趣味Web 小説 2014-01-17

「想定外の誤解」解読……私の回答

言い方は悪いが所得の低そうな人ほど、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」と言う(本来不必要なレベルの)礼儀正しさを備えているように思えるのは興味深い

Twitterに書いたら、想定外の反発が押し寄せて困惑した、という話らしい。それで、自分の文章のどこが意図しない解釈の原因となっているのか、知りたいのだという。

誰か僕にもわかるような簡単で合理的な説明を!

既に、はてブにたくさん回答が出ていますが、私も書いてみます。

  1. 低所得者は、高所得者に対し、コンプレックスを持っている。高所得者基準で低所得者の言動にネガティブな評価がなされると、強く反発する。だから、所得と行動を結び付けて論じる場合、低所得者の行動を「標準」「常識」とし、高所得者の行動を「逸脱」「奇妙」とするのが安全。
  2. 理由は不明ながら、「標準」「常識」を「正しい」と考える人が多い。そうである以上、「ごちそうさま」が「標準ではない」と論ずれば、即ち批判として機能する。こちらが批判の意図を持っていなくとも、そう受け取る相手がたくさんいる。
  3. 「本来不必要」という表現は、「本来」のニュアンスから、「ごちそうさま」といわない方が「標準」と解釈される。また、「不必要」という言葉はネガティブなイメージを背負っている。そのため、「ごちそうさま」を小バカにする意図が無かったなら、ネガティブな表現は一切用いず「素敵な」「礼儀正しい」といった言葉を使えば安全だった。
  4. そもそも「ごちそうさま」は「本来いうべき」と思っている人が、たくさんいた。食事には感謝の意を表すべきである。実際に「ごちそうさま」という人は少ないが、それは正しくない状態であり、あくまで「本来はいうべき」なのだ、と。
  5. 少なからぬ人々が、「義務」か「全く自由」か、の二択では考えていない。「義務ではないが、こうした方がいい」という行動規範を持っている。「義務ではないので本来不必要」という主張は、「義務ではないがこうした方がいい」と鋭く対立する。
  6. 「正しい言動にケチをつけてはいけない」という考え方がある。転じて、「ケチをつける人は、その言動について、(仮に世間では正しいとされていても)良いと思っていない」と解釈される。低所得と高所得、どちらがいいかといったら、高所得の方がいいと思う人が多い。「所得が低い」はネガティブな評価である。「所得が低い人ほど礼儀正しい」という発言は、「礼儀正しさ」にケチをつけたことになる。
  7. 「どっちでもいいならわざわざケチをつけるはずがない」という考え方がある。そう考える人々は、「ケチをつける=その言動をやめさせようとしている」と解釈する。「やめろ」といわなくても、「批判」でなくとも、「ケチをつけた」だけで、「やめろといっているのと同じ」と捉える。
  8. 「低所得者ほど礼儀正しいのはなぜか」と考え、「高所得者ほど礼儀知らずなのはなぜか」とは考えなかったのは、高所得者の言動を標準とする思考様式に染まっているから。こうした無意識は、無意識だからこそいっそう強く糾弾される。話者が自身をどちらの側に位置づけているかということに、一部の読み手は敏感。
  9. 「興味深い」という発言には、共感の姿勢がない。ただでさえ高所得者基準で書かれた文章に「興味深い」が付くと、「上から目線」「私たちを観察対象としてしか見ていない人の発言」という印象になる。
  10. 「言葉は悪いが」という表現は、「こいつらが相手なら、ちょっと傷付く言い方をしても大丈夫だ」という敬意の欠如、対象への侮りを示す。言葉が悪いと気付いたなら、良い言葉を選び直すべきだ。あえてそうせず、悪い言葉に傷付く相手を尊重しない姿勢を堂々と宣言したなら、相応の反発が生じるのは当然。

私も「言葉の端々をつかまえて大反発され、閉口した」経験は多いので、困惑は理解できます。

『言い方は悪いが所得の低そうな人ほど、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」と言う(本来不必要なレベルの)礼儀正しさを備えているように思えるのは興味深い』

『所得の高そうな人ほど、牛丼チェーン店で店員に「ごちそうさま」といわないように思える』

私が「無用の反発を減らす」ことを最優先にして書き直すなら、こんな感じでしょうか。これはこれで「高所得者批判」と解釈される文章であって、「批判の意図はない」という真意は伝わらないのですが、反発は大幅に減ると思います。

ただ、私の場合は、「しかしどうして自分は、初稿において、大勢の怒りを買う表現を選んだのか?」という疑問が頭を離れませんでした。いろいろ考えたのですが、やっぱりそこには、十分に自覚できていない「自分」が表れていた、と思うようになりました。全部ではない。書き直した文章の方が、本来の意図をよく表せていると思うことは多い。でも、「全てが誤解」ではなかったな、と。

とはいえ、いろいろ考えてはみても、想定外の解釈への困惑とは縁が切れない……。事前に意を尽くすなど無理な話で、反発が出てからでないと気付けない問題は無限にわいてくる。だから、反省しただけ無駄な労力だったという感じもします。

追記:

記事を書いている間にブログが消えてしまった。残念。

その後のTwitterでの展開を見ると、(本来不必要なレベルの)礼儀正しさという価値判断を掲げて戦い続けている様子。「義務ではないので本来不必要」という主張は、「義務ではないがこうした方がいい」と鋭く対立する。と書いた通りで、多くの反発の主要因がここにあるならば、一部の誤解など瑣末な論点に過ぎず、基本的には真正面からのバトルだったことになる。

それはそれでいいのだけれど、そもそものツイートで伝えたかったことは何だったのか。おそらく、「ちょっとした気付き」をツイートしたかっただけなのだろう。ただ、読み手と書き手とでは注目する点が違う。実際に読者が食いついたのは、ツイート内のワンフレーズに現れた価値判断だったわけだ。

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