BBSログ[2002.6.11-8.29]

食べ物の好き嫌い / 徳保隆夫
私がどうしても苦手なものは、ひとつしかない。まずいと思うものはいくつかあるが、とても食べられないと思ったのはひとつだけ。それがなんであるかはあえて書かないけれども、なぜ私は食べ物の好き嫌いが少ないのか。

私は大学を卒業するまで実家にいた。母は専業主婦で、食事はいつも手料理だった。私がまずいものを残そうとすると、母はうるさいことをいわない代わりに悲しげな顔をする。アレルギー対策の食事療法のため、食事に関してはとくに母の手を煩わせていた、ということも関係あるだろうか。私は母を悲しませるのが偲びなく、うまいまずいに関わらず文句をいわないようになった。

とはいえ、私は最初から従順だったわけではない。幼少時には受け付けないものは容赦なく吐き出す子供だったそうだ。牛乳を1時間もかけて飲ませても、安心して目を離した途端に全部吹出したという。当時、母は私の牛乳アレルギーに気付いていなかった。赤ちゃんは放っておいても体が欲するものを食べる能力があるといわれる。この本能を破壊するのが「甘味」であり、それゆえに子供にお菓子を与えるなというのだそうだ。それはともかく、かつての私にとって、牛乳はひどくまずかっただろうと思われる。だんだんに、私は変わってきたということだろう。

私にとって食事とは、作った人への感謝の念とともにいただくものである。そして、食べることが作った人を喜ばせるから、食べるのである。そうしてみると、なぜ私が毎週末、絶食に挑戦するのかよくわかる。自分のためだけに食事をするのは味気ない。面倒でならないのである。不幸にも、週末の2日間食事を抜いても仕事に影響しないことを私は知ってしまった。自分がお腹を空かせるだけなら、それで悲しい思いをする人が誰もいないなら、自分が食事をしても誰も喜ばないなら、食事をする必要はない。食事を作ったり、どこかへ食べにいったりするのは、とかく面倒なことである。

単に死にたくないという理由で食事を欲するには、2日間は短すぎる。

……明後日から、また絶食の週末が始まる。挑戦に備えて、今晩の食事ではたんとお代わりしておこう。すると食事を作ってくれる寮の管理人さんは喜ぶ。こうして世の中は万事うまく回る。
No.1169 - 2002/08/29(Thu) 18:24
つまらない質問 / 徳保隆夫
好きな異性のタイプ、という定番の質問がある。つまらない質問だけに、まじめに答えても何にもならない。いきおい、「今の彼女」みたいな答えがベターという頓知大会になりがちだ。

私は長らくこの質問を苦手とした。

「Aさん、Bさん、Cさんのうち、誰が好き?」みたいな質問は、今でも非常に苦手である。

正直いって、どの人もそれぞれいいところがあるんじゃないか。だから世間の大半の人が、一度くらいは結婚したりするわけあろう。私がはっきり「嫌い」といえるのはごく一部の場合で、ほとんどの人は「どこか好きになれるところがある」。そんなわけだから、誰が一番いいのかさっぱりわからない。

どんなタイプが好きか、といわれても、やっぱりそれでもわからない。体型なんてのは太っててもやせててもいい。だいたい人というのは太ったりやせたりできるようになっているんだ。性格だって、優しくても冷たくてもいい。どっちもそれぞれ輝く場面があるし、内的動機が違っても表面の行動は同じだったりもする。

私にとって一番の問題は、あんまりにもたくさんいて選ぶに選べない「いい人たち」をいかに選別するか、ということだ。選別基準はいろいろあるだろうけれども、迷わず一人、あるいは非常に少数の人間だけを残すような基準はなかなか見つからない。

で、ようやく結論が得られた。

1.性格、才能、容姿……いずれも欠点が多い方
2.欠点をよく自覚しており、なおかつ他人に欠点を指摘されても怒らない方
3.善良な方

噛み砕いていえば、自分を諦めていてプライドがなく、しかし自暴自棄になって反社会的な行動を取ったりはしない方、ということになる。この条件を口にすると、同性はほとんど「そんなやつはいない。お前は(ある意味)高望みし過ぎ」というのだけれども、いろんな人が集まる場だと案外、「ふーん、じゃあ私みたいな人がいいんだ」とジョークが返ってくることがある。すぐに「あんたねぇ、人をバカにし過ぎ」と説教してくれるので正気に返るけれども、かなり心臓に悪い。

どうして自分も含めて、人はプライドが高いのだろう。静香ちゃんになりたい人はいっぱいいるのに、のび太くんのプライドが高いので、わざわざ出来杉くんにチャレンジしなければいけない。くだらない。なぜ「いい相手」でなければならないのか。ボランティアで人と付き合えるような気楽な社会はもうやってこないらしい。

補注:昔のお見合い結婚には静香・のび太の組み合わせがずいぶんあった。個人のプライドの価値が低く見積もられた社会だったからこそ可能なことだった。今はもう無理だ。社会を動かす価値観に抵抗できる強い「個」を持った人は、それゆえにプライドも高い。よって誰もが高いプライドを持つようになってしまった。つまらないことだ。多くの人が、このせいで確実に不幸になっている。
No.1168 - 2002/08/28(Wed) 22:43
また芸能ネタを書いてみる / 徳保隆夫
新聞記事で立て続けにモーニング娘。の話題を読んだ。

ひとつは高校生女子の性交経験率が過去最大値に達したという記事。解説記事で評論家の先生いわく、モーニング娘。がセクシーな衣装を着て、そのセックスアピールが社会に受け入れられている中、実際の女の子たちにセックスを禁じようとしても効果がない。自分の「価値」を最も簡単に発揮し、コントロールし、実感する方法としてセックスを肯定するのは当然のこと。だそうだ。

もうひとつは、若い女性が痩せ過ぎて不健康になっている、という記事。解説記事で評論家の先生いわく、モーニング娘。がもっとふっくらして、「ふっくらもかわいい」という価値観を広めてくれないものか。だそうだ。

私は朝食と夕食のときにしかテレビを見ないから、モーニング娘。がいかに多くのレギュラー番組を持っていようとも、週に1回も目にすることはない。しかし、評論家先生がいい加減なことを書いている、ということはわかる。

モーニング娘。の衣装は、基本的に「健全な」ものになっている。メインターゲットが小学生なのだ。セクシーを謳ってはいても、それは昔の特撮番組のヒロインや戦隊ものの敵方女幹部の衣装と同じ感覚の「セクシー」である。ある種の型にはまった安心できるファッションを踏み外さない。(昔のピンクレディーの衣装こそ、非常に安っぽく露骨だと思う)

ふっくらといえば、モーニング娘。のメンバーには、なぜか「太る」傾向がある。太るとどうなるかというと、衣装でお腹を出さなくなる。自分でそれをネタにしたりもする。太ったことをあからさまに公開し、ネタにしているアイドルグループはむしろ珍しいように思う。とくに、太ったので衣装のボタン(もちろんおなかの部分)がはじけ飛んでしまったという映像には笑ってしまった。

モーニング娘。が責められるべき部分は、少なくとも衣装と痩せ過ぎではない。とくに「ふっくら」の地位向上には大いに貢献しているはずだ。問題ないところで責められるのでは、ちょっとかわいそうである。評論家の先生も、適当なことを書かないで、ちゃんと中高生の生活実態を調査するべきだろう。モーニング娘。程度で社会規範が乱されると思っているのはおめでたいとしかいいようがない。どれほど「まずい」情報や価値観が見えないところで流通しているのか、知ったら驚いて卒倒してしまうのではなかろうか。

旧来の価値観を守る仕組みはすっかり崩壊していて、新しい価値観の洗脳力は非常に強力で抵抗する術がない。どちら色にも染まるような人は、当然、新しい価値観に染まる。モーニング娘。が原因だなどと暢気なことをいって現実に目を向けないバカ評論家は、どうにも救いがない。
No.1167 - 2002/08/28(Wed) 21:57
仕事が面白い / 徳保隆夫
仕事といったって、最近は勉強しているだけなんですが……。仕事が面白いということ、サイトの運営は楽しいけれども、更新は面倒くさいということ、条件が重なっているので、しばらく休みます。

……なんてこんなことを書くと、急に備忘録の更新が盛り上がりだしたりして。なんというか、そういうものだと思います。

それにしてもよくわからないのは、うちのサイトに限らず、なんですが、表紙だけアクセス数が多いんですよね。全ページにカウンターがあって、毎日のページビューなんかも調べてたりするのですが、宇治IN茶筒が一番の人気コンテンツで、次が表紙、そしてリンク集といった順番。その3ページだけが人気あって、他はチラッとも見ている人がいない。

表紙にアクセスしている方というのは、何に興味があるんでしょうね。リンク集への通過点にしている方もいるようですが、リンク集へ直接いけばいいと思うんですよね。アドバイスのログを公開してみても、初日の延べ訪問者数が5人とかだったりして、何なんだか、という気はします。

私自身の記録という意味が強いので、訪問者数が多くても少なくても、ログはまとめますが、あんまり急ぐ気にならないのはそんな理由によります。グチャグチャのデータでよければ手許にあるわけですし。

サイトの更新は休みますが、この間、アクセス解析をつけるかもしれません。ちょっといろいろ調べてみようかな、と。例によってCGI関連はレンタル物、ということで。何で勉強しないのかといったら、興味ないから、という一点に尽きます。フリーCGIプログラムをダウンロードして設置しようとしたことは、じつはあるのですが、何度かやってうまくいかなかったので飽きてしまったんですね。(また情けないことを書いている)
No.1166 - 2002/08/28(Wed) 21:27
食欲が快復 / 徳保隆夫
少し健康回復中か。毎日6時間は寝ているのに眠いのがどうにも困るが、水分補給に執心することがなくなった。食欲も増進中。今週は(も?)仕事が面白い。ほかのことはほとんど何もやっていない。あ、お申込いただいたアドバイスに、いくつか返信したんだった。その代わり某掲示板でのアドバイスはお休み中。それにしてもアドバイスが溜まってきてしまった。またしばらく休止しようかと思う。

これまでのアドバイスでつくってきたたくさんの改善案をもとに、「不思議マークアップの謎文書をStrictなHTMLとCSSできれいにリニューアルする講座」を書きたい。これはもうずっと前から考えている。前回の休止中にも何もしなかったので、どうせ休止で余裕をつくってもダメなのかもしれないが……。

この記事をまとめて、「デザイン切替サイトの作り方」として世に出したい。一定のレベルの方向けに要点だけ記した記事はたくさんあるけれども、初級レベルから解説してそこまで到達する記事はない。そりゃたしかに、デザイン切替なんていうのは代替CSSの邪道な使い方かもしれないが、これを実現する解説記事があれば、Strict+CSSを推進したい人には強力な武器になると思う。邪道といってもテーブルレイアウトのようなものとは全然違うわけだし。

それにしても、初期の「改善案」とやらはトホホもの。私がこのサイトをはじめてからようやく、勉強が佳境に入ったことがよくわかる仕掛け。ログとしては面白いけれども、とにかく古い改善案は講座に使えない。
No.1165 - 2002/08/15(Thu) 22:39
105円のPHSを購入 / 徳保隆夫
今日は食事をした。

***

田無の駅前へ行って、PHSを買ってきた。

これまで電話を持たずにやってきた。3月までは実家にいたから別によかったけれども、寮ではとうとう注意された。寮の管理人室の番号を「呼出し番号」としていろいろな契約書に書いてきたのだけれども、それがいけなかったというわけではない。問題を起こさない限り電話はかかってこない。結局、親がかけてきた電話が命取りになった。

まあ、管理人さんが「電話は個人の責任で」というのだから仕方ない。で、何でPHSなのか、ということなんだが。AirH"とセット料金で半額になる、ということもあるのだけれども、別にそうでなくてもPHSにしたんじゃなかろうか。何せ性能がよくて安いんだから。

みなさんもよく調べてみるといいと思います。PHSは恐ろしいほどサービスがいいです。まあ、たとえそれを理解しても、結局は周囲に流されるんでしょうけど。
No.1164 - 2002/08/11(Sun) 23:40
やる気の減退 / 徳保隆夫
8月になって数日間帰省して、何かしているうちに夏休みも終った。お盆は仕事だ。備忘録をずっと休んでいるのは、仕事が充実していて、あまり自分のために何か書き留めておこうという気になれないからだ。自分のために何かするにはひどくエネルギーを使う。全くどうでもいいことをしているような気がしてくる。

その点、サイト鑑定掲示板などであれこれアドバイスするのは楽しい。寮に帰って食事して、風呂に入って(この順番は逆になることも多い)、同僚がみなテレビを見に部屋へこもってしまう時間帯にする趣味として、今はかなりはまっている。趣味で勉強したことが人様の役に立つのは嬉しいものだ。まあそのうちに飽きるのだろうけれども、鑑定人は私一人ではない。心配は要らないだろう。

サイトのプチリニューアルをしたのがいつだったかは忘れたけれども、とうとうサイト批評サイトリンク集をアドバイスメニューのトップに据えた。どうも直接申込んでくれた方への返信と掲示板でのレスを同等の内容にするのが申し訳なくて、いつも直接の方は回答に苦労する。場合によりけりだけれども、相当長いものになることもあって、平均でも約2倍の長さになる。

まあ短ければ苦労していないというわけでもなくて、N6.206-210などは過去最短のアドバイス集ながら、「改善案」がふたつもある豪華版。

http://www2.loops.jp/~hkt/html/affe/white_new/

なんかはけっこう自分でもよくできたと思う。(苦労した)

……えっと、何が書きたかったんだっけかな。そうだ、やる気の減退だ。そもそも備忘録をCGIでやっているのがいい加減だなあ。HPBを使えば非常に楽にHTML文書を作れるのだけれども、どこが見出しとか段落とか、それさえ考えるのが面倒だからCGIを使っているわけだ。所詮備忘録だ、メモだ、俺様が読めればそれでいいんだ、というわけで。

しかしまあ、読み返すのはいいんだけれど、書くのは面倒だなあ。読み手としての自分が、明日のために何か書いておけ、というのだけれども、今日の自分はそれを書く立場。毎日毎日、書き手の自分は今日にいて、面倒くさい面倒くさいとぶつぶついいながら備忘録を書いている。仕事がちょっと忙しくなったのを口実に、おおっぴらに備忘録をサボってきたわけだけれども、狂は日曜日で、今はちょうど朝で時間があって、とうとう不承々々こんな愚痴を書くことになった。

とにかく自分のために何かやるのは面倒で、今日はこの備忘録をあとで読み返すのを楽しみにして「書け書け」とせっつくバカやろう、つまり読み手の自分に文句をいっておく。何で自分の日記なんて読みたがるんだか。あほらしい。

まあ、私には記憶をどんどん欠落させていく悪癖があるので、やっぱり不安なんだろうな、今日の自分に、今日の世界観を語らせて、記録しておかないと。大学の入学式の日に、自分が何を考えていたか、もう全然思い出せないわけで。学長がどんな話をしたか、といったデータ的なことは覚えているんだけれども、そのときの感情、思い、考え、そうした「その時代を生きていた実感」を伴う体験というか記憶というか、そういうものがどんどんこぼれ落ちていく。私は割と物知りで、昔のことも実はデータ的なことならずいぶん覚えている。けれども、それだけじゃ寂しい。寂しい。

それでもとにかく、やる気は減退している。

布団を敷くのも面倒で、畳の上にそのまま寝転がっているくらいだからな。最近は枕を出すのも面倒で、腕を組んで寝てしまう。暑いから扇風機にタイマーをかけて、掛け布団もなし。ものぐさもここにきわまれり。

昨日は夏ばてで食欲もなく、食事しなかった。両で食事の出ない休日はしばらく前から1日1食だったけれども、とうとう食事0か。でも食事って面倒なんだよな。他に食べる人がいるなら、ちゃんと1日3回作るんだけど、自分しか食べないならなあ。要するに自分が我慢すれば済んでしまう。じゃあ作らないでもいいか、と。うーむ。

寮にいるから平日は1日3食、しっかりいただいている。あー、昼食は会社で弁当が出るわけで。そういえば洗濯と掃除だけはまめにやる。自分のためにしかならないことでも、なんか好きなこともあるんだよな。この辺はよくわからない。

でも逆に、掃除なんてのは基本的に自分の回りしかやらないな。自分と関係なさそうな掃除は興味ない。町内会の美化運動とか。全然参加しない。洗濯もそんな感じはある。この辺の理屈は自分でもよくわからない。自分だからわからないのかもしれないが。

他人事になると俄然やる気を出すので、周囲の人には「まめなやつ」と思われることがしばしばあるが、私はそれにしても、もう少し自分のために何かした方がいいと思う。とりあえず今日は食事するとか。うーむ、情けないことを書いているなあ。
No.1163 - 2002/08/11(Sun) 07:43
サイト批評サイトの閉鎖 / 徳保隆夫
サイト批評サイトリンク集は転載自由だ。実際、「悩み相談K's house」と「アクセス覇王」に転載されている。しかし残念なことに、転載版はいずれも更新されていない。あるいは更新が遅い。アクセス覇王版はGoogleでオリジナルより上位にきているのだから、もっと頑張ってほしいのだけれども、2ヶ月以上も更新されていない。

アクセス覇王版を見ていくと、「イチゴジャム」「Frustration」「イチゴナミダ 」「NAPORIN'S WEBSITE」……今はなき十数サイトの名前がある。いずれも現在は404NotFoundだ。

サイト批評サイトの大きなリンク集がなぜないのか、と思って作ってみたわけだけれども、今ならその答えがわかる。要するに、リンク集を作るほど裾野の広い分野ではなかったのだ。

サイト批評サイトは寿命が短いというのは不正確で、実はあらゆるサイトの寿命は短い。HTML講座などは定番サイトだけでも数百あるから、一見、長続きするように見える。しかしその陰には、あっという間に消えゆくHTML講座が山ほどあるのだ。

サイト批評サイトリンク集のリンク先サイト数は100件を目標とした。サイト批評サイトは定番どころがわずか数件しかない。100件を目標にすれば、泡沫サイトもリンクせざるを得ないのである。すると当然、リンク先サイトの消滅がしょっちゅう起きる。これに付き合っていけるのは、今のところ日本では私のようなバカしかいないのかもしれない。

サイト批評サイトはしばしば、依頼が集中して閉鎖する。サイト批評に飽きて閉鎖する。そして禍根を残す。未処理の依頼を、黙って「なかったこと」にするのだ。これはひどい。だが、そのひどいことを誰も彼もがやる。匿名に隠れた人間は、かくも汚いものかと思う。

また、いくつかのサイト批評サイトが最後のときを迎えた。私は一人の管理人さんにメールを出した。以下はその一節である。

***

評価がつらくなったら、「ごめんなさい」といえば、みな許してくれます。ボランティア活動だということを誰もが理解しているからです。しかしいくらボランティアでも、一度やりますといったことを知らんぷりしていたら、大きな怒りを買います。責任は、お金よりむしろ言葉にこそ宿るものです。

中略

サイトを移転する際に、例えば旧サイトのお客さんに新住所を教えなければ過去を全部抹殺できる、というわけではありません。管理人にとってはそれで済むことでも、お客さんにとってはそうではないということは、よくあります。

どうか、**さんに何かを期待してサイト評価をお願いした方々、そして更新されない「***」を訪問しつづける方々を裏切らないでください。きれいに幕を引いてください。

心よりお願い申し上げます。
No.1162 - 2002/07/30(Tue) 22:38
住基ネット問題 / 徳保隆夫
たまには過激なことも書いてみようか。

つまらないことを秘密にしたがる人がいる。例えば年収だ。実際、そんなもの自分自身よくわからない。いちおう私は月収20万円だけれども、そこから厚生保険やらなにやら引かれて、手取りは14万円を切るくらいだった、ような気がする。でもってボーナスがあるのだが、この金額は計算式が複雑で、たしか10万円は超えたはずだけれども、実際どれくらいだったのか覚えていない。年収はこれでいくと220万円くらいになりそうだが、さて、これって秘密にすべきことなんだろうか。

市役所にある住民データはたいていの町で全部電子情報になっている。だから多くの地方公務員が無用の情報閲覧によって住民の年収を盗み見る(納税額から推測するに過ぎないが)ことは、以前より可能だった。もちろん書類管理の時代だって、盗み見はあった。住基ネットによって、盗み見できる人が全国に広がるわけだけれども、相変わらず盗み見できるのは地方公務員にほぼ限られている。つまり盗み見できる人間の総数は変わらない。そうはいっても、特定の住人から見れば、盗み見できる人が圧倒的に増えることは事実である。

しかしそもそも、市役所に登録されている各種のデータが、住民にとって絶対に他人に知られては困る類の情報なのかどうか、私には疑問である。年収にせよ、病歴にせよ、他人に知られて困るようなものとは思われない。もし困るとすれば、そういったことで差別が生じる世の中がおかしいのである。

病歴を知られて困る、という例に、保険に入る場合が例にあげられる場合がある。病歴がばれると保険が高くなる、というのである。これはふざけた話だ。保険会社なら騙してもいいらしい。保険に入るとき、ふつう病歴は問われるものだ。ここで嘘を書くのが当然であり、保険会社が手を回して個人情報を収集することを容易にするのは許されないなどというのは、そもそも本末転倒な話である。最初から本当のことを書けばよろしい。そして自分の話が嘘じゃありませんという証明に、役場に書類を出させて添付するくらいの勢いがほしい。

交通事故の記録にせよ何にせよ、それが知られて困る社会の方がどうかしている、ということができる。交通事故の記録があれば、運送会社に採用されにくくなるのは当然である。それを隠そうとするのは悪いやつである。もし彼がまた事故を起こしたとしよう。今度は会社のトラックで大惨事を引き起こした。そのときに、会社は彼の事故歴を知らなかったで済まされるだろうか。そんなことはありえない。

住基ネットが稼働したとして、社会がどう変わるかといえば、大して変わりはしない。一般市民がお隣さんの個人情報を引き出そうとしたって無理である。住基ネットは特殊回線を利用しており、もとよりハッカーがどうこうという問題ではないのだけれども、住民票は当人以外でも取ることができるわけで、このあたりが情報漏洩の突破口になるのでよろしくないといいたいらしい。

でも考えてみれば、住民票は住民票に過ぎず、ただ住所と氏名しかかかれていない。年収だの病歴だのといったことは、住民票を透かしても火であぶっても推測すらできない。現状では本人以外による住基ネットを通した住民票請求は禁止の方向だが、これはバカな話で、全員に住基ネットを使わせなくてはならない。遠方からの住民票の請求は債権者などの利害関係者によるものが多いわけで、これに住基ネットを利用できないのではどうしようもない。

情報の一元化を問題視する声が非常に多いのだけれども、情報が分散されていることによる行政の非効率には関心がないようだ。正直いって、免許証の更新も、住民票の交付も、納税も、保険の請求も全部コンビニでできたらいい。あるいはせめて、役場の単一の窓口でできたらいい。そのためには当然、情報の一元管理と、どこからでも(電子鍵さえあれば)アクセスできる環境整備が必要なわけである。

***

石村耕治さん(PIJ代表)の話
「『住民基本台帳コード』は共通番号であり、番号がわかれば個人情報が芋づる式にわかってしまう。ところが、自治省はオーストラリアのようなプライバシー保護対策はとろうとしない。もし、日本で納税者番号制度が必要ならば、身分証明には使えない限定番号にしなければならない。
 現代のプライバシー権は、個人情報の自己コントロール権、他人に評価されない権利がなければならない。
 自治省は共通番号制導入でコスト削減ができるなどと言っているが、プライバシーを守るコストはそもそも膨大なもの。それが民主主義だ。非効率という最小限のコストで、プライバシーを守るという膨大なコストを払うべきだ。
 一旦『住民基本台帳コード』が作られたら、絶対に民間に流出する。だが、マスコミの論調は、カードの重大性を過小評価している。マスコミは朝日新聞以外ほとんど反対していない。国会議員も問題点がほとんど解っていない。
 自治省は既にカード(「国民登録証」)の統一様式を決めようとしている。
 先行的に試験実施されている自治体(出雲市など)の実態が示すように、一旦導入されたら、カード常時携帯が義務化されていく。携帯しないと警察に捕まる。警官がICカード読取機を携帯し、市民の全ての個人情報が瞬時に警官にわかる。こういう状況がこようとしている。」

***

愚論である。何が「市民のすべての個人情報」だ。彼が朝食に何を食べたか、なんてことは番号からは導き出されない。誰が好きか、なんてこともわからない。

納税額だの、病歴だの、そんなことは公然たる事実であって、完全に個人がコントロールできるような(コントロールするべき)情報ではない。病気を隠したければ、保険など請求しなければよいのである。みなに助けを請うからには、理由を語らねばならない。堂々と保険を活用していながら、自分がどんな理由で保険を請求したかは人に教えないということで済むはずがない。隠さなくていいことも隠す自分勝手を正義と信じて疑わないあたり、プライバシー狂は恐ろしいといわざるを得ない。

くり返すが、住所と氏名がばれて何が困るのか。困りはしないのである。ヤクザの父から逃げる母娘なんて話がある。これは乱暴者の父が逮捕されないことが問題なのであって、母娘の居場所がはっきりすること自体は何ら問題ではない。借金取りから逃げている人もいるだろうが、借金して踏み倒すのが悪いのである。観念して自己破産すればよい。ようするに、そもそも住所や氏名を隠して逃げなければいけないことが間違っているのだ。

イタリアでは数年後から全国民に指紋押捺が義務付けられる。これはよいことだ。これにより、指紋さえ見つかれば犯人はわかることになる。あるいはせめて、誰が無実かは概ねわかることになる。日本でも、かつては全国民に指紋押捺を義務付けていた。ただし戦後の小学校でのこと。私の両親がかろうじて記憶しているくらいの話だ。当時のデータはどこへ消えたのか知らないが、少なくとも指紋情報の電子化の際に捨て置かれ、役に立たなくなっていることだけはたしかである。

IDカードにはなりすましを防ぐ手法が取り入れられるのだろう。これに伴い、全国民の指紋をとったらよいのではなかろうか。あるいは網膜の記録も取得しておくとよいかもしれない。

指紋をとられるのを「犯罪者扱い」とイメージだけで嫌がるのは馬鹿げている。全国民の指紋を取ることで、確実に犯罪者は追いつめられる。そして多くの国民は安全が得られるのである。指紋を取られて困る人というのは何なんだ。こんな簡単なことも実現しないのは、全くふざけた話である。現場に犯人の指紋が残された犯罪は、すべて解決されて然るべきなのだ。

昨年出された捜索願は102130人である。なんと10万人も行方不明になっているのである。その多くは結局見つかっているようだが、警察はご苦労様だ。さっさとIDカードによる管理体制を導入して、正体不明の人物を特定できるようにした方がいい。あるいはせめて、だれが正体不明でないのか、わかるようにした方がいい。サリン事件に関与した連中や、凶悪テロ事件の犯人らがいつまでも隠れていられる社会はよろしくない。

誰が怪しいのかはっきりさせるためには、誰が怪しくないのかわかっていなければならない。後ろ暗いところのない人がみな自分の住所と氏名を登録してくれたら、登録のない住所に住んでいる謎の人物だけを狙いうちにできる。怪しくない人まで公然の事実を隠しているのが現状であり、これによる社会的損失ははかりしれないのである。

自分は情報を隠しつつ、利益だけ享受しようとするのは身勝手である。だいたい公的機関にある個人情報は、いずれも理由があってそこにあるのであって、本来、あなた(って誰?)がその一切の個人情報を秘匿したら、あなたの生活は遠からず破綻するであろう。選挙権はなくなるし、保険もおりない。社会的保護も受けられない。住所氏名生年月日、納税記録、保険記録いずれも利益と引き換えにあなたが社会に公開した情報である。そしてよく考えてみれば、それを他人に知られて困ることはないのである。

本当は体が弱いのに、無理をして体力派の仕事をやっているとしよう。上司に病歴が知られれば、仕事を外されてしまう。だから情報を隠したい。……はっきりいって、仕事を外されるべきである。もし過労死でもしたらどうなるか。みんなが迷惑するのである。病気を隠して頑張るのは美徳ではなくて、自分勝手なのである。

納税額なんてのは、本当に何のために隠すのかわからない。人の脱税には怒るくせに、自分はこそこそとするのである。ふざけている。高額納税者や政治家は、納税額が公表されるのはプライバシーの侵害だ、といって訴えたらどうか。

住所氏名生年月日、そんなものを隠そうとするやつはバカである。もう、そうとしかいいようがない。

住基ネット問題というのは、人の感情の問題である。本当にばれたら困るようなことは、もともと官庁にはデータがないのだから、漏れようがない。むしろ各人がつまらない情報を隠しているために生じている社会的損失を排除し、社会のゆがみ、無理を明らかにするのが住基ネットの先に控える国民総背番号制なのだ。

情報は使ってこそ武器になる。警察が特定の道路を通る車のナンバープレートを記録する装置を全国に配置した。犯罪組織はすぐにその場所を調べて、その道路を使わなくなってしまったけれども、私たちは積極的にナンバープレートを記録してもらうのがよい。こうした記録はときに、私たちの無実を示す情報ともなるのである。アリバイは誰かに証明してもらわなければ成立しない。だから深夜の犯罪はみな困ってしまう。とにかくあなたが孤立無援で困っているときに、アリバイを証明してくれるのは道路の通過記録かもしれない。

コンビニで万引きを疑われないためには、あるいは疑われても困らないためには、常にカメラによく写るように行動することである。

だいたい、私が二十歳になった途端に、私を名指しで多くの勧誘電話がかかってきた。名指しの広告もどんどん舞い込んだ。そんなのは30年も前(両親の若かりし頃)からずっとそういうものだったという。だから、今さら情報が漏洩するも何もあったものではないのだ。住基ネットひとつで世の中がひっくり返るというような人がいる。オオカミ中年も大概にしてほしいと思うのである。

細川政権が誕生して55年体制が終焉を迎えても、世の中はゆっくり少しずつしか変わらなかった。激動の時代だなどと人はみないうけれど、よく目を見開いて周りを見てみろ、というのだ。なにごとも、ゆっくり変わっていくのである。とにかく10年程度のスパンで考えるならば、変わったことより変わらなかったことの方がずっと多いことに気がつく。
No.1161 - 2002/07/30(Tue) 03:34
おいしいもの / 徳保隆夫
たまには備忘録らしい備忘録も書いておこうかと思います。

(株)たらみ のゼリー「きらり」がおいしい。父方の祖父母が葡萄園をやっていたことと、母方の伯母がよく林檎や梨を送ってくれたことから、果物がよく食卓に登る環境で私は育ちました。すると当然、果物の味には少しうるさくなるわけです。

ジュースは100%以外は変な感じがしたし、たいていの「果物味」の食品には違和感があった。果物入りゼリーも例外ではなく、どうもピンとこないもどかしさを長年味わってきました。たしかによほど値の張るしっかりした商品には、本当においしいゼリーもあったのですが、200円未満のゼリーの味は、ほとんどあきらめていたのです。果物味だと思わなければ、それはそれとしておいしいわけですから。

そんな私がびっくりしたのが「きらり」だったわけです。150円のゼリーとは思えないできですよ。これまでも「みかん」のゼリーには比較的いいものがあったのですが、「ぶどう」のゼリーでここまでやってくれたのは初めてかもしれません。ぶどうはメロンと並んで「本物」と「〜味」の差が顕著なのですが、「きらり」は贅沢に身を使っているだけのことはあり、本当にぶどうの味がするんです。しかもちゃんとゼリーとしておいしいのですから、いうことありません。

あー、「きらり」もいくつか種類がありますが、おすすめは「ぶどう」と「みかん」です。「ミックス」はよそのゼリーと変わらない感じがします。

***

わりとおいしいもの。

「ボニーブランチ」というパンは、おいしいような気がします。ただ、顎の弱い人には食べられないかもしれません。するめが好きな人なら大丈夫。

「Gokuri」というグレープフルーツジュースは、100%ジュースじゃないのにおいしいと思いました。ただ、値段がちょっと高め。何で高いのかはよくわかりません。
No.1160 - 2002/07/29(Mon) 16:50
冤罪・甲山事件 / 徳保隆夫
http://www.jca.ax.apc.org/kabutoq/toha/t_honbun.html

一読をおすすめします。途中で飽きるかもしれませんが、2章第7節までじっくりと読み進めてください。

それ以降の部分はありがちな意見の羅列なので、読んでも読まなくても構わないと思います。もし読んだならば、http://www.tomokosasaki.jp/other2.htmに紹介されている、佐々木知子さんの「日本の司法文化」にも目を通されるとよいでしょう。

日本は「お上」を叩くことには一生懸命ですが、果たしてその「お上」が何をやっているのかについては、ろくに勉強しないのが当たり前という社会になってしまっています。内閣改造の際、よく新聞記事を読んでいくと、各界の大物民間人に大臣就任の打診が飛び交っていることが報じられています。しかし結局そのほとんどは大臣就任を拒絶します。

他人を叩くのは簡単ですが、当事者として問題を解決するのは大変なことなのです。だから、今の仕事が忙しいので、などというくだらない理由で大臣就任を拒否するのです。自分の会社の経営と、日本全体の景気をよくする仕事が比較の対象になるのでしょうか。日本の景気がよくなれば、自社の景気も上向くのではないでしょうか。

お上を批判して安心するのもいいですが、私はお上の努力、難しい事情も勉強して、不安定な気持になっておくほうがよいと思います。権力者は悪いことしかしない、という単純な世界観を生きていくのは、今日をやり過ごすには便利かもしれませんが、無責任のつけは次第に蓄積されていきます。

***

冤罪・甲山事件の2章7節に少しだけ関連する話題。

東野圭吾の「白夜行」が文庫になったので、5月に栃木県で長期研修があった際に買ってきました。ハードカバー版を図書館で借りて読んでいたので、再読用ということで。ミステリー小説が好きな方にはおすすめです。

一緒に買ったのが宮部みゆきの「R.P.G.」で、これは初読でした。スイスイ読んで、半日経たずに読破した記憶があります。この本もミステリー小説が好きな方には面白いと思います。

5月に集英社文庫の新刊を2冊買ったので、ブックカバー全員プレゼントに応募してみました。数日前に届いたのですが、予想に反してなかなかのものだったので驚きました。けれどもよく考えてみると私はカバーを外して本を読むので、使い途がありません。大学時代の教科書もカバーを外していたくらいで……。

ところで、私は多くの本を図書館で借りるか古書店で買って読むのですが、気に入った本はなるべく新刊で買い直すようにしています。著者に利益を還元するためです。自分が安く楽しめればそれでいいや、という発想では、文化が廃ってしまいます。文化を享受するばかりでなく、その一翼をになう責任感を持つべききだというのが私の考え方なのです。

冤罪事件に怒りを表明するのは自然なことでしょうけれども、ただ怒ればいいのか、相手の事情を忖度しないでいいのか。そうではないはずです。検察だって、冤罪を作りたいわけじゃないのです。当事者の気持になって、といった言い方がしばしばなされますが、一方の当事者の気持だけに感情移入するのは無責任です。なるべく、私は無責任ではありたくないと思います。
No.1159 - 2002/07/27(Sat) 13:06
無知は罪悪である / 徳保隆夫
 教育について討論する番組を、食事しながら眺めていて思ったことはただひとつ。

 無知は罪悪である。

 精神科医の和田さんの意見は鋭い。実際にどうなのかを見ろ、というわけだ。詰め込みはよくないと、思い込みでいう人が多い。しかしインドのエリート要請プログラムでは、小学生に19までの九九を覚えさせる。その成果が世界のIT技術をリードする最強の技術者たちだった。一方、ゆとり教育ニッポンが生み出したのは、文明がなくては生きていけない軟弱さでありながら、文明を支えるスキルを一切持たないアンバランスな欠陥人間だった。

 勉強一筋に頑張ってきた日本人は国際社会で恐れられた。だが今や、遊んでばかりの日本人は、さげすまれるようになった。せいぜい「優しい(=ナイーブな)」人々として子ども扱いされるばかりだ。

 事実を見ていけば、何が俗論で何が正論なのかは即座に判別できる。とりあえず教育問題は、それでうまくいく。

 昔はよかった、という話がある。それも和田さん流に事実を見ていけば嘘だとわかる。専門馬鹿にならない教養人が本当のエリートだった、のは今も昔も変わらない。超一流大学の定員がどれほど増えてしまったかの議論を飛ばして、東大生の今昔を単純比較したってダメなのだ。しかもかつての教育というのは、「ごく一部のエリート階層」と「その他多勢」を作り出すものだった。であればこそ、エリートが尊敬され、その裏返しとしての責任感が生まれたのである。周辺の事象を捨象して、都合のいいところばっかり比較されても困るのだ。

 受験戦争はなぜ生まれたか。なぜ日本の教育費用は高いのか。

 番組のまとめでビートたけしがいっていたことは、まさにこの問題の答えを示している。平等を信じ、誰もが自分の可能性を信じるから受験戦争になったのである。そして日本は、この大衆の意欲に応えようとしてきた。

 イギリス、フランス、ドイツで全国民的な受験戦争が起きない理由は何か。それはエリート教育体制だからである。一般大衆が、「自分の子供にも目がある」などといった望みを全く持てないほど、競争が厳しいからである。たまにとんびが鷹を産むことがある。すると当然、激烈な争いに巻き込まれる。家が貧乏でも、勉強ができれば国が面倒を見る。エリート校には集中的に素晴らしい教官が集められる。しかし、相当凄くなければ落ちこぼれ、学校から追い出されてふつうの人になってしまう。だから庶民は受験競争に縁がない。日本のように庶民の子供がみな塾に通うようなことはない。

 アメリカは逆をいった。大学全入の社会をつくった。日本でいう専門学校が大学を名乗っている。しかもそれが公立で、授業料が安い。だから大学へ行くのにお金も勉強も要らない。とりあえず、長く楽しむために大学へ行く。したがって、一部のエリート以外は、真剣に勉強する動機がない。結局、大衆レベルでの受験戦争は起こりえない。米国のトップ校に私立が多いのは当然である。そうでなければ、誰が高い授業料を払うのか。遊んでいても公立大学へ入れるというのに。

 日本は、大学を中途半端に増やした。そして東大など、一番定員を増やしちゃいけない大学の定員を増やしてきた。(現在、国立大学で最大の定員を誇るのは東大である)その結果、トップ校の価値は下がり、世界トップ20にも入れないレベルに落ち(私はその大学にも入れなかったけれども)、その一方で妙な期待を抱いた大衆が自分の子供を大学へいれようと躍起になった。実際、頑張ればどうにかなったから、たちが悪いのである。

 かつてイギリス、ドイツに学んだ日本の教育制度が、中途半端にアメリカ式を取り入れた結末が現状だ。

 が、教育費用の高さはそれだけでは説明がつかない。塾で教えていてつくづく思ったのは、「結局、親が悪いよなあ」ということだった。教育費用のために共働き、なんて話をよく聞く。愚の骨頂である。仕事が好きならいい。なぜそこで「子供のため」なんて言葉が出てくるんだ。

 日本の子供が勉強嫌いになる理由はよくわかる。日本ほど、勉強がバカにされている国があるだろうか。「お勉強ばかりできたって、サ」とうそぶく大人ばかりの国で、そういうメッセージの強烈なテレビや漫画ばかりはびこる国で、勉強好きになる子供がまだ3割もいることの方がどうかしている。「いい大学出たって、サ」「微積分なんて世の中では役に立たないよ」といってる親が、自分の子供にだけは「勉強しろ」という。どっちかが冗談ならいい。両方本気だから許し難い。

 微積分なんて、という人も、日本の技術立国のためにその道の人が必要だ、ということくらいは納得するだろう。一部のエリートだけが勉強すればいい社会を作るのか、中産階級の平均的底上げを目指す社会を作るのか、どっちかにしろ、というのだ。平均的に底上げを狙うなら、平等何とかを信じて頑張りたいなら、あなたの子供にも微積分を教えなければならない。そういうものなのだ。生活に直接役立つくらいのことだけ教えればいい、というのは、典型的な労働者階級向けの教育であり、その裏ではエリート教育が必ず必要になる。全員に低級教育だけをさせていたら、国は滅びる他ない。

 元塾講師としては不謹慎な話だが、塾へ子供をやる親なんてのはバカである。塾で誰が教えているのか。これは塾のレベルにもよるけれど、少なくとも個別指導塾のほぼすべてと多くの補習塾についていえば、素人が教えているのである。その辺の主婦とか、引退したサラリーマンとか、バカ大学生とか。

 子供を預ける親御さんの多くは、「私は勉強がわからなくて」という。「ちょっと参考書なんか眺めてみたりもするんですが」ともいう。「そんなことだからお子さんがつけあがるのです」といってやりたいところだ。学校で非常に簡単な試験で30点付近の子供の勉強がわからないのだから、親の権威などあったものではない。子供はわかっているのである。自分が勉強ができないということを。その自分より親の方がもっと勉強ができない。そのくせ偉そうにしている。まったく救いようがない。

 塾へ生かせるお金を稼ぐヒマがあるなら、親はちゃんと勉強した方がいい。孟母の例にあるとおり、昔から家庭教育は重要であり、それは決して子供に勉強部屋という名の遊び部屋を与えることではなかった。親が子供の側について、勉強を教えていくのが本来の形だったのだ。

 よく「うちの子は本当に勉強しなくって、困るんですよ。もっと宿題を出してやってください」と面談で頼まれた。私は笑って答える。「最近の塾の授業の進み具合と宿題の様子をお見せしましょう」すると、親御さんは目を丸くする。大変な量だからだ。「こんなにやっていたんですか」「そうです」

 「ところで、お子さんが宿題をなさっているとき、お母さんはどうなさっていますか」「何もしていません」「では、終ったあとはどうでしょうか」「いえ、何も」

 「ではお子さんが宿題をサボってごろごろしているときはいかがでしょうか」「何回叱ってもダメですね、本当にやる気あるんでしょうか。私はもう心配で心配で」「なるほど」

 「では、これからは、塾からお子さんが帰っていらしたら、今日はどこを勉強したのか、訊ねるようにしてください。そして勉強したノートを見せるようにいってください。私は毎時間、ノートにたくさんの赤丸をつけています。お嬢さんは大変優秀です。丸のたくさんついたノートを見たら、必ずお嬢さんをほめてください。できの悪い日もあるでしょう。でも、そんな日こそがチャンスです」

 「お子さんが宿題をサボってしまわないように、とくにできの悪かった翌日は、宿題をやろう、と声をかけてください。集中すれば30分で終る宿題です。お子さんが宿題に取り組んでいる間、お母さんは側にいてください。お嬢さんが嫌がっても、です。一つだけ注意することは、お嬢さんをほめる言葉だけを口にすることです。全部は無理でも、なるべく」

 たったこれだけの方法を、知らない親が多すぎる。ゆとり教育は、いわば親たちのグロテスクな分身に過ぎない。何が学力不安だ。先生がサボっている、だ。塾へ行かせなきゃ、教育費がかかって困る、だ。

 口先だけで勉強しなさいという。自分は勉強なんかしないのだ。そして同じその口で勉強のできる人間をこき下ろす。(ただエリートだというだけで蔑まれる官僚の哀れを見よ、というものだ)

 バカ親の無知、あまりにも自分自身が見えていない様に、私はムカっ腹が立つ。

 ところで、ビートたけしのまとめに、「落ちこぼれをなくそうという発想が間違っている」という意見があった。残念ながら実際問題としては正論だろうが、教師はこんなことをいってはいけないと思う。

 なぜなら、知的障害のないほぼすべての子供の成績をテストで100点近くまで上げる(小学校)ことで知られる教師集団が実在するからである。正確にいえば、知的障害を持つ子供の教育でもめざましい成果をあげている集団である。

 ウソだと思う人もいるかもしれないが、できない子供ばかり集めての指導結果で逆上がり成功率95%、跳び箱成功率95%を達成している。算数と漢字の読み書きで平均点がそれぞれ90点超、しかも宿題は基本的に出さない。放課後の補習もない。

 落ちこぼれは、なくすことができるのである。これも、知っておいた方がいいことだと思う。
No.1158 - 2002/07/22(Mon) 23:49
なぜ彼がそこにいたのかが問題だ / 徳保隆夫
体操のオリンピック出場選手が体育の苦手な小学生に跳び箱を教えるというテレビの企画があったけれども、この手の勘違いはいつまでもなくならないのだろうか。どこのメーカでも多分そうなんだろうけれども、我が社の技術教育は現場の技術者が行う。その人が一番わかっているから、ということらしい。

研修中、某超巨大企業の研究所へいって最新技術を学ぶ機会があった。案内してくれたのは文系っぽいきれいなお嬢さん方である。ちょっと質問をすると「わかってない」ことがばれてしまうのが情けなかったけれども、会社で半日も喋り続ける技術の先輩方よりもずっと、お話はわかりやすかった。

案内嬢は所定の内容を解説するプロである。話の組み立て、あらゆる言葉遣い、態度まで、全方向から最高の解説を求めて日夜努力している。

とある新人さんは、赤ペンで真っ赤になった原稿を握り締め、しかしそれに目を落とすことなく朗々と解説してくれた。私たちの後ろで厳しい表情で見つめる先輩嬢も、最後には笑顔を見せたくらい、うまくいった。私はひそかに感動したのだけれども、この出来事に気付いていたのは私だけだったろう。

解説の終った後、私はいくつかの技術的な質問をした。案の定、技術に訊ねて後ほど回答します、との返事だった。しかし、直後の同僚の質問には即答だった。さっと原稿を覗いたところ、やはり同僚の質問は赤ペンでメモされていた。なるほど、と思う。私の質問も、また新たなメモとなるのだろう。そしてメモはいつかデータベース化され、次代の案内嬢に伝えられていく。これがプロの仕事というものだ。

我が社程度の規模の企業では無理なんだろうけれども、教育担当の専門家がいればどれほど研修が能率的になるだろうか、と思われてならない。まあ任命された方が「思い込み」で我流の教え方を追究するようだと全然意味がないわけだけれども。

オリンピック選手が結局、さんざん小学生をしごいた挙句に何の成果も挙げられなかったのを見てさえ、人々は「教育技術の重要性」に気付かないのである。まあ、小学校の教師ともあろう者が、かつてNHKや主要な民放各局で大々的に報道された「30分で跳び箱ができない小学生の95%に跳び箱を成功させる方法」に無知なのだから、むべなるかなという感はあるのだが。

つまりここでは、そもそも「跳び箱のできない小学生」が何人もテレビに出てくること自体が問題なのである。そしてこの教師を名乗るアマチュア連中が、教育技術への関心を人々から奪っているのだ。
No.1157 - 2002/07/21(Sun) 00:41
自分のこととなると / 徳保隆夫
なんで他人事には一生懸命になれるのに、自分のこととなるといい加減なんだろう。

他人のサイトにアドバイスする暇はあるくせに、今月は毎週末、一日一食の生活を続けてる。

食事するのも面倒って、どういうことだろう。

「週末ヒマ?」「まあ、ヒマだね。」「飲み会にこない?」「いかない」「ヒマなんでしょ」「週末は、休暇だから。ヤスんでヒマしたい」

もし、自分のためだけの人生があるとしたら、毎日何も食べなくて、そのまま死んでしまうかもしれない。あるいは、そうなって初めて、自分のために本当に一生懸命になれるのかもしれない。俺は自分勝手な人間だけど、誰かのためにしか頑張らない。大学受験だって、就職活動だって、「サボってて困るのは自分自身なんだからね」といわれると、「じゃあ、別に適当にやってもいいんだ」と思う。もし本当に、自分しか困らないのなら。

かつて数年間、塾で教えていた。他の先生はみな、「俺はお前らが受験でどうなっても関係ないんだけどな。お前ら自身の人生だろ。一生懸命やれよ」というスタンスでハッパをかけていた。本当はそんなのやせ我慢だ。生徒の成績が上がって、一番嬉しいのは教師なのだ。生徒は宿題はサボる、ひどいときには授業までサボる。教師は生徒の数倍苦労して、頑張って教えているのだ。

俺は、100人以上いる生徒の内、一人か二人はいるかもしれない自分の仲間に向かって、呼びかけ続けた。実際にはこんなにカッコよく(カッコいいのか?)はいえなかったかもしれないけれども。「みなが、お望みの結末を迎えることを、笑顔で教室を去って行くことを、願っている。自分の受けたい学校を受けろ。そして合格しろ。それが結局は、俺や、みなの友人や、家族にとって一番嬉しいこと、みなの世界を幸せにすることになる」

「せんせ! 受かった!」

もし、報告する人が誰もいなかったとしたら、合格なんて、そんなに、世界がバラ色になるほど嬉しいことだろうか。と、俺は思ってしまう。世の中にはいろいろな人がいるから、自分のためだけの合格が嬉しい人もいるんだろうけれども。
No.1156 - 2002/07/21(Sun) 00:00
やめにくくなった / 徳保隆夫
少なからずのプロバイダが、5〜15MB程度のサーバースペースをWebサイト用に用意しているというのに、なぜわざわざ広告つきの無料サーバでサイトを作る人が少なくないのか、私には長らく理解できなかった。友人がサイトを作ったときも、まずtripodでサイトを作ったことに驚かされたものだった。

しかし、しばらく様々なサイトを見てきて、無料サーバの価値がだんだん見えてきたように思う。

1ヶ月以上更新されないサイトは予告なく削除されます、などといった規約を掲げる無料サービスは多いが、実際にどんどんサイトを削除している例はほとんどない。私もfc2webに100MB確保しているが、数ヶ月ほったらかしておいてもなんともない。もともと「更新されない→アクセス数低下→広告価値低下→削除」という連想ゲームなのだから、たとえ更新がなくたって、アクセス数のあるサイトを削除する必要はないのである。

引越すからサイトを閉鎖する、という例は枚挙に暇がないが、この手のサイトは決まってプロバイダの用意した場所でサイトを運営している。引越先で新たにどこかの業者と契約するのだけれども、しばらくバタバタするし、すんなり移行もできない。プロバイダの用意したスペースは契約切れと同時に消滅するので、致し方なく閉鎖となってしまう。放っておいてもサイトが生き残る無料サービスは魅力的である。

また、これは無料に限らず一般のレンタルサーバについていえることだけれども、意外な利点がひとつ。ネットに接続でき日本語が使える環境があれば、自宅以外からでもサイトの更新ができるのだ。セキュリティの甘さと表裏一体だけれども、これは例えば、旅行先からサイトを更新するような場合には非常に便利だ。

さて、ソフトマジックから「テキストサイト大全」という本が出た。内容はだいたい読まないでもわかっているのだけれども、記念、あるいはひとつの記録として買ってきた。で、つらつら読んでいたら吃驚してしまった。うちのサイト批評サイトリンク集が紹介されている。小さな脚注ひとつではあるけれども、これは意外だった。リンク集で紹介されているサイトのほとんどは、記事の文脈とあまり関係ないサイトなのである。

それでも掲載されたのは、愛・蔵太さんがリンクしてくれているからだろう。

それにしても、しかし……これでまたちょっと、「やめにくくなったなあ」と思う。とりあえず、更新頻度は落ちたとしても、リンク集自体を削除することだけは避けていきたい。価値のある情報を公開するのはいいけれども、ある程度その存在を知られてくると、今度はそこに責任が生じてくる。ボランティアだって無責任ではいけない、と私は思う。情報のありかを示すURIは、可能な限り普遍のものとするのが望ましいはずだ。

とすると、私の採用している「有料レンタルサーバ」というのは微妙な選択ではある。私自身の引越は問題とならないが、なにせ大きくないサーバ屋だから本体がこける可能性がある。また私の手許のお金がどうにかなれば、やはりサイトは消えてしまう。

いずれにせよ、英語の参考書の協力者一覧などに名前が載ったことはある(読者モニターみたいな雑誌の企画があって参加者の名前が掲載された)けれども、まさかサイト関連でも載ることになるとは思わなかった。
No.1155 - 2002/07/18(Thu) 23:55
TeXいじり / 徳保隆夫
本日は労働組合の大会で、午後になると職場が閑散とした。現在の実習職場に集められている新入社員は11人。そのまま現在の職場に本配属となったのは、私を含めて6人。新入社員のほとんどが当初の意思に反して組合に入ることになったが、なんとこの6人の内5人が組合に入らない決断をしている。(先のことはわからないが)

じつは今日、組合に入らず職場に残った新入社員は6人いた。1人だけよそへ本配属になったけれども、組合に入っていない人がいたわけだ。

さて、寮へ帰って夕食時のこと。

その孤軍奮闘の彼に、組合に入った同僚から痛撃があった。その同僚と仲がいい先輩が勧誘活動を期待されていたのだが、とうとう組合の大会までに入れることができなかったので、幹部連中の不興を買っているというのである。「だからさ、入った方がいいよ」

……典型的ないじめの構造なのだ。こうして勧誘された孤軍奮闘の彼も、来年には同じ立場に立たされる。そして、自分の意思に反して、自分という存在自体が後輩への圧力となる事態を、指をこまねいて見ていることしかできない。

組合は人気がない。少なくとも、若い人には人気がない。やっていることがバカバカしいからだ。いいこともやっているけれど、それを帳消しにするくらいにどうでもいいことをやっているからだ。それをこうやって、汚いやり口で、無理に人を集めている。

唐突だが、組合は自民党が嫌いである。多数決が嫌いなのだ。数の論理が嫌いなのだ。選挙なんてのは好きじゃないのだ。嫌いな人間が当選するからだ。そのくせ、自分たちは「全会一致」が好きだ。組合加入率100%を当然と考えている。少数派だから、せめて周囲を巻き込んで強がってみたいのだ。巻き込まれるこっちはいい迷惑なんだ。

議論の過程では異論を認めるといいながら、自由な職場討議が行われているといいながら、なぜ世間では少数派の意見が組合を代表し続けてきたのか。おかしいと思わないのか。陰険な圧力があるのだ。「正義」とやらを通すためには手段を選ばないのだ。

***

静かな職場で、今日はひたすらLaTeXの勉強をやった。面白い。

TeXはともかくとして、LaTeXは文書の論理構造と表示の設定が分離された傑作である。LaTeXはHTMLと比較すると、論理構造と表示の設定の分離に不徹底な部分がある。もともとその点を徹底しようという設計思想はなかったのだから、当然ではあるが。しかし、少なくともHTMLよりは適切に用いられているだろう。

その理由として考えられるのは、LaTeXが用意しているスタイルシート(のようなもの。正確にはマクロ機能)が大傑作だということに尽きるのではないか? また、用途を適切に絞って、対象層を意識の高い層に限定してきたことも関係あるだろう。Wordなどのワープロソフトは文書作成の対象を一挙に「楽しげ〜」な方向に拡大した代わりに、ほとんどの人がスタイルシートの概念を持たず、またスタイル設定の機能をろくに用いないまま「使いこなしているような気分」になっている。

大学の情報科を出ていてさえ、このあたりの概念が全然わかっていない方が多過ぎる。

正直、TeXは一歩出遅れた。TeXをよく勉強しないうちにWindowsなどに触れてしまった大学の先生方が少なくない。残念なことである。スタイルシートを理解するには本来、HTMLとCSSの勉強をするのが一番わかりいいだろう。しかし入門の仕方を間違えない方が難しくなってしまったHTMLは、授業技術の低い大学の先生方が扱うには危険すぎる。自習するまじめな学生が、率先して勘違いを強固にしていくのである。とすると、適当に教えてさえ自然とスタイルシートの概念が見えてくるTeXは、大学の講義の題材に向いている。

余計な考え事をしていた割には、今日は仕事がはかどった。
No.1154 - 2002/07/17(Wed) 23:20
日経エンタテインメント / 徳保隆夫
本配属の発表があった。私は当然、仮配属者全員無事の本採用を予想していたのだが、27人中26人の本採用にとどまってしまった。残る一人は病気療養中なのだという。もともと身体が弱かったという話もなく、社会人生活に早速疲れてしまったのだろうけれども、全快することを祈る。

仕事が終るとまっすぐ寮に戻った。風呂に入り、病院へ行き、その帰りに買い物を済ませると、あとは食事と在宅ワークしかすることがない。食堂へ行くと、「東京フレンドパーク2」をやっていた。今日は月曜日なのである。そういえば今朝は新聞休刊日でがっかりしたものだった。産経新聞の休刊日朝刊は大手新聞社のいじめ(ある意味正当な対応だろうが)で先月までで終ってしまったのだった。

フレンドパークはもともと、ゴールデンのバラエティー番組がボロボロだった「ドラマのTBS」がやけくそになって全番組改変を行った「プライム7」枠の生き残りである。7時代は実家の夕飯時と重なっており、私もいくつかの番組を見た記憶がある。それでもやはりフレンドパークは特に面白かったので、当初からお気に入りだった、ような気がする。

さて、今日のフレンドパークには矢田亜希子と上戸彩だった。矢田亜希子は多分違うだろうが、上戸彩が動いてるのを見るのは初めてだと思う。

私はこれまで、自室にテレビを置いたことがない。大学へは自宅から通っていたが、夕飯時だけ居間のテレビを見て、食後はすぐに自室へいってしまうので、じつをいえば長期休暇中を除けばテレビをほとんど見ずに育った。

みんながみていて私は見ないといえば、もう一つ大きいのが漫画だろうか。私は基本的に漫画を買わない。すぐ読み終わってしまうのに、値段は文字本と一緒だからである。同様の理由で映画も観ない。ケチなんだな、ようするに。

上戸彩が金八先生の最新作に出演して、話題を集めたことは新聞記事で読んで知っていた。ただ、私にとって上戸彩というのは漫画雑誌のグラビアを飾る少女である。

社会人になってからもテレビは食堂にあるものを食事中に見るだけなのだが、漫画は読むようになった。理由は簡単で、同僚が買ったものが三日遅れで支給されるようになったからである。読んでみれば、あれでなかなか興味深い。物語の単純化とか、偉大なる無限の再生産体制とか。そして私の感性も相当鈍いらしく、読めば面白い。まじめに吹出しの外の小さな手書き文字まで読んでいる自分には、がっかりさせられる。

最近、漫画雑誌のグラビアを飾る少女たちが、じつは「グラビアアイドル」ではなくて「女優」を自称していることを知った。宮崎あおい、蒼井優、ベッキー(誰?)……。彼女らにとって、水着姿で写真に収まるのは副業であって、本職は映像になることなのだそうだ。

そういえば今日のフレンドパークはドラマ「マイリトルシェフ」の番宣で、ゲストの二人は主演と助演だ。姉と妹。私はテレビ番組そのものは見ないが、テレビ業界には興味がある。映画は観ないが、映画業界のあれこれには興味がある。だから、テレビを見ている人よりは余計なことをたくさん知っている。

情報源の第一は産経新聞だ。ただ産経はまじめな新聞なので、芸能情報は少ない。とすると雑誌を読むことになる。高校時代は周囲にアニメファンが何人もいたりしたので、Newtype(角川書店)なんていうアニメ誌を便利に使っていた。表紙が表紙だから、自分で買うとなると手が出ないけれども、人のを借りるくらいなら別にいい、なんて思っていた。

Newtypeのいいところは、アニメ以外の情報が整理された形で、かつ十分にマニアックなことまで載っていたことだった。広告を排除するだけで厚さが3割減るこの雑誌は、記事の3分の1がアニメ以外に振り分けられている。毎号50ページ程度。そのうち30ページが特集と連載、20ページが連載以外の最新情報提供記事だった、ような気がする。昔の話だから、最近はどうなのか知らないが。まあ、担当記者の気分はどうだったのか知らないけれど、フランス映画の怪作「ドーベルマン」や米国の傑作「スモーク」を特集するなど、鋭い視点から書かれた記事は貴重だった。まあ映画情報は学校図書館のキネマ旬報でもチェックできたわけだけれども……。

大学生になってからはしばらく新聞だけしか見なかった。興味が薄れたということもある。

ふと、知識欲が再燃したのは、就職活動中だった。歌田ヒカルと浜崎あゆみの頂上決戦の結果が、どうしても知りたくなったのである。あの社会現象が、実際、どの程度の経済波及効果を持っていたのか、数字を見たかった。ちょうど四季報を見ていて、日本マクドナルドなど著名な企業の売上高などが馬鹿に小さいこと、意外な企業が大きいなど、知らなかった世の中の現実にナイーブに驚いていた頃だった。

いろいろな雑誌を見比べてみて、断然優れていると感じたのが「日経エンタテインメント」である。これが縁になって、就職活動がその後しばらくして終了してからは、だいたい毎月買うようになった。キオスクで売られているので、買いやすいということもあったかもしれない。

日経エンタテインメントのインタビュー記事は面白い。浜崎あゆみは、自分はエイベックスの企画商品である、と語っている。予定の販売期間はとっくに終っているのだが、企画が発展したのでまだ続いてしまっている、という本人の現状分析も添えられている。プロデューサーも登場して、この発言を裏付ける証言をしている。その後の特集では、浜崎あゆみの曲を作曲させることで次代のアーティストを育てるエイベックスの必死の取り組みが紹介され、そのしたたかな、そして現実的な戦略が赤裸々になっている。そして今度は、作曲家たちのインタビュー特集へと続く。こうした雑誌編成の有機的な流れに、私は見事にはまっている。

どうでもいいんだけれども、オチでもつけておこうか。

上戸彩で話をはじめたから、一応そのあたりで。現在発売中のエンタ8月号で蒼井優、上戸彩、ベッキー、宮崎あおいによる座談会とは名ばかりの集団面接記事がある。記事はどうでもいい内容だったのですでに忘れているのだけれども、脚注のプロフィールが出色のできだった。上戸彩はドラえもんのキャラで好きなのは「スネオ。ひねくれ坊主な感じが。」といった感じで、無難な優等生風なので面白くない。笑ったのは同じ学校に通う蒼井優の「いま、一番気になることは?」→「中国総領事館事件。」8文字熟語かよ!(なんか、こういうツッコミを世間では「ミムラ風」というそうですね)

ミムラさんといえば今年の正月は家族でハワイへ行って、ライオンの提供番組「ごきげんよう」のハワイ特集に出演。かわいいお嬢さん(3歳くらい?)のテレビデビューを果たして幸せそうだった。ミムラさんは漫才コンビ(?)さまぁ〜ずのツッコミ役である。さまぁ〜ずは以前の名をバカルディーといった。

「教えてガリレオ」という科学にテーマを絞ったクイズ番組があり、科学の好きな少年だった私は、この番組だけはよく見ていた記憶がある。三宅裕司という司会者を知ったのは、この番組が最初だった。バカルディーはというと、「快復!スパスパ人間学」の脳会議のようなものを担当していたのだが、あまりにギャグがつまらないので、いつも「さっさと消えろ」と念じていたような気がする。結局、番組の方がさっさと消えて、バカルディーは残った。その後一時見なくなったが、最近また元気に活動しているのは同慶の至りである。

フレンドパークの最後のアトラクションはスーパーホッケーなのだが、じつはホンジャマカと最後まで担当の立場を争っていたのがバカルディーだった。結局、彼らはスーパーホッケーの試合に敗れてブレイクのきっかけを失ったのである。先年、さまぁ〜ずに改名してブレイクした彼らは、初めてフレンドパークに招かれた。因縁の対決となったスーパーホッケー、さまぁ〜ずのあまりの弱さに、私は目を覆った。
No.1153 - 2002/07/15(Mon) 23:33
通算1000勝棋士 / 徳保隆夫
「シブミ」トレヴェニアン/早川文庫を読んでいる。ずーっと積読になっていた上下巻である。戦中、日本の将軍から「シブミ」の思想を学んだ暗殺者ニコライ・ヘルが「マザー・カンパニー」と対決する、という粗筋だけ書くと大いに誤解されそうだが、生真面目な娯楽小説だ。

私はその娯楽小説としての部分にはあまり興味を感じなかった。惹かれたのは戦中・戦後日本の描写である。作者は、かつて日本で暮らした人なのだそうだ。この小説は話がなかなか始まらないのだが、そこが一番面白いのだからうまくできている。スティーブン・ハンターのように全編これ活劇という小説もいいけれども、ちょっと気の長い人ならトレヴェニアンも手にとってみる価値があるかもしれない。(寡作の作家だが、角川文庫などで1・2冊手に入る)

「シブミ」の章立てはフセキ→サバキ→セキ→ウッテガエ→シチョウ→ツルノスゴモリとなっている。おわかりの方は「ははーん」と膝を打つだろうか、これらは囲碁の言葉である。ニコライ・ヘルは将軍から囲碁を習い、さらに日本で大竹七段に学ぶ。作中で、囲碁はシブミの象徴として描かれている。

2002年7月11日、史上初の50歳台本因坊が誕生した。加藤正夫九段、55歳。先頃、囲碁界初の通算1200勝も達成した。囲碁には7つの大きなタイトルがあるのだが、このところ50歳台の挑戦が続いていた。昨秋の名人戦は59歳(当時)の林海峰九段が、今春の十段戦は51歳の武宮正樹九段が挑み、いずれも涙を飲んだ。3度目の正直で大本命がタイトルを取ったわけである。

さて、将棋界の史上最多勝は1433勝の故大山康晴大名人である。大山さんは通算1000勝に37年をかけた。54歳、昭和52年のことだ。昨日7月13日、谷川浩司九段が25年6ヶ月の最短記録で1000勝(532敗)を達成した。40歳、平成14年。通算1000勝を達成した棋士は谷川さんで7人目だが、じつは大山さん以外はみな平成に誕生している。以下、列挙しよう。

名前/通算勝利数/達成年/年齢/所要年月
大山康晴/1433勝/昭和52年/54歳/37年
加藤一二三/1209勝/平成元年/49歳/35年4ヶ月
中原誠/1251勝/平成4年/44歳/26年3ヶ月
米長邦雄/1094勝/平成6年/51歳/31年8ヶ月
内藤國雄/1025勝/平成12年/60歳/41年11ヶ月
有吉道夫/1013勝/平成13年/65歳/45年11ヶ月
谷川浩司/1000勝/平成14年/40歳/25年6ヶ月
羽生善治/759勝/……/31歳/……

記録はいずれ更新されるわけだが、しかし谷川さんは天才である。羽生さんのためにタイトル獲得数で遠く及ばないとはいうものの、中原さんを超える棋士となってほしい。

中学時代、ワタナベ君という友人がいて、ときどき将棋を指したものだった。最初から彼の方が強かったが、終いには全く手が出なくなった。私が将棋をやるというと、誰もが「強そう」という。しかし実際は弱い。父は愚かな人だが、なぜか囲碁も将棋もやたらと強い。パチンコも麻雀も強いという。だから父は会社では賢い人と思われているらしい。その息子としては、ふがいないことである。

5月に研修で栃木の寮へいき集団生活をしたのだが、そこに将棋板を持ち込んだ者がいた。にわか将棋大会となり、私も勇んで参加したのだが、全敗に終った。

さて、ワタナベ君とは今も手紙のやり取りがあったりするのだけれども、彼は羽生さんのファンだった。よく羽生さんの著書を読んでいた。黒い表紙のシリーズもので、私の街の図書館にしかなかったので、休日になるとわざわざ遠くから自転車をこいでやってきていた。私は対抗上、谷川ファンということになった。でも谷川さんの著書は全然読まなかったし、何よりワタナベ君にあまりに一方的に負けすぎた。今でも、谷川さんには悪いことをしたと思っている。

谷川さんの1000勝目は、羽生さんとの対局だった。いい話である。
No.1152 - 2002/07/14(Sun) 23:29
受信拒否リスト / 徳保隆夫
私はメールアドレスなしで書込みすることが滅多にないので、毎日毎日呆れる量のSPAMメールが迷い込みます。Hotmailのセキュリティーを「高」に設定しているのに、迷惑メールフォルダではなく正規の受信ボックスに毎日1通、2通とくるのには閉口します。で、とうとう、受信拒否リストが満杯になってしまいました。

とことで、ウイルスが流行ると、まともなプロバイダからも変なメールがきます。ウイルスが出したメールだから文字化けしていることが多く、これも問答無用で受信拒否してきました。知人なら申し訳ないけれども、ウイルス対策がいい加減な人と付き合うのは危ない。とはいえ、私も知らないうちに誰かにウイルスメールを出してしまっていたかもしれません。そこで。

私は、ど忘れしていない限り、遅かれ早かれ返事の必要なメールには返信してきたつもりです。受信拒否リストを公開しますので、「返事をもらってないよ」という心当たりのある方はご覧くださいませ。

http://www2.loops.jp/~hkt/html/affe/mail.html

さて、もう受信拒否もできなくなったので、今後は知人のメールのみ受信することにします。それ以外のメールは一律に迷惑メールフォルダに入れられ、一週間で削除されます。ただし今後、迷惑メールフォルダを週2回程度確認します。返信がこれまでよりさらに数日遅れることになりますが、どうかご容赦を。

なお、件名は日本語にしてください。SPAMが英語の件名ばかりなので、英語で件名が書かれたメールは、勘違いして捨ててしまうかもしれません。(AirH"32Kの環境で毎日10通以上も届くSPAMを全部内容確認するのは嫌ですので、発信者名と件名でほとんど判断させていただいています)
No.1151 - 2002/07/14(Sun) 02:33
Mozilla / 徳保隆夫
Mozilla1.0を入れてみた。昨年末と比べてかなり軽くなり、使いやすい。フォームの表現などIE6の方が好きなのだけれども、何かと便利なのでMozillaも常用していくことになりそう。

このところ、研修課題を家でも進められるようにLinuxを導入したり、TeXを入れてみたりしたりしてきたが、なんだか馬鹿なことをしてきたような気がする。Mozillaも研修で使っているブラウザだから入れてみたんだけれども、何で週末まで仕事をしているのか。(HDが3.4GBのPCにダブルOSは無謀で、Linuxはすぐに断念したが)

いや、若いうちに勉強するのは大切なことですが、愚痴をこぼしつつやっているのはどうかと。

***

大学の情報処理の授業で学んだのはUNIXだった。これには感謝している。私は高校時代までワープロもろくにつかえなかったのだが、UNIXを習った途端にワープロもWindowsも、人並みにできるようになってしまった。Windowsを使えてもUNIXは全然できるようにならないわけだから、大学の先生の選択は正しかったと思う。

とはいうものの、「人並み」では「素人と大差ない」ことを、その後次第に思い知らされていくわけだが。

***

仕事の休憩がてらにサイトの模様替えをしてみた。

まず、CSS切替えスクリプトを「さくらどおり」http://critical.s6.xrea.com/のものに変えてみた。トラブル続出で苦労したが、どうにか落ち着いてよかった。

今まで使っていたのはWebCreators6月号で紹介されていた「HP-DESIGN.NET」http://hp-design.net/のTakeruさんが作成したもの。雑誌に載るだけあって汎用性が高く、しかも一瞬で切替えを実現、しかもNN6やMozillaでも切替えのセレクトボックスが表示される優れもの。ただ、私のような遅い通信環境を利用していると、「本来のCSSを適用してから代替CSSをかぶせる」という様子がばっちり見えてしまって気持悪かった。

新しいスクリプトは、一瞬で切替えができる上に、Cookieに保存されている情報どおりに最初から所定の代替CSSを適用してくれる。Mozillaでは私のサイトではなぜかセレクトボックスが表示されないのだが、それでも表示メニューから選択した代替CSSをCookieに保存してくれるし、一瞬での切替えも見られる。CSS切替えスクリプトとしては「outsider reflex」http://www.cc-net.or.jp/~piro/のが有名だけれども、個人的には「さくらどおり」のものの方が優れているように思う。もっと有名になってほしい。

ついでに、CSSも一部を書き直した。デフォルトのCSSを「for_me」の修正版にし、「for_all」は廃棄した。NN6では「for_me」のページ内ナビゲーションが効かなかったので、擬似フレームだけ残した「for_all」をデフォルトにしていたのだけれども、Mozilla1.0では問題が解決していたので、もう気にしなくてもいいか、と。また、CSS切替えのセレクトボックスが目立つようにもしてみた。

デフォルトCSSの変更にともない、HTML側も一部修正。以前の「for_me」をIE5〜5.5で見ると、ページ内ナビゲーションが本文と一緒にスクロールされてしまっていた。div#contentsにpositionは設定されていないのだからおかしな挙動のだけれども、それはいっても仕方がない。div#contents内のナビゲーションということでul#ln(ローカルナビゲーション)はdiv#contentsに入れてきた立場を翻し、本文とナビゲーションを別々に置くという屁理屈で外に出す。といいつつ、表紙とリンク集はbodyの内容全体がdiv#contentsに収まっているというお粗末さ。

そもそもoverflowで擬似フレームをやっているのは、WinIEがposition:fixed;を表現できないから。個人サイト向けにアドバイスするには、自サイトがある程度WinIEで派手な表現を実現できていた方がいいようにおもうので、div#contentsという屁理屈は必要悪だと思う。

でもなぜbodyにoverflowをかけないのか。MacIEが全然対応していないからだ。MacIEの利用者から、「CSSを適用すると真っ白で何も見えないんですがー」と連絡があったので気付いた。CSS外せよ、といいたいところだが、MacIEはpositon:fixed;に対応していたりする。overflowで擬似フレームやってるのはWinIEの都合だから文句はいえないのだ。でも考えてみると、WinIEは「全然見えなくなる」系統のバグが少ない。いくらCSS対応がお粗末ではあっても、そういうところはもっと評価されていいんじゃないかと思う。

表紙とリンク集でdiv#contentsにナビゲーションを入れてしまっているのは、h1要素がdiv#contentsの中にあるからである。文書はh1からはじめるのだ、と決めているので(というとCSS切替えスクリプトが例外なのはおかしいが)、ナビゲーションをdiv#contentsの中に入れることになった。

うちのサイトではh1要素がほとんど意味をなしていない。なんというか、HTML文書は各々が完結していて……という発想に賛同できないのだ。だから記事に文書をまたいで番号を振ったり、第2レベルであるべきだと私が考える見出しは第2レベルになるようにしてある。tnstyle.cssなどをご覧いただければおわかりの通り、私は第3、第4レベルの見出しを多用している。第5、第6レベルもしばしば使う。サイト全体をひとつの文書群として階層をつけていくと、どうしてもそうなってくる。これまで特に指摘はないけれども、珍しい文書の作り方には違いない。

書き疲れたのでこの辺で。明日も在宅ワークである。(こんな文章を書いているからだ)
No.1150 - 2002/07/14(Sun) 02:08
残業? / 徳保隆夫
驚くべきことに、我が社の終業時刻は16時半である。よく会社が倒れずにやっていけるね、という労働条件といえよう。都心まで徒歩20分という環境だから、ちょうど開店したあたりで飲み屋に入ることができる。近所には大学もあるので、かつては高卒で入社した人が夜学に通ったものだという。

さて、我が社にはタイムカードがない。製造の方などは定刻に帰ってしまうが、技術、開発、研究の社員は毎日遅くまで残っている。とすると残業はどうやって計算するんだ、というあたりが不思議に思われるだろう。

何のことはない、残業代はふつう、出ていないのである。

私は現在、10人の同期とともに研究開発本部で新人研修を受けている。これまでの他の職場での実習では定刻退勤が当たり前だったのだが、このところ急に帰りが遅くなった。これもやはり残業代は出ない。たとえ何時間残っても、出ない。

そもそも残業とは何か。規定のノルマと達成した上で、さらに与えられた仕事が残業なのである。「残」業などというから勘違いするのであって、正確には「追加」業とでもいうべきものなのだ。したがって、残業代とは規定以上の仕事をこなした分の追加給与なのである。

労働基準局の人が聞いたら怒るのかもしれないが、私には非常に納得のいく話であった。

ノルマが過剰だったなら、そりゃあひどい話だろう。だが研究などはとくに、自分でノルマを決めるのである。ちゃんと定刻に帰る方もいらっしゃるわけで、残っている人は勝手に残っているわけだ。勝手に居残りして、そのぶんの給料をよこせというのはおかしい。

しかしそれにしても、残業代も出ないのに多勢の社員が残って仕事(らしきこと)をしているのを見ると、つくづく仕事というのはよほど面白いのだなあと思わされる。金のためだけに仕事をするような人は、少なくとも私の会社ではうまくやっていけないのだろう。(しかし学生時代のアルバイトでも、いつも同じことを感じたものだった。金のためだけに働くのでは、仕事はつらすぎる。面白くない。もっと他の欲求を前面に持ってこないと、とても続かないのだ)

何か人の役に立ちたい、誰かに必要とされたいという欲求を昇華するシステムとして、この社会はなかなかよくできている。
No.1149 - 2002/07/12(Fri) 23:28
中国の労働条件 / 徳保隆夫
労働組合の勧誘が、いよいよ本格化する時期である。私は労働組合に入るつもりがないので、この先いろいろと面倒だ。

労働組合では毎年のように賃上げストやら、残業拒否やらをやっている。それでたしかに賃上げは達成されてきているのだが、そのしわ寄せがどこへいっているのかについては関心がないようだ。

我が社は労働組合の組織率が90%を越えている。たしかに労働条件は素晴らしい。素晴らしいのだが、新入社員は最初からその環境にいるものだから、何かとブーたれる。そうした感情がよいほうに向けばよいのだが、何も仕事をしていないくせに給料に文句をつけるあたり、「バッカじゃなかろうか」と同僚ながら頭の心配をしたくなる。

社員寮に入れば住居費、食費、光熱費がかからない。クーラーだってついている。それでいて手取り十数万の給料がある。これは全額お小遣いである。父親がよだれをたらして羨ましがりそうな状況だ。まあ、毎月十数万も浪費するあてがないので、実家に10万円くらい入れている。それでも貯金(給料は郵貯振込)は増えている。

それはともかく、これだけ恵まれた環境にいてさえ人間は不満を漏らすのだから、本当にしょうもない生き物である。

我が社はこのように社員を破格の労働条件で待遇しているので、正社員を減らそうと努力してきた。製造現場をパートさんに置換していくなど、端的な例である。そうして最近になってようやくというべきか、雇用リストラ不可能の状況下でよく努力したというべきか、いよいよ中国へ工場を進出する由である。

さて、中国工場の労働条件を聞いて驚いた。

1日12時間労働、年2回の技能試験に通らない者は解雇。……人間の使い捨て、なのである。作業はプリント基板への微少部品差込とはんだ付けだ。まず、目のいい若い女性工員を雇う。毎日長時間仕事をさせ続けると、目がかすんでくる。そして脱落者を試験でふるいにかける、というシステムである。工場内の作業風景の写真で若い女性ばかりが働いているのは、縁談が多く寿退社が続出しているから、ではなかったのだ。賃金のバカ安はあえて触れまい。それはいっても仕方ないことだからだ。

なぜこんなひどいやり方が通用するのか。失業者が街にあふれているからである。こんなひどい条件の工場に、募集人員の30倍の応募があるという。おんぼろバスが毎日、農村出身の若者を満載して街へやってくるのだから、当然というべきか。片道数週間という距離からくる人が大半だそうな。みんな片道切符なので、いい就職先がなくたって帰るわけにはいかないのだ。

しかしそれにしても……いちおう、中国工場と提携して業務の一部を委託するという形ではあるけれども、工場を経営する会社の長は日本人で、しかも元社員だ。我が社がひどい条件で中国人を働かせているといっても何ら差し支えないだろう。

労働組合はきれいな言葉が大好きだが、自分らのわずかな賃上げには必死になるくせに、中国工場の労働条件には眉ひとつ動かさない。相互扶助が聞いて呆れる。何がベースアップだ、労働者の権利を守る、だ。弱いものの味方だ。自分の給与に関わることには必死になるが、私利私欲を満たさない話題には無関心なのである。

大赤字でも雇用リストラなしが継続される陰で、パートさんの大量解雇と中国工場での人間使い捨てが行われている。なぜ金食い虫がのさばって、安い賃金で働く者がいじめられるのか。正社員給与のベースアップ要求なんかやめて、新卒採用の要求も減員して、12時間労働をせめて11時間労働にしよう、と闘争するならば、私も労働組合に入ってもいいと思うのだが。中国工場は未見だが、日本国内のパートさんの働く工場の士気の高さ、パートさんのまじめ一徹な仕事ぶりは非常に印象に残っている。
No.1148 - 2002/07/12(Fri) 00:19
中国人留学生 / 徳保隆夫
留学生はよく勉強する、とはよくいわれることだが、留学生の多い研究室にいた経験上、異見を記しておかないわけにはいかない。彼らは確かに厳しい環境で勉強に励んでいるわけだが、本当によく働く。私費留学生が多かったので、生活は大変なようだった。何せ、家族がいるのである。

さて、たいへんな進学熱で盛り上がっているという噂の中国、韓国だけれども、留学生は決して賢くない。わざわざ馬車馬のように働いてまで留学しようというのだから、よほど勉強のできる人かと思ったら、全然たいしたことがない。日本語が苦手とかそういったレベルではなく、本当に日本人並みにしか勉強ができないのだった。

テストの点数ではない。研究レポートの内容が稚拙なのである。日本人学生も私を含めてバカ揃いだが、留学生まで足並みをそろえているので、私はがっかりしたものだった。まあ、そりゃ、同じ大学の試験を通ってきたわけだし……。学科に一人だけ非常に優秀な留学生がいたのだが、彼は大学を出ると東大の院へ行った。賢明な選択だろう。この一人を除く9割方の留学生が平凡な成績に終ったことこそ、真実をよく表している。

ところで、なぜ日本なんかにわざわざ留学にくるのかと疑問に思っていたものだが、就職活動を通して、簡単な事実に気がついたものだった。彼らは要するに、日本で働いて金持ちになりたいのだ。幸い、日本の大学で平凡な成績をおさめる程度にしか自分を高めずとも、日本で就職さえできれば金持ちになれるわけである。といっても、もちろん、日本にいる限り富裕の実感はない。みんなが物に囲まれた国に長くいると、幸せを見失う。いつかは「クニ」に戻って、はじめて金持ちになった自分に満足するのだろう。

そうしてみると、彼らに愛国心やエリート意識が足りないのも頷ける。自分の国を豊かにして、社会全体をよくしていこうなんて考えないのである。そういうのは、エリートの発想なのかもしれない。凡才だから利己主義に走って、既に先進国となっている日本で働こうと考えるのだ。

でも、どうなんだろう。外人は外人同士集まる傾向があるけれども、中国人留学生も全く同様である。会社にも中国人の社員が中途採用できているけれども、やっぱり打ち解けない感じがあるようだ。社会人になってもやっぱり、中国人同士で集まる。集まればお金を使ってしまうし、日本にいれば物欲も昂進する。

父の勤める会社にはブラジル人が多いけれども、かつてのように、限界の生活をして大金を短期間にためるような人は、まずいないという。日本にいるなりの生活をしてしまって、全然当初の目標である貯金ができない。リストラにあったらもう、何の人生だったんだか、なのである。

私は社員寮で暮らしているけれども、最近になって中国人が一人やってきた。きた日に顔を合わせたきりで、すっかり忘れていたんだけれども、ふと思い出したのだった。

***

上海師範学校付属小学校の教育は凄い。小学校1年生が入学3ヶ月で1500の漢字を覚える。小学校3年生で「英語」の個人新聞をパソコンできれいに作成できる。漢字は3000以上を使いこなし、四則演算をマスターしているのは当然である。しかも一芸教育によって、各々が特技を磨き、いっぱしの名人になっている。

詰め込み過多という向きもあろうが、英語に苦しむビジネスマンは、「詰め込みで英語ができるようになるものなら、詰め込まれた方がよかった」と思われるのではなかろうか。漢字や計算も同様であろう。しかも一芸教育ときたものだ。まあ、中国のトップエリート校であるが、しかし日本のトップエリートとの落差には愕然とする。教育のレベルが全然違うのである。

ひとついえるのは、ここの卒業生は当然、日本の大学などには来ないだろうし、日本の企業にも基本的に勤めまい、ということである。羊頭狗肉というか、一部エリートを看板に凡才を世界中に輸出するのが中国という国である。
No.1147 - 2002/07/11(Thu) 23:36
「ホームページ作成」研修 / 徳保隆夫
研修の一環としてシミュレーションに取り組んでいるのだが、計画表を見ると不可解な「休み時間」が用意されていた。それが「ホームページ作成」実習だった。

用意された環境は、LinuxマシンにMozillaである。PCは閉じたLANだけにつながっており、インターネットには接続できない。

HTMLのお勉強のためには、かなりいい環境なのだけれども、教材が「先輩社員の作成した「ホームページ」とアンクの「HTMLタグ辞典第1版」というのはどうか。画竜点睛を欠くとはこのことだ……。

私は被研修者唯一のHTML文書作成経験者(11人もいて私一人……理系人間なんてそんなものだ……C言語でプログラミングしたことのない者はいないというのに)ということで、ひそかに闘志を燃やす。早速、当サイトにアップしているHTML講座をポータルサイトに移設した。1週間たったが、3人から反響があった。まあ、そんなものだろうか。CSS講座なども用意したので、そのうちにこの備忘録に収録するかもしれない。

***

私とHTML講座に反響を寄せてくれた3人を除く7人は、先輩社員の作成した「ホームページ」を参考に、font要素で見出しを作っている。「画像の文字と大きさを合わせるんだ」と意気込む人もいる。閲覧者が文字サイズを調節できることを知らないらしい。せっかく忠告しても、「でもそんな機能はお前しか知らないんだから、気にする必要はない」という。

まあ理系人間なんて(以下略)

というかみんな、本当にC言語をわかっていたのかと疑問に思われてならない。ただ何となく、希望の動作をえられたらそれでよしという発想だったのではなかろうか。(というのはC言語を大学1年の前期以降全然やってこなかった人間の僻みかな)
No.1146 - 2002/07/09(Tue) 21:40
フォーム / 徳保隆夫
直接フォームに文章を書き込むのは、やめようと思う。長々と書いていると、突然、「前の画面」に戻ってしまうことがある。でも、メモ帳に書いたものを貼り付けるくらいなら、最初からHTML文書にした方がいいような気がする。

なんというか、いきなりガックリきた。だいたい書いていて興が乗ってきたときに限って……。
No.1145 - 2002/07/09(Tue) 21:20
Webデザインアドバイス休止のお知らせ / 徳保隆夫
初級Webサイトデザインアドバイスをしばらく休みます。サイトの更新は追いついていませんが、半年あまりで200を越えるサイトにアドバイスしてきました。しばらく充電期間をおきたいということです。

といってもサイトは適当に更新されていくはずです。

例えば、日記がはじまるかもしれません。唐突に。
例えば、HTML講座がどんどん拡張されていくかもしれません。何となく。
例えば、テキストがいっぱいアップされるかもしれません。これは単に隠しログがいっぱいあるので。

といった感じです。リンク集は相変わらず、随時更新、ということで。

ただ最近、Googleの表示順で「アクセス覇王」が上に来ましたので、もういいかな、という気もしてはいます。もともと私は、あのリンク集については、どんどん多くのサイトにコピーしてもらって、サイト批評してもらいたいな、という人がすぐに、どこかのサイト批評サイトリンク集にたどり着くという世の中の到来を狙っていました。ちっとも誰もコピーしてくれないので「アクセス覇王」様にメールでお願いしてコピーしてもらった次第です。

狙い通り、リンク集はいくつかのキーワードにおいてアクセス覇王版がGoogleの上位に登場するようになりました。だからもう、私のオリジナル版はもういい、という気もしますが、しかしアクセス覇王版は更新されていないんですよね。仕方ないから、オリジナル版は更新しつづけますが、これは計算外でした。

とにかく当面は、リンク集の更新、続きます。当面というのがいつまでかは未定ですが。

というわけで、サイト批評サイト情報は受付中です。よろしくお願い申し上げます。
No.1140 - 2002/07/06(Sat) 20:35
唐突ですが / 徳保隆夫
掲示板を停止します。で、しばらくこの掲示板を私的なメモとして利用します。掲示板に連載された内容は、そのうちにコンテンツとしてログをまとめるかもしれません。

それにしてもあれですね、私はつくづく、楽をするという以外にStrictなHTMLに興味のない人間だったのだなあ、と……。あちこちの掲示板でアドバイスした内容をなぜ月に1、2回しかアップしないのかといえば、ようするにHTMLでマークアップするのが面倒くさいから、ということに尽きます。結局、楽だという意味では、文章を書けばそれでおしまいのCGIが一番いいというしょうもない結論に達したと。

ただ、やっぱり多少マシな文章は、そのうちにまともなHTML文書にしておきたいとも思う。中途半端ですね。
No.1144 - 2002/07/07(Sun) 20:25
診断をお願いします。 / ふぇあ [ Home ] [ Mail ]
はじめまして。
「星のカービィ」というゲームのファンサイト(小説中心)を作っているものです。
最近リニューアルを果たし、10000Hitを迎える事ができたので、初心に返るという意味でも本音で批評して頂きたいとおもい、やってまいりました。
できるだけCoolでみやすいページを目指してデザインしているのですが、どうでしょうか。
どうか診断よろしくお願いします。
では。
No.1127 - 2002/06/29(Sat) 15:15
お引き受け致します / 徳保隆夫
ご依頼に感謝します。半月以内にはアドバイスのメールをご送付致しますので、気長にお待ちいただければ幸いです。
No.1131 - 2002/06/29(Sat) 18:50
Re: 診断をお願いします。 / ふぇあ [ Home ] [ Mail ]
お忙しいところ申し訳ありません。
引き受け、ありがとうございます。
どの様なアドバンスがくるか楽しみに、のんびりと待たせて頂きます。
では。
No.1132 - 2002/06/30(Sun) 14:39
完了 / 徳保隆夫
アドバイスをご送付いたしました。
No.1137 - 2002/07/06(Sat) 20:17
Re: 診断をお願いします。 / ふぇあ [ Home ] [ Mail ]
申し訳有りませんが、メールアドレスの記入に間違いが有ったようです・・・
「w」を入れ忘れていました。
fwip2557@mb.infoweb.ne.jpが正しいアドレスです。
こちらのミスのせいで本当に申し訳ないのですが、もう一度このアドレスに送り直してもらう事は可能でしょうか?
サイト批評はもうお休みだというのに、こちらのミスで仕事を増やしてしまって申し訳ありません。

では。
No.1141 - 2002/07/07(Sun) 10:59
再送いたしました / 徳保隆夫
それにしても、私のアドバイスを送りましたという書き込みにすぐ気づかれたということは、つまり、毎日チェックなさっていたということでしょうか。いやはや、責任重大ですね。お待たせした割にあまり大したアドバイスにならなくて、どうもすみません。
No.1142 - 2002/07/07(Sun) 14:57
Re: 診断をお願いします。 / ふぇあ [ Home ] [ Mail ]
診断、ありがとうございました。
コンテンツ部分のサンプルやCSSファイルのサンプルの方は、ありがたく参考にさせていただきます。
細かいところで自分では気付けないようなアドバイスは本当にありがたかったです。

あと、一応なんですが、あのページはソフトを使っていません。全部ソースの直接編集です。
・・まぁそれで間違っていたとなったらもっと恥ですが(汗

長々と申し訳有りませんでした。
本当にありがとうございました。

では。
No.1143 - 2002/07/07(Sun) 19:10
情報提供 / K [ Home ]
http://members.tripod.co.jp/fever2/
苦情にも対応してくれます

最近、すこしづつですがまたやる気がでてきました
今後ともよろしくお願いします。
No.1134 - 2002/07/06(Sat) 07:28
ありがとうございます / 徳保隆夫
fever web fever さん、復活したんですね! リンク集を本日中に更新します。貴重な情報を、どうもありがとうございました。

ええと、Kさんがやる気出てきたのと逆に私はどうも……。サイトの更新はずっとサボっているのですが、じつはアドバイス件数が200を越えまして、なんといいますか、達成感が……。で、しばらくアドバイスをお休みしようかと。

このところ仕事が忙しいということもありまして。
No.1139 - 2002/07/06(Sat) 20:22
アドバイスお願いします / ROM [ Home ] [ Mail ]
はじめまして。
写真素材配布サイトを公開して1ヶ月ほど経ちました。
はじめてホームページを作成したので内容や出来がいいのか悪いのかもわからないし友達に聞いてもお世辞が多い(と思う)のでどなたか詳しい方に一度酷評していただいたほうがよいのではと思いこちらにお邪魔しました。
お忙しいとは思いますが診断よろしくお願いします。
No.1126 - 2002/06/27(Thu) 20:56
お引き受け致します / 徳保隆夫
半月以内にはアドバイスのメールをさしあげることができるはずです。気長にお待ちくださいませ。

なお、アドバイスはとくに問題のない限りは、いつかサイトへ掲載したいと考えております。ただしこれは相当先のことになるでしょう。
No.1130 - 2002/06/29(Sat) 18:30
Re: アドバイスお願いします / ROM [ Home ] [ Mail ]
依頼承諾ありがとうございます。
アドバイスのサイト内掲載も了解です。

では、お手数ですがよろしくお願いいたします。
No.1133 - 2002/06/30(Sun) 16:25
完了 / 徳保隆夫
アドバイスをご送付いたしました。
No.1135 - 2002/07/06(Sat) 18:37
Re: アドバイスお願いします / ROM [ Home ] [ Mail ]
メール読ませていただきました。
丁寧な批評ありがとうございました。
No.1136 - 2002/07/06(Sat) 19:43
どういたしまして / 徳保隆夫
多少でもご参考になったのであれば幸いです。
No.1138 - 2002/07/06(Sat) 20:18
HP診断よろしくお願いします。 / オデッタ [ Home ] [ Mail ]
こんにちは。はじめまして。
昨日、アイドルのメディア出演情報といサイトをオープン
したのですが、デザインやコンテンツを客観的に
診断していただきたくこちらに伺わせていただきました。
DreamWeaver4とFireworks4を使用し一部ホームページビルダーのデザイン素材も使用しました。
よろしくお願いいたします。
No.1089 - 2002/06/11(Tue) 18:07
お引受します / 徳保隆夫
お申込に感謝します。週末にはアドバイスできると思います。気長にお待ちください。ただし半月以上お待たせすることはないはずです。

なお、アドバイスはメールにてご送付いたします。サイトに内容が掲載されるのはかなり先のことになりますが、どうかそのあたりのことはあまりお気になさらず。
No.1093 - 2002/06/11(Tue) 20:22
完了 / 徳保隆夫
アドバイスのメールをご送付いたしました。
No.1099 - 2002/06/12(Wed) 21:36
Re: HP診断よろしくお願いします。 / オデッタ [ Home ] [ Mail ]
この度はありがとうございました。
これからもご指摘された点を改善しながら
サイト運営をがんばっていきたいと思います。
No.1100 - 2002/06/12(Wed) 23:28
どういたしまして / 徳保隆夫
お役に立てたようで何よりです。
オデッタ様の今後のご健勝をお祈り申し上げます。
No.1103 - 2002/06/13(Thu) 20:09
Re: HP診断よろしくお願いします。 / オデッタ [ Home ] [ Mail ]
おかげさまで昨日ヤフーに登録されることになりました。
本当に徳保様のアドバイスには感謝いたします。
No.1124 - 2002/06/26(Wed) 22:06
おめでとうございます / 徳保隆夫
またひとつ、ステップをクリアされましたね。これでサイト運営が軌道に乗ることをお祈り申し上げます。
No.1129 - 2002/06/29(Sat) 18:26