「正かなづかひ 理論と實踐」の特輯「正義と宗教」なる設定は失敗だつた。
依頼して原稿を書いて呉れた人がぜんぜんゐない。だから特輯「正義と宗教」は失敗。「何だつて書けるだらう」と内容的に幅廣いものにした積りだつたのが、みんな尻込みする。わけがわからないが、皆書きたくないと言ふのだから仕方がない。
「最近、気に食わないこと」だったら、みな日頃から存分に語っている。宗教だって、気楽に考えれば、生活の端々にからやわらかい話題を拾うのは容易だし、実際、話の種にもしているだろう。だから、野嵜さんが書きやすいだろうと思って「正義と宗教」を特集のテーマに設定したのは不可解ではない。
正かなの同人誌は、正かなで書かれていることだけが共通点という原稿を集めた雑誌だと思うので、他人事としていうなら、「気負うことないのに」と思う。でも、やっぱり身構えてしまう側の気持ち、わかるな。いや、本当はわからないんだけど、「わかるなぁ」という感じがする。
以下、私は正かなの使い手ではないが、もし自分が書くとしたら……と考えてみた。
まず、震災と土葬の話に思い至った。仏教も儒教も関係なく、慣れ親しんだ埋葬方法でないと「かわいそう」「火葬もできないなんて政府は何をやっているんだ」となる「直感的正義感」へのもやもや感。
それから、仏壇とか、お盆とか、(少なくとも形式的には)かなり廃れたよねー、とか。実家にも昔は神棚が(なぜか母の寝室に)あったんだけど、引越しの際に消えてしまった。仏壇は最初からない。いまだにドラマとかで「お線香を上げさせてください」みたいなシーンが出てくることがあるけど、そろそろナンセンスに片足突っ込んでいるような気がする。
お盆の墓参りで思い出したんだけど、子孫が絶えて無縁となった墓石の扱いとか、身近なところでちょっと話題になった。「それ自体はただの石でしょ」と思っている人ばかりなのに、数人集まると「そういうわけにも……」となる。あれって、何なんだろうな。
他には、コンソールゲームにおける「神」と「正義」かな。ゲームにはよく「神」が登場して、主人公らが「神」の提示する「正義」に抗うのだけれど、その「神」ってのはたいてい剣と魔法で「倒す」ことができてしまうような存在。とすると、その手のゲーム世界には、本当のところ宗教なんて存在していないんじゃないの? という疑問が出てくる。そのあたり、シナリオライターはどう考えているのだろう。別にこれって日本のゲームに限らない話で……いや、そう断言できるほど海外製のゲームを遊んではいないので、ここでやめとこう。
以上、パラパラっと断片を並べてみただけ。