私がどうしても苦手なものは、ひとつしかない。まずいと思うものはいくつかあるが、とても食べられないと思ったのはひとつだけ。それがなんであるかはあえて書かないけれども、なぜ私は食べ物の好き嫌いが少ないのか。
私は大学を卒業するまで実家にいた。母は専業主婦で、食事はいつも手料理だった。私がまずいものを残そうとすると、母はうるさいことをいわない代わりに悲しげな顔をする。アレルギー対策の食事療法のため、食事に関してはとくに母の手を煩わせていた、ということも関係あるだろうか。私は母を悲しませるのが偲びなく、うまいまずいに関わらず文句をいわないようになった。
とはいえ、私は最初から従順だったわけではない。幼少時には受け付けないものは容赦なく吐き出す子供だったそうだ。牛乳を1時間もかけて飲ませても、安心して目を離した途端に全部吹出したという。当時、母は私の牛乳アレルギーに気付いていなかった。赤ちゃんは放っておいても体が欲するものを食べる能力があるといわれる。この本能を破壊するのが「甘味」であり、それゆえに子供にお菓子を与えるなというのだそうだ。それはともかく、かつての私にとって、牛乳はひどくまずかっただろうと思われる。だんだんに、私は変わってきたということだろう。
私にとって食事とは、作った人への感謝の念とともにいただくものである。そして、食べることが作った人を喜ばせるから、食べるのである。そうしてみると、なぜ私が毎週末、絶食に挑戦するのかよくわかる。自分のためだけに食事をするのは味気ない。面倒でならないのである。不幸にも、週末の2日間食事を抜いても仕事に影響しないことを私は知ってしまった。自分がお腹を空かせるだけなら、それで悲しい思いをする人が誰もいないなら、自分が食事をしても誰も喜ばないなら、食事をする必要はない。食事を作ったり、どこかへ食べにいったりするのは、とかく面倒なことである。
単に死にたくないという理由で食事を欲するには、2日間は短すぎる。
……明後日から、また絶食の週末が始まる。挑戦に備えて、今晩の食事ではたんとお代わりしておこう。すると食事を作ってくれる寮の管理人さんは喜ぶ。こうして世の中は万事うまく回る。 |
No.1169 - 2002/08/29(Thu) 18:24
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