作文

  1. オートスカラシップ作文『天上天下唯我独尊』

オートスカラシップ作文(1997年12月)

『天上天下唯我独尊』

なぜ、自分は生きているのだろう。自信が揺らぐたびに、頭をかすめる疑問。毎回その泥沼から立ち上がることができるのは、夢があるからだ。夜空に浮かぶ月、どうにも手の届きそうにない圧倒的な空間の隔たりを、飛び越える力が人類にはある。最初の記憶はないが、物心ついたときからずっと、その力に見せられ続けている。何の保証もないのに、運命かもしれないと思う。自分は自分のために生きている。天井天下唯我独尊という。世界中で自分が唯一大切な存在で、それは世界中の誰もがそうなのだ。各々が各々にとって大切なのだから、自分にもまして他者を尊重しなければならない。それが、自分自身の人生を大切にすることにつながるのだ。

自分を大切にすることがいかに難しいか、この三年間だけでも幾度も思い知らされた。山場は二度、いずれも高一の終わりにあった。一つは自問自答、一つは人との関係の中で。高二以降、現在に至るまでは第三局面である。現在のことを語るのは難しい。まだ何も結論が出ていない。よって、経験として心の中に居場所の定まった出来事のみを書く。

成田高校は中高一貫校である。美術部もまた中高一貫だ。中一からの美術部員だった自分は、高一ながら部員勧誘に奔走、新入部員歓迎会の準備もした。先輩十三人を押しのけて部長になったのは、歓迎会のときだった。

美術部は改革されねばならない、一人そう確信していた。OB会、文化祭での巨大オブジェの制作、全体活動には熱心だが、肝心の個人の創作活動が足りないのが、当時の美術部だった。高三にもなって透明色と不透明色の違いも知らない先輩には、全くがっかりした。散らかった部室も嫌だった。全体活動で醸成されたなれあいが、奇妙な個人主義を出現させていた。絵画技術の交換がない。他人の画材は片付けない。許せなかった。

まず掃除を徹底した。散在していた備品をまとめ、管理を始めた。美術の知識や絵画技術の提供に努めた。文化祭の巨大オブジェはやめた。個人作品に力を入れ、展覧会の成績が大きく上がった。そうして、冬が来た。

関東平野で雪が積もるのは異例のことだ。高一の冬、成田に雪が積もった。数年ぶりという7センチだった。

それは月曜日の朝だった。土曜に降った雪は、雪かきされなかったところでは氷に姿を変えていた。駅までは自転車。駅から学校まで1キロ徒歩。その通学路の中ほどに、両側を高い建物に囲まれた細長い階段があった。昔ながらの街にあって、そこだけが雪かきされずに残っていた。慎重に階段を降りていった。後もう少し、だが氷の階段は冷たかった。あ、と声を上げる間に、自分は下の車道まで滑落していた。突然怒りが湧いた。そして、雪かきするのは自分しかいない、と思った。

四時限目、担任にスコップを借りる約束をした。道具は揃った。後は人手だった。

昼休み、美術室へ行った。冬場、冷暖房完備の美術室には、自分と話の馬が合う部員たちが、昼食と雑談をしに集まるのが常だった。その日も彼らはいつもの場所にいた。自分もいつも通りの口調で、いつも通りではない内容を伝えた。雪かきへの協力は、あっさり拒否された。なぜ美術部でボランティアをしなくてはならないのか、雪かきをして何か得なことがあるのか、何も答えられず、ほうほうの体で退散した。裏切られたような気分だったが、そもそもお門違いだったのだ、と無理やり納得した。

だが、寒い廊下に出ると、我慢の糸が切れた。雪かきは決して無償の労働ではない。朝、遅刻しそうになって氷の階段を駆け下りる本校生徒が何人いることか。杖にしがみついて階段を登るご老体も、一日に数人はいる。そして自分のような、足に自信にある者でさえ、そのうえ慎重に降りていてさえ、氷の階段には足を滑らせた。あの階段を利用する人の命のリスクを、雪かきするだけで大幅に減らすことができるのだ。十分な報酬ではないか。

一通り心の中で叫び散らしてみると、少し頭も冷えてきた。本当にそう思っているのか。自問する声が響いていた。自分が足を滑らせたから怒りを感じただけではないか。私憤をひた隠しにして、ただいい格好をして目立とうとするのはなぜだ。内なる自分の声の追及に、自分は声にならない声を上げた。違う、そうではない。ではどうして先生にシャベルを借りたのだ? 周囲にアピールして自分の株を上げる意図がないなら、善いことは密かに行えばよいではないか。違う、道具がないから仕方なかった。仕方ない、だって? 一時間もあれば家からシャベルを持ってこれる者がよくいう……。

攻撃は際限なく続く。一人でシャベルを借りて名誉を独占しながら、最も地味で手間のかかる雪かきの実作業は友人頼りか。そう、いまも自分の足はまた別の友人たちのもとに向かっていた。一人では無理だ、なんて嘘だ。二時間かければ一人で雪かきできる。お前は偽善者だ。

美術室から教室へと戻った私は、窓際で談笑していた中学時代からの友人たちに声をかけた。雪かきの件を相談すると、部活のない三人が、即座に協力を約束してくれた。掛け値なしに嬉しかった。そこへ、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

決して美術部の友人たちが不親切なのではない。頭では理解しているつもりなのだが、心の中では、昔からの友人が親友で、美術部の友人はふつうの友人ということになってしまった。そもそも自分の願いが理不尽だと気付いていながら、その返答で友人に序列をつけずにはいられない。そんな自分が悲しかった。

放課後の通学路に、鈍い音が響き渡った。少し遅い時刻になって作業を始めたので、寒いかわりに人が通らなかった。階段を覆っていた氷は、三十分で全て取り除かれた。協力してくれた三人と「やったな」と声を交わした。やっと、朝のささやかな決意を果たしたのだ。胸がいっぱいになった。偽善だろうが何だろうが、自分がしたことは正しかったんだ、そのときはそう思った。

翌朝のホームルームで、担任から雪かきの話が出た。「しまった」と思ったときにはもう、全て手遅れだった。自然に沸き起こった拍手は、大いに私の自尊心を刺激した。それはやはり私の期待したことだった。だから、恥ずかしかった。褒賞を期待した善行は美しくない、と思う。雪かきなど、大勢がそれぞれの持ち場でやっていることだ。みな、自分に課した責務として雪かきに取り組んでいる。誰に褒められることもなく、密かに雪かきをして、世のため人のために尽くしている。通学路の階段の周囲には、たまたまそうした人がいなかったから、私と友人たちが雪かきをした。それだけのことだ。クラスメートたちは、通学路の階段以外の場所を雪かきした人にも拍手をするか。しないだろう。私も、雪かきは密かにやるべきだったし、私には、そうすることができたはずである。

数日後、美術部の部会が開かれた。自分はそこで部長引退を告げた。友人たちをはじめとして、顧問の先生、ふだんを話をしない部員まで、大勢が私を慰留した。次の適任者がいない、と。適任者なら、いるさ。自分はかねてより心に決めていた一人の友人の名を示した。掃除も技術の習得も無関心、そして雪かきを強行に拒否した人物。皆が驚いた。だが、彼には私にない才能があった。包容力と座を盛り上げる能力。彼なら、美術部を楽しくできる、私はそう考えていた。結局、この新役員人事は了承されることになる。

なぜ、部長を辞めたのか。その後も、数人に訊ねられた。私の答えは、こうだった。あるとき、二人の部員が話をしているのを聞いた。

「美術部って、なんか部活という感じがしないんだよね」
「創作活動の方は好きなだけできるんだけど、部員同士が仲間っていう気分というか、雰囲気じゃないんだよね。部長さんは忙しそうにしているんだけど、何をやっているのかよくわからないし」

私にとっては、これで十分だった。本当は、自分は部長をやりたくなんてなかったし、部長の仕事に向いてもいなかったんだ、とも思った。「わからないな」と首を傾げる質問者に、私は言葉を付け足す。

一年間、自分は善意の安売りを続けてきたんだ。皆は絵を描くのに一生懸命だから、掃除するのは暇な自分だけでいい。備品管理のように面倒な仕事は、自分一人が責任を負っていればいい。でもそれって、自分の存在価値を創造する、利己的な行動だったと思う。掃除が部活の一環であるならば、皆で掃除をするべきだった。備品の管理だって、部員一人一人が注意するように仕向けるのがベストだった。それなのに私は、善意を不当に安売りして、独占的な供給者となった。そうして自分の居場所は安泰になったけれど、そこから部活動の一体感や仲間意識が生まれるわけはなかった。

そもそも「自分がこの部活を変えてやる」というのが間違っていた。私は圧倒的な善意の押し売りで部員たちの自助の精神をスポイルしてしまった。たしかに、展覧会の受賞作が増えたり、絵画制作の基礎知識を広めたりすることはできた。しかし、私が駆けずり回った結果としての多少の変化が生じたところで、部活が変わったといえるのだろうか。特殊な部員が一人いる、ということでしかないのではないか。それでは独り相撲だ。各部員がそれぞれ主体的に活動の内容を高めていこうとするような、利己と利他が一体となった天上天下唯我独尊の実現を目指すべきだった。けれども、それはいまの自分の手に負える仕事ではない。三十人も部員がいるのに、自分が成長するまで我慢してほしい、なんていえない。だから、私は部長を辞めて、苦手分野を友人にバトンタッチした。

その後、絵を描くのは好きだから、美術部には残った。備品管理は、簡単なところから仕組み化して、部員全員で分担できる仕事への移行を進めている。

高二になってからは、掛け持ちしていた文藝部にも顔を出すようになった。最初の一年間はほぼ幽霊部員だったので、新人同然。右も左もわからず、割り振られた簡単な仕事をこなすのにも苦労する、その感覚が新鮮で楽しい。

それから、将来の夢について考えた。宇宙と人類を結びつける科学技術に関わりたい。昔から、何も変わっていない。だがそうであるならば、大学への進学についても、真剣に考えねばならない。この冬、雪だけは降ってくれるなと心の片隅で祈りつつ、勉学に打ち込んでいる。