施する。とにかく、絶対に漏れがあってはいけないものを、どんな形であれ抜き打ち調査の対象にはしない。
抜き打ち検査はサンプル調査なので、クリティカルな部分は、もっと確実な方法で管理する必要がある。これは「人を試す」話でも同じではないかな。
採用面接とか、どうして事前に予告をやらない会社が多いんだろうね。別に、全質問を予告する必要はない。大体こういうことを訊ねます、という予告は、絶対にやった方がいいと思う。
私の現在の勤務先の場合、二次以降の面接については、事前にその概要が告知されていました。「**取締役はこういう人材を求めている。社長はこういうことに関心を持っている。会長の期待はこうである。面接は、受ける当人は長く感じるだろうが、実際には時間が非常に限られている。ポイントを押さえて受け答えをするように」
お互い、何をチェックするのか、されるのか、わかっていて「人を試す」方がいい。
あらためて、冒頭のリンク先で紹介されている「事業に失敗して財産を失ったと告げて反応を見る」という事例について。
ぶっつけ本番で、それが演習と告げることもせずに、大規模な予行演習をするのは、馬鹿げている。会社でそんなやり方、絶対にしないでしょ。それはやっぱり、不合理だからだよ。
かつて私の母は月2回ペースで「もしお母さんが病気で倒れたら」という訓練を子どもたちに課したけれど、いざというとき頼りになるかどうかは、練習で十分に把握できるもの。信頼できない人は、練習に身が入らない。「ねえ、冷蔵庫の中身が少なくて料理ができないよ」「じゃあ、買い物に行くしかないね」「えー」「だって、お母さんが寝込んでいたら、自分で行くしかないよ」「でも……」
もし「いざという場合には自分が頑張らなきゃ」と思っているなら、「そうだな、買い物の練習をしておかないと、買い物がうまくできなくて、お母さんが腹ペコで死んでしまうかもしれない!」と考えて、ちゃんと買い物に出かけるはずなんだ。買い物に尻込みする感覚があるからこそ、いまここで課題を潰しておかないと、緊急時に困ることは明白なのだから。
もとの話題でも同じ。まず机上検討をすべき。実際に事業が失敗する可能性はあるわけで、机上検討だからといって全く身が入らないようなら、判断材料としては十分でしょう。
ただし、1回で決め付けるのは早計です。最初は買い物を渋っていた私と弟だけど、だんだん諭されて、買い物の練習をするようになっていった。「いざというとき、本当に助ける気があるのか」という問いを何度も投げかけることで、次第に変わっていくものが、あるかもしれない。