猫がねずみを嬲らなければ猫を噛む窮鼠もない
TIME Exclusive: An Inside Job?
フィンランドの主要紙「Helsingin Sanomat」は現地時間の24日、月曜日、次のように伝えました――
Finnish Prime Minister: EU decision on terrorism no open mandate
EU(欧州連合: The European Union)ですが、各国代表による会談で、テロリズムの犯人に対する米国の軍事行動を支持しました。これは、金曜日にベルギーで開かれた首脳会談でのことです。
EUは予想以上に強い米国支持「を表明」しましたが、フィンランドのパーボ・リッポネン首相によると、「EUとしても、アメリカに対して全面戦争の白紙委任は与えたくない(何をやってもOKだよ、とあらかじめ認めるわけには行かない)」。
EU各国代表は「アメリカは反撃する権利がある」との共同声明を出していますが、よく見ると「アメリカは『国連憲章の範囲内において』(攻撃を受けたなら自衛のために)『反撃』する権利がある」という言い方をしており、文面上はアメリカに権利があると言っているけれど、国連憲章では「報復戦争」は認めていないので、真意は微妙。自衛の範囲でなければいけない、ということと、「反撃」つまり攻撃者をちゃんと特定して攻撃者に対してやれ、ということ。攻撃者が国家である証拠は現段階では皆無に近く、このヘルシンギン・サノマットの記事も、米国世論で「この国があやしい」というふうになっている(導かれている)その3つほどの国の名には、触れていません。ひとつの見識でしょう。
国連憲章(CHARTER OF THE UNITED NATIONS / 日本語訳)では紛争の「平和的解決の義務」(第6章)を定めているが、第7章では、非軍事的に解決困難なら安保理決議を経て軍事的に解決するとし(第42条)、さらに安保理が対応するまでのあいだ各国が個別的/集団的自衛権を行使することを妨げない、と定めている(第51条: Nothing in the present Charter shall impair the inherent right of individual or collective self-defence if an armed attack occurs against a Member of the United Nations, until the Security Council has taken measures necessary to maintain international peace and security.)。いずれにせよ「自衛」であって、「怒ったから報復する。不安だから念のために叩く。甘く見られないよう犠牲を選んで見せしめ」などは認められていない。EUが「米には国連憲章によって自衛の権利がある」を言っているのは、これを踏まえているので「支持」とは違う。速く言えば不支持。もっとも自衛の意味がひどく拡大させられている今日では、理念としての「世界の秩序」と現実としての「アメリカ中心の秩序」の関係についてさまざまに解釈が分かれ、「報復」も「自衛」の一種という主張もある。テロリストは、そう言うだろう。
また、フィンランドはフィン・ソ戦争などで、ソ連とドイツの二大国のあいだにはさまれてひどい目にあったという歴史の記憶もあります。アフガニスタンの政権について、むしろ米国の主張をほぼエコーしていたヘルシンギン・サノマットでさえ、ここでは手放しで全面賛成は、できない。と、暴走を心配する筆致が散見されます。もともとフィンランドのこの新聞はタリバンをほとんど支持していませんでした。むしろ悪口を言ってました。と同時にアフガンに対する大国の干渉の仕方についても辛辣(しんらつ)な皮肉を述べていました。小国の独自の視点です。(小国と言っても地理的にはフィンランドは、大きな国ですが)
リッポネン首相ですが、EUの決定について「これは我がフィンランドが何らかの意味で(自発的に)軍事行動に参加するということを意味していない」と説明。また自発的にでなくても「あんたの国もそれなりに支援せよ」とアメリカ側から要求が来るのでは?という点について、「現段階では不明、何とも言えない」と語りました。
EUは、引き続き「いかなる対応をとるにせよ慎重でなければならない」ということを強調してゆくかまえである、とリッポネン首相。「米国は、自衛権を『思慮深く』使ってほしい」
さて、フィンランドのタリヤ・ハロネン大統領(=写真)のほうですが、「EUがアメリカに許可を与える必要はないし、その権限もない。自衛権は国連憲章に定められた権利である」と述べています。「アメリカは何もするなという議論があったとしたら不可解だし、EUでもそんな意見はなかった」とリッポネン首相も言いました。
軍事行動はEUの通常の活動の範囲外ですが、各国とも「できる範囲で参加する用意がある」としています。「諸国は、テロリストたちを助力し、支持し、あるいは、かくまう国に対しての行動に参加『しても良い』が、そのような行動に加わるEU加盟国は、他のすべての加盟国から個別に意見を聞くべきものと考えられる」――ちょっと分かりにくい表現ですが、テロリスト組織を攻撃するのはまだしも、それに関連して特定の国と戦争するのは、いかがなものか、そういう考えの国は、ほかの国の意見も聞いてからにしてください。という意味です。かなりの留保を含ませながら、文字の上では「EU加盟国は、テロ支援国家への軍事行動に参加してもかまわない、OKである」となっていて、あとから小さい声で「ほかの加盟国すべての意見をよ〜く聞いて、それでもどうしてもやりたければ。」と付け加えるあたり、国際政治の力動、こうした外交文書のおもしろさでしょう。
前の週にはEU外相が「犯人たちは法廷で裁かれるべきだ」と強調していましたが、この金曜の首脳会談では、軍事行動について明確に制限を述べることは差し控えています。
スペイン、フランス、イギリスは、「アメリカからの要求があれば、いかなる支援もする」と表明していました。場合によっては戦争に参加するという意味です。イギリスのブレア首相は、このEUでの決定を「たいへん良い」と評価。参加したい側からみると、「ほかの加盟国の意見を聞いたうえなら、参加しても良い」というふうな決定だからで、このへんも政治文書のおもしろさ。「これは西側とイスラム世界の戦争でなく、全世界対テロリズムの戦いなのだ」とフランスのジャック・シラク大統領。フランスは、アメリカ自体を支持しているというより、自分の国内問題、すなわちコルシカ島の分離独立を目指す武力闘争への牽制などがあるため、「過激な抗議活動に安易に屈するわけには行かない」という強硬な立場をとらざるを得ないでしょう。ほかにもフランスは、もともとソレゲな事件の少なくない国。イギリスもアイルランドがらみほかの国内テロ事件をにらみ、強い態度を示さざるを得ないでしょう。
しかし政府は政府として、国民の声を聞くと、どうも今回、言われているかなり拡大解釈な「報復」については、アメリカに賛成しているのは世界でもイスラエルくらいじゃないか、という報道もヨーロッパで出ています。アメリカのサイトでは、なぜかそれがエコーされないほか、CNNとBBCを見比べても「報道管制」は明白で、諸国が連日「三百万人が食べ物なくてやせて死ぬ」という警告を出しても、CNNは黙殺してます。「戦時報道とは、こういうものか」と見てておもしろいですが、インターネットの時代にこんなの意味があるのかなとも思います。
EU諸国は、アメリカへの同情を示すと同時に、航空機のセキュリティ対策をいっそう強化することでも同意しました。
米国内の「世論調査」の一例として、Gallup: Terrorist Attacks and the Aftermath を見ると、「あなたは、これこれを非難しますか?」という問ですが、「アフガニスタンを非難する」とした人は85%、「イラクを非難する」73%、「パレスティナを非難する」71%となっており、あれだけ一方的なマスメディア攻勢にあいながら、さほど意見が一致せず、非難する程度の大と中をあわせても7〜8割、「多いに非難する」だったら3〜6割にとどまってます。米国民でさえ、半数の人は多かれ少なかれ疑問も感じており、世界全体で見れば、米政府のスタンスに一定の留保、疑問を感じるほうが多数派と断言できるでしょう。がしかし、米大統領、初動姿勢で国内支持率が急上昇したため、「正しい判断」などより支持率を優先するのは当然で、スタンスを変えにくいと思われます。じつは、同じ調査で78%の回答者が「空港のセキュリティを非難する」と答えており、ギャラップの調査ですら「パレスティナ人が悪い」などよりは「セキュリティが悪い」のほうが率が高くなってます。
自分がセキュリティ担当だったら、次々4機が乗っ取られるのは、犯人むかつく以前に、自分が恥ずかしいでしょう。ましてゴムボートか何かにイージス艦が撃破されたり、民間人に遊びで原潜を操縦させて民間の船にぶつけるとか、最近のアメリカを見ると、「連戦連勝」で少し油断しているのか、危機管理意識の問題を感じます。特に今回、事件が起きてしまったあとになって、さらにデマが広がるのを後押しした姿勢、そのせいで世界中で不穏な事件が続発したことを見ると、「大事件や遭難があったときの危機管理の第一歩は、二次災害を極力、防ぐこと」という基本すらできてないと言わざるを得ません。ただ、分かっていて故意に無視しているというより、本当に動揺してしまっている部分も大きいようで、同情というか理解できる部分も、もちろんたくさんあります。
ブッシュ大統領は、パキスタン制裁解除を確定したもよう(US lifts India and Pakistan sanctions)。全般にはアメリカ寄りの BBC だが、特派員のコメントとしてちくちく風味。「the lifting of sanctions is the clearest example of how the rest of US foreign policy - in this case fears of nuclear proliferation - is being subordinated to the fight against terrorism」(大意=アメリカは「テロ対策」のためなら、ほかは何でも良いと思っている。核拡散の危険よりアジア侵攻を優先しているし、これからもこの調子だろう。)
WIRE: 09/21/2001 8:31 am ET U.S. to Lift Nuclear Sanctions on Pakistan, India イスラマバード発ロイター。アフガン侵攻に協力すれば経済的にもいい話がありますよ、とパキスタンにもちかけていたアメリカですが、1998年の核実験を非難してインドとパキスタンに課した制裁措置を近く解除する見通しです。以上を西側外交筋高官が金曜日に明らかにしました。
アメリカは、さらに、パキスタンの負債の返済計画についても、もっとゆっくりでいいよ、と緩和の見直しをする予定。
制裁の解除によって、インドとパキスタンは世界のエリートである核保有国の仲間入りをすることができ、見返りとして、アメリカは、多国間の協力や直接の援助を得られるものと見ています。
ただし、1999年のムシャラフ政権発足への非難としてアメリカがパキスタンに課した追加制裁は、解除しないとのこと。
「すぐに大きく動くでしょう」この外交官は、匿名を条件に明かしてくれました。「ワシントンでは対印パ制裁解除の準備が進んでいます」
ほかの外交筋も「こうしたことは、アメリカに協力することで約束されるたくさんの恩恵のひとつにすぎません」と述べた。
ムシャラフ大統領は、パキスタン国内での激しい批判にもかかわらず、9月11日のハイジャック事件の対応について、アメリカに協力して侵攻の足場を与えると約束しています。
仮にそうした同盟が可能でも、勝ってしまえば、獲物の利権の分け前をめぐって争いで内輪もめするのが歴史の定石。目先の利益のためなら、核兵器でも何でも渡して仲間にするけれど、のちの印パ戦争など、だいじょうぶなのでしょうか。
「きみ、インドとパキスタンは、セーターをめぐって争っているのかね」
「は? ――だ、大統領閣下、カシミールは地名であります!」
「ふうむ、どのへんにあるんだったっけ」
「北部アフガニスタンと接しております、閣下」
「ということは、今回の勝利で我々が国境を引き直せば良いわけだ、我々平和の同盟軍で仲良く平和的に!」
「さぞや盛り上がりましょう」
2001.09.23 追記
ブッシュ大統領は、上記撤廃を確定したもよう(US lifts India and Pakistan sanctions)。全般にはアメリカ寄りの BBC だが、特派員のコメントとしてちくちく風味。「the lifting of sanctions is the clearest example of how the rest of US foreign policy - in this case fears of nuclear proliferation - is being subordinated to the fight against terrorism」(大意=アメリカは「テロ対策」のためなら、ほかは何でも良いと思っている。核拡散の危険よりアジア侵攻を優先しているし、これからもこの調子だろう。)二次大戦後、朝鮮、ベトナム、アフガン、ユーゴ、コソボ……などで何度も何度も利権をさらおうと軍を送り激しく逆効果になってきた大国だが、今回の逆効果は、とても大きいので、もう次は無くなるかもしれない。それはそれでいいのかもしれない。
テロ支援国家どころか、世界で最も切実にひしひしと身にしみて平和を希求しているのは、二十年以上にわたる内戦(それも国内問題というより諸外国の利権争いによる)にさいなまれ、なぶられつづけてるアフガニスタン国民だ。「アメリカは、そのごり押しをもういい加減にしてください。お願いです。わたしのような若いのが、また銃をとらなければいけないのですか」
アメリカが攻撃目標と称しているのは、決して強大な軍事国家などでは、ない。首都カブールですら、長引かされた内戦で、がたがたなのだ(写真)。
金曜日の祈りで、ムッラたちは、「もし世界最高の近代装備をほこる米軍に攻め込まれたら、われわれは男も女もゼロに近い軍備で戦わなければならない。だがこのようなことに屈するわけには、いかない」として、各地の住民に忠誠を求めた。
「オレは戦うぞ。本気だ」参列したひとりの男性がつぶやいた。「でもタリブたちやオサマを守るためではない。文化と国土を守るためだ!」
「最後の一滴の血が流れるまで、我々は戦いぬく」と、あるカブールの住民。
「ああ偉大なるかなアラー、偉大なるかなアラー」静かな、悲痛な、ほかにすがるものもない、ちいさなものたちの、金曜日の祈り。内戦でぼろぼろになっている首都カブールにかろうじて立つモスク。全員虐殺されるかもしれない。まるで無関係の遠い海のかなたのハイジャック事件。なんたる不条理。なんたる桎梏(しっこく)。
ブッシュ大統領は言う。「我々がかきあつめたすべての状況証拠は、ビン・ラディンの組織に責任があると示している。そして、そのような組織に属するラディンを滞在させた国は同罪である。殺人者である」
この弁舌でいくと、対決は避けられないように見える。
「不条理な抑圧に対する聖戦こそ、イスラムの魂。死は、いつであれ、神が望まれたときに訪れる。どんな卑劣な手で来ても魂だけは売れない。信仰のために死を選ぶ、これほどの名誉があろうか」モハンメド・ムスリム・ハッカーニ文部大臣代理がモスクで呼びかけた。見ようによっては「狂信的」だが、実情は「悲壮な覚悟」だろう。そんなことで勝てるなんて、誰も思ってない。それは分かっている。
19世紀にはイギリス、20世紀にはソ連の侵略を受け、それらを追い出したアフガニスタン国民ではあるが、今度だけは自信まんまんとは言えない。「アメリカは、きつい敵だ」タリブたちも住民らに警告している。「ほとんど白兵戦しかできない我々には想像もつかないほどすごい装備らしい。見たこともない不思議な兵器――だが――やるしかない」
在パキスタン・アフガン大使も言う。「暴力には屈さない。決して」
仮にラディン氏が――西側報道では現在、北部山岳地帯に潜伏しているということになっているが――実際にアフガンから出国したとしても、新たな住まいを見つけるのは困難だ。第三国で「イスラム法による裁判を受けさせる」という話ですら、アメリカとの摩擦を懸念し、しりごみするほど。ましてや「ひそかに住まわせた」と分かれば、予告なしにたちまち巡航ミサイルを撃ち込まれる危険を覚悟しなければならない。しかし、これが「政策や考え方の点でアメリカを支持しているからどこもラディン氏を見放している」ということを意味するかどうかは微妙だ。「報復」と称するアメリカの無差別攻撃(スーダンやアフガニスタンで無関係の市民が死傷したモニカ・ミサイルのたぐい。あるいは先日の突然のイラク空爆とか)がどんな恐怖であるか、西側では、ほとんど報道されないにしても、怖くて言いたいことも自由に言えないのかもしれない――自国内のとりしまりが、あるいはアメリカが。
アジア地域のほかの国でも、「こんなことを言うと反米的と思われて叱られるかもしれない」という無意識が言論に影を落としているという。その地域では、いちいち「今回の事件の被害者には心から哀悼の」だの「まずテロは絶対に許せません。テロを認めるわけではありません。しかし」などと最初に思いやり枕を置かないと意見も言えないという。弱いアラブ圏がのきなみ強い姿勢で米に同調しているのも同じしくみだろう。これらの人々は民族の誇りを力説するが、内心アラブないしアジアであることを恥じているようにも見える。いくつかの国では、もう少し自分の意見を明確に言える――反米的だかどうだか知らないが、対等な友人であるための前提だ。
アラブ圏のサイトなどでよくでる「どっちがテロリストだよ」ねたは、アラブ側の視点に立てば明白なことで、「なぜ国際社会は一国のこんな横暴をゆるしているのですか」ということは、イスラム圏以外でも言う人は言っているのだが、「アメリカ」が価値観のものさしになっているので、「反米的である。ゆえにわるい。証明おわり」で片づけられてしまうだろう。反米のための反米ではないのだが。実際、反米的だ親米的だ、とこだわる人間も、反ロ的だ、親ロ的だ、というカテゴライズは気にしない。「アメリカ」は無意識に重くのしかかる執着でありつづけるだろう――その正しさは絶対の「正しさ」でないという事実を彼我が直視する日が来ない限り。
多くの人々は、国連安保理の「五大国」の意思に国連が逆らえないことについて「二次大戦に勝った官軍やから、しょーないでしょ」とあきらめぎみかもしれない。あえて言えば、こうして微苦笑する側にいられたのが、せめてもの救いかもしれない。もし日本が勝っていたら?
そうだとしたら、日本がやってきたすべては大義のため、大東亜共栄圏は正義で「中韓東南アジアよ、おまえらは、おれたちが守ってやってるんだ、感謝しろ」、アメリカは悪、へいこら揉み手して俺様の機嫌をうかがってろ、という歴史観が世界の「常識」ということになっていただろう。自分たちは「世界の正義」だと信じ、またそう見られていると信じているが、じつは世界中の残りのすべての国から――表面的には怒らせると怖いと思ってニコニコしているが――かげでひんしゅくを買ってる。この構図を思えば、ある意味、日本が敗戦し、日本人の意識に複雑な陰影が生じたことも、「人の痛みが分かる」「単純でなく繊細微妙な感受性」といった点で、良かったのかもしれない。かえって日本古来の文化が(戦時中の暫定的な再解釈から解放され)守られた面もあるのかもしれない。負けて守れたとは不思議だが、勝っていれば、今ごろ世界中に日本語をはんらんさせ、ハワイの在米皇軍基地で日本兵が現地の少女に乱暴し、しかし裁判は受けないで良し。というような状態でふんぞり返り、思いやり予算をぶんだくり、「世界中はみんなおれたちが正しいって認めてるんだぜ。世界秩序だ。大地球共栄圏だ。ん、君らの田舎方言でいうとグローバリゼーションだよ、日本語じゃわからんかい? 日本語が分からないなんて国際社会じゃダメなんだよ、お前の国の政府は日本語教育をもっとちゃんとやれ、このシロめ」「し、シロは美しい色です。ホワイト・イズ・ビューティフル。白人を抑圧するのは、やめてください」「抑圧なんてしてませんよ。みんな平等です。――だろっ!」
そして‥‥「さて。今週の制裁を発表します。我々が調査したところでは、次の国は民族を抑圧する悪として、我らの清めに浴する栄誉を得た。聞け!――」(世界一同なまつばごくり冷や汗たらあ)
そんなことを繰り返すうち、とつぜん、東京都庁に――(以下略)。このたとえで、イスラム圏に決してないわけではない「あーあ、誰だ、気持ちは分かるが怒らせると何するかわからんぞ。ま、やられるのは自業自得だが」という気分が伝わるだろうか。決してパレスティナだけの話でない。テロリズムという行動様式そのものを賛美しているわけでもないし、宗教の対立ですらない。もっとシンプルな話だ。たまたま食い物にされてきたのがイスラム教徒が多い地域だっただけ。
態度はでかくても、「オレたちは何もしなくても絶対、勝つ、絶対、負けない」という、のほほんとした無意識があるので、ゴムボートに軍艦をやられるのかもしれない。「勝って兜の緒を締めよ」、勝つということは油断ならないことであり、往々、不均衡のアンバランスを生じさせる。去年のコールへの特攻テロの犠牲者は二桁程度、アメリカ国内でも「薄汚い狂ったネズミにやられた」と納得できた。今回は3桁か4桁程度、価値観が揺れている。南京大虐殺の被害者数を多めに発表したがる被害当事国と同じロジックにおちいっている。強さを誇示するはずが、同情、あわれみに訴えている。単純計算で推測すると、目をつりあげて報復すれば、来年は6桁? んー。それくらいやられて初めて我に返るのかも。テロリスト呼ばわりするその相手は、生まれつきテロ遺伝子を持っているわけじゃあるまい。なぜうらまれるのか。論理的であろうとして、わからないことは宗教のせいにする。わたしたちは何もしてません。連中が宗教上の理由でやってるのです。と。
世界各国の人々が遠回しに「the long-term result would only be more violence」(イタリア)、「to bring itself on the brink of the final World War」(ドイツ)、「The American people should look at this incident from different angles before agreeing on what should be done」(シンガポール)などと言い、「The question that should be asked and is not is: "Why does this happen only to the US? ...」なんて書き込みを見つけて思わずみんな吹き出すのがお分かりだろうか。ちまたのカテゴライズに従うなら、こうして「反米的」と言われるような意見を言っている者だけが、本当の意味で親米家なのだ。そして、「I am truly amazed at the number of Europeans arguing for pacifism in the face of the current attacks on the US.」なんて、きょとんとしてるアメリカのひと(全員でなくあくまで一部。アメリカ市民にもこの点を指摘する声は強い)に対して、「どう説明したものやら。べつに平和主義だからとか、戦争は悪いとか、そんな話じゃないんだけどな。まーいくら言ってもムダだろうなー。負けることを知らないのは悲しい。一面的で単純二分法な、薄っぺらの価値観。金のメッキの正義」などとひそかに考え「だから精神分析があんなに流行ってるのかな」などと余計なお世話な連想をしてみたりもする。
アメリカ大統領の「With us, or with the terrorists」が、アメリカ世論の勘違いぶりを如実に表している。「我々正義のアメリカにつくか、それともテロリストにつくのか」というひどいロジックの押しつけ。
だが、一部のアメリカ人が「本気」で「議論の必要などない」「わたしは軍に志願した。それが答えだ」「正義は勝つ」などと肩をいからせているのは、決してアメリカ政府のスタンスとイコールではなく、政府は、この空気を利用して中央アジアの権益を確保しようと冷徹にあらゆるパラメータを計算しているであろう。とは言え、優等生な子どもが、「原爆は少ない被害で尊い平和をもたらしました。次に我々は世界秩序をきずくためソ連と戦いました。ソ連は間違っていたので滅びました。さらに我々の正義を、ソ連の抑圧から解放された世界全体に広めます。これがグローバリゼーションです」などと暗誦するのを見ると、ついニコニコ「いい子だね」と思うのかもしれない。自滅への道を暴走していることを忘れ。
関連リンク
アフガニスタンの首都カブールからのロイター伝(Afghans Bitter About U.S. Rejection of Compromise)によると、アメリカから「滞在中のサウディアラビア人、オサマ・ビン・ラディン氏を引き渡せ。さもなければ侵攻する」との最後通告を受けていたアフガニスタン政府ですが、聖職者ら千人が木曜日にラディン氏の出国をうながす宗教的決定(ファトワ)を出しました。アフガン政府は金曜、「出国命令」を承認することはこばみ、「ラディン氏しだいである(勧告はするが、命令はできない)」との立場を示しました。
「証拠もなしに引き渡しに応じるわけにはいかない」と在パキスタン・アフガン大使。「木曜に聖職者らが出した勧告は、提案であって決定ではない」
アメリカは、ラディン氏を、9月11日のハイジャック事件の主犯格の容疑者だとして指名手配しています。――ここで解説ですが、捜査機関内部では、実行犯の特定すら混乱しているもようです。が、すでにお伝えしたように、ラディン氏引き渡しが口実にすぎないことは、米政府も米側軍事専門家も事実上、認めており、単に世論が納得する構図があれば良いということのようです。洗脳済みの大衆ですから、画をみせて「ラディンがやった」「ひきわたさない」「だから軍事攻撃」で充分、納得するでしょう。でも、アメリカ国民についてどうか失望しないでください。じつは、アメリカ国内でも、「まとも」な見方をする有識者がたくさんいます。Wiredも、『ニューヨーク・タイムズ』紙などは、血に飢えた、戦争を扇動する意見でいっぱいだが、一般市民たちは、オンラインに集い、幅広い考えを表明している。
と指摘しているように、マスコミレイヤで伝わってくる「世論調査」と、ナマの現地の声は、だいぶ違います。
ヨーロッパもそうです。「国をあげてどこそこも米に協力」とか言ってますが、直接、のぞいてみてください。その国の板を。笑えます。てかアメリカ、笑われてます。リーク情報をまにうけて「犯人は○○決定」と言われたことを繰り返すしかノウがない人々もおられるかもしれませんが、それはそれ、くちをつくのは「against who?」
前回(2000年)のイージス艦コール爆破のときも米側は、アフガン侵攻を実行ぎりぎりのところまでやりかけてました。あのときも多くの死者が出て切迫してましたが、ゴムボートの特攻で「鉄壁の」イージス艦が沈没しかかったのが世界から注目されるのもアレなので思いとどまったのかもしれません。軍事マニア方面には、当然、リッポルド艦長あほすぎ、という見方も多いに出てました。また、コール爆破のときは、まじめに捜査してたのですが、ラディン氏に結びつく証拠を結局、出せなかったということもあります。今回は人々が動揺してるので、もう証拠なんてなくても行けるでしょう、と米側軍事専門家も。コールは外国であったことなので、イエメン政府が直接、捜査を進めることになって、「証拠が見つかったよん♪」が簡単に出来なかったけれど、今回は米国内なので、まぁ何でも。
さて、アフガンからの情報は錯綜していますが、政府内にいろいろと分裂があるのではないか、との未確認情報も出ています。一方は(アメリカ国内の)裁判官らが「いま我が国民は判断停止状態だ」として陪審員制の裁判を延期するほどの揺れ、他方はやられたらとんでもないことで当然、激しい混乱、ですので、アメリカ発、アフガン発の情報や主張は、通常より低い信頼度とみるべきです。当初、アフガン政府のトップであるオマル師は聖職者らの進言にしたがうので、ラディン氏は国外退去処分との見方(というより期待感でしょう)がありました。現状では、どうも不確実です。
しかし、ラディン氏に対して、こうした「ファトワ」が出るのは、もうアフガンのここ数年からみると、異常なほどの譲歩であり(まあアメリカ側の要求が異常なわけですが)、そのおかげで、歴史の視点からは「ラディン氏ラディン氏」とアメリカが言い続けたのは、やっぱり口実がメインだったか、という構造が明確に見通せるようになりました。これまでもそうだろうと考えられていたものの、本当にラディン氏がすごいちからを持っていてアメリカをおびやかしている面もけっこう大きいのかな、というのもありました。今は、米側専門筋が「政府はラディン氏には興味ない」とつい漏らしてしまって、ワッチ系としては、にやりでしょう。
「出国勧告」は「ついにこんな日がね〜」といういささかの驚きを禁じ得ませんが、アメリカは何でもないことのように「そんなんじゃダメ。ついでにタリバン政府の上の連中もみんな出ろ」と譲歩すればするほど、次々いんねんを増大させるという、よくあるパターンに入ってます。要するに「初めに進軍ありき。あとから理由」という感じ。どけざして謝ろうがだめでしょう。経済的に占領させない限り。歴史としてみると「迷場面」ですが、同時代としてみると笑ってばかりもいられません。「テロは絶対に許さない」と言い張っているアメリカ、しかるにアフガンからのあれこれの申し出、譲歩に対し「話しあいの余地はない。こちらの命令を聞くか聞かないかイエスかノーか。いやなら、これだ」と暴力原理主義全開で、そこだけ見てると楽しくても、無差別攻撃の危機に直面している現地の普通市民の視点に立つと、とんでもないことと言わざるを得ません。筆舌に尽くしがたい不条理と苦痛です。
アフガニスタンの現地の声――「政府やオサマを積極的には支持しない。が、(証拠もなく客人に退去を勧める)これほどの決定が出ても、なお一歩もゆずらないのをみると、『強大な力を背景にとにかくイスラム圏を叩きたいのだ』というタリブたちの主張のほうが正しいとしか思えません」(アフガニスタンで「ふつう」とされる文化的規範では、客には親切にしなければならない。客に失礼を働くことは、ものすごく恥ずかしい。という価値観だという。無茶を承知で日本の文化コードに強引に翻訳すると、例えばある大企業の中年の男性社員に対して、規制官庁が「あすから鈴木くんは女装で出勤すること。さもなければ会社をつぶす」と通告し、「交渉には応じないイエスかノーかだ」とすごむので、やむなく社長が「命令はしないが、ああおっしゃっているから、女装を勧告します。でも命令じゃないですよ」‥‥みたいな?)
まあ、あんまり言いたい放題、書いていると、またぞろタリブ萌えな人にも、ムジャヒド萌えな人にもにらまれそうだが、そんなふうにどちらかに執着がある連中が核心をつけるわけない。現地滞在経験が長く個人的に親しい人がいたりすると、偏りがちでしょう。ともあれ、こんなに異例とも言える譲歩をしているのに、どこまでごりごり押してくるのか、と、もとは親米家が多かったアフガニスタンでも、少なからず不愉快に思うかたもおられるようです。上のたとえで行けば、やれというから女装もしたし裸踊りもしたのに、「だめじゃだめじゃ、余は満足せぬぞ」と横柄にぽこぽこ叩かれた感じでしょうか。
どの国や地域にも――日本の米や捕鯨のように――ゆずりがたい一線があるようです。