趣味Web 小説 2011-10-10

リーダー経験と復讐の論理

「リーダーの経験がある人は、チームの一員として求められることを理解できるから」という内容。

1.

まず、割とどうでもいい疑問から。

「リーダーの経験」を求める考え方は理解できたが、それを「リーダーシップを求める」というのは、違和感がある。ちきりんさんは「リーダーシップ体験」とも書いているけれど、英語としてどうなのかは知らないが、日本語としては「リーダーシップ体験」と「リーダーの経験」とでは意味合いが違うように思う。

「リーダーシップ体験」といったら、私は「自分はリーダーとしてこんなに活躍した」という話をイメージする。でも「リーダーの経験」なら、「こんなことで苦労して、自分はリーダーには向いていないとは思ったけど、今後はチームの一員としてこんなことに気を配りたいと思い、具体的にあれこれのことをしました」みたいな話でもおかしくない。

組織は幹部候補ばかり採りたいわけじゃないので、「リーダーシップはないけどリーダーの苦労は知っていて、チームの一員として求められることを理解している人」は大歓迎のはず。

2.

本題。リーダーの経験があれば、チームの一員として求められることを理解できるのか?

私が小学生の頃、学級委員を選挙ではなく、くじ引きで決めていた時期があった。児童は反発したが、教師は「指導の一環」として押し切った。あと掃除の班長は担任が代わっても常にくじ引きだったので、学校の方針だったのかも。

ちきりんさんは優秀な人を前提としているから、リーダーの経験があればリーダーを困らせるようなことはしなくなるという。でも、学級委員や、図書委員会の委員長や、掃除の班長や、部活動の部長などを務めてきた私はこんなだし、他のクラスメートも、リーダー体験の前後でとくに成長はしていなかったような……。自分が苦しめられたことを、他人に対しては平気でやるような人ばっかり。

前任の学級委員長が退任した途端に学級会で無体な言動をしたとき、「どうして辞めた途端にそういうことをするんですか!」と新任の委員長がプッツンきた。すると前任者は「俺だけ苦労したんじゃ割に合わない」と放言し、罵りあいの大喧嘩になった。当然、教師は介入したのだが、「俺のときは助けてくれなかった!」と叫ぶ前任者に共感するクラスメートが続出し、収拾がつかなくなった。

いや、あんたらだって前任者を苦しめた当事者じゃないか……。なんで先生を責めているわけ? いい加減にしろよ、アホらしい。そう思った私は何をしたのかといえば、クラスの大騒ぎを無視して、窓辺の水槽を眺めていた。タニシが藻を食べていて、その動きが面白かったわけ。つまり私には、自分もクラスの一員だという責任感なんて、まるでなかった。

その後、何度か開かれた学級会を通じてだんだんわかってきたのは、クラスにはびこる復讐の論理。教師の誘導で、ていねいに過去へ、過去へと遡っていくと、当初の対立構造が明らかになった。それは、2年ほど前に、病欠した委員長に代わって議長を務めていた副委員長のAさんと、クラスメートBさんの対立だった。

Aさんは議論が膠着したので多数決で話を進めようとしたが、Bさんは「納得できない!」と食い下がり、紛糾した。このときAさんの友人たちが、「Aさんの議事進行を妨害したBは許せない」と恨みに思い、その後、どんな話題でも関係なくBさんの発言を潰そうとした。すると、たまたまある話題でBさんと意見が一致したCさんが、Bさんと一緒に集中攻撃にあって怒り心頭に発し、ここにAさんもBさんも置いてけぼりの乱戦の連鎖が始まったのだった。

結局、クラス内で共有されたのは、「リーダーなんてやるものじゃないな」「人間、どこで恨みを買うかわからない」「とばっちりってあるよね」「議論とか、空しい。全部、先生が決めてくれたらいいのに」みたいなことだった。

えっと、要するに何がいいたいのかというと、「リーダーとして苦労した体験から、ちきりんさんがいうような教訓を引き出す人なんて珍しいんじゃないか」という……。むしろ、「リーダーは苦労するのが仕事」と規定して、いっそう我侭放題にする人が少なくない感じ。

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