Book Guide 2008-11-11

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

知的エリート層の方に勧めます

世界の多くの国では、話し言葉を中心とする言葉と、叡智を記す書き言葉が異なり、知的エリート=二重言語者となっています。著者はこれを「現地語」「普遍語」と呼び、普遍語となった現地語を「国語」と定義します。

高度情報化社会の進展により世界的な普遍語としての英語の力が強まり、学術論文のような叡智の粋のみならず、広く文学の領域まで、英語が進出してきつつある。その結果、国語としての日本語は亡び、現地語に逆戻りするだろう。それは日本の文化、日本人の叡智が英語の「図書館」の中に消えていくことを意味する。これは大変だ、というのが著者の問題意識です。

しかし1章の末尾で著者が断っている通り、一生日本から出るつもりがなく人類の叡智にもミーハー以上の関心を持たない、私のような庶民には、遠い話です。

もし今、夏目漱石のような文学の才にあふれた二重言語者がいたなら、英語で作品を発表するのではないか……なるほど、そうかもしれません。でも東野圭吾さんや宮部みゆきさんが、英語で作品を書くでしょうか。文化商品としての小説で大満足の私は、今後も読む本に困りそうもない。「文学なんて読まないし、英語で書きたければご勝手に」が私の素朴な感想。

庶民はエリートに無関心ですが、エリートは庶民の「文化」水準が下がると食いっぱぐれる。本書も例によって最終章を教育提言に割き、古典教育の重要性を説いています。アタマのいい人はご苦労様、です。

Information