布張りの椅子は買わないことにしている。人が触れるものは何でも汚れるというのに、布張りの椅子は掃除も洗濯も難しく、不衛生なように思う。だから人工皮革などの、拭き掃除に対応した椅子を、私は選ぶ。
とはいえ、通気性に欠ける椅子は、長時間の作業には向かない。勤務先の椅子が布張りなのは、まあ当然だろう。
前の椅子は、かれこれ10年ほど使った。職場を異動するとき、椅子も一緒に移ってきた。本社から工場へ所属課が移転したときも、実験機材と一緒に運んだ。買い直そうかという話もあったが、毎回いつの間にか立ち消えになっていた。
素手で触れることのほとんどない背もたれは10年経っても意外にきれいだが、座面はひどかった。私はアトピー持ちなのでワセリンを塗る。湿疹は手のひらにもできるから、手のひらにも塗る。その手で椅子に触れるので、座面に油が移る。その油が埃を捕らえる。掃除機など気休めである。布張りの椅子はの清掃は、中性洗剤を薄めてしみこませたスポンジでポンポンと軽く叩くようにするのが定石だが、これも気休めにしかならぬ。
布張りの座面を取り外して座布団のようにできたら、洗濯できるのに。何度もそう思ったが、できないものはできない。せめて次の椅子は、そういうことができるものにしたいと思ったが、需要がないらしくて、座面を外して洗濯できるオフィスチェアは見つからなかった。ただ、私に椅子の選択権はないので、そもそも無意味な調査ではあったが。
しかし少数ではあれ、布張りの椅子の汚れが気になる人も世間にはいるはずだ。お仲間の皆さんは、いったいどのようにしているのか。
調べてみると、椅子に自分でカバーを付け、カバーを適宜洗濯するというのが、一般的な対応なのだそうだ。いわれてみれば、職場の椅子にカバーを付けている人はいないが、マイカーの座席にカバーを付けている人は、そこそこの割合で見かける。なるほど、と思った。また職場の椅子に薄いクッションを敷いている人も、見かけたことがある。あれも汚れ防止に役立つだろう。
それでも、既に汚れてしまった椅子にカバーをかけてもつまらない感じがして、私は何もしなかった。今にして思えば、汚い椅子に座り続けるより、きれいなカバーをかけて座る方が良かったろう。こんな簡単な道理さえわからなくなるくらい、面倒くさがりな私にとって「やらないでいい理由」の魅力は大きい。私の理性は、かくも軟弱である。
職場の再移転に伴い、椅子が新しくなることが決まった。新本社には、旧社屋のオフィス家具は持ち込まない方針なのだという。当初は「一切の私物持込禁止」や「フリーアドレス」も構想されていたが、結局は固定の机と椅子がもらえることになり、多少の私物持込も許可された。
椅子はやはり布張りである。今度こそ座面にカバーを付けようと思い、職場に隣接する総合スーパーへ向かった。
店内をくまなく歩き、店員さんにも話を聞いたが、椅子のカバーは、自動車用、家庭用ソファ用しかないことがわかった。オフィスチェアの座面にカバーを付けたいという需要は、世間に存在しないらしい。少なくとも、総合スーパーで安価に販売される商品の企画が成立するほどには、需要がないということだろう。
実際、新社屋をざっと歩いた感じ、しっかり調べたわけではないものの、座面に薄いクッションを置いている方が2人いただけで、他はみな裸の椅子をそのまま利用されていた。
私も薄いクッションを置くことは考えたが、私は椅子の上でもぞもぞ身体を動かすタチなので、ただ置くだけのクッションには不安があった。また、新しい椅子は座り心地がよく、よく考えずにクッションを置くと、せっかくの美点を殺してしまうことにもなりかねない。
では、どうするか。
私の結論は、「枕パッド」だった。枕パッドは、大きくて様々な形状のものがある安眠枕に対応した枕カバーのことで、肩幅ほどの厚手の布の裏側に2本のゴムバンドが付いている。
たいていの枕パッドはフワフワした布地を採用しているが、中には緻密に織られた麻布を用い、なおかつクッション性のほとんどない商品も存在する。枕パッドとしては失敗作のようにも思えるが、私にとっては「よくぞこんな商品を作ってくれました!」と快哉を叫びたい逸品だった。まさにこれぞ私の探し求めていた座面カバーだと思った。
麻布の薄手の枕パッドは、私が行ったお店では最も安価な枕パッドであり、税抜き199円の値札が付いていた。いってしまえば価格最優先で形だけ真似たニセモノであろう。枕パッドの普及を目指す同業者なら、「こんなものが枕パッドだと思われては迷惑だ」というかもしれない。しかしそんな商品が、私のニッチな需要にヒットした。自由市場バンザイ。
オカムラの高い椅子に、199円の枕パッドを装着する。なんかいろいろ台無し感はあるが、座面を汚れるに任せるのは我慢ならないので仕方ない。ま、座ってしまえば見た目のことは意識の外だ。
最初は見た目に違和感もあったが、2日も経てば全く気にならなくなった。大いに満足した。(職場にカメラは持ち込めないので、写真はありません)
一昔前なら、枕パッドくらいのものは自分で作るのが当たり前だったろうと思う。しかし手芸が得意だった母も、既製品の消費者となって久しい。いくら簡単な枕パッドのつくりが簡単だといっても、199円の商品を自分で作るのは、手間に見合わない。買う方がいい。
幼少期、家の中には同じ生地から作られたものがたくさんあった。壁掛け小物収納、鍋敷き、鍋掴み、大小様々な袋……。父が作った簡単な木製家具も、同じニスが塗られて色彩に統一感があった。古い写真を見ると、部屋のたたずまいの格調高さに驚く。しかしそれは、両親の美的センスが優れていたことを意味しない。
いま両親の家には、買ってきた物があふれている。各々バラバラに主張しているようでいて、ぼんやりとした趣味趣向は感じ取ることができるから、「アジア的雑然さの美学」などと適当なことをいいたくもなる。しかしやはり、単に雑然としているだけだろう。
先の日曜日は、「母の日」だった。せっせと小物を作っていた母の背中を思い出す。