趣味Web 小説 2011-10-14

究極的には嘘や愚かさと共存していくしかない

1.

私はこれ、「ヒグマ保護の価値と費用の線引き」と「費用見積もりの妥当性」の問題だと理解している。

例えば、ひとつの考え方としては、「ヒグマ保護のために北海道を無人化すべき」という主張だってありえる。人間は暮らす土地を選べるが、ヒグマは選べない。ならば人間の方が移動すべき、というのは、ひとつの論理的帰結だ。選択肢のある者がない者の命を奪って自己の利益を貫徹することを「野蛮」というのも、話としては理解できる。

これに対して「怒っていい」というのは、当たり前。怒って人を殴ったり物を壊したりしたらいけないけど、怒る自由はあるよ、それは。でも、私が怒ることを勧めるかといったら、勧めない。少なくとも、現時点で怒っていない人は、そのまま「怒らない方がいい」と思う。

ヒグマ保護の話題を価値観対立の図式で捉えると、答えは出ない。熊森協会が「野蛮」といい、道民が「怒り」を表明した先に、何かいいことがあるか。たぶん、何もない。強いていえば、感情をあらわにしたことでお互いに少しだけスッキリして、しかし何も伝わらないことにもっとイライラする、それくらいだろう。

まあ、何をどうやっても、双方のコアな人同士がわかりあうことはないだろうから、あとは外野のサイレントマジョリティの共感獲得合戦になる。熊森協会の主張は前提事実に誤りが多いのだから、価値観対立を強調するよりもっと確実なことに注力した方が……いや、共感獲得合戦と割り切るなら、むしろ感情を煽る方が有効なんだろうな……。

いや、Assayさんが意図的にやっているとは思わない。結果的に、はてブとかで話題になるのは、淡々と書かれた記事ではなく、事実の指摘とともに感情も見える記事(の書き手)だということ。

2.

こちらが正しくて、向こうが間違っているとしても、どれだけ言葉を重ねたって、人を黙らせることはできない。あるいは、もし黙らせることができたら一時的には気分がスッキリするかもしれないが、そんな社会は、より大きな不幸を抱えているだろう。

嘘は正す。それでも聞く耳を持たず事実無根の話を広める人は尽きない。たゆまず理を説き続ける。しかし「クマを殺さないで!」という声は止むまい。究極的には、嘘や愚かさと共存していくしかない。

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