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jura03さんの今日の雑談(2017-07-01)経由で2つの記事を読んだ。私は大筋で原田さんに賛成で、ドラめもんさんと見解を異にする。

いろいろな意見があっていいと思う。が、ドラめもんさんは原田さんをジンバブエ先生と呼び、のっけからバカにして、無用の曲解をしている箇所があると、私には見える。それも含めて「別に構わない」とも思うが、以下、原田さんの記事の章立てに沿って、私なりの読み方で補足したい。

1.

当時、短期金利は8%程度であった。この状況で日本銀行がマネタリーベースを拡大して短期国債を購入すれば金利が低下する。もちろん、当時はマネタリーベースの増減ではなくて短期金利の上げ下げで金融政策を行っていたわけだが、金利を下げればマネタリーベースの需要が拡大し、マネタリーベースも増大した。

短期金利の上げ下げで金融政策を行っているのでしたら、短期国債買って金利を下げてしまったら金融政策の目標である短期金利が下がってしまうので、金融政策の運営として間違った手段を取ることになるんですけれども大丈夫でしょうか先生。

原田さんは、90年代初までは公定歩合を操作していたが、1994年に金利が自由化された後、いくつかの過程を経て公開市場操作によるマネー・サプライの調整を主とする形へ移行した、という話をされている。

「日銀がこうと決めたら市場金利を誘導できた時代に、さらに買いオペをしたら目標より金利が下がってしまうではないか」という批判は、誤解に基づく独り相撲だろう。原田さんがいう金利とは、公開市場操作によって実現を目指す金利の水準のことであって、他の何かではない。これは別に原田さんの特殊な言葉づかいではなく、ドラめもんさんだって、他の書き手の文章なら適当に解釈するはずだ。

原田さんをバカと決め付け、その主張は間違っているはずだという思い込みに基づいて文章を読むから、無理のある読解をしてしまうのだと思う。

しかも頭がクラクラしてくるのですが、「金利を下げれば貸出が増える。貸し出されたお金で人々は何かを購入する。」って言ってるんですが、金利を下げることによって投資の採算ポイントが改善するから投資が促進される、とかいう話ならまだしも「人々は何かを購入する」ってお前は何を言ってるんだとしか申し上げようがない。

これも同じで、ふつうは金利を下げることによって投資の採算ポイントが改善するから投資が促進されるという話なのだと読む。投資というのは多くの場合何かを買うことなのだし、そういう表現でも話は伝わるだろう。わざわざ不自然な解釈をする必要はない。

日銀の国債購入が国債市場の機能を歪ませるという論者は、この意味での国債市場の機能を理解できていない。国債市場は、コメや野菜や魚の市場とは異なり、中央銀行が、経済全般の需要と供給に働きかけるための市場なのである。

(中略)どうもこの先生、市場で決まるべき長期金利の話と、中央銀行が金融政策のために金利誘導を行って明示的に決定してそうなるように市場を誘導する短期金利の話を混同して話をしているんだ、とここで気が付いた訳です。わざとなのか素で分かっていないのかは存じませんが、素でやっているならただの馬鹿で、わざとやっているなら詭弁なのですけれどもね。

政策金利としてオーバーナイト金利を誘導することについては別にそれを「市場を歪める」という人がいる訳もないのですが、それ以降の金利に関しては、市場で価格形成をする、という事であれば、その金利というのは市場参加者によって将来の政策金利期待(およびその基となる将来の経済物価情勢への期待)やリスクプレミアム(タームプレミアムや財政リスクプレミアム)を踏まえて自由に価格形成が行われる、というのが「正しい価格」という事になる筈であるが、今の日銀の国債馬鹿買入は明らかにその価格形成をゆがめるから問題だ、という論点での批判が来ているのに対して、ジンバブエ先生におかれましては、その長期金利の話と政策金利の話を意図的か意図的じゃないか知りませんが混同させて、「中央銀行が金融政策として金利の上げ下げをするのを捕まえて「市場の価格発見機能を阻害する」というのは間違い」と言ってはい論破、という結論を導き出しているのですな。

日銀はもはやかつてのような金利政策は行っておらず、ドラめもんさんの仰る政策金利は基準貸付利率として残存しているのみ。金利目標を廃止する以前も、1999年のゼロ金利政策以降、金利の誘導目標は無担保コール翌日物であって、公開市場操作によって誘導する他なくなっていた。

さて、原田さんが金利というとき、それはかつての「政策金利」であった基準貸付利率の話をしているのではない。短期に加えて長期の金利も操作しようという考え方は、原田さんに特異なものではなく、以前からあったものだ。長らく短期金利を抑えることで長期の金利も抑えるという方策を採ってきたが、福井日銀は量的金融緩和政策を採用した。黒田日銀の量的・質的金融緩和政策では目下、10年物国債の金利をゼロに誘導している。

そのうえで。ここからは解釈の話ではなく、シンプルに意見対立の話になる。

そもそもなぜ短期の金利なら政府が誘導していいのか? 金利など市場に任せておけばいいではないか。政府は受動的に金融緩和すべきだとか、テイラー・ルールなどに基づいてマネタリーベースの推移だけに気を配るべきだとか、そうした主張は絶えず存在する(論破されて消滅するということがない)。しかし多数派は、長らく「裁量的な金融政策はどこまで許容されるか」という枠の中で争っている。

市場には複数の均衡点があり、金利を市場に任せると、望ましくない水準に金利が落ち着いてしまう可能性がある、というのが、金利の操作を認める代表的な意見だと私は認識している。では、操作する金利は基準貸付利率だけに限定すべきか、無担保コール翌日物も操作してよいか、長期金利も対象にできるか。

政府が市場に介入すると、当然に「価格は歪む」。それは基準貸付金利だって同じだ(ロンバート型貸出制度によってさらに市場への影響が拡大した)。金利の操作は「市場より政府の方が真に望ましい金利をわかっている」という前提に基づいている。その先は、政府の価格操作が妥当なのはどこまでか、という議論なのだ。

この議論には決着がついていない。原田さんは、短期だろうと長期だろうと政府が金利を操作することを問題視していない。インフレを退治するには短期の金利だけ操作すれば十分だとわかっているが、デフレを退治するには短期の金利のみでは不可能だった。そこで金融政策を諦めるのもひとつの道だが、長期の金利も操作していいんじゃないか?というのも見識だ。日銀はこの方向で活動の幅を広げてきた。

中央銀行が国債市場を含む金融市場において債券を売買するのは、それによって需給ギャップと物価を適切な状況にするためである。日銀が国債を購入するのは、この意味での国債市場の機能をうまく働かせるためである。日銀の国債購入が国債市場の機能を歪ませるという論者は、この意味での国債市場の機能を理解できていない。国債市場は、コメや野菜や魚の市場とは異なり、中央銀行が、経済全般の需要と供給に働きかけるための市場なのである。

これが原田さんの1章の記述の末尾だが、ようするに国債市場は放置するより介入する方がいい例外的な市場なのだと主張されているわけだ。

繰り返すが、この主張には根強い批判がある。賛否はあって当然。ただ、ドラめもんさんが原田さん一人を論敵とするつもりなら、その認識は間違っている。

2.

見解の相違があるのみ。

インフレ率は人為的に十分コントロール可能か?という、よくある意見対立。

3.

「信用リスクを取れば、利益が上がるはずである。であるなら、為替リスクを取っても利益が上がるはずであるが、」とあるのですが、何がどうなるとそういう文章の繋がり方になるのか、まったく論理性というものが感じられない。

本来、リスクをヘッジしたら儲からないはずの取引で利益が出ている。それはつまり、リスクテイクしてリターンを求め、成功しているということだ。リターンが見込めないのにリスクだけ存在する金融取引が、市場で存続できるはずがない。しかし日本の金融機関は、信用リスクには手を出すが、為替リスクには手を出さず、為替リスクはヘッジしている。それはなぜか。……という話で、論理はきちんとつながっている。

これまでの経験上、為替は短期間に十数%も変化する。このようなリスクを銀行が取ることは難しい。しかし、ミドルリスクミドルリターンの信用リスクなら、管理しやすいということである。

えーっとすいません、信用リスクって飛ぶときは元本すっ飛びますし、信用リスクの管理って債券の個別発行体の財務状況やらキャッシュフロー状況やら業績動向やらガバナンスやら見て行かないといけないですから相場動向見ていくだけの話よりもはるかに大変(大変だからこそそこに超過収益の源泉があるのだが)ですけど何か物凄く勘違いしてるでしょ、というか金融実務全然わかってないなというのがモロに見えてしまいます。

これは「前提」認識の違いの指摘であって、先の引用部の「論理」が間違っているという論証にはなっていない。

また原田さんのいうミドルリスクミドルリターンとは、日本の金融機関の実力を加味した表現だとも解釈できる。素人が手を出したら単なる博打だが、信用調査能力があれば、そこそこのリスクでそこそこの利益が見込める。そして為替リスクは、日本の金融機関にとっても博打の域を出ない。こう読めば、ドラめもんさんと原田さんの認識に明確な差はないことになる。

私は、必要なことは、日本でもミドルリスクミドルリターンのさまざまな債券を開発することではないかと思うのだが。

ということでこういう現実を知らない妄言を吐かれても困ります。

これも同じで、日本の金融機関から見てミドルリスクミドルリターンになるような債権が国内にもっとたくさんあってもいいのでは?という提言だろう。私はこの提言を支持しないが、妄言と切り捨てるのが妥当だとは思わない。

4.

1994年って別に金融引き締めしてねえだろと思うし、12の事例の話なのに何で上げているのが4つの事例なんだよという感じですし、そら金融緩和して金利急騰するって財政リスクプレミアムがその瞬間に大爆発でもしない限りないだろうよ。

出典の論文(『アベノミクスは進化する』所収)を読んでいないと思われる。

1994年を「金融引き締め」をしていた時期とみなす根拠は、当該論文に記されている。まあ異論はあると思う。また12例のうち4例は金融引き締めが原因と思われる例、残る8例は金融政策との関連が薄いと思われる例、となっている。これも異論はあると思うが、ドラめもんさんの批判は粗雑。そして「金融緩和による金利急騰はない」のはドラめもんさんと原田さんの共通見解であって、何が不満なのか。

勝手に結論付けてるけど、いわゆるVaRショックとか大規模金融緩和と過度なデフレ継続期待に加えて金融機関の不良債権問題とか金融機関経営の懸念とかで金利が下がりまくったのが反転した事例も思いっきり有る筈なのですが何を言っているんでしょうか。

それらの事例についても論文で説明されている。いずれも破滅的な結果をもたらすことなく適当な水準で落ち着き、一部の投資家は損をしても、経済全体に明瞭な悪影響を及ぼしてはいない。(繰り返しになるが、異論はあると思う)

この時って当然ながら中央銀行がそれまでじゃんじゃか国債を買って居たのを一転して売却するんですから金利って急騰すると思うのですが、さっきは出口で国債を売るという話をしているのに、ここではそういう事を無視するとか話の整合性が無さすぎて涙が出てしまします。

金利の急上昇を厭わず急速に国債を売却する必要があるのは、激しいインフレが起きている場合のみ。その場合には、むしろ金利は急騰してよい。

緩やかなインフレを維持できているなら、金利が急騰するような売り方をせず、少しずつ売るはず。景気の過熱を抑えるのに必要な分だけ、適当な速度で金利が上げればいいはずだ。原田さんは、それは可能だと考えている。それに対して、そんなことは不可能で、「ついつい売りオペをやり過ぎて金利を上げ過ぎてしまうに違いない」というなら、それは見解の相違。

金融政策の転換、量的・質的金融緩和の出口の時点のショックを心配するのであれば、同じように大規模な国債買入れを行ったFRBには安定的に出口に行けるが、日銀にはできないと言っているに等しく、根拠がない。

FRBだって安定的に出口に行けるかはここから先のインフレがどう進展するのかによって変わってくるかも知れないし、だいたいからして例えば対GDP比で見て米国よりも日本の方が莫大な買入をしている訳で、買入の規模を無視して「根拠がない」という方がよっぽど根拠がない訳で、1億円の買入国債残高と1京円の買入国債残高の違いがあっても出口の時の政策調整が同じように出来る、と言っているようなもんな訳で、ジンバブエ先生の方が根拠がないという誠に残念な説明になっています。

日銀の総資産/GDP比は90%台、FRBは20%台というのが実際の数字。4倍超の違いを、どう見るか。当然、全く同じにできるはずがない。しかしテクニカルな差が生じるだけなら問題はない。4倍超というのは、原田さんのような楽観もありうる数字だ。

5.

実質所得が拡大する、というアプリオリに置いている前提がおかしいのでダウト。

賛同するかどうかは別にして、アプリオリに置いている前提ではない。

私が別の機会でも繰り返し述べているように、金融政策の効果は、需給ギャップを縮小し、雇用と実質所得を拡大することである。

現状はデフレギャップの状態だと原田さんは認識されているので、需給ギャップが縮小すれば実質所得は拡大すると主張される。ここでは当然に総所得の話をしており、給与所得者の世帯平均で実質所得が低下した話は、反論にならない。

金融政策で需給ギャップを縮小できるか。経験的に、金融政策でインフレは鎮圧できる。デフレ退治については様々な見解があるが、無効説か逆効果説でもなければ、原田説の全否定にはならない。あるいは、日本経済に余剰生産能力は存在せず、デフレを解消しても生産は増えないのだとすれば、原田説への批判になる。

いずれにせよ、議論のある話で、一方的にくさして足りる話ではない。

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