趣味Web 小説 2011-12-11

本音と建前が逆転した社会 (仕事の話3)

1.

個人の成果をきちんと評価するのは非常に難しいしコストもかかる。また、給与体系を選択制にするのも、コスト面をはじめ難が多い。そのため、みんなが厳しい条件で働いている会社は、その前提で給与体系を組む。そうした会社では、「ゆるく働く人」は事実上のフリーライダーとなる。

昨日の記事のケースBやケースCに該当する会社なら、逆に少数派の「バリバリ系社員」こそ組織を乱す悪者だが、ふつうの会社では「ゆるく働く人」の方が少数派であり、憎まれ役になる。

何だかんだいって、大多数の人は「もっと給料がほしい。給料が増えるならもっと働く」が本音なので、それを無視して理想を語っても、あまり実りがないと思う。ワークライフバランスを訴える側の人は、それが多くの人にとって「口先の本音」であり、本心では「建前」の側に位置づけられていることを見落としがち。

「社畜www」みたいな嘲笑が、共感よりむしろ距離感を生み出していることに気付いてほしい。とはいえ、堂々とその手の言葉を他人にぶつける人たちって、仲間内(だけ)で共感のレベルを上げていくことに最大の関心がある様子。ならば、それはそれで目的に適った行動なんだろうな……。残念なことだけど。

2.

ワークライフバランスの大切さを訴えるドラマを見て、感動して、共感もして、涙を流す。それでも自分は、残業する方を選ぶ。そして同じ職場の「ゆるく働く人」を憎む。そういう人が、多いように思う。

「涙まで流したのだから、それが本音」というのが誤解のもとなんだ。

いつも定時で帰社する人に対して「俺の仕事を増やすな」と思う。「一人あたりの給料を減らして人員を増やし、残業をなくすのが正しい」という発想が、どうしても出てこない。収入は絶対維持、ワークライフバランスなんか二の次。家族とのふれあいが少ないことより、貧乏の惨めさの方がつらいんだ。……それが現実、真の本音。

「やらずに後悔するより、やって後悔する方がいい」といって挑戦する人のドラマに感銘を受けることだって、そう。

テレビの画面の向こうの話なら感動して涙を流すけど、現実に身近な誰かの挑戦が失敗して自分が迷惑をこうむると、猛然と怒る。自分自身も、挑戦に対してきわめて臆病である。「失敗しないことが最優先。やらずに後悔するより、やって後悔する方がいい、なんてのは気休めのウソ。本当に、一番つらいのは、やってみて失敗することに決まっているじゃないか。当たり前だろ」これが真の本音なんだ。

現代の日本では、本音と建前の逆転が多い。「これがみんなの本当の気持ちですよね」という建前論は、人々の現実の生き方を否定し、責めさいなむツールに堕している。いい加減にしてほしい。

あと、一見「本音」風の建前論がまかり通っている状況は、多数派の本音に共感できないことがよくある私のような人にとって、非常に迷惑。みんなの話をよく聞いて、これで波風立てずに人間関係をやり過ごせるかと思ったら、「えっ!? みんなの真の本音はそっち?」と。

3.

「やっぱり旅行にきたなら、名物を食べたいよね」
「だよねー、旅行気分を楽しまなきゃもったいないよね」
「じゃあ、あそこの**にしようか。このへんの名物らしいし」
(お店に入って注文をしてから)
「さっきはああいったけど、別にマクドかラーメンでよかったんじゃね?」
(みな頷く)
「……」

15年ほど前の、修学旅行の班別自由行動でのひとコマ。そういうことをいうのは、せめて食べ終わるまで待てないのか、と思ったね、私は。食べてみてマズかったときに、「さっきああしておけば……」と思うなら、私だって理解できる。私も、「店が悪かった」と心の中で責任転嫁ができる。でも、このタイミングでそういうことをいわれたら、逃げ場がないだろ。そういうことがわからないのか。

ていうか、する意味のわからない建前会話はやめろ。ふざけんな。

社会人になってからも、会議室でならともかく、どうでもいい雑談にまで「本音」っぽい建前を詰め込んでくる人が後を絶たない。そういう、自己演出としての「本音」風トークをするなら、もっと「あなたと私との間には壁があります」という雰囲気作りをしてほしい。真に受けてバカを見る私の迷惑も考えろ。

あるいは、自己演出なら、最後まで貫いてほしい。

補記:

私が誰とも「打ち解けない」のは、「本当のこと」なんか話すつもりがないから。「よくわかる」と見せかけておいて全然わからない人より、「こいつの腹の中はわからんが、とりあえず建前に忠実なヤツ」の方が扱いやすいと思う。

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