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メイファーズ
[後編]

オールナイトハイク

深夜の教育ドラマ

 オールナイトハイクとは市役所と青少年相談員が共催する中学生を対象としたイベントだ。夜を徹して30キロも歩くのである。200名近い中学生が参加する。大人も約同数おり警備や炊き出しを行う。僕は実習生として、下準備から20キロの同道をさせてもらった。この詳細は7月28日の日記を参照されたい。
     * * *
 教職の講義で最大の欠点だと思うのは、ナマの生徒に触れる機会が全くないということだ。こういうことをいうと助役あたりから、「塾のバイトでもしろ」とかいわれそうなのだが、我が大学では塾側もビビって雇ってくれないのである。
 そういうわけで今日、オールナイトハイクで中学生11人と一晩中歩き回って、考えさせられた。今までの分別ある熟年以上の大人の扱いとは異なり、礼儀正しくしても舐められるばかり。無抵抗主義の実習生ということで、情けないかな中一の女子に半イジメ状態だったのだ。奴らこれが呆れるくらい容赦ない。こればかりは教職の講義では解決不能だ。
 このまま非常にミゼラブルな気分で終わるかと思われたが、これは蛇の道は蛇という奴で、慣れてしまえば相手は約10年前の自分なのだった。
 3時間もたてば随分打ち解けて喋れた。ゴール間際では「さん」付けでお礼を言われ、「8月の青少年キャンプに申し込めばよかったなあ」とまで云われ、なんのつもりか大量に菓子を貰った。
 これって本当に教育ドラマ。
 対立と喧嘩が和解と尊敬に一晩で変わるといういい経験をさせてもらいました。
 それにしても無礼な彼女らを相手にして宥めている同道した先生方、やはり凄い。猛獣使というか何というか、とにかく尊敬です。 ▲

夏休み子供工作教室

多才な老人

 僕は今でこそ三流の底辺校と称される大学にいるが、その昔は少々有名な名門校に中高6年間いた。同級からは一流大学が当たり前のように出ていて、同窓会などでは肩身が狭いと思わないこともない。
 進学校で避けられないのが低学歴者蔑視である。低学歴といっても対象は同年代ではなく、主として社会人に対してなのだが、「お前も勉強しないちょああいう人になっちゃいますよ」という教育を受けてきたせいか、そっくりそのままの発言をする生徒が随分いた。
 僕は出身も育ちも高所得者層の街ではないから、自然にそう云う発言の出る空間というものに随分違和感を感じた覚えがある。(親戚にタクシー運転手がいると話したときのあのまわりの驚き!)
 さて、ぼくは社会教育実習で和凧教室の見学をした。講師の先生は凧業界では第一人者で、教材は竹籤一本に至るまで完全な自作だった。伝統工芸の関係者らしく、使用する刃物には詳しい。なんせ凧と刃物で日本を回っているくらいである。また花笠踊りの会(会員数約300名)を主宰したり、
火縄銃に凝ったり、神話と郷土史を研究(通史の知識も本物です。受験生よりできるでしょう)したり、とにかく多才な人でした。
 外貌は冴えない老境の人で、事実、高等教育を受けてはいないようでした。高校時代のクラスメートは、彼をどう評するのだろうか。
 30日後、同窓会が開かれた。 ▲

文化財保存庫見学

考古学少年だった頃


 中学・高校の頃、友人の趣味に影響を受けてにわか考古学少年だったことがあった。幸い僕の住む街は古墳時代は栄えていたらしく農閑期である冬などに郊外の農地に行くと、様々な形状の土器や鏃。石器や黒曜石の欠片を拾えた。
 一度など高校の先生を巻き込んで、土器研究会なる組織を作ろうと目論んだこともある。その非公認組織は先生参加の上で発掘現場に忍び込み、バケツ一杯の土器を粗方掘り尽くすなどという
盗掘脱法行為を働いたこともあった。
 この日は社会教育実習で発掘基地を見学することが出来た。指導職員が学芸員資格を持つ専門家でもあり、生涯学習課という僕の属している課はそういう文化財も管轄しているというのだ。
 たくさんのつなぎ合わされた土器、県の重要文化財指定の貴重な人型とムササビ型の土器。鷲づかみできる量の石器たち。発掘基地である文化財倉庫には莫大な量の史料やそれら分析記録が眠っていた。
 今、手元にはっきりと縄目ついた掌ほどの欠片がある。教科書どおりの赤茶けた厚い縄文土器。この欠片を見るたびに恒久の歴史に思いをはせる。教科書の中でしか知らない世界。

 縄文・弥生・古墳・奈良・平安・鎌倉・室町・江戸・明治・大正・昭和
 そして、平成

 ずっとこいつは土に埋もれていた。
 そういうロマンを今日久しぶりに思い出した。
 文化財倉庫の暗い闇は、何故か落ち着く空気だった。 ▲

青少年キャンプ1日目

現役ヤンキー×退役ヤンキー

 8月16日から3日間、長野で青少年交流キャンプに参加した。
 6時起床、7時10分前に市役所へ到着。早速、指導員との初顔合わせ。同世代とは聞いていたが、まさか最近珍しいヤンキーとは知らなかった。7時半から子供たちが集まり始めた。これも、私立の中高を出た僕には未知の世界の住人たちだった。僕は焦りを感じた。
 8時にバスは出発したが、渋滞のおかげで15時半に長野着。
 現地にすぐと休む暇もなく資材をロッジに運び込む。続いて飯盒炊飯。僕はマキを割っていたが、これがなかなか面白い。頼まれもしないのに山ほど作る。それに飽きたらもうやることがなく僕の実習指導員である28歳の職員さんと母校のことや大学生活について話す。
 夜、徴税と称して各班からかっぱらって回ったカレーの味は、結構うまかった。予定通り日が暮れてからレクリエーションに行き、風呂に入る。職員は先手先手を打つので、一番風呂を占拠する。
 当日任務が終わった後、僕らは夜通し酒を飲み、つまみを食う。
 22時、男子は全員眠っている。これには吃驚した。
 ただ問題は女子の方で、姿の見えない者がいる。一部の指導員も消えていた。つまりは、そういうことだろう。
 僕は深夜2時に就寝。 ▲

青少年キャンプ2日目

重労働

 夜通し隣のガキのクシャミや咳や寝言や鼾で眠れなかった。とくに咳のあとの膿の匂いがひどく、枕を反対側にして眠る。
 6時起床。身支度の後、「朝の集い」に出席。続いて朝食。施設の食堂を使うのは初めてだったがバイキングスタイルで非常にうまい。量が豊富なのも嬉しい。僕は小食だけど。食事中、子供が大学の話をしろというので話す。すると高卒の指導員が怒り出したので、逃げるように食事を切り上げる。
 午前はフライングディスクゴルフ。フリスビーとゴルフを混ぜ合わしたような遊戯で、その間僕はポカリスエット作りをする。ひどく濃いのを作ってしまったが、不良どもは殆ど文句をいわない。味覚がおかしいのかもしれない。
 そのあとは陣取りゲーム。川をはさんで、2組のチームが争う。敵陣にあるフリスビーをかっぱらった方が勝ちだ。ところが敵エリア(橋をはさんで敵陣方向)で、敵兵にタッチされると無条件で捕虜になってしまうというルール。捕虜の奪還もありで、しかも侵攻可能エリアは無限ということで、非常に戦略性の高いゲームとなっている。僕はボーナスフリスビー設置係。戦略的に重要な地点に隠す。
 昼食は食堂。相変わらずうまい。
 午後は、子供たちは土笛&新聞作り。僕らはようやくここで休憩を取って、キャンプファイアーの準備をする。
 日が暮れる直前、キャンプファイアーの現場で配置をする。現場はロッジや本部塔から1キロ程度もはなれたところ。そこにリヤカーで物を運んだり、1つ5キロの延長コードを2個も持って走ったり、死ぬかと思った。
 それなりにキャンプファイアーは面白かったが、その頃には僕はもう死ぬほど疲れていた。薪を火に投げ込むのは怖かった。手元が狂いそうだった。
 一日の終わりはロッジでの酒宴。今日は子供も沢山起きていたが朝が早いので眠ることにする。明朝の起床時刻は、なんと4時。 ▲

青少年キャンプ3日目

地獄の終わり

 定刻の4時に起床。カフェイン剤をリポDで飲み干して出陣。早朝御来光ハイクだという。まだ外は真っ暗でしかも寒い。
 子供がいきなり転んで足を切ったので治療する。その間に完全に先発隊から遅れてしまった。救急バッグを担ぎ、走るように山道を行く。元々体力がないから、この最中死ぬかと思った。第一休憩地点で合流したが、僕らの姿を見ると出発。結局休めないまま頂上まで駆け上がる。
 頂上は確かに眺めはいいが、寒い。ランニングできた馬鹿どもが震えて、ビーサンできた馬鹿が足の汚れを嘆いているが、そんなのは知ったことではない。帰りもふらつきながら帰る。
 朝食後はロッジ撤収の準備。その後のレクリエーションは、僕はとても余力がなかったので、子供の携帯を預かってやる。電波の立ってる携帯は当然なかった。
 10時よりそばうち講習。僕もやってみたが生来の不器用により、完全な失敗作が出来た。ボランティアのおばあさんが苦笑しながら手伝ってくれて、ようやくさまになった。惨めな小学校時代の図工の時間を思い出した。蕎麦は他班のものを食べたのでうまかった。
 12時半、撤収。
 18時、成田に到着し解散式。僕は実習生なので参加しなかった。資材を市役所に積んだりで精一杯。すべてが片付き、退勤の許可が下りたのが18:30。
 帰ろうとしたら指導員が打ち上げに付き合えという。場所を聞くと自力では帰れない所だし、何があるかも解らない。酒が入る中、女子中学生が何人もくるという。これは何が起こるか解っている。中学生を相手にしたことはまだないので、感興をそそられたが後顧の憂いを鑑みて断った。乱交パさえ拒否するこの鉄の自制心。
 電車に乗って帰宅。すぐ寝る。
     * * *
 この疲れは、後日まで尾を引いた。 ▲

精薄授産1日目

彼らのハードな日常労働

 今日から5日間、隣町の精薄授産施設まで介護等体験という中学教師になる為の必修体験を行う。本来ならば0時には寝なければならないのだが、最近の不規則生活から寝付かれずに眠ったのは何と3時。起きたのは6時。
 6時に起きたなんて何日ぶり?
 とにかく前日のうちに支度はしてあったので、ゆっくりと朝食や身支度をして7時半には母の運転する車に乗る。今日と金曜の行きだけ送ってくれるそうだ。途中のコンビニで昼飯を買う。店員は平日の朝にコンビニのレジにいるようだからろくな奴ではないが、実際ろくな奴ではなくそのふざけた態度にぶちキレる。あれで客商売とは聞いて呆れる。
 8時10分到着、母がしばらく歩きたいというのでそれにあわせて、しばし散歩。田舎生まれの母が老後住みたいと言わしめるほどの田舎、僕は呆れる。
 8時20分に入館。さっそく朝掃除中の授産者のお出迎え、挨拶のしつけはしっかりしており、何となく嬉しい。しかして会う職員の態度は何故か全員物凄く冷たい。なんなんだと呆れる。ぶっきら棒な指示に従って更衣室でジャージに着替えを済ませると、職員のミーティングに出席。普通はここで僕の紹介があるんだろうが何事もなし。
 続いて作業場での授産者との朝礼。ここで正式に入苑者との対面となる75名程度、やはり顔つきは普通ではなかった。自己紹介をせよとの指導員の指示に従って、自己紹介。
 「よろしくお願いします」との大声にビビる。
 早速作業開始、ここは授産業務として洗濯工場的な役割を果たしているらしく洗濯されたホテルの枕カバーが続々と出てくる。僕がこの実習でやることは作業補助、つまりは授産者と一緒に軽作業をすることだ。授産者と一緒にやるのは洗われて脱水されて皺くちゃのカバーをバタバタさせて皺を伸ばし、プレスに回す仕事だ。
 9時から作業スタートで12時まで延々これをやり続ける。沢山の授産者たちが挨拶してくれる。言語は不明瞭だが、顔を見て逐一その言に耳を傾けていれば云いたいことは大抵解る。そして確かに歓迎されていることも。
 職員は悉く僕を無視し、これはこれで気に入らなかったが、まあ授産者に教えられたとおりに作業をする。
 12時から昼食、この段階で僕の腕は痛く、足元もふらふらに。僕は授産者と食事が違うということで隔離されてしまった。無人の会議室で一人おにぎりとパンを食べる。施設の自販機でコーヒーを買うも「大量に摂取するとお腹が緩く…」の文言に嫌気がさして、半分捨てる。
 12時半から表のグランドで運動の時間。高台にあるこぎれいなグランドで授産者はぶらぶらと歩き回っている。他にはあくまでも真剣に走っているものやソフトボールをするもの、サッカーをするものに自転車をこぐものもいる。
 昼休み終ったらラジオ体操をして午後の作業のため帰る。ここの施設ではクラブ活動があるのだが、月曜日は自転車部の日らしく、自転車部以外の授産者は作業場に戻る。時既に13時。
 午後の作業は浴衣帯を畳んで輪ゴムで止める作業。1時間かけて100本組んだが、これがまた肩の凝る作業で激痛の腕にはあまりにもつらすぎた。しかもその後にはまたカバーを伸ばしたりタオルを畳んだりの作業が4時まで続いた。適当に授産者と話をしたり、挨拶に返礼したりしていたが、それでもつらい。15時におやつの小休止があったのがせめてもの救いか。
 16時から掃除、僕は乾拭きで床を磨いた。こんな掃除をするのは何年ぶりだろうかと考えた。おそらくは小学校3年のとき以来だ。これで終わりかと思ったらまだ仕事があってその後は授産者の洗濯の見回りで、立ってるのがやっとの足で行った。
 5時になったので解放かと思って事務室に行ったら17時半まで拘束時間なのだそうだ。日誌を書いたり着替えたりして何とか時間を潰す。
 17時30分きっかりに提出。提出のスタイルや実習の証明書についてのレクチャーの後、35分に解放。
 雨が降る中、バス停に行く。45分到着予定が田舎特有のモラルのなさというべきか、なんと15分も遅刻してくる。雨の中待っているこっちこそいい面の皮である。しかも1時間2本だし(それでも多い時間帯)。その士気のなさを証明するかのように乗客は終点付近までバス停10個分くらい乗っていたのに全部で客は5人!
 ほうほうの体で地元バス停に下りると懲りずにゲーセンへ。疲労のせいかいつもの半分も行かない。100円ショップでビニールの手袋と軍手を買う。
 帰宅は19時。すぐに寝る。 ▲

精薄授産2日目

WE CAN DO!

 今日は朝は雨で昼から晴れ、暑くなるという。なるべくなら自転車で行きたいと思ってたので、6時半に玄関前を覗いてみたら殆ど雨が降っていない。これ幸いと家に戻るとPCの電源をつけた。何をするか? 勿論PCの更新である。
 まだ腕が痛くて体中がガクガクするがなんとかキーボードは打てそうだった。色々身支度などもして7時半には家を出る。少々無理をして急いだために8時15分に館に着く。
 職員と気難しい時間を過ごすのが嫌だったので10分ほど周辺の農村地帯をサイクリング。疲れている時に馬鹿なことをするもんだと思うだろうが、誠にその通りである。5分前に館の脇に自転車を止めて入館。
 授産者たちが昨日と同様朝掃除をしている。きちんと元気な声で挨拶をしてくれる。もう僕の顔は覚えたと見えて「山田先生、靴をどうぞ」と軽い下駄箱を出してくれる。
 指導員室に一声かけて更衣室で着替えて、すぐに朝ミーティングに行く。僕がいなくても全く変わらないと思うんだが(業界用語や略語連発で何を言ってるのかさっぱりわからない。ここだけを録音したら授産者の会話と余り変わらない)まあ一応出欠表を見て時間を潰す。寝泊りしているのは50人、か。
 朝礼は相変わらず元気一杯。みんな元気そうだ。
 早速9時から作業開始、昨日と同じカバーの皺伸ばしから。
 どうも今日はみんな僕のことを理解し、そんなに悪人でもないぞと判断したのか次から次へと積極的に話し掛けてくれる。裁ききるのが大変だったくらいだ。割と普通に話し掛けられる授産者は勿論のこと、会話も難しい人も態度や表情で語りかけてくる。
 僕は今まで会話が通じなければ意志の疎通は難しいと思っていたが、そうでもないことが解った。勝手な解釈などではない、これは少々体験したことないものには解りかねるだろう。
 そのせいか今日の作業は筋肉痛を引きずっているのに然程苦にはならなかった。まあその原因として絶対量が少なかったことや慣れの問題、そうそう根を詰めてやらなかったことや浴衣帯という最低業務がなかったことがあげられるだろう。
 適当に話しながら適当に様々なテーブルを回って、作業をした。もうすっかり「山田先生」呼ばわりが板についてしまい、「あれ、これは社会教育実習のIT教育だぞ」と思った。
 当然のことながら彼らは大抵大人しく礼儀もしっかりしている。最低でもきちんと作業が出来ることが前提であるから当然なのだが無論そこらを歩いている人とはどこか異なるとはいえ(これは如何ともし難い事実である)、相手は礼を通せばきちんと通じる純朴な人間である。想像しがたい人は年取った小中学生と考えればよい。小中学生に人間たる敬意を払わぬ訳ではないことを告知するが。
 そんなこんなで今日は僕も授産者同様10時に休憩を取って12時にまた別れて食事。今日は食欲がなかったのでコーヒー1缶だ。一人でぼおっと授産者について考える。半分以上は顔と名前と特徴が一致する。これは大したものだ。
 12時半から運動のはずが、何故か早くグラウンドに出てきてしまった。天気は快晴、気持ちいい。しばらく一人で散歩をし、人が来てからは運動に付き合う。キャッチボールをやったり、人と一緒に歩いたり。
 この時一緒に歩いた人がどうも僕を気に入ったようで放さない。「山田先生山田先生」というわけだ。その後昨日と同様ラジオ体操をして解散。今日は午後のクラブ活動は陸上部。陸上部のリレーの選手に頼まれて練習の見学、勿論指導員の許可付きである。
 1時間ばかり見たがとても本格的でしかも早いことに吃驚。聞くとこの施設は「世界的」に運動が強い施設らしい。実際木曜からの全国大会にも多数参加するそうだ。
 14時から作業に合流。タオルたたみだがこれが非常に難しい。折り方が3種類あって表裏や順番を間違えるとやり直し。タオルの柄で区別するのだが、まあ一度に覚えられる内容ではない。これは虚心坦懐に授産者の指示を聞く。毎日やってるせいなのか、うまくて正確だ。午後も16時まで、昼休みの即日弟子(?)を引き連れて作業をする。
 16時から1時間、各自が洗濯したものを干す作業を監督する。入浴→洗濯→干すのでタイムラグが逢ったが、色々部屋を回って、干し方が大丈夫か確認し、手伝ったりもする。殆ど各自独りで干せたため、空いた時間を居室で授産者たちの趣味や生活についての話を聞くことに費やした。
 17時20分に事務室に戻り、日誌を書いて着替え17時40分に退館。すでに外は暗くランプが壊れていたため、本当に暗い道を何度も事故りそうになりながら何とか明るい道まで出れた。
 ほっとしたので餃子の王将で800円分食い、ホームセンターで自転車ライトを買いリポDを飲む。乾電池別売でその店は高かったので今日も100円ショップへ行き、電池を買う。
 帰宅してHPを見たら10000ヒット達成!
 皆さんサンキュー、これからもよろしくね。 ▲

精薄授産3日目

スポーツ・ヒーロー

 今日も6時に起きて朝食を食い、数十分PCをいじってから7時半に実習に向かう。少々急ぎ過ぎたせいか8時についてしまった。あの冷え冷えとした雰囲気の指導員室で30分針の筵に座るのも、ぞっとしないので20分程あたりの田園地帯をサイクリングする。
 あまりにも田舎な地帯で、両脇に延々と見える水田を抜けて田舎には必ずコンビニ代わりにある個人商店をひやかして(おそらく棚にあるポテトチップは全部賞味期限ぎれだろう。しかし無数にあるあの手の商店は何で経営が立ち行くのだろう。不思議だ)工業団地を越え、定刻10分前に施設に入る。
 授産者の元気な挨拶も相変わらず健在だ。
 今日は比較的暑い日で、Tシャツを持って来ようかと思ったが、結局いつものジャージを着ることにした。例の呪文的な職員会議を経て朝礼に参加する。
 今日も9時から作業、枕カバーを振り回し続ける。今日は比較的普通に喋れる若年者が次々と積極的に話し掛けてくれる。聞くと彼らは皆明日から宮城で開催される全国大会に出場するらしい。更に話を聞くとこの施設は体育の強豪施設として全国的に知られているらしい。
 なるほど施設幹部は皆々、陸上部上がり(勿論健常者の大会の)の優秀な成績保持者であり、廊下の壁面には今までの輝かしい記録のパネル、賞状やメダルやトロフィーが飾られている。日本国内の大会は勿論、舞台は世界的大会やパラリンピックのような大舞台も多数存在している。
 そう、今日はこの施設の体育的底力を痛感させられることが多々あった。ちょっとこのことについて詳述していきたいが、昼御飯が終わったあと、中庭で昼休みがあるのだが活動的な人たちはみんな物凄い勢いで走り回っている。
 僕も少し伴走してみたが生来の体力のなさ故、すぐギブアップ。これではちっとも凄いことの証明にならないが、彼らは30分近く遮二無二走り回っているのだ。
 まったくついていけないので、中年の女性授産者と天気の話などをしながらゆっくりグランドを散歩した。昼休みの過ごし方は皆々マイペースで、自転車に乗るものや野球・サッカーをするもの、足で漕ぐ車など思い思いの事をしている。一番多いのは散歩者であり僕もここではウォーカーだった。
 昼休み後は体操をして曜日ごとに異なるクラブ活動をする。自分の所属クラブ日ではない場合は作業をするのである。僕は好奇心が半分、作業疲れが半分の理由から部活を見学させてもらった。今日はソフトボールの日だ。
 ところがこれ実に練習がハードなのだ。走り込みとかはなかったが(あったら即死、陸上部は1時間くらい走り回ってる)、運動量はおそらく高校体育を軽く超えている。
 色々先生の本格的指導(おそらく一般中学の野球部監督くらいは余裕で出来るに違いない)をはさみながら1時間キャッチボール。僕も端数あわせに参加を命じられたが、相手もバンバン早いボールを投げてきて、どっちが授産者だか解らない始末。これはちょっと想像しかねるかもしれないがこれは事実である(勿論全然出来ない人もいたが、運動不足な真面目系大学生と試合やったら彼らが勝つことは間違いない)。
 続いて行った「地獄の特訓ノック」は一列に並んで先生の打った球を拾って返球するもの。これもライナーが来ようがゴロが来ようが、フライは人によっては難しいが、まず自分より後ろには白球が来ない。元々は授産者の中でも体力自慢の猛者が集まる部活であることは考慮せねばならないが、それでも大したものだ。
 僕は悪送球を探しに藪の中に何回か入りながら感心した。

 この施設では曜日によって体育もある。まさしく今日、水曜日も体育の日であった。これは16時から1時間ほど行われる。基本的に構造は部活と同じである。ただ違うのは全員何らかのコーナーにはいること(女子はあまり運動部にはいない)と、基本的に種目が陸上とフリスビーしかないことだ。
 当然前者はタフな組(男子中心)が、後者は体力のない口(年配者・女子中心)が主構成している。前者の重機関車の如き余人にはなかなか真似の出来ない行軍はともかく、後者のフリスビーも人にやれといって出来るものでもない。実際僕もやってみたが、そりゃ何回か投げれば入るものもあるが毎回毎回的中という訳には行かない。難しいことだ。
 僕は今日の実習で、すっかり授産者のタフネスぶりに感心した。 そして彼らに尊敬の念さえ感じたといっていいだろう。 ゆっくり話せば稚拙ながら意思も通じるし、話し相手にもちゃんとなる。今日は随分色々な授産者と喋った。
 彼らの中で宮城の全国大会に出る組は明日の朝行ってしまう為、もう会うことはない。かなり寂しい気持ちがした。彼らは元気に、「山田先生、またあいましょう」と手を振っていった。
 ちょっと悲しかった。
 あまりにも悲しかったのでカップラーメンの大盛りを食べて、「あいつら毎日あれだけの作業をしてるし、確実に健康的な日課を送ってるもんなあ」と思ったりもした。 ▲

精薄授産4日目

精薄授産5日目

実習予備校 メイファーズ 実習エッセイ

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