話のネタ031-035

話のネタ

夏休みの宿題

宇治には、小学生の従姉妹がいます。今日、ふと、その母親(つまり叔母)宅を用ことで訪れました。

今(8月末)、小、中、高校生のいる家庭では、みんな、この言葉が飛び交っているのでは、ないでしょうか?

「夏休みの宿題、手伝って!」

案の定、つかまりました。(笑)

「はい、どんなの?」

宿題を見てみると、「もののかぞえかた」だそうです。みかんは、一個、二個。うさぎは、一羽、二羽。なるほど、今時は、こういうのをやってるのかぁ……。ふと、目に留まったものがあります。

「馬は?」

馬は……一頭、二頭。いや、一匹、二匹って数える人もいるなぁ……。ん?どっちだ? ふと、悩む私を尻目に、従姉妹は、難なく、そこに回答を書き込みました。

馬は、一着、二着。

マイノリティーとメジャリティー

宇治の幼なじみにある姓を持つ人間がいます。

「叶」です。

昔から、この名前に悩んでいた様子でした。なぜなら、誰も読めないからです。ほとんど「汁」や「汗」さんと呼ばれており、あだ名も「しる」や「スープ」でした。ところが、この姓を持つ姉妹が最近有名になり、誰もが「かのう」と読んでくれるようになり始めました。

そんな「叶」さんの新しい悩みは、

「みんな、あの姉妹と親戚ですか?って、聞くこと」

だ、そうです。

「叶」姓はマイナーな名前だったのですが、急にメジャーな名前になったので、それ相応の悩みが増えるのは当然です。

うーむ。同じようなことを思う人間が一人います。私です。

この「宇治IN茶筒」は、ほんの数ヶ月前まで一日一桁ヒットのかなりマイナーなサイトだったですが、いきなり一日三桁ヒットするようになったからです。そんな私の最近の悩みは、未だに、「京都の人ですか?」と、いうメールが届くことだったりします(^^;)

詐欺

海外に行って騙されたと、いう日本人は、有史以来、いくらでもいるかと思うのですが、最も有名かつ、古典的とされているのが、

「スリランカのイカ」

「ボルネオの蛍石」

らしいです。

「スリランカのイカ」と、いうのは、日本のある程度以上の会社を経営している人をスリランカに呼び、「大臣」とアポが取れた。と、いいます。(この時点で普通、怪しそうなもんですが……)で、その大臣が「日本人は、イカを食べるそうですね。 スリランカ人には、イカを食べる習慣がありませんが、スリランカの海には、たくさんのイカがいます。つきましては、スリランカのイカの権利をあなたに差し上げますから、スリランカに工場を作ってくれませんか。あなたも儲かるし、雇用が出来て私達にも利益があります」

これに乗せられて、工場取得の資金を提供すると、そのまま、いなくなってしまうと、いう物です。「ボルネオの蛍石」も蛍石というガラスの原料になる石があるらしいのですが、いまどき、蛍石なんかでガラスを作っている企業なんて無いので、結局騙されるというものです。

で、何がいいたいかといいますと、この両方とも30年ぐらい前から詐欺の常習で知られたネタなのですが、今日現在でも騙されてる人が結構いるらしいことを聞きました。

即興

歌や曲というのは、何ヶ月、何年という年月をかけて完成する名曲があれば、急いで作った曲が名曲として、歌い継がれていたりすることもあります。

有名なものとして、

「きよし、この夜」作成時間、6時間。

モーツァルト最高傑作「ドン・ジョバンニ」 作成時間2時間。

これほどでは、ないのですが、かなりの短時間で作られたにもかかわらず、名曲として歌い継がれている曲の話が見つかりましたので書き込みです。

1789年7月14日、フランスから、全世界に激震が走ります。バスチーユ監獄襲撃事件、つまり、フランス革命勃発です。

革命側は3日前に解任された財務総監ネッケルを復職させ、その勢いを増していきます。しかし、誰もが「こんなの上手くいく分けないだろう」と、思っていた矢先の1791年6月20日、国王一家のヴァレンヌ逃亡未遂によって、国王ルイ16世への信頼は地に落ちる……。

そんな時の1792年のことです。

「そんな革命、認められるかぁ!」

どう控えめに見てもピンチに陥っているルイ16世を援護するため、親戚筋にあたる諸外国の王侯貴族たち(この当時の王侯貴族は大体、全員が親戚ですが……)が結束。その中心にいたのがマリー・アントワネットの兄で神聖ローマ皇帝レオポルド2世。プロシア国王フリードリヒ=ウィリアムと有名な「ピルニッツ宣言」を発令し、武力も辞さないと威嚇するわけですが……。

逆効果です。

「こんな、なめられ方されて、黙ってられるか!」

フランス革命政府、激怒です。

「しまった……こりゃいかん」

焦ったレオポルド2世は戦争回避に奔走するのですが……。

同年3月1日、レオポルド2世、急死。後継者は、フランツ2世、がちがちの主戦論者です。同年、3月23日、このこと態を受けてフランス革命政府はジロント派が政権を奪取。もう、この時点で戦争になるのは、どう見ても確実です。で、同年、3月27日、新しく外務大臣になったディムーリエはプロシア・オーストリア同盟の解消を求めますが、当然、聞くわけがありません。

こうして、いざ戦争突入!

と、いう時に、このディムーリエ、とんでもないことをします。フランスを裏切って、ベルギーを明け渡した上に4月4日、オーストリア軍に逃げ込んだのです。

フランスがオーストリアに対して、怒らない訳がなく、同年4月20日、オーストリアに対し、宣戦を布告。

そんな時の話です。

4日かかって、その知らせが最前線ストラスブールに届きますと、ストラスブール市役所は大騒ぎになります。戦争の準備がまだ整っていなかったからです。さすがに「なんか、やばそうだなぁ……」と、いう共通認識だけはありましたので、弾薬、燃料、食料などは確保してあったのですが、ストラスブール市長ディートリッシュは、あるものが無いのに気がつきます。

このライン方面軍の行進曲がなかったのです。

「まっ、間に合わせで良いか……」

工兵部隊のルジェ・ド・リール大尉と、いうのが歌心があるらしいことを聞きつけて、早速リール大尉を呼び寄せます。

「あ、リール大尉?悪いんだけど、行進曲を忘れててね。なんか奮い立つようなの作っといてください。で、期限は明日ね」

リール大尉、呆然です。

「はぁ?明日ですか?」

「そう、明日」

勘弁してくれよ……何、無茶なこといってんだよ……。そうは、思いましたが、市長には逆らえません。

「さて……困ったなぁ……」

まぁ、困ります。仕方なく、リール大尉はそこらじゅうにあった政治チラシやパンフレットの文句をかき集めて、その日のうちに歌詞を作ります。

早い話、パクったんです。さすがにリール大尉自身が、「こりゃ……まずい。いくらなんでも、まずい」と、思うような代物でしたので、曲だけは何とか本当に「奮い立つような」物を作ったのですが……。当然、自信がありません。

26日、市長の家にこれを持って行きます。

「あの……市長。一応出来たんですけどもね……」

そのとき、市長の家には何名か来客が来ていました。

「ちょうど、いいや。今、お客さんが来てるから、今、ここで聞かせて」

「え……」

繰り返します。

市長には、逆らえません。

仕方なく、リール大尉は出来たばかりの「ライン方面軍行進曲」を披露。

とたんに一同、静まり返ります。

「……やっちゃった」

「あの、リール大尉」

「はい……」

さて、どれだけ怒るかなぁ……。そう思ったときのことです。

「すばらしいよ。これ。」

「?」

「早速、楽譜を印刷しよう。オーケスラを呼ぼう」

リール大尉、訳が分からないうちに29日には、本当にオーケストラ演奏されちゃいます。それと同時に、この曲はフランス全土に知れ渡り、7月マルセイユ義勇軍がパリ入城の際、この曲を勇ましく歌ったとき、この曲にある名前が付けられます。

ラ・マルセィエーズ(La Marseillaise)

こうして、この曲はフランス国歌となり、今日現在も歌い継がれています。[2001/10/01(Mon) 02:30:24]

最期

さて、最期の時が近づいてまいりました。

今までいろいろな人の話をさせてもらったんですが、最期に一人の人物の話をさせてもらえればと思います。

その人物は、大学時代いろいろな旅行をして、平成10年に大学を卒業。同年、就職し、とりあえずは無難に社会人としてのスタートを切っていたようでした。

しばらくした頃でしょうか。広島では有名な某電気店に就職していた大学時代の友人から電話が一本かかって来ました。

「ちょっとお願いがあるんだけど、パソコンを買ってくれないか?」

この当時、日本の家庭に急速に普及しつつあるものがありました。

インターネットです。

爆発的なインターネットの普及に伴い、各電機メーカーは次々と新しいパソコンを市場に供給していた。そんな時代でした。

その当時、この人物はまだ財布に少し余裕があった事と彼が親友だったこともあり、一台のパソコンを購入しました。富士通のデスクパワーです。

ただ、この人物「インターネット」といっても、さっぱり分っていなかったので、内蔵されていた将棋ソフトで趣味の将棋をひたすらやっていたようでした。

こうして、またしばらくいたしますと、ひとつのことが起きます。

この人物が内蔵されていた将棋ソフトに飽きたということです。

「そういえば、このパソコンってインターネットってのができるんだよなぁ……」

何気に見た雑誌によると、インターネットを使えば、家に居ながらにして、全世界中の人と将棋がさせるらしいとの事。

「なるほどねぇ……」

内蔵されていたインターネット接続ツールを用い、この日インターネットに接続いたしました。こうして、雑誌に載っていたそのURIを入力。

そこが「TAISEN」でした。

で、ここで一つ問題がおきました。この「TAISEN」内部で使う「ニックネーム」を決めないと、入会が出来ないのです。まぁ、ハンドルネームです。

「さて、何にするかなぁ……」

このとき、この人物はちょうどお茶を飲んでいました。

宇治茶です。

「まぁ、これでいいか」

こうして、この日からこの人物は「宇治」になりました。まさか、この名前をずっと使い続けることになろうとは、この時この人物は思いもしなかったようです。

こうして、入会手続きを終え、中に入ってみると、内部で気がつくことがありました。既に良い「コミュニティ」が構成されつつあったということです。

ここで、この人物は嫌な思い出を思い出すことになります。かつて「パソコン通信」の時代にこのコミュニティに入るのに失敗し、「荒らし」で片付けられた嫌な思い出です。

また、同じ目にあうのは、絶対に嫌でした。ですので、なるたけ礼儀を尽くし、礼節を守り、言葉使いに細心の注意を払っていましたところ……そのことが良かったようです。

この人物は、さらに内部の様々なコミュニティに入れてもらえるようになっていました。

そして、この当時のコミュニティは「パソコン通信」の時代と比べて、ある画期的な変化がありました。コミュニティのメンバーそれぞれが「ホームページ」を持っていたということです。

そして、様々あるホームページの中でも、一際多くの人を集めているホームページがありました。

「ESCAR」です。

それぞれのメンバーのホームページ掲示板を一ページで繋ぐ「掲示板ツァー」を取り入れる斬新性もさることながら、それぞれのメンバーに配布された「名前ロゴ」がさらに人の集客を集めていました。実際、この人物も「名前ロゴ」を作ってもらった時はさぞかし嬉しかったようです。

後に自分自身がホームページを持つに至った時、同じことをするようになるとも、この時は思っても無かったようでしたが。

こうして、しばらくが、また経ちましたでしょうか。この人物は一つのことを思うようになります。

「自分もホームページが作りたいなぁ……」

そして、この当時、ホームページを手軽に作れるサイトが出来ていたのに目をつけ、この人物は本当に気軽にホームページを作成します。ちなみにそのサイトが「HELLO」でした。

で、ここで一つ、問題が出てきました。自分自身のこのホームページの名前をどうするかです。

この時、この人物は本当に気軽に考えていました。

「そうだなぁ、このホームページは「宇治」が入っているんだよなぁ……宇治を入れる入れ物……そうだ、「茶筒」にしよう」

こうして、このサイト名は「茶筒」になりました。

こうして、ホームページ「茶筒」開設。

そして大事が発生です。

この当時、この人物は「TAISEN」内部で「自称1級」を名乗る道場荒らしみたいなのと対戦したり、掲示板に頻繁に書き込みをしていたので、多少目立っていました。ホームページ開設から3日で100ヒットしたのです。

喜ぶ反面、この人物は悩み込みました。

実は、この人物、

「どうして、宇治ってハンドルネームなんですか?」

と、京都府民だと思われ、聞かれるたびに、

「いや、適当につけました。」

と、答えるわけにはいかないので、こう答えていたのです。

「私は宇治茶の愛好家ですから」

ホームページはやるからには「更新」をしないといけません。

「宇治」が作る「茶筒」というホームページです。

宇治茶に関する内容のページを作らないといけないのですが……実は、この人物は宇治茶愛好家でもなんでもなかったのです。

「どうしよ……」

頭を抱え込むしか方法が無い中、この人物は一つの方法を閃きます。

「そうだ。学生時代に旅行した話がある。あれでとりあえず更新して時間を稼いで、その間にお茶の勉強をしよう」

こうして、このホームページのメインコンテンツ「旅行記」が出来き、「第一章、インドネシア・スマトラ島編」が公開です。

しかし、ここで、予想もしない事態が起きました。この「第一章、インドネシア・スマトラ島編」が予想をはるかに超えて好評だったのです。

この状況になり、この人物が思い至ったことは一つ。

「こっちの方が評判がよさそうだから、こっちをメインにやろう」

こうしてこの日から、このホームページは「茶筒」と、いう名前にも関わらず、個人旅行サイトになりました。

こうして、何回かの更新を続けた頃でしょうか。

このホームページはあるメジャーサイトの目に留まるようになっていました。

「ただいま実験中!!!」です。一日3000ヒットを軽く叩き出し、毎月の様に何かしらの雑誌に掲載されていた本物のメジャーサイトです。管理人の神楽坂博さんに気に入ってもらえたこのホームページはそのリンク集に入れてもらえるようになりました。

こうして、このホームページはその日から劇的な変化が起きます。それまで一日一桁ヒットだったこのホームページがコンスタントに一日三桁ヒットを叩き出すようになったからです。

途端に賑わいだす掲示板を見ながら、ふと思い出したことがあります。「ESCAR」です。

こうして、この人物はよく来てくれる常連さんに「名前ロゴ」を作っては配り、その集客性をあげていきます。

しかし、この当時、このホームページは一つの問題を抱えるようになっていました。

メインコンテンツの「旅行記」のネタが尽きたということです。ホームページはやるからには更新しないといけません。

「どうしようかなぁ……」

ふと、目をやると賑わっている掲示板があります。

「そうだ!」

この人物は掲示板の内容で評判が良かったものだけを集めてページを作ることを思いつきます。

こうして「話のネタ」が開設。

また、このホームページが賑わいを見せ始めるのを見ながらふと思うようになったことがあります。オンライン、ネット上の「宇治」とオフライン現実社会での自分自身です。

ネット上ではそれなりの評価を受けていたこの人物ですが、現実社会上での評価は一つでした。

「ごみ人間」

一日15時間を越える労働に一ヶ月10万円少しの給料。頻発に掛かってくる「殺す」という脅迫電話に精神の方が疲れだし、業績の上がらないその仕事振りは誰の評価を受ける筈も無いものでした。こうして、時たま、この人物は掲示板に仕事の愚痴を書くことがあるようになって来ました。

そんなある日のことです。

一通のメールがこの人物の元に届きました。

「宇治さん。宇治さんは英語が話せるし、海外経験も豊富だ。それにこんなホームページを作ってるぐらいだから、コンピュータだって多少は使えるはず。こういうところが人を募集していますけど受けてみませんか?」

添付されたURIは知らない人間は誰もいないであろう某有名団体。特に海外に行く人間だったら、絶対に知らない人間はいないであろう超有名団体です。

「……さすがに受かるとは、思えないけどなぁ……」

ただ、受けるだけは受けてみよう。と、思いましたので受けてみました。このままでは過労で死ぬか、「殺す」と脅迫電話をかける人間の誰かに殺されるかです。全世界色々なところに行きましたが、どこでも「生き残れる可能性」は少しぐらいあったものです。ここに居ては「生き残れる可能性」は全くありません。確実な死があるのみです。

「受かるとは、思えないが……」

受かりました。

びっくりです。

こうして、この人物、つまり私は来月から海外に赴きます。

その国ではインターネットは出来ません。ホームページはやるからには、更新しないといけません。更新できません。

ですので来月から、このホームページは休止です。

このホームページに素材を提供していただきました

「kiri-sozai」様

「made in jyougenn’s imaginary world」様

「みんと倶楽部」様

「SKIPLE」様

このホームページにリンクを貼っていただきました。

「ただいま実験中!!!」様

「ESCAR」様

「がんばってGO」様

「まるごと羽川」様

「BLACK」様

「YABUKITA」様

「江戸川の将棋研究室」様

「盲太の向かい飛車研究所」様

「散歩者たちのページ」様

「KINCHAN」様

「散歩者たちのページ」様

「かえで通信」様

「鬼の住処」様

「ひろ&ちめのホームページ」様

「俺のでビル」様

「がんがん行こうぜ」様

「それ逝け!?まっど研究室」様

「heaven’’s drizzle」様

「HYSTERIC」様

「にゃごろう村」様

「お姉さんの冒険」様

「科学同好会電脳生物室」様

「暇人」様

「HUE」様

「K.WAG」様

「labyrinth of probability」様

「POLESTER」様

「ROYAL GUARD」様

「SSのページ」様

「アレッキーノと次郎冠者」様

「いくさの部屋」様

「ウェブスクリーマー」様

「爆裂!ジョルジ=フェルナンデ」様

「ポンタオンライン」様

「闇・叡智の瞬き」様

「近森財団」様

「月刊にみど」様

「股旅ハネムーン」様

「弘HIROのTEXT」様

「自作(組み立て)部屋」様

「生き生き団」様

「長門屋」様

「JOJO PINBALL」様

「671ta」様

「nagisa002605」様

「それゆけ!!かぼちゃランド」様

「AOTAN」様

「プロジェクトX(ぺけ)」様

「ALLOW SUPER EXPLESS」様

「カッパの南国」様

「ドイツパン職人修行の道」様

「何も無い」様

「NYAN」様

「food champ」様

「えいじのホームページ」様

皆様方、誠にありがとうございました。

そして何より2000年7月20日から数えて47000人もの来ていただいた皆様に言わさせていただきます。

「誠にありがとうございました。」 [2002/01/31(Thu) 15:31:39]