[付録]追補2

マイノリティーの護身術

間宮さんたちが、私と近い価値観を持っている方々だったなら、今回の騒動は最初から間違い。第一歩からして駄目なんだ。それは考察に書いた。けれども、間宮さんたちは私とは異なる価値観に基づいて生きている。それ自体は、とくに悪いことじゃないと思う。ただし、その価値観に共感する人々はこの社会(とりあえず日本のネット社会としましょうか)では少数派だから、どこかで折り合いをつけないと、ひどいしっぺ返しをくらいかねない。

マイノリティーの悲哀

今回は珍しく多数派についたけれども、ふだんの私は、何を語っても少数派になってしまうような人間だ。だから、どう説明してもわかってもらえない、運良くわかってもらえても最終的には意見が通らない、そうした少数派の悲哀はよくわかる。間宮さんたちは能天気なのかどうかわからないけれど、これほど圧倒的に少数派の価値観をもっていながら、この事件が起きるまでずっと、自分たちはふつうの価値観を抱いた人間だと思っていたらしい。それで今回、暴走して制裁を受けた挙げ句、まともな釈明もできないままに狂人扱いされてしまっている。間宮さんたちは今、狂人、理解不能、矛盾だらけと評されることに憤慨しているかもしれない。もし、ちゃんと説明すればわかってもらえる、と思っているとしたらそれは甘い。失地回復には相当の努力と時間が必要になることと思う。

文面を紹介できないのが残念ではあるけれど、間宮さんの説明(釈明)からは、「なぜこんなことも理解してもらえないのか」という苛立ちが強く感じられたものだった。いわゆる(想像上の/イメージとしての)2ちゃんねらのような、水に落ちた犬を叩いて楽しむような連中が相手だからわかってもらえないのではないか、あるいは本当は理解できるはずなのに、わざと理解しようとしないのではないか、そういった暗く沈んだ怒りのようなものがこもっているように思われた。しかしその苛立ち、怒りは的外れだ。現実はもっと厳しい。

例えば、今回紹介した言及サイトを見てほしい。2ちゃんねら、ウォッチャーといった感じはしない。おそらく、話題になった当サイトの記事を見て、自分で資料を追っかけて判断を下している。その結果、どうか。間宮さん、プリシラさんに対して非常に厳しい意見が出てきている。私が整理した資料だから、バイアスがかかっているという意見もありうる。だが、私は間宮さんにもプリシラさんにも、事実に反する部分があればご指摘くださいとメールでお願いしてきた。そして、実際にご指摘通りに記事、資料の修正もしてきた。結果的には、重大なミスはなく、小さなミスもほとんどなかったようだ。

間宮さん、プリシラさんの言い分を汲んで意見したサイトは、ほとんど「斬鉄剣」のみだといってもよいのではなかろうか。私はたくさん、たくさんの言及サイトにリンクしてきた。私はアクセス解析に引っかかったサイトをほとんど紹介してきたのだが、軒並み、間宮さんたちに厳しい意見を述べている。わけのわからない人たち、恐ろしい人たち、そういっている。一度気付くと、どんどん気付く。あっちにも敵、こっちにも敵。四面楚歌の状況に気付いてくる。

マイノリティーの生き抜き方

少数派がこの社会で生き抜く方法はひとつしかない。問題行動を起こさないこと。おとなしくしていること。誰だって、心に鬼を飼っているのではないかと思う。しかし鬼は隠さなければならない。鬼の原理で行動し、問題となったとき、世間様は自分の主張を理解してくれない。そして、自分のすべてを鬼と断定されてしまう。たった一匹の鬼のために。だから自分が明らかに人間側に立っているという自信がない限り、調子に乗ってはならない。

自分の中の鬼に気付かずに、長い間、自分は端から端まで真人間だと思ってきた間宮さんたちは、突然の騒動に混乱していることと思う。愕然としていることと思う。けれども、この先はもっとつらいだろう。

私の中に棲んでいるのは鬼ばっかりだ。正直な気持ちをペラペラ喋ると、どんどん周りから人が消えていく。何も間違ったことをいおうとしているわけじゃない。正しいと思うことをいっているだけなのだが、それがなおよくない。鬼が言葉を語り、相手に納得させようとするならば、相手の道具を換骨奪胎して利用する他ない。だから私は理屈を操る。詭弁といわれたら、またロジックを再構築する。何度も、何度も。ときには引き下がる。今は勝ち目がないことを悟ることもある。だけれど、自分の中の鬼が死なない限り、相手の言葉に鬼が殺されない限り、私は鬼の言葉を腹に抱え続ける。

鬼とつきあう法は3つある。

  1. 鬼を殺す。
  2. 鬼を飼う。
  3. 鬼に食われる。

私は半ば鬼に食われているのではないかと思う。鬼の言葉を世間様に認めさせようと、必死に言葉を紡いでいる。私は間宮さんに宛てて、とにかく謝ってしまえということを何度も書いた。鬼に食われた私が社会で生きるには、そうする他ない。人間のふりをするのも無理ならば、もはや「この通りですから命だけはご勘弁を」と情けにすがるしかない。そうでもしなければ、鬼は殺されてしまう。あるいは徹底的に痛めつけられる。

議論は最後には多数決となってしまう。少数派は、こうなってしまったらもう決定的に負ける。だから勝てない議論は、どこかで謝って逃げなければならない。議論なら、それでも何回負けたっていい。だがこちらが既に行動を起こしてしまっていた場合、多数決で制裁が下ったら、もうお終いである。謝って生き延びることを赦されるか、そうでもなければ鬼を殺されるまでだ。(もっとも、鬼なんてモノはあっさり殺されてしまった方がいいという見方もある。真人間が一番暮らしやすいには決まっているからだ。それでふつうの親は、子供の中の鬼を退治しようと努力する)

間宮さんもプリシラさんも、本当に頑固なので私は吃驚した。とくにプリシラさんは掲示板で不毛の議論を延々と続け、こてんぱんにやられているのに、それでも自分の理をとうとうと述べてみせた。鬼に食われているのかもしれない。不幸だな、と思った。人を食ってしまった鬼は、死ぬに死ねない。新しく人を作るのは難しいし、時間がかかる。けれども、それをせずに鬼が死んだらあとに誰も残らない。だから、鬼は必死だ。鬼を飼っている状態なら、今後は鎖を放しません、といえば赦されるのだが。すっかり鬼に食われ、世間様の理屈を理解しようとしないのは危ない。他人事ながら、私は心配してしまう。今回の騒動はこれで終ったけれども、絶対に次の事件を起こしてはならない。いざとなれば、人間は鬼よりずっと恐ろしい。角が生えていたって、鬼は所詮、マイノリティーだ。

未完。

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