趣味Web 小説 2012-01-28

ゲームに声がついてよかったこと

ゲームシナリオに声がなかった時代、おじいちゃんやおばあちゃんの語尾は「~じゃ」等と書くものだった。キャラ絵も小さく、台詞も目で読む文字だけだったため、年齢表現も記号化されていた。声がつくようになって、年齢や感情は声優さんが表現してくれるようになり、台詞の自由度が格段に上がった。

個人的には、自由度が上がってよかったと感じることが、ほとんどない。「セリフ長すぎ」「会話長すぎ」「えっ、ボイスを聞き終わらないとセリフを送れないとか最悪すぎる……」「イベント全体をスキップしたいわけじゃないんだよー」とか何とか。

イベントシーンのムービーやモーションも同じ。表現力が上がった分、かつてはボタン連打の速度次第で自由にペースを調節できていた部分が、「丸ごと受け入れる」or「スキップする」になってる。そういえば、いちおう文字が読める速度でイベントを「早送り」できる親切なゲームも、ひとつだけやったことがある。あれはよかったなー。BGMとSEの処理に不満はあったけど、それは「いっても無理な部分かな」とは思った。

漫画や映画やテレビ番組と違って明確な分量や時間の制約がないせいか、他のジャンルは知らないが、RPGやADVのイベントは冗長なものがずいぶん増えてしまった。オート会話機能のあるゲームの場合、イベントになるとのどの渇きを潤したり、少し家事をしたり、掃除をしたり、小休止の時間にしている。いちばんひどいのでは、ホットケーキが焼きあがるまでずっと会話が続いていたゲームがあった。いい加減にしろ、と思う。

なーんていいつつも、画面から目を離し、コントローラーから手を離してもゲームを進められるのは便利ですね。オート会話でフル音声なら、洗濯物たたんだり皿を洗ったりしながらゲームできます。

たぶんRPGでもADVでも、ゲーム内の全ての要素を全てのプレーヤーが堪能したいわけじゃない。私にとってイベントシーンは、割とどうでもよかったんだな。

うーん、私の場合は何なんだろ。

余談:

ゲームに音声がついていちばんウンザリしたのが、頭の固い少年や少女が主人公の作品。ドット絵で、文字でセリフを読むだけなら気にならなかったのに、膨大なセリフを声付きでやられると、「これは自分がプレイするゲームじゃない気がする」「何なんだこいつらは……」という感覚がワッサワッサと。

映画やテレビ番組なら「ふーん」ですんだことでも、ゲームの場合は自分が操作しないと話が進まないためか、許容範囲が狭くなる気がする。

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