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メイファーズ
[前編]

はじめに
 ただし非常に危険なのである。
 何がって? メイファーズでは「教職」と「社会教育主事」の資格取得に必要な実習科目について書く(ただし教育実習は来年)のだが、これは非常に危険なのだ。
 つまり僕は実習生の身分とはいえ、一般人には近づくことさえできないところに入り込みすぎた。結果、法で定められた「守秘義務」というものが、僕にのしかかってくるのである。
 事実、手元の「介護体験ハンドブック」には、しっかり「自分のホームページに施設職員や患者の実名を掲載してはならない」と書かれている。
 しかし、ここで法学士候補生の僕は考える。

「要は実名挙げなきゃOK?」

 そういう問題でもないのかもしれないが、施設の人々は口をそろえて「世間に自分たちの存在を知って欲しい」と云っていた。
 敵は「無理解」なのである。
 そこで僕は施設の人員は勿論、所在地や施設名などは徹底してぼかした上で、実習記録を写してみたい(ただし守秘義務のない施設は例外である)。
 そういう訳で、未知の世界、お楽しみいただきたい。 

介護体験総論
 介護体験とは議員立法によって定められた「教育特例法」によって中学教員免許状を取る為に義務付けられた体験である。教職課程の科目とは違って、法定単位という訳ではないので、教育実習等とは異なり単位は必要ない。施設の発行する公印つきの「体験証明書」があれば事足りるのである。
 期間は7日間で、そのうち大学の指定する「盲・聾・養護学校」の何れかで2日間行い、現住所のある県が指定する「老人介護・障害授産・精薄授産施設」の何れかで5日間行う。僕は前者は養護学校で、後者は地元の精薄授産に行くことになった。
 大学は公欠になるのだが、問題なのは金銭だ。
 まず13000円を実習日として大学に納め、その後、施設の指定してくる厳格な健康検査にパスしなければならない。僕としては「健康診断」「B型肝炎検査」「細菌検査」が義務つけられ(云うまでもないが、実費である)、さらに交通費や諸経費も実費だ。
 これが非常に痛くて、困っている。 

養護学校1日目
 僕は極めて不機嫌な顔で施設までの埃っぽい道を歩いていた。
 介護体験という教職とはなんら関係ない施設へのどさまわりの為にまず実習費を13000円、健康診断費が5000円、往復交通費が1日1000円。くわえて食費等の雑費や前期試験直前に講義を公欠するロスを考えれば腹もたとうというものである。
 そういう訳で養護学校に着いた。
 我が大学の教職履修生30名が同時に出席しており、待合室では「お前らこそが養護学校に入れ」といいたくなるような人相風体でいちゃついたり、暴れたり、怒鳴ったりしていた。
 僕はあまりの狂態に耐えかねてトイレを探した。
 養護学校の内部は小学校と病院を混然としたようなつくりで、壁には色々な張り紙が貼ってある。と、どこからともなく「あーうー」という絶叫が聞こえてきた。その物悲しい絶叫はあたりに配置してある車椅子や松葉杖や各種医療器具と併せて「バイオハザード」の世界を思い出した。
 さて、戻るともうミーティングが始まるところだった。
 まず美人とは云いがたいが、それはそれは優しそうな校長が、挨拶し、続いて実習担当の伊武雅刀にソックリな、怖そうな教頭が現れた。あまりにも学園ドラマな展開に僕は吃驚した。
 ところがここは養護学校、教頭は外見こそ怖そうだが、事務能力に長けた優しい人であることが分かってきた。30分の施設説明で収容人数から学年別の人数編成とクラス割、具体的な病名から職員人数とその職種、提携病院などを暗誦して見せた。
 僕が驚いたのは生徒一人に職員が1人ついているとのこと、それでもなお人手は足りないということだった。また看護婦が常駐していることや専用スクールバスが大小5台あることも驚いた。
 早速3班に分けて教室を見学に行く。
 僕は3班で、担当は教務主任の泉麻人にソックリな先生だった。僕らはおそるおそる肢体訓練教室に入室した。そこは一般の教室程のカーペット張りの部屋で、5人の子供と6人の教師がいた。教師といってもスーツ姿のそれを連想してはいけない。ジャージや平服で、やっていることは体を動かす訓練である。
 具体的にはボールを投げたり、棒を振ったりである。
 子供はまったく喋れていないが、しかし明らかに教師との意思の疎通は出来ていた。教師はそこらの幼稚園教師や保母には勝てぬ程の陽気さで子供に接し常に笑みを浮かべずに訓練していた。
 僕は徹底的にパラダイムシフトを強いられた。
 内実は知らぬ、表層のみを見れば確かに理想郷はここにある、と思った。
 その次には摂食の教室を見た。インゲンをミキサーにかけてゴマドレッシングとあえるだけの料理、ここでも教師と生徒は一対一で、教師がつくった料理を味見したり、ミキサーのボタンを押したりもしていた。この授業は一般の学校では理科に相当するそうだ。
 次は美術ともいうべき授業を見た。
 模造紙を広げて、ペンキを染み付けたテニスボールを投げるだけ、当然抽象画が出来る。子供たちは楽しそうだった。
 と、一人の女の子が戦列から離れて、見学組の、僕の所へやってきた。先生はあくまでも優しく「お絵かきの続きをしようよォ」といったが、彼女は興味深そうに僕の目の奥を覗き込んだ。そうして、僕の邪悪さを察知したかのように僕の隣の女の子に抱きついた。
 別に僕は妙な趣味はないが、このとき確かに少し傷ついた。

 本日の実習はこれで終わりだったのだが、僕はひとつ強烈に気がついた。それは先生の顔がとてもピュアというか非常に実年齢より若々しく感じた。勿論、諸学校よりも教師の平均年齢は若いのだが、それでも、例えの悪いのは許して欲しいが、動物を相手にしている職員がその動物に似るように、犯罪が陰惨なものを帯びるように、神を信じるものが清々しい顔をしているように。
 色々問題は多いとはいえ、確かに教師たちの顔は一様に神々しいものを感じさせた。  

養護学校2日目
 さて2日目である。
 昨日の体験で、大分障害者に対する偏見は収まった。やはり視覚の効用は大きい。百聞は一件に何とやらである。昨日よりも暑く、気温は36度を超える中僕は迷うことなく養護学校に到着した。
 昨日同様出席カードに丸をつけ、記名された名札をつけた。
 今日は車椅子体験である。まず車椅子に乗った障害者をどのように乗降させるか、また車椅子の操作方法についてのビデオを見る。驚いたのは、実際に障害者を使ってビデオ撮影しているところだ。テレビ放映なんてことになったら、人権の美名の下に健常者が出てくるんだろうなと思った。
 ビデオが終わったらいよいよ車椅子を使っての実習だ。実習教官には昨日の泉麻人似の教務主任がつき、四人一組でまずは体育館で行われた。
 チームはうちの大学は教職志願者といえどもGTOの影響過多なパンクスが大部分なので、僕はマジメそうなチームに加わった。
 メンバーは一度社会に出てから、教師になろうと大学の掛け持ちをしている35歳の方、キャリアアップを目指す大学院生、何故か陰のある4年生、と僕である。
 色々やってみるもはじめは難しいが、慣れてくるにしたがって、軽快に転がすことは出来た。特にカーブは優秀で、さすがトヨタ製などと感心した。走法は問題ないのだが、問題なのは人を乗せる時である。勿論メンバーが横になったのだが、体重が軽い人でも非常に難しい。特に足に触らず(折れてしまうこともある)運ぶなどとは至難の技である。色々先生に聞いて、どうにか外見だけは出来るようになった。
 なるほど、養護学校の仕事は力が多くいり、腰を痛める者も多いという言葉に思わず頷いてしまった。確かにこれは重労働だ。体重40キロ超えたら男手で2人がかり、60キロで3人かかりというのは双方の安全を期す上で必要だろう。
 次にやったのは光化学スモッグ警報の出る中、中庭で練習。中庭では子供たちが先生の指導の下楽しそうに水遊びをしていた。
 平坦に作ってあるとはいえ、やはり中庭。多少の凸凹があんなに体に響くとは思わなかった。段差を効率よく移動する方法を使って自由練習。やはり凸凹な所だと押すのにも余計な力が要り、体重の重い人が乗ると余計大変だ。
 途中で他のチームと車椅子の交換をしたが、車椅子も台によってシステム(ブレーキやリクライニングの位置など)が全然異なり、はじめは相当面食らった。
 慣れたところでいよいよ公道での実践。校舎の周り一周である。
 暑い中で、僕らは雑談しながら車椅子に乗り、押したりもした。それで思ったのはよく福祉関係者が指摘するように如何に街の創りが障害者に厳しいかということであった。これは実際に乗って貰わなければわかるまい。
 例えば排水の為に道路の端に向けての微傾斜が如何に不安定か。また電柱や違法駐輪のお陰で何度も車道にはみ出さなければならず(歩道だって大した幅があるわけではない)、その度に通過する車に恐怖を覚えたり、色々大変だった。
 道路もきちんと舗装されていればいいが、砂利の多くこぼれた所などでは喋っていると舌を噛みそうだった。地方なんか大変だろうと思う。車椅子だってタイヤはゴム製、パンクしたらどうしようもない。
 色々考えつつ戻る。次は校内見学。
 今日は施設についてで、美術や技術室など障害者向けにアレンジされた特別教室を見て回った。コンピューター教室ではIマックを駆使して子供たちがちゃんとメールを打ったりCGを描いたりしていた(僕の絵より数段うまい)。面白いのはちゃんと生徒会が存在し、生徒会室があること。他に一般学校では恐怖の巣窟たる、生徒指導室があったり、特別教室は普通の学校と変わらなかった。
 それが終わったらいよいよ昼食。
 もちろん、各自で前もって買っておくのである。
 僕はコンビニ弁当を食べながら、生徒自信の手による校内放送を聞いた。DJの方はまあその通りだが、音楽は割と最近のポップスで少々驚いた。
 実習としてはこの後「障害者の摂食ビデオ」というこの養護学校自作の、子供たちが食事しているビデオを見るのだが、これは少々きつかった。偏見はだいぶ改称されたという慈父は逢ったのだが、まだまだあまかったらしい。
 まあ表層しか見ていないので当然といえば当然なのだが、ビデオは真っ白のヨーグルト状の吐瀉物などを延々と映し出し、食事中のこっちは正視に苦労した。咀嚼中の食事などもあますことなく映し出され、いや難儀な食事ではあった。食事でさえこの苦労だから、排泄実習までいかなくてよかったと思っている。
 その後は一同で感想などをまとめた。伊武的な教頭に実習ノートの提出と検印、公文書の受領をしてもらい解散となった。ラストの一言感想を言う折に僕はこう云った。

「2日間ありがとうございました。普段は知ることのない世界、短い間でしたが新鮮な驚きと理解の連続でした。子供達の表情がとても豊かで、希望ってこう云うものかなと思わされました。こういうことに使われるなら税金払うのも悪くありません」 

倒産処理法
 僕は法学部の大学生で、しかも3年生であるからして色々な科目を履修することが出来る。科目で選んだり先生で選んだり、中には卒業要件上、やむなく取る科目もあるがそう多くはない。
 倒産処理法という講義は以上のどのような理由にも当てはまらずに取った科目である。
 土曜日、2時限。普通の人ならまず履修しない曜日である。それ以前に一般の大学ではそれ以前に土曜は休日である。
 僕(と数名の友人)がこの科目を履修したのは、直前の1時限が履修すれば優は確実というちょろい「選択必修」科目だからであり、僕は午後もあるから待っているのが馬鹿らしいため、友人は1コマだけ出るのが馬鹿らしいから取ったのである。
 倒産処理に関心があるからでは無論ない。
 ところが、今年からやってきた講師はそう考えてはいなかった。彼の本務校はKという一流大学で、当然役職は教授。しかして本業は東京駅前に事務所を構え、弁護士15名を抱える総合法律事務所の総帥である。専門はやはり倒産処理で、今まで手がけた大型倒産事件は数知れず(みなさんも知ってる企業がいくつかある)、四方試験委員も勤めたらしいので将来勲章は確実である。
 そんな偉い先生がなぜ我がパンクス大学にきてるかといえばただ学長と仲良しだからという理由に過ぎない。
 さてそんな倒産業界の総帥先生の講義スタイルだが、面白いことに二部構成となっている。まず総帥が弁護士としての実務談を話す。今まで手がけた事件の話で、やはり弁護士というべきか話が非常に面白い。荒れた債権者集会や、街金を黙らせる方法や色々と教えてくれた。そして倒産法については、彼の事務所に所属する歴3年の若手弁護士が詳細なレジュメ付で教えてくれるのだ。
 このレジュメがまた破産通知書や解雇通知やバランスシートなどのコピーで非常に生々しい。
 とにかく結構、僕は心待ちにしている講義だったりする。

 その総帥が、6月も終わらんとするときに「この講義のメンバーで裁判所と弁護士事務所の見学会をしましょう。参加希望者は是非来てください!」と宣言した。
 なんと、超一流の弁護士と話せるチャンス! しかも話を聞くと昼飯をも奢ってくれるそうじゃないか。
 これは行かない手はないでしょう。
 僕は友人とともに、即刻参加申込みをした。 

法律事務所見学
弁護士は怖いッ!
 僕のような田舎者は、その規模に度肝を抜かれた。
 何がって? そりゃその弁護士15人を抱える総合法律事務所の立地と規模にである。日本を代表する超一流企業の本社ビルが立ち並ぶ東京駅京橋口。その地下の暴騰ぶりにもはや飲食店街さえない有様なオフィス街。
 その超一等地にその弁護士事務所はあった。
 地図を書くと近隣の建物は本社ビル(銀行や金融関係がメイン。やっぱ儲かっているのだ)だらけ、そんな中でやはり高級なビルの一角、2階分のフロアを借り切っているのだ。窓を見れば東京駅がはきりとみえる。
 なんということだ、と僕はうめいた。
 そのビルは1階に画廊が入っているようなオシャレなビルで、地階エレベーターの前にはロビーなんぞがある。
 僕は田舎者の性という奴で、待合時間の15分前に到着した。
 来意を告げると早速、A会議室なる所に連れられた。フロアーはいくつもの会議室に仕切られており、その様は映画に出てくるようなオフィスを思わせる。豪華な家具に壁にはこれまた高そうな絵画、椅子は10個あった。朱肉が堂々と置いてあるところが商談の場所らしい。
 三々五々学生が集まり、らしいというべきか集合時間の10分後に参加者が揃った。12人の申込に対し10人が出席した。総帥はまだ出てこなかったが、若手の弁護士が今日の引率ということで、慣れないブルジョアな雰囲気に飲まれる僕らに(高級なラウンジでバーテンやってる友人も驚いてたくらいだ!)彼はやり手弁護士らしく明快に、今日の予定をまくし立てた。
 途中、何度か彼の携帯が鳴り、その度に彼は「抵当権」だとか、「特殊な動産」とか「担保物の有効」とか専門用語が飛び出した。携帯に生まれ変わる破目になったら、こう云う使われ方がされたいものである。
 あまりにハマりすぎな展開に僕らはすっかりのぼせてしまったがともあれ東京地裁に向かうことになった。

 (東京地裁の話は次回にどうぞ)

 さて、裁判所見学の終わった僕らは、昼食を奢ってもらうために再び事務所に戻ってきた。事務所はビルの4階と5階をしめており、はじめは窓口のある4階に入ったのだが、今度は5階に直接行く様に指示が飛んだ。
 5階にも受付があり、受付嬢(!)の指示で、一番大きいらしい会議室に通される。20畳くらいはあっただろうか、僕の友人などが住むような下宿の数倍はあった。
 テーブルの上にはデリカテッセンから取り寄せたと思われる大皿がたくさん置いてあった。こういう地区に宅配するくらいだから、高いんだろうなと思った。料理はサンドイッチ・揚げ物・フルーツといずれも高そうな装飾がなされている。映画のパーティーシーンを思わせる光景だった。
 それにしても気前がいいというかなんというか、その大皿は二人で一皿という感じだった。勿論、実際は6人で3皿というレベルであるが、当然、食後は大量に手付かずの飯が残った。
 飲物の方もそれに劣らず大量にあり、また弁護士の方々は揃いに揃って飲兵衛なんだ。ビールの缶が次から次へと飛んできて、その半分は弁護士のテーブルの前で空となった。学生も決して遠慮過剰というわけではないだろうが、飲めば飲んだだけ出て来るので閉口してしまう。
 お茶にしろジュースにしろ、会費を一文も払っていないのにまあ呆れるほど出てくる。酒池肉林という物か、とにかくとんでもない食べ放題パーティーだった。
 しかも弁護士たちはこの後、顧客との打ち合わせがあるといって、2時間後に赤い顔のまま引き上げてしまった。何度か受付嬢が伝言を運んできたから間違いないだろう。
 とにかく弁護士というのは恐ろしい人種であることはわかった。 

裁判所見学(東京地裁)
あの人と、同じ建物に
 今回は前回省略した東京地裁の見学記だ。
 地元の地裁なら幾度と回ってきた僕だが、東京地裁に行くのは初めてだった。東京駅前の弁護士事務所から歩いて京橋駅まで行き、(所要時間3分)そこから地下鉄で霞ヶ関まで。そう地下鉄サリン事件のあったあの駅である。時間は計15分。
 東京の中枢近辺はやたら道が広く、新宿などとはまた違った威圧的な高層建築物が多々あり、僕はいつでも意味なく萎縮してしまうのだが、さすが官庁街です。威厳十分。
 ここで吃驚したのは四つ角ごとに警官が立っていたこと。
 確かに地元県庁前の官庁街(地裁もある)にも警官の姿が目立つが、ここまで凄くはない。駅を出て、すぐ目の前が東京地裁・高裁の建物だ。
 弁護士先生に連れられてはいる。と、すぐに荷物検査だ。空港の搭乗ゲートにあるX線検査機に荷物を入れて、金属探知のゲートをくぐる。さすが東京、地元の裁判所でこんなこと受けたことは未だない。
 その後、刑事法定傍聴という事で覚せい剤事犯の審理を傍聴し(その具体的顛末についてはココ!)一応倒産処理法の講義ということで破産部の見学をした。
 破産の予納金が案外高く感じたので、「破産希望者がそれだけの額さえなかったらどうなるんですか?」と訊いた。「それじゃ何にも出来ないよ」と先生はビジネスライクに言った。
 その後、民事事件を傍聴したが、途中から入ったこともあり、誰も何も解らなかった。

 この後、裁判所の中を歩き回って色々紹介してもらったのだが、最後に事件表のところへ行って、初めて先の厳重警備が解った。
 事件表、整理券抽選のところで、思わぬ名前にあったのだ。

「殺人等 麻原彰晃こと松本智津夫」 

社会教育実習総論
社会教育主事って何?
 社会教育実習とは、「社会教育主事任用資格」という国家資格を取得するために「我が大学では必要な」実習である。
 社会教育主事とは何か? これは社会教育法で定められた資格であり、社会教育を行うものに専門的技術的なる助言を与える職務である。ちなみにこの資格は都道府県市町村の教育委員会事務局内においてのみ効力を発する。つまり資格をとっても「社会教育主事になり得る」(任用資格)というだけあって、何ができるというわけではありません。公務員試験を突破して街頭部署に配置されなければいけないのである。
 そしてこの主事資格は大学で所定の単位をとれば誰でももらえるのであるが、教職における教育実習とは異なり法律で義務付けられているものではない。但し我が大学では実習が必修科目の中に組み込まれており、これを取ることが必要なのである。
 社会教育実習、4単位。通年講義と地元市町村での実習、そしてレポートの提出により取得されるのである。
 2001年の夏休み一杯。合計で14日間。
 僕は地元の市役所の生涯学習課のお世話になってきた。
 本当は僕の書きたいレポートはそこでお世話になった膨大な人(喋った人だけで300人以上、場を共有した人になると2000名以上)との思い出など書きたいのですが、プライバシー等の関係もあり、具体的な事実の摘出にとどめます。 

社会人大学
 実習の一日目は社会人対象の「**大学++社会人大学」の会場セッティングだった。いきなり仮名ばかりで申し訳ないが**には都内の有名私立大学の名が、++には我が市の名前が入る。
 これは読んで字の如く市が大学に要請して隔週で講師を派遣してもらい、もって受講生の知的興奮を引き出すものである。コースは3種類あり、それぞれ「国際社会課程」「地域社会課程」「緑地環境課程」となっている。当然だがそれぞれを専門にする講師が複数くるのである。
 僕は会場のセッティングと受付業務、そして見学をしたが、そのハードさに吃驚した。まず受講生の義務が重い。重いといっても、「ちゃんと出席する」ことと「毎回レポート(感想など)を出す」ことだけなのだが、現役大学生の立場からすると殆ど全員この義務を果たす環境がかなり羨ましい。
 出席とレポートの管理は運営委員の方(受講生OBで事務を取り扱う)により厳重を極め、その結果もまた素晴らしい。いくらこれが自ら志願した身にせよ、50人近くの受講者のうち欠席する人は毎回3人以下。レポートも毎回必ず回収され、大抵はレポート用紙半分の量をきっちり埋めてくる。
 そこまで士気があるからには講義はどんなものだろうと見学してみたが、正直驚いた。僕は実習前はカルチャースクールレベルの私語の多い社交場的なノリを予想していたのだが、これはとんでもない誤解だった。
 講義のレベルは大学同等、否それ以上とも思える水準だった。僕は国際社会課程の「ITの未来」について聞いたが教養レベルを遥かに凌駕していた。講師も淡々と、しかしプロジェクターなどを用いて詳細に説明し、受講生も毎回配られてるコピー機で作ったテキストにメモを取っていた。
 僕は何が求められているわけでもないのに(ただし一定数以上休んだりレポートが欠けると修了証書がもらえないのであるが)、ここまで真剣に学問をしている環境というものに感動を覚えた。年齢はてんでバラバラで高校生から80歳までいたが、その雰囲気には大学(特に、僕の通う大学)では決して見られない真摯なものがあった。
 学びたくもない奴が高価な授業料を払って遊び呆けて、学びたい人が労働に汗を流してそういう大学生のために金を稼ぐ。どこか、狂ってないか? 大学よ。
 そう思った。 

IT講習会
教え甲斐
 これは新聞などで皆さん知っているかとは思うが、今年度は文部科学省の肝煎りの政策「IT講習事業」が行われてる年である。これは各地方自治体に委任して、希望する国民に基礎的なIT教育を与えることを目的とした企画である。
 費用は全額国家持ちで当市の場合3000万円弱。課をあげての最大規模の事業である。
 では、このIT講習会とは如何なることをやるかというと、まあパソコンの初歩を教えるのである。全4回で1回は3時間。電源の入れ方から最終的にはメール送信、ホームページ閲覧などの技術の習得を目的としている。人材派遣系の会社から雇った講師1人に、ボランティアとして指導補助員が3名つく。
 ここでの僕の仕事は指導補助員である。パソコンに関しては殆ど素人の僕ではあるが、いくらなんでもマウス操作やキーボード叩きくらいはできる。
 実習では複数日に分けて計4回指導補助を行った。会場はすべて別々であり、うち3回は第一回目の会場を受け持った。
 第一回目は電源の入れ方からはじまって、マウスの操作に慣れるためまずソリティアを行う。続いてワードパットを使って、簡単に文字の打ち込みと変換方法を学習する。以上である。
 技能としては勿論、僕は出来るが、教育となるとこれが難しい。受講年齢は成人以上ほぼ全年齢だったが、平日に行われたせいか、やはり老人と主婦が多かった。殆どが40歳以上で、最高齢はなんと80歳だった! 生涯学習万歳と云った感じだ。
 あまり意識しないが、初心者はマウスの動かし方もわからない。WINDOWS のスタートボタンを押してから、目当てのところを開く事すらできない。これには少々ショックを受けた。またマウス操作の教材がソリティアであり、老人方にはルールの説明が難しかった。
 ただ一人の例外は72歳のテトリスマニアのご老人で「パソコン等は全く出来んが賭け事とゲームは何でもできる」と豪語し、初心者にも関わらず、1回でクリアーしてしまった。
 受講態度は平均が高年齢だけあって、皆さん非常に良いもので、難癖をつけてくるようなものは一人もいなかった。言葉も若輩者に対してもあくまで「先生」待遇であり、きちんと丁寧言葉で遇してくれた。それに比べると20代30代の人はどうも受講態度に難がある。質問も横柄だった。
 結局、殆ど老人やオバサン相手に骨を折った指導補助であったが、その真面目な受講態度には教育側として非常に深い感銘とやりがいを覚えた。先の大学教員による市民大学でも、教官は学生相手よりも遥かに高いやりがいを感じただろう。
 今の大学生も、長じればこの受講生のようになるであろうか、と失礼ながら高等教育を受けているとは思えない、市井の彼らを見て思った。

追記;民間のパソコン教室で教鞭をとっている友人によると、年長    者であればあるほど横柄だという。おそらく客層が会社の     管理職だと思うのだが、これが市主催というお上意識の為    せる技だとすれば、あまりにも悲しすぎる。 

老人大学校見学
頑張れ! オールドメン
 この実習は総じて「学習意欲のある熟年者」と比較的少ない年少者という対立を浮き彫りにした実習であったが、熟年サイドの向学心をまざまざと見せ付けてくれたのが、この生涯大学校(昨年までは老人大学校)での実習だった。
 この生涯大学校は老齢以上の者を対象にした社会教育施設であり、いくつかの学科に分かれて、その道の専門家に講師を依頼して、真剣に学問に打ち込んでいる。運営方法は先の市民大学と同じで元受講生が役員となって出席とレポートの回収をしている。事実この建物に職員は一人しかいない。
 学科は文芸・陶芸・園芸などで、僕は園芸科目の講師接待と講義の見学をした。講師の先生は県の農業普及開発センターの科長さんで、花を専門にしている方だった。
 講義を拝聴する、これも全く当然のことながら本物だった。
 本物というのは大学で一般教養の講義として出しても遜色ないという意味である。また教育が専門でもないのにその面白い語り口やエピソード満載の教え方は園芸に興味関心のない僕でさえも十分に熱中させるだけの力があった。
 論題は「季節の園芸(朝顔を中心)」と「農薬なんて怖くない」の二本立て。とても専門的な筈なのに、順を追って話していくので解りやすく、知的興奮をそそられた。受講生も真剣そのもので流石園芸好きが集まっただけあり、専門的技術的な質問が授業中にポンポン飛び出す。そのどれもが体験に裏付けられた日常的な質問だ。また瞬時に答えていく先生が凄い。
 先生の接待の時に番茶を出しながら、色々僕も質問したが何でも答えていただいた。僕は苗字が苗字だけに案山子についての質問をしたが、なんとあれは有用だとか。最近は精巧化が進み、土砂降りの後など死体と間違えられて通報されることが多いとかそういう楽しくも為になる話のオンパレードだった。
 「先生のような授業、大学でも聞けるといいんですが…」
 僕がそういうと先生は「やだよ、だって聞いてくれないじゃん」と明快に答えてくれた。自らの趣味を趣味の段階で終らせず、志願して教育を受ける老人たち。
 僕の老後は退屈しなさそうだ。 

図書館見学
 イオンってなーんだ?
 即答できるあなたは偉い。大学生でありながら、僕はそう喉下に突きつけられたとき「ええとイオンってのは陽イオンと陰イオンがあって、電子の入れ替えが…」くらいで頭を掻いてしまった。
 イオンを習うのは中学の理科1だったか高校の化学だったかもう忘れてしまったが、そんな高度なことを小学生等にやらせて大丈夫かよおい。僕はそう思った。
 今回は図書館が行っている企画「夏休み子供科学教室」の見学である。本を貸し出すだけじゃない、図書館の啓発業務を学習するのが目的である。
 講師は「科学読み物研究会」という団体からの派遣できたプロが子供たちに解り易く科学の色々を教えるのである。とにかく今回はイオンについての学習である。子供の理系離れが進む中、この種の活動は有為である。
 ところが…僕は小学生を見て大いに呆れた。こういう学習活動に来るからには真面目な人だとは思うのだが…携帯をいじる奴や厚底ブーツの奴、金のアクセサリー付のHIPHOPに頭染めたパンクまでいる。本当に小学生?
 それでも流石、子供の啓発教育のプロだけあって、講師の先生の猛獣裁き(?)は見事だった。初めにイオンの伝導実験を行った。ポカリ粉末や食塩水、醤油やミカンなどに電極をさして電気が通るかの実験を行った。これは僕にとっても全く予想が出来ず、僕自身ハラハラしながら予想と結果を書き記すプリント片手に見た。
 続いて行ったのは、イオンが電気により動かされる熱を利用したパン焼き機の作成である。牛乳パックの底を切り取って小麦と牛乳を混ぜたペーストを流す。パックの両脇に電極版を差して、電源を入れるだけの代物だが、ちゃんと焼けるのである。
 ただし、この電極版に触れると見事に感電する。
 これを避けるために感電実験を行った。講師をはじめ参加者50余人に図書館員、それと僕の全員で手をつなぎ微電流を流すのだ。これには本当に驚いた。僕の隣は小学2年生の女の子で、この話をするたびに知人から羨ましがられるのには閉口するが、とにかく僕は小2女子の手を握って「感電」した。
 そういう訳で子供たちは電極に触ることなく、パンを焼いた。僕は先生の作ったパンを試食したが、確かにおいしかった。
 最後に図書館員が「参考文献」を紹介して、色々と図書館を利用してくれるように宣伝して幕を閉じた。驚いたのはこの間、始まるまで無法の限りを尽くしていた子供たちが全く喋らなかった点だ。勿論、実験結果が出た時は驚いたり感嘆の声をあげたり、そういう意味の声はあげたが、私語で収集がつかなくなるということはなく学級崩壊的な予兆もなかった。
 なるほど、教師の力量はたいしたものだ。そう僕は痛感した。 

実習予備校 メイファーズ 実習エッセイ

"REPORT GANBA"

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