「桃」が「夏の日に」のパクりかもしれないと、ゆきさんが疑っていたのは事実だ。しかしゆきさんは慎重に言葉を選び、対象作品はもちろんのこと、疑惑を持っていることさえ隠蔽した日記を書いた。
- 01月 18日 (Sat)
なんだかちょっとショッキング。私が書いたフィクションの「夏の日に」と同じ設定のテキストを読んでしまいましたの。そんなことってあるのか・・・。私の場合はね、あれは、本館の詩の更新に行き詰まって苦し紛れに10分ほどで書きましたの。最初はラブラブな恋人の話にするつもりが、いつの間にかあんな感じに。それと同じ思考を辿る人がいるってことね。そんなことってあるのか・・・。その方が私の文章を読んでる可能性はほとんどないわけで。まぁ、いろんなとこに出してる文章だから、皆無とは言わないけど。そんなことってあるのか・・・。半信半疑。疑心暗鬼。知らない人だから、聞けないし(笑)どうなんだろ、客観的に見たら、似てる・・・とか思うのかな。「パクられたっ」と私が思われたらやだな。そんなことってあるのか・・・。なんだか自信喪失。
- no.10 16:03
この日記に関連して、掲示板で一度だけささやかなやり取りがあった。
- パクパク 投稿者:あっっっこ
パクパク疑惑の文章ですが…文自体が似ていたのですか?
私はまだ結婚していませんが、同じような事をいつも考えていて、読んだ時、『あーーー、そうそう!』と激しく同意(笑)しました。その後から日記を読んだのですが、書いてある内容が似てるという事は世の中にままあるのではないでしょうか?いろんな小説の中でも扱っている内容が同じ、という事は、世の中に生きる上であると思うので…文章としての質は、扱っている内容と、文章の美しさにもあると思います。
ゆきさんの文章は、『表現』としてもキレイだと思いますよ。
元気出してください(^-^)
- No.41 2003/01/19(Sun) 02:11
- Re: パクパク 投稿者:あっっっこ
あれ?あ、似てるって言ってた文って「夏の日に」だったんですね!
「永遠」とカンチガイしていました。うーん…あれと似たものっていうのはなかなかないかも知れませんね…。うーんうーーん…でも『我輩は猫である』っていうのもありますし、世の中には2人の考える元になるようなものがあるのかも…
でも「自分で考えた」って思ってるものと同じようなものがあると、何となく『自分だけ』って云うアイディンティティーを見失ってしまうと思います。私もデザインを(今はまだ勉強段階だけど)しているので、そういう気持ちは分かります。
でも、だからこそ『新しいものを考えてやるぞー』って気になります。
商売だからキビシイですけど(;;)
- No.42 2003/01/19(Sun) 15:18
- (*´ー`) フッ 投稿者:ゆき
そうですねぇ。「夏の日に」の場合どうなのかなと。ちらりと思いましたの(笑)恋人同士のような書き出し、なあんだ猫だったのね・・・ってとこ、相手の男の子が結婚しちゃう・・・ってとこ。が一緒だったもので。まあ、そんな風に思いつく人もいるんだなぁ・・・と。あまり深く考えないことにしますです。もしね、どこかで私のを読んでらしたとしても。心の中に残ったから、それが出てくる・・・ってこともあると思うし。うんうん。フィクション・・・もなにかきっかけがあって書くものなのでしょうからね〜。私もすぐ文章は影響されちゃうので。気をつけなくちゃなぁ・・・と思います。
- No.44 2003/01/19(Sun) 20:35
ここでもゆきさんは、パクりを疑っていること自体を慎重に隠している。言外の意図は察っせられるが、明確な言質をとられるようなことはしていない。しかし、ここで疑惑の対象について3つのヒントを提示していることに注意されたい。たしかにこのとき、ゆきさんは危険な一歩を踏み出していた。
しかし実際に問題の両作品を読み比べてみればおわかりの通り、なるほどゆきさんの挙げた共通点はあるものの、さして似てはいない。となると、なぜプリシラさんはゆきさんのひた隠す疑惑の対象を特定しえたのかがわからない。本稿では[考察1]何を反省すべきなのかの追補として、この謎について掘り下げる。じつは謎はすぐに解けてしまうのだが、その結果むしろプリシラさんの暴走について疑問点がわいてくる。プリシラさんの心の闇を追いかけ、最後にひとつの事実を指摘することにより、「やはりプリシラさんの第一歩は間違っていた」という結論を、考察1とは別のルートから導く。
プリシラさんが、ゆきさんが「ぱくりと思われたら嫌だな」と書いた某作品を特定できたのは、3つの理由によります。
もう1点だけ付け加えるなら、ゆきさんが日記を書いたタイミングでしょうか。1年後、2年後に書かれた日記だったら、きっとプリシラさんは何も引っ掛かりを感じなかったに違いありません。
両作品について全然違う
といいながら、なぜ某作品を特定できてしまうのか。表面の言葉だけを追えば、たしかに妙な話です。けれども、いくつかの事実を重ね合わせれば、プリシラさんがそう考えたのは自然なことだったとわかります。
「桃」が発表されてから間もないタイミングで、「桃」を読んでいそうなゆきさんが書いた日記です。掲示板では3つの共通点を挙げているのですが、これがまさに「桃」とどんぴしゃり。「夏の日に」と「桃」の両方を知っていれば、これでも某作品を特定できなかったらむしろバカだといってもいい。だから、プリシラさんが某作品を特定できてしまったことについて、自意識過剰というのはどうかと思います。
ただし、ここで注意しなければならないのは、特定できたのはプリシラさんだけだということです。第3の理由、ゆきさんが「いろは中毒」を見ているに違いない、というのは、アクセス解析をしているプリシラさん以外には確信をもてないことでした。例えば私は、リンク先なんてほとんど巡回していません。ゆきさんが「プリシラ公園」にリンクしているとしても、ちゃんと巡回しているのかどうかなんてことは、プリシラさん以外には確信のもてないことです。
だから、問題はその先にあるわけです。プリシラさんは、まず間違いなく某作品は「桃」だと気付いたけれども、どうしてもそれを確認したくなりました。それはなぜか。ゆきさんに謝罪させたかったからです。ゆきさんが某作品は「桃」であるといえば、ゆきさんを謝らせることができる……なぜか、プリシラさんはこう考えました。
私には、このロジックがよくわからない。
ゆきさんは某作品の正体について、プリシラさん以外には(少なくともはっきりとは)わからないように書いています。プリシラさんが某作品の正体をゆきさんから引き出さない限り、ゆきさんは誰からも責められません。とすると、プリシラさんが黙っていればよかったじゃないかと私は思う。作品名をいうのが罪ならば、ゆきさんの罪とやらをつくり上げたのはプリシラさんだということになります。
ゆきさんは愚かにも作品名を口にしたわけですが、仮にその後、ゆきさんが掲示板をさっさと削除してしまったとしたらどうでしょうか。プリシラさんは怒って、サイトであれこれいって叩くのでしょうけれども、ゆきさんが徹底して「あれはプリシラさんの作り話です。私はそんなレスはつけていません」と言い張った場合に、もはやそれ以上反論する証拠がありません。もともとの日記には某作品の正体を推測させる要素は全然ありませんから、プリシラさんは進退窮まります。
だからバカバカしいんですよ。もともとの日記には、結局、非がないということではありませんか。非がないところに非を見つけ出し、その非を実体化する。自分でお膳立てしておいて、その非をあげつらう。プリシラさんは自覚していなかったようですが、端っからコトを大きくしようとしているわけです。というよりも、その時点ではまだ影も形もない「コト」を自らの手で作り出そうとしたのです。
文責がどうのということをプリシラさんはおっしゃているわけですが、ゆきさんは文責を問われないようにあれもこれも隠して書いたのです。隠された情報をわざわざ暴いて、責任を膨らませたのは誰ですか。
プリシラさんに好意的に解釈すれば、プリシラさんにだけは、ゆきさんの文章の非が見えたわけです。だから、追及せずにはいられなかった。けれども、その非が見えていたのが自分だけだったということに、なぜ気がつかなかったか。もしそれがわかっていたのなら、WWWへ公開した文書の問題なのだから、掲示板のような公共の場所でカタを付けるべきだ、などとは考えなかったはずです。なぜなら、ゆきさんの文章の非が見えたのは、あくまでもプリシラさん個人の問題だったからです。
だから、某作品の正体についてどうしても確かめたかったとしても、それは、メールなどで「誰にもいいませんから、私にだけは教えてくれませんか。パクられたと思われたらやだなっていっている作品、あれって「桃」ですよね? 私は「いろは中毒」の管理人で、「桃」にもかかわっていますけれども、大丈夫ですよ、「夏の日に」がパクりじゃないってことは知っています」と伝えればよかったことではありませんか。ゆきさんはおそらくホッとして、「じつはそうでした。安心してくださいといわれてホッとしました」みたいな返信をくれたでしょう。
本件の教訓はいろいろありましょうが、アクセス解析の扱いには要注意、ということもいえるでしょう。あまりアクセス数の多くないサイトが、高性能なアクセス解析サービスを利用するのは考えものだと思いました。(一時期の)当サイトのように、昨日のアクセス数は1万何千件でしたという状態なら、リンク元情報とプロバイダ情報だけで個人を特定するなんて不可能なんです。よっぽど珍しいプロバイダならともかく、ふつうは同じプロバイダから何十人も来ていますから。
プリシラさんは、アクセス解析からゆきさんの閲覧行動を把握していました。気持ち悪いですね、こういうの。でも、それはまあ仕方ないといえば仕方のないことです。ある程度想像力があれば、何も気がつかない方がどうかしているんです。ただ、自分が個人情報を管理しているという意識はもう少し持っていた方がよかったのと違いますか。小さなサイトの管理人さんだから、そうしたことには無頓着だったのでしょうが、逆に小さなサイトだったからこそ、アクセス解析が個人情報と密着していたという困った状況。
本件では、掲示板でのやり取りなどで個人情報がどうのという話題も出ましたが、正直いって、子供がいるとかいないとかっていうのは本人が垂れ流していた情報なんだから、そんなものは誰も保護してくれません。接続元情報から勤め先がばれたなんてのも、やっぱり本人が公開している情報なんだから救いようがない。本当にヤバイ個人情報の暴露というのは、じつはプリシラさんしかやっていないんです。ゆきさんの閲覧行動を堂々とばらした、いくつかの文書がそれです。
その辺りの意識をちゃんと持っていたのなら、プリシラさんはゆきさんを追及しようだなんて考えなかったでしょう。自分だけが知りえた個人情報を元に某作品の正体を引き出そうとするのなら、それは公の場ではなく、メールなどの非公開の場でしか行いえなかったはずだし、また、そうして得られた事実をもとに公の場で責任を問うなどできない相談だと気付いたはずです。
プリシラさんが両作品を全然違う
といいつつも、ゆきさんが疑っている作品を突き止めることができたのはなぜか。ダメ押しでもう一度だけ考えてみます。
恋人同士のような書き出し
なあんだ猫だったのね・・・ってとこ
相手の男の子が結婚しちゃう
ゆきさんがBBSで漏らしたヒントはたった3つ。いずれもありがちな感じはします。しかしながら、じゃあ3項目すべてにあてはまる作品を挙げてみてください、といわれて、即答できる人は相当なものだと思います。案外、この制約はきついんです。書き出しがまず決まっています。そして、最初は主人公が猫だということは伏せられていなければなりません。で、相手は男の子でなければならず、しかも作中で結婚しなければならない。
Google検索でもそうなのですが、キーワードがひとつ増えるごとにかなり検索結果が絞り込まれます。関連の薄いキーワードであれば、なおさらです。
あんまり絞り込めなかったわけですが……。まあそれでも84万9千件が1万6千件になったと。
さて、表紙に「いろは中毒」へのリンクを用意し、日記でも度々「いろは中毒」にふれている「プリシラ公園」の読者であるゆきさんが、先の3項目が共通する某作品について「私がパクったと思われたらやだな」という日記を書いているという状況があったわけです。某作品が「桃」だと判断するのは、かなり自然なことだと思います。
どこかで読んだような話だと思った人が多かった「夏の日に」と「桃」ですが、具体的な作品名が、ようやくスレの方で出ました。原田智子先生の「フィメール」という題名の作品だそうです。次に紹介する作品集のどちらかに収録されているそうです。(私は未確認)
ただし、そっくりな話というわけでもないそうです。
似た設定といっても桃とは逆に主人公は人間の男・恋をしているのも男。ただその相手が人間の女性として描かれた「猫」で、猫だということを後半まで気づかせない、フェアな描写で読者をミスリードさせているというところが似てます。なのでパクリだとは思いませんでした。なーんだ二番煎じかぁと感じただけでつ。
なかなか、ありがちな話という感じはしても、実際にこれだという例を挙げるのは難しいものです。だからこそ、偶然そっくりな話を目にしたら、ついついパクりを疑われる可能性を考えてしまうのでしょうね。
Webサイトデザインアドバイスをやる中で、あちこちのサイトを拝見したわけなのですが、けっこうこのパクりに関しては方々で喧嘩が絶えないわけです。無断転載なら、まるっきり同じなんだから話は早いですよね。どっちに非があるかはっきりわかるわけです。けれども、似ているというタイプのパクりは、正直、どうしようもない泥試合にしかならない。それなりにたくさんサイトを観ている者からすると、本当にバカバカしい喧嘩も多いんです。女子中学生なんかはとくにそれが多くて、私が作った素材をパクられたーなんて本気で怒っている。単なるストライプの素材をパクったもパクられたもないだろうと思うのですが。結局、そうして自分のネット上の友達とか、そうしたお互い視界に入る近しいサイト同士で喧嘩して傷つきあっている。もっと広い世界を見ようよ、と思わずにはいられません。