2009年の課題図書(小学校低学年向け)

てとてとてとて

私が生まれたとき、最初に受け止めてくれたのは、看護師さんの手。最初にお尻をピシャンと叩いたのは産婦人科の先生の手。最初に抱きしめてくれたのは、母方の祖母の手だった。

出産予定日を何日過ぎても、私はスヤスヤと眠ったまま、母のお腹の中で太っていった。このままでは、母体がもたない。先生の判断で、母は何本も注射を打たれて、決死の覚悟で私を産み落とした。看護師さんは血まみれの私を受け止めて、きれいにしてくれた。しかし私は、初めて触れる外の世界の空気も、母のうめき声も、手術室の喧騒も、何も気にせず、昏々と眠り続けていた。

首を傾げる看護師さんから私を受け取った産婦人科の先生は、小さなお尻をピシャンと叩いた。夢から覚めた私は、フワワァン、と、か細い声で泣いたという。

4000gを超える赤ちゃんだった私は、生まれたときから白っぽく丸くふっくらした顔をしていた。健康に不安のある様子ではなかったので、私はすぐに祖母の腕に抱かれた。本当は最初に母子の対面をするところだが、母は意識が混濁した状態で、それどころではなかったようだ。

「かわいい! こんなにかわいい赤ちゃんは初めてだよ! よく生まれてきたね、ありがとうね、いい子ね。まーちゃん(私の母の愛称)が頑張って産んだ甲斐があったわ。丸々と太って、本当に幸せに育ったんだろうね、よかったね。こんなに元気な姿で生まれてきてくれて、嬉しいよ……。まーちゃん、本当に、頑張って……」祖母は、泣き崩れた。

夜が明けて、目を覚ました母は、ベッドの隣にいる私と出会った。母はそっと手を伸ばして私の頭をなで、鼻をなで、ほっぺたをなで、小さな手に指をさしのべた。朝日の差し込む病室で安らかな顔で眠っていた私は、掌をくすぐる母の小指を、あわあわと指を丸めて、そっと包み込んだ……というのだけれど、本当だろうか。テレビドラマと現実を混同しているような感じがしないでもない。

母の家族はみな愛知県に暮らしているから、母は父と暮らす千葉県を離れ、実家の近くの病院で私を産んだ。父は3交代の忙しい仕事をしており、ようやく長期休暇を取って病院へやってきたのは、半月後のことだった。

「あれっ!? まだ産んでなかったの?」

今や伝説となった、父の第一声。母はガックリした。私を産んだら、母はスーッとやせて、結婚当初の顔に戻ると父は思っていたらしい。お腹が平らになるだけで、他は変わらないに決まっているじゃないか、と笑われても、父は合点のいかない顔をしていたそうだ。

私はそのときも眠っていた。毎日毎日、空腹も忘れて眠り続けていたという。放っておくと食事をしないから、母は私を一日に何度か起こして、おっぱいを飲ませていた。ときどき「ふぇふぇふぇ」と泣くこともあるけれど、すぐに泣き飽きて眠りに落ちてしまう。

「起こしちゃダメよ」と母にいわれた父だが、そうなるともう、何もすることがない。スイッチが入ると壊れたレコードプレーヤーと化す父だが、自分で話題を設定して会話をするのは苦手だ。母の方も、ずっと病室のベッドの上にいる毎日だから、話すことがない。

とうとう限界に達した父は、眠っている私の右手と左手を包み込んで、万歳をさせたり、ラジオ体操の手足の運動をさせたり。私は、ふいに目を開けて、ニコッと笑顔を作った。そのとき父は、私の小さな手から、ポカポカとあたたかいものを感じたという。

胸をズギューンと撃ち抜かれ、はじかれたように直立不動の姿勢をとった父は、母に「あっ、ありがとう、本当にありがとう」といった……というのだけれど、母は「そんなこと、あったかしら?」。母方の祖母も「記憶にないわねえ」と不思議そうな顔をしたが、「でも、本人がそういっているのだから、いいんじゃないのかしら」。母はたまらず吹き出して、「私だって当事者よ」。

それから、30年近い月日が経った。

まだ看護師学校を出て1年に満たなかった、看護師さん。「こんなに可愛い赤ちゃんは初めてです! 私もこんな赤ちゃんがほしいです!」と上気した顔で母にいってくれた。母は何年も何年も、その話を自慢にしていた。今頃、ベテランの看護師として活躍されているのだろうか。母が退院するとき、手を振って送り出してくれたのも、この看護師さんだったという。

ご老体だった産婦人科の先生は、私が5歳の誕生日を迎える前に、亡くなられたそうだ。

そして昨年、母方の祖母が亡くなった。この世界にやってきた私を、最初に抱きしめてくれた人。心から歓迎してくれた人。おばあちゃん。気難しいところもあったけど、いつも気にかけてくれていた。表裏なく、どこでも私を「いい子なんだ」と紹介してくれていた。「やあ、坊ちゃんが自慢のお孫さんかい? 話はいろいろ聞いているよ」祖母の知り合いは、みなそういう。

おばあちゃん。最後にその手を握ったのは、一昨年、祖母に癌が見つかって3ヵ月後。癌の影響か、ボケが始まったというので、会話が成り立つ内にと思い、慌ててお見舞いに行った。あたたかい手だった。この手に抱かれて、私は、「この世界は、素晴らしいところだ」って、安心して眠りについたんだ。おばあちゃん。ありがとう。

そして母は。いったんは元の体型に近づいたけれど、弟を産んだ後は、もう元には戻らなかった。父は居間に二人が手をつないで写っている結婚記念の写真を飾ったけれど、母には何の効果もなかったようである。

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