今年4月〜12月、実家に入れた金額106万円なり。手取り14万円/月の給料の割には、まずまず……ですよね? これくらいで許してください。
金勘定も終わったところで、さあさあさあ! もうすぐ2003年ですね!
紅白歌合戦、見てみると面白いですね〜。さすが、さすがですな〜。満腹。
……と、いいつつ猪木ボンバイエやプロ野球珍プレー特番なんかも見ていたりして……。えーと、たまにテレビを見ると面白すぎて、ほんと困っちゃいます。テレビ廃人も、そりゃ生まれるわけですよね〜。
今回レイアウトする上で目標にする事は
- 出来る限りブラウザ間での見栄えを同じにする(当然)
- CSSくさい直線的なレイアウトをどこまで破壊できるか。
直線的なレイアウトの破壊は意欲的な試みだろうと思いますが、CSSデザインを導入しているのに、ブラウザ間での見た目を揃えるのが当然というのは疑問。かつて闇黒日記にもありましたが、一定以上のシェアを持つブラウザがせいぜい10種類程度しかないから、そういったつまらないテクニックがもてはやされるのではないですか。
CSSを必要以上に難しくするような話には反対です。正しいCSSを書いておいて、後はブラウザの解釈能力の問題だ、と言い切ってしまうべきです。閲覧に問題がある環境ではCSSを切っていただけばいいでしょう。CSSを切れない場合は、CSSの解釈がタコなくせに思い上がっているブラウザの側が責められるべき。そんなことまでサイト製作者が責任を負う必要はありません。
「正しい」と云ふ事を拒絶するのに拘はる事こそ、良くない事だと思ひます。或は、「正しい」事に自分は拘つてゐない、と信じながら、現實には「正義の拒絶」に拘つてしまつてゐるとしたら、それこそ、愚かしい事だと思ひます。
私は正字正かなを金輪際使いません、とはいっていません。今すぐに勉強して使おうとは思わない、といっているに過ぎません。野嵜さんや「私の國語教室」の主張などには、なるほどと思っているのです。正字正かなを拒絶しているわけではありませんよ。
テーブルレイアウトをやっていた私がHTMLをもう一度勉強し始めたのは、野嵜さんの主張に感銘を受けたのがひとつのきっかけになっています。HTMLとは何か、という情報は当時の私にとって非常に刺激的で、面白かったのです。その後、ある程度勉強したところで飽きたわけですが、今年3月になって野嵜さんから批判を頂戴しまして、また少し勉強を進めました。
たしかに私は「正しいこと」に不徹底ですが、別に「正義の拒絶」をやっているわけではない、と思います。やる気の充実と適当な機会が揃えば、順次「正しいこと」を取り入れていくつもりでいるのです。
ただし、「ダブルスタンダードは惡い」「一貫性がないのは惡い」から、一貫性のないものは徹底的に排除すべき、とは考えていません。野嵜さんと意見が食い違うのは、決定的にはこの部分の価値判断だろうと思います。何事も遊びがある方が、そこそこ不徹底を許容する方が気楽でよい、そのためにはダブルスタンダードも一貫性の欠如もある程度許容しましょう、というのが私の基本的な考え方です。
新字新かなと正字正かな、正当性に勝るのは正字正かなだと思います。けれども「現代仮名遣い」が駄目である以上、最善ではなくとも、次善のものである事は間違ひのない歴史的假名遣を日本人は使はざるを得ない
というのは、極端だなあと感じるのです。使はざるを得ない
とまでいってしまえるほど、私は正字正かなの美点である「一貫性」に価値を見出せないのです。
結局、私にとって正字正かなは、使った方がよさそうという程度の位置付けなのです。
私はテーブルレイアウトはやめた方がよさそうだ、と思ってから実際にやめるまでに半年を要した人間です。HTMLをちょっと勉強するだけでも、それだけ機会を、やる気の充実を待ちました。将来、一念発起して正字正かなの勉強をすることがあるかもしれませんが、私にとって正字正かなの勉強はHTML以上にとっつきにくい印象があるので、すぐには正字正かなに移行できないでしょう。死ぬまで無理かもしれません。
野嵜さんは、正しいと確信していることがあるなら、当然、すぐさまその通りにすべきとお考えなのかもしれません。けれども私はもっと不徹底にやっていきたいと思っていて、それは正しくないものを許す
というよりは、消極的ながらもダメなものを認めるのもありだろう、という立場なのだ、ということです。この立場を「正義の拒絶」
と表現されるのは抵抗感があるので、こうしていろいろ書いてみたわけですが、その辺り、伝わりましたでしょうか。
或は、正義に拘つたつて良いではないですか。正義に對して自覺的である方が、正義と云ふものを巧く扱へるのではないですか。ただ單に、拒絶してゐれば濟はれる、と云ふものではないでせう。
私は正義の実行を徹底しませんが、正義に對して自覺的
な方だと思います。ただ單に、拒絶
とまでいわれるのは心外です。
趣味のWebデザインは、Opera 7で閲覽すると、ホイールマウスの廻轉でも、カーソルキー押下でも、スクロール出來ないんですがー。あと、「Back」ボタンを押したり、BackSpaceを推したりしても、勝手にリロードして呉れて、前のリソースに戻れないんですがー(http://www2.loops.jp/~hkt/→http://www2.loops.jp/~hkt/design/index.htmlに勝手にリダイレクトされる。リダイレクトうざい)。
この手の問題には対処いたしません。
備忘録で散々書いている通り(野嵜さん、こちらは読んでいらっしゃらない様子)、閲覧者の側で簡単に対処できる諸問題については、私は対応いたしかねます。何のためにCSSデザインに移行したのか。その理由はいろいろありますが、クロスブラウザに頭を悩ませる必要がなくなる、というのも一つ大きいのです。うまく表示されないという苦情には、すべて「CSS外してください」と答えればいい、という。
NN4だけCSSを外す、他のブラウザでは問題なく表示されるように苦心する、そんな技術が流行っていますが、そーゆーのははっきりいってくだらないと思います。ブラウザのCSS対応状況なんて、どうだっていいんです。そんなことを気にしなきゃCSSを使えない、かのような思い込みの蔓延が、CSSデザインでアクセシビリティー向上といった謳い文句を虚しくしているのです。
HTMLに問題があれば、閲覧者に対処のしようはありません。では、CSSの問題なら? 閲覧者のちょっとした操作で、CSSは無効化できるではありませんか。だから、CSSを書く際には、ブラウザの対応状況なんか気にしないでいい。
というわけで、私の立場はご理解いただけましたでしょうか。
50代って一番インターネットと縁がなさそうなイメージがある。統計とってみたいなあ。
Life with a Roseで疑問が出ているわけですが、参考資料を示します。[Access Media / Impress 2002]
世代 | 構成比 |
---|---|
10代 | 12.5% |
20代 | 23.1% |
30代 | 23.7% |
40代 | 19.2% |
50代 | 12.9% |
60代 | 6.8% |
70代〜 | 1.9% |
インターネット利用者の中心をなしているのは20代以下の若年層ではなく、30代と40代だということがわかります。50代以上も、この分だと10年後には相当増えますね。
それではみなさん、よいお年を〜。
あ、明日も更新します、たぶん。
年末年始といえば「このミステリーがすごい!」の季節ですね。世間で評価の高い作品はたいてい外れがない(私は都合がいい性格なのです)ので、今年もいくつか読みました。いやー、楽しめました。
大学2年生の頃につけていた読書日記の形式を踏襲して、最近読んだ本を書名等のみバラバラ列挙しておきます。
いいこともしたのだろうが、中国にとっては災厄でしかなかったということのようだ。保守バリバリの上坂さんが書いても中国にとっての日本にはろくなところがない。だからといってやってもいない罪まで背負わされても困るが。
真保裕一の最新作や横山秀夫が非常に面白かったりして小説は今年も(いつも思うのだけれども、それなりにアンテナを広げてたくさん読めば小説のいいのは必ずあるものですね/てゆーか書き飛ばしを始めて以降の西村京太郎なんか読んでいる人ってなんなんだろう/人生の無駄とか思わないのかなー)当たり年でした。でも今年はそれ以上に特筆すべき本が数冊ありまして……。年末になって読んだものではないわけですが。
「国民の声」ってのは、いったい誰の声だ?というわけで、日本の本当の姿を丹念に観察し記録した一冊。ジャーナリストによる考現学の到達点。「ぶっちゃけた話」の乱れ打ちでとにかく笑えます。「ぼくたちの洗脳社会岡田斗司夫/朝日文庫や「異見自在」高山正之/PHP出版に匹敵する大傑作……というのが初読時の感想。半年経った現在、さすがに先にあげた2冊ほどには後をひかなかったかな、と。人生観、世界観に永続的影響を受けるには至らなかった、と。そういう意味では、逆に安心してくれてもいいと思います。絶対のお勧め。
中公文庫からクラウゼヴィッツの「戦争論」が出たので喜んで買ってきたものの、これはとうとう読めませんでした。10年以内の読破を目指します。あと社会思想者が倒産したので教養文庫から面白そうなのを慌てて買ってきたんだけれども、これも全然手付かず。まあ、そのうちに。
やってみました。下手くそな自分の文章をそのまま使うより、もっと的確に自分の思っていることを伝えてくれる文章を探してきて紹介してしまうほうが読者のためにもいいかもしれないなあ、と思いました。……もう自分の言葉で備忘録を書く気力が、ありません。
中原昌也の対談集「サクセスの秘密」を読んだのですが、ネットで文章なりなんなりを発表してしまうのは中原昌也言うところの食うための創作
と対極にあって、きっと彼からは僕みたいな人間はすごく愚かな生き物に見えるんだろうなあ、という事を読書中ずっと考えていました。
……旧ちゆからのパクりについては、他に面白いサイトが現れたりして概ね騒動が治まったみたいで、ホッとしました。ただ、パクりを指摘されてうろたえてる管理人さん達も、転載OKをちゃんと読んでないらしいとの指摘が複数ありました。なるほどそのようで、弱味が多すぎる方にも問題があるな、と納得。ちゃんと反論しようよ、と私はいいたかったけれども、当人がやってはいけないことという認識でいたのだから仕方ない。
教訓……大抵の閲覧者はサイトの注意書きなんて読んでくれない。それはわかっていたけれど、パクりをやろうという方は、せめてその辺りもう少し注意してほしいな、と正直そう思いました。
旧ちゆ のarchiveを公開している者ですが、ちょっと一言。旧ちゆは、archiveを見ての通り、転載、改変ともに認めていました。したがって、旧ちゆの記事をそのまま載せても、適当に書き換えても、そりゃたしかにパクりではあるけれども、責めるのはどうかと。
その転載、改変は旧ちゆ自身が大歓迎していたわけです。私のサイトが著作権放棄サイトなんでいわけてもらうけれども、本当に転載、改変してほしいんですよ。やっぱり、つまらないと思いながらそうする人はいなくて、価値があるからパクられるわけで。
当サイトの場合はリンク集以外は誰も転載したがらないですが、私はそれを残念に思っています。旧ちゆもそうだったんじゃないかと。つまり、パクられて不愉快どころか、鼻が高いんじゃないかと思うのです。
要するに、旧ちゆからのパクりは叩くな、と。とくに某サイトのBBSで遊んでいる自称ちゆファンは、正義を振りかざしているようでいて恥を晒しているだけ。ちゆがOKと書いているのに、なぜパクった人は反省文、とか何とかになるわけよ。お前は本当に旧ちゆの読者だったのか、ファンだったのかと小一時間(以下略)。
久々にダークマターを訪問してみると、パクりサイトが最近の流行りだとのこと。どれどれと思って見てみたんですがね、えーと。
すぐ突撃しちゃう方って、どうしてその、バカなんですか? バカというのがアレなら、軽挙妄動というか、もうちょっとよく状況を確認してほしいというか……。横断歩道を渡る前には右、左、右! って警察官のおじさんに教えられなかったんでしょうか。幼稚園とか、小学校とか、その辺で。
tiyu.to時代のちゆ12歳は、転載も改変もOK出してたんですよ。だから、パクりサイトがたくさんあるのは当然です。私なんかサイト全部転載してるわけで。そういうことを知らずに、あるいは忘れて、正義面してパクりサイトをたたくというのはどうなのか。旧ちゆは大歓迎
といっているのに、突撃ウォッチャーが勝手に叩いてる。おかしな話ですよ。
本と違って、サイトって基本的に作者が消したら後に何も残らないじゃないですか。もったいないですよね。ちょっと理不尽ですよね。公開情報を作者の一存で全部なかったことにできるというのは、情報媒体の性質として諸刃の剣だと思います。転載禁止といってるサイトは、そりゃローカルに保存しておくしかないわけだけれど、私はなるべく気に入ったサイトは複写しておくようにしています。やっぱりそれだけでもしておけば、昔だれそれはこういった、なんて引用もできますからね。
ここでいっているのは著作権者を明らかにした上での転載ですが、当サイトのように著作権を主張しないサイトの場合は、もっと積極的に、情報を活用していただければなあと思います。どんどん各自のサイトに私の文章を紛れ込ませていってほしいです。
旧ちゆの場合、著作権者の表示はどうなるのか、ということはあるけれども、改変もOKといっている以上は、著作権を主張しませんということではないのかと。少なくとも、そういう判断はありうるわけでしょう。そのあたり、もうちっとよく考えてから盛り上がってほしいですね。
久しぶりにサーバの規約を読みに行ってみると、8月1日付で容量が250MBに増えていた。一気に2.5倍とは……。じつは容量の問題で移転も考えていたのだけれども、これで一安心というところ。
当サイト自体はせいぜい3MBしかないのですが、サイトからリンクしてないファイルが大量にサーバに上がっていたりするのです。あとは転載記事がバカにならない量になっていまして……。転載OKのサイトはけっこうあるので、ある程度セーブしていかないと250MBもすぐに食い尽くしてしまいます。今後も自制していくつもり。
WWWブラウザとして私は和ジラ1.1とSleipnirを使っているんですけれども、NN7.01も非常に完成度が高いと思います。SleipnirなどのIEコンポーネントのタブブラウザを利用しない限りは、IEより便利な機能が多いので、大いにお勧め。最小の文字サイズの設定、ポップアップ広告の一律禁止など、IEコンポーネントのタブブラウザには真似できない超強力な機能がありますので、導入後は必ず設定パネルを端から端まで一通り眺めてみてください。
NN7はWindowsメディアプレーヤーのようにテーマを切り替えて見た目をいじることができます。Mozillaについて数十のスキンが発表されているのに対し、NN7はデフォルト2つ、追加2つしかないのは少ないという指摘があります。
しかしじつはMozilla用のテーマの多くがNN7にも使えます。NN7はMozillaよりも導入が簡単(プラグインなども標準で添付されます)ですしライトユーザ向けに配慮されている感じがあるので、あまりこうしたマニアックなことをいっても仕方ないのかもしれませんが。
2003年公開予定のリニューアル講座、本当は正月に公開するつもりでしたが、どうやら春休み〜夏休みくらいになりそう。……といいつつ、ちょこちょこ書き始めてもいるのですが。なかなかあれですよね、実践的なCSSデザイン入門をやるのは難しいですよね。独り言ですけど。(謎)
やー、仕事おさめですよ。たくさんあった忘年会、どれも楽しかったなあ。慌ただしかった新潟旅行も。
年賀状は例年になく早めに出したので、私にしては珍しく元旦に届く方が多いと思う。大掃除は、まあ、四畳半一間だから……。でも実家に帰ったらいろいろ手伝わされそう。本当は大晦日の夜あたりに帰りたいところ。そうもいかないので今日の夕方に帰りますが。
パソコンの中身も整理。買い替えはちょいと先延ばしと決めたけれども、何がどうなっているのか見ておくことは無駄ではないと思う。使い勝手のいい環境を求めて多くのフリーソフトを入れたり捨てたりするうちに幽霊フォルダが増えていたので、それらを処分。古いファイルのCD-Rへの移動なども行う。
とくにお勧めのフリーソフトをメモ。いずれも仕事で多用してます。
他にもTTTEditor、サクラエディタ、Vix、Sreipnir、紙2001などなど便利に使っているフリーソフトは多くあるのですが、紹介はまたの機会に。今回は一括変換系のソフトを中心に紹介させていただきました。この手のソフトはホント、使い慣れてしまうと「これないと仕事にならないんですけど」となってしまうほど便利なので、まずこれだけは、ということで。
あ、15万PVを突破してますね。こう分不相応に人気があるというのも、なんだかなあという感じ。(←罰当たり)
突然ですが、今後、本年中の更新はお休みします。
……といいつつ、細々と更新するような気もしますが、いずれにしてもさしたる量にはなりそうもないので、年が明けてからログをまとめ読みする方がよほど効率的ではないかと。
著作権法を確認してどうしようというのか、といいますと、ロケットBBSのスキンで人気のあるものを、独自にCSSで再現してみようかという企画を考えているわけです。表現としての創作性が十分に高いものは遠慮しますが、ほとんどアイデアのみの作品も少なくないわけです。それらはCSSで独自に再現することに法的な問題がないことを確信できたので、ちょっとやる気になったら手を出してみるつもりでいます。
もうひとつ、アイデアは保護されないという点に着目して、他サイトの記事を独自に書きなおすというコンテンツ作成法が、場合によっては法の壁をクリアできます。その内容に創作性がない(事実を述べている)場合には、コンテンツの構成は単なる配列のアイデアに過ぎませんし、著作物として成立しているのは文章それ自体だけなのです。したがって、目次や本文の言葉さえ独自のもので置き換えれば、内容と構成は同一でも著作権法に違反しません。
他サイトの記事で、重要な事実を述べているにもかかわらず、いくつかの古い記述や事実誤認が気になって紹介をためらうような場面があります。しかし、いくつかの条件さえクリアすれば、適当に書き直して自サイトの記事としてその内容を発表できるわけです。
勉強すると、無理だと思っていたことにも可能性が開けてきて、選択肢がいろいろ広がりますね、という話。
素材屋さんなどでは著作権侵害を声高に訴える人が多いけれども、正直いって、創作性の高い表現による素材を扱っているところはそう多くないのではなかろうか。公知のアイデアをシンプルに表現しているだけ、という場合がほとんどのように思われる。
著作権法では(例えどれほど独創的であっても)アイデアは保護されない。また、創作性の低い表現も保護されない。
著作権法を錦の御旗につまらない素材の権利を厳重に囲い込んでいる方々の多くは、じつは保護の対象とされていない。しかもそのことに全く気付いていない。滑稽というか、かわいそうな話ではあるが、著作権法をちゃんと読んでいないのだから仕方ない。よく調べもせず思い込みで権利を主張していてはいけない。
幸い、著作権法など、Webでよく話題となる法律については読みやすく信頼できる解説が多く用意されている。ひとつご紹介。
市議会議員選挙のお知らせが届く。最近、駅の前で演説している人をよく見かけるのはそういうわけか。
新聞は駅売りのを買っているので、選挙公報が手に入らない。どんな人がどんな政策を主張しているのか、肝心の情報はどこで手に入れたらいいのだろう? それ以前の問題として、そもそも投票所の何とか公民館の場所さえわからなかったりする。簡単でいいから、投票のお知らせには地図を添付してほしいよ。
10日に年末一時金が支給されました。基準月給187800円×2.14ヶ月×出勤率1.00=401900円が支給総額なのですが、厚生年金、雇用保険、所得税、雇用保険課税分が控除されて、差し引き支給額は357950円でした。私のいう年末一時金の総額とは、この差し引き支給額を指すものとします。金額に興味のあった一部の方はご参考まで。
9日の月曜日に降った雪も、いい加減にほとんどとけましたね。
実は結構な比率で「僕のサイトはちょっと特別」って思ってる人がいると睨んでいるのだけど、結構図星じゃないですか?サイト持ちの皆さん。
柊の独り語りには参りました。まさに図星です。でも当サイトは本当にビョーキだと思います(自意識過剰)。つい反応してしまいました。
じつはKOIKOIさんの本も買っていたりしまして、まあその、相乗効果というか。
どうでもいいけど、備忘録を書きすぎ。今週末の更新はこれでおしまい、にしたい。週明け以降、やっぱり更新は滞ります。
ニュース系サイト総合ヲチ Part8に、またいっぱい意見が書き込まれてる……。週に1回くらいしか反応のなかったサイトだけに、ちょっと嬉しいかも。それにしても、当サイトの略称はすっかりデザアバ
で定着したようですね。悪くない感じ。
面倒なこと(勉強含む)をしてまでサイトを見たくない(309)
面白い、面白くないではなく陳腐か、そうではないかで語るべき(312)
htmlキチガイなら<a href="http://watch_dark.tripod.co.jp/">ダークマター</a>なんて恥ずかしくて書けません(332)
キモイから読んでないけど(333)
2chでもネタにマジギレしまくってたりして(334)
小利口な厨房の負け様(336)
普通の電波文じゃネタにならん(338)
今度の矛先はココですか(339)
放置ってことで、生暖かくヲチしようというのは、私も疲れてきたのでお互いにとっていい提案だと思います。
このスレにつき合うとロクなことにならない(340)
2chでもとりあげられたことを知って、心の中では喜んでいる(342)
「切るためのインターフェイス」を一目で分かるところに(343)
こいつにおける「デザイン」ってのは利用者が使いやすいものを目指している訳ではなく(343)
IEでもネスケでもOperaでも崩れないサイトは山ほどあるのになんでそう作らずに閲覧者に不便を強いるような香具師がアドバイスなんてしてるのか(344)
晒されるサイトは、どっかが変(346)
Web制作板の住人の意見が聞きたい(351)
本当にHTMLにこだわるのならば、そもそもあんなアクセス数がどうのこうの、このスレで書かれた意見に対してあーだこーだとあんな文章を書くわけがないですので(352)
うだうだと反論を繰り返すのはずばり、「図星」だから(352)
アンカー部分を一度クリックして戻ったらキーボードでもマウスでもスクロールできます。(353)
結果としてOperaで読めないようなサイトになってしまっているのでは本末転倒なわけで。単なる自己満足なんですよ。(354)
勘違いしてますた(355)
彼は何故、他人の考えの正しさに気づかず、自分の考えの間違いに気づかないのだろう?(356)
全レスしたら疲れました。リアクションがないときは、誰か意見をくれないかと思っていたわけですが、こうたくさんあると「もういいや」って思ってしまいます。いつもこのくり返しなんですが、罰当たりな話ですね。
そういえば当サイトの掲示板も、書き込みが増えてきたら書込み禁止にしたりしてきましたが、ひどい話ではあります。
もつとも、「ダブルスタンダードは惡い」「一貫性がないのは惡い」と云ふ價値判斷が一般的な價値判斷でないのならば、私野嵜は勝手な事を言つてゐる、と云ふ事になるのでせうが。
そうなのです。私はダブルスタンダードや一貫性のなさを相当程度許容する人間なので、野嵜さんの主張には頷きつつも、正字正かなを勉強しようとも使おうとも思いません。で、それはそれでいいんじゃないかと考えていたりします。
理屈からいえば並立しえないものを、現実問題として並立させてしまうというやり方を、私は受け入れるということです。そして、それはそう悪いことではないと思います。「正しいこと」に徹底してこだわる必要を感じないんですよ。
アクセス数が多すぎて書きづらい記事といえばリアル知人の話題。備忘録としては忘れないうちに書いておきたいので、そろそろ人も減ってきたことだし……というわけでメモメモ。
高校時代の部活の後輩の二人が仲違いしているのを見るのは寂しい。
- マスター DS 2002年12月01日日曜日 00時41分
うーん。まあ、卒業式ですらろくに会ってないからね。卒業式の後に謝恩会が予定されていて、僕はずっとクラスで喋ってて、ギリギリに部活の方に言って、名川さんや後輩達が用意した花束をそれぞれ受け取って、誰かが買ってきたケーキも食べずに、そのままシャトルバスに乗ってしまったからね。
というか、そもそも三鷹さんと喋った記憶がほとんど無い。そういう点では、他の人と同じだと思われる。多分、3年間で喋ったのは「糊どこにあるの?」「そこ〜」だけだと思う。そう考えると、友達と呼べるかも怪しいな(笑)部室は行くのイヤだったし。活動も行きたくなかったし。文化祭も近寄らなかったし。2年生の夏のときに顧問に「お前部員だったのか!?」と言われたのが今でも記憶残ってたり。
ま、そんな時の自分の経験があったからこそ、今の自分があるんだけどね。当時の自分や、周りの人たちの行動を反面教師として、今の僕が存在すると思う。そういう点では、あの殺伐とした部活にいてよかったと思うね(笑)
ま、今だからいえる話だけど、当時の部活は何もかもがイヤだった。毎日の様に続く主導権争い、暴力、絶対的な人気ヒエラルヒー…。だから、大学に入ったら、少なくなくとも暴力が無いサークルに入りたいと思ったよ。出来ることなら、権力争いが無い穏やかな場所へ行きたいと思った。そういう点では、僕は希望の場所に行きつけたと思うね。
- 山田大佐 2002年12月01日日曜日 12時05分
こんにちは。マスターにとっては教育実習以来だから2ヶ月ぶりかな?ちょっと高校時代の部活について書かれていると聞いたんで顔を出してみたんだけど…いや〜まるで僕のことを書かれているみたいで正直驚いたよ。とりあえずコメントを読んだと言うことを伝えたかったので僕の紹介は不要だよ。
- 山田大佐 2002年12月03日火曜日 15時34分
前回の書き込みについては黙殺?>マスター
結構、事実誤認が酷いんでなんかリアクションがあるかとは思ったんだけど。まあ、どうでもいいや。
教育実習の打ち上げの時にいい損ねたことをひとついっておくよ。ええとね、現役時代に問題になった因縁のFAXなんだけどね。あれはどうも今でも部室にあるみたいだぞ。原版は僕から君に返したはずだからコピーだとは思うけどね。実習の時、部室には何度か行ったんで、それで聞いた話。
まあこれが慰めになるかどうかは知らないが僕らの代の作品は今でも読み継がれているらしいよ。知らない人から「皇帝!」って云われたしね(内輪ネタ)。
ともあれこれで伝えるべきことはすべて伝えたんで高校時代の負の遺産らしい僕は退散することにするよ。とりあえずは御休心くだされたく。
- マスター DS 2002年12月03日火曜日 16時53分
あ、しょうがないなあ。ちと長くなりそうだったから分けたの。
もし不快を感じたのなら謝る。でも、覚えてるかどうか分からないけど僕が先日いろいろ書いたことは、2年前にオダサガの僕の自宅で大佐に面と向って直接言ったことがある。確か久保ちゃんと来て、久保ちゃんが帰った後の会話だと思う。無論、大佐が来てることは前々から分かっていたよ。それで、ROMから引っ張り出すために改めて書いたの。冗談としてね。だから、まさか本当に出てくるとは思ってなくてちょっとビックリしちゃった。だから、そんな皮肉は言わないで。と、今言っても遅いだろうけど。
僕は後輩達に申し訳ないことをしたと思ってる。それと同時に、大佐にも裏切るようなことをしてしまった。僕はどうしても両方助けたかったし、袋小路に陥った人間関係をどうしても修復したかった。でも、思うにそれは甘い考えだった。今でも、時々タカヒロの悲痛な言葉が胸に染みるよ。「あちらを立てればこちらが立たず。どうすればいいんでしょう?」って。
僕はFAXの件で一貫して「大佐を守るため」と主張してきたけど、その考えに偽りはないし、今でもあれは大佐を守るための行動だと思っています。
でもまあいいです。今となってはね。大佐も僕もお互い関係修復に辛抱強く頑張ったと思う。でも、結局すれ違いは修正できなかった。それは残念なことだけど、仕方がないよ。人間関係にそういうことはつきものだと思ってるし、それでいいと思う。お互い、これをいい肥やしにしましょう。それで、これからの人生でそれぞれいい人間関係が築いていければ、それでいいんじゃないかな。そう思わないと悲しすぎるでしょ。
もう一人のK氏もROMしているはずなので、少し長くなりましたが書かせていただきました。
そうだ、最後に僕も言いたいことがある。精錬実習、きてくれてありがとう。心配したグレネードが教えてくれたんだ。「一応、教えておきますよ」って一言添えてね。あのときのグレネードはカッコ良かった。だから、僕も大佐の精錬に行ったし。正直、僕の交友歴で、大佐は唯一の心残りだよ。結構実習が始まる前、夢に出たんだよ。ずっと仲良く喋っている夢。でも、もうしょうがないよね。うん。それに、僕はそんな器用な人間じゃない。
あ! 三鷹さんと始めてあった時の会話か〜。そういわれるとなんだかそんな場面もあったかも(???)
不思議に思ったことがひとつ。マスターがサイトでこの話題を持ち出したのは2度目のはずなのに、前回は山田大佐は何もいわなかった。当時はマスターのサイトを見ていなかったのだろうか。
さて、殺伐とした部活
を作ったのは私です。馴れあいでぐだぐだの、平和だけれど向上心のない部活の雰囲気(少なくとも私はそう思っていた)に半ばぶち切れて、それで大鉈を振るいました。で、先輩は引退してしまうし、もともとやる気の薄かった同輩はますます顔を出さなくなるし、今にして思えば無茶苦茶をやっていたなあと思います。
それでも、備忘録に記さなくても忘れえないことだから詳細は省略するけれども、失った以上のものを、私は得ました。他の人がどうだったかはわかりませんが……。そして、私が蛮勇を奮って以後の**部は、史上最大の興隆期を迎えることになります。
けれども、無理していた部分がたくさんあったということなのでしょう。私がやったことというのは、つまり同人サークルを少年ジャンプの方法論に従って運営するというものでした。私自身はすぐに責任ある立場を降りてしまいますが、高校卒業までよかれ悪しかれ部の運営に干渉しつづけました。私がいなくなると、重石が取れたということでしょう、どんどん**部は旧来の姿に復していきました。
私は自分のやりたいようにやって楽しく卒業しましたが、マスターはその陰でつらい思いをしていたわけだし、私の敷いた体制が肌にあっていた(と思う)山田大佐はその後の状況にイライラすることになったろうと思う。私がいなくなったらどんどん昔帰りが進んでしまったことから考えると、成果はたくさん、でも不満はいっぱいという状況だったのでしょう。
私が消えて以降、軋みは次第に大きくなっていき、坂道を転げ落ちるような展開となっていくわけですが……。というのもまた、私の眼から見た歴史に過ぎないといえばまったくその通り。問題を自分の責任において捉えなおすことは重要だと思うけれど、すべて自分の責任だと考えるのはむしろ傲慢といわれても仕方ないでしょう。……なんてね、こういうことをいって、すぐ身軽になろうとするんですよね、私は。卑怯ですね。
ところで、タカヒロくんの悲痛な言葉、当時も今も変わらずに思っていることがあります。私なら、そんなことで悩まないのに、バカなやつ……。世の中には優しい人が多すぎますよね。人を傷つけることを極端に恐れて、悩まないでもいいことに悩むようなバカなやつ。
私は弱い人間です。だから、他人の痛みに鈍感になったんだと思います。人を傷つけることへの怖れを、努めて頭から追い出してきたのだろうと思います。それゆえ為しえたことは少なくないけれど、時々ふと、つまらないこと(といってしまうのが私のひどいところ)を本気になって悩むことを厭わない、そんな強い人に憧れないでもありません。
迷信を覆すのは難しい。
なぜアクセス向上を目指そうという記事は嫌われるのでしょうか。安定したアクセス向上につながる記事は、すべてサイトの需要を増やす方法を解説しています。これは閲覧者にとってみれば、見る価値のあるサイトが増えることにつながるわけですから、決して悪いことではないはずです。
掲示板などで宣伝しまくるのはよくない、といったアクセス乞食
批判がありますが、そういった方法はアクセス向上につながりません。だから、そうした間違った方法を引き合いに出してアクセス向上講座系の記事の存在自体を批判するのは、的外れです。間違った方法を参考にしたサイトは別に人気なんか出ないのだから放っておけばよいのです。
批判するならば、そんな方法ではアクセス向上に成功できないとか、そのような方法は迷惑だというようにその記事自体を批判するべきでしょう。
閲覧者を増やさなければアクセス向上は達成できません。では閲覧者はどうしたら増えるのでしょうか。それにはもちろん、閲覧者の求める記事を用意すればよいのです。馴れあいでアクセス数が増えるとしましょう。もしそうならば、「**ヒットおめでとう!」といった情報は、少なくとも一定数の閲覧者にとって価値のあるものだったということになります。でなければ誰がクリックするのでしょうか? 別に害のある情報じゃなし、多からずといえども喜ぶ人がいるなら別にいいじゃないかと思うのです。
こうしてみると、人気サイトが増えて困る人はいません。だから、アクセス向上講座の存在自体を批判するのはおかしいのです。
アクセス数に囚われて更新するってのは違うくないのかなーと。そんなやり方をしててもすぐに飽きちゃうと思うんです。
でも逆に、アクセス数が少ないのでやる気が減退し、閉鎖に至るというサイトも多いのです。アクセス数にとらわれるというと印象が悪いわけですが、お客さんにある程度歩み寄っていく、自己中一辺倒なサイト運営をしない、といえば「そうかな」という感じもすると思います。
程度の問題、といういわれ方などしますけれども、私は少し違うように思います。証拠を出せといわれても困りますが、とりあえずReadMeの上位100サイトを見る限り、お客さんを騙して、何のコンテンツもないのに安定して大きなアクセス数を維持している例はありません。私からみて全然魅力のないサイトはたくさんありますが、それは別に問題ではないはずです。とにかく、いずれのサイトもコンテンツで勝負しています。本当にひどいことをして、それでアクセス向上に成功するなんて、もうありえないといってしまってもいいのではないでしょうか。
1日100PV程度までのアクセス向上なら、玉石混交、いろいろなやり方があるのでしょうけれども、例えばReadMeで100位以内に入るというレベルまでいこうとするならば、どうしたってお客さんのニーズにこたえるという正攻法しかありえないだろうと思うのです。
けれども、この正攻法というのが曲者で、やろうと思ってもすぐに挫折するんですよね。過半数の個人サイトがそうなのですが、何をやりたいのか自分でもよくわかっていないんです。正攻法といったって、どっち向いて何を攻めればいいんだか、そのレベルでまず躓きます。そこでアクセス向上講座系サイトでは、サイトのテーマを決めるいくつかの手順を示していることが多いですよね。当サイトのデザイン初級講座もそのくちです。でも、簡単な手順で強引に絞り込んでみたサイトのテーマって、なんだかしっくりこないことが多いと思いませんか。やはりこう、内部から湧き上がるものなしに、機械的に決めたテーマではサイト作成の動機付けとして弱いのではないでしょうか。
そんなわけで、アクセス向上なんて目指してもしょうがないよね、というのは、それがカッコワルイとかどうとかいうよりも、そもそも無理だよねという地点から語り直した方が、本質が明快になるのではないでしょうか。
冷徹にアクセス数を稼ぐことだけに特化してサイトを運営すれば、恐らく1年半以内に100万アクセス達成できるでしょう。
私は、そうは思いません。冷徹に売り上げを稼ぐことだけに特化して身を粉にして働く営業マンが、みな成果を上げられるというものではないですよね。冷徹さが足りないんじゃないのか? という疑問もあるでしょうが、私はそういう問題ではないと思います。アニメのキャプチャでアクセス向上という例があげられていますが、そもそもどのシーンをキャプチャするのか、というところにセンスが問われますよね。作品選びだって難しいですよ。市場調査をやればある程度絞り込めるでしょうが、そうして選んだ作品というのはしばしばライバルも多かったりしますしね。
きっと、ここまで根気よく読んでくれた人の内、8割くらいは「そこまで割り切ってサイト運営なんてできない」か「不愉快だ! ふざけんな!」と思ったことでしょう。私もこの考えに行き着いた時、ここまで徹底したサイト運営を思いつけてしまうことが怖かったです。
何が怖いのでしょうか。私は多勢の支持を得るサイトを作ることは、公益にかなうと思います。犯罪に手を染めるわけじゃなし、お客さんの需要を満たすことで何らかの成功を目指すのは資本主義経済の基本でしょう。趣味は趣味なりに、近代的な合理主義を持ち込むことを考えるのが、むしろ自然だと思います。
個人ホームページは、あくまでも自己表現の場であって、決してゲームなどではありません。
というのはどうなんでしょうか。ゲームでもいいんじゃないですか。趣味のお店を売り上げ倍増ゲームのつもりで経営したって、それでお店のサービスがよくなって人気が出るなら閲覧者には何の問題もないわけでしょう。これは趣味の話ではないけれど、街の八百屋さんがスーパーの進出に屈していった構図というのは、まさにそれなわけです。
売り上げ倍増のためには、当然のようにお客さんのニーズをいかに満たすか、真剣に考えなければなりません。とすれば、売り上げ倍増ゲームという利己的な動機の良し悪しに関わらず、お客さんには利益がもたらされることになります。雪印食品の廃業などを見ての通り、客の利益にならない裏技なんてのは、利益は小さく(金額ではなく割合に注目すべきです)リスクばかり大きいのが現実です。だから、基本的にゲームだからダメというものではないと思います。
ゲームだということ自体が不快、という見方もあるでしょう。でも民間の企業組織がみな、儲けを追求するためにお客さんへのサービスを頑張っているだけだからといって、そんなに不快感を感じますか。まあ不快に思うのも勝手なので、別にいいわけですけれども。ただ、企業はたしかに「私たちは儲けのためにやってます」と面と向かってお客さんにいうことはありませんよね。でも株主には儲けが増えるよう頑張りますというに決まっています。でまあ、株主とお客さんは同じ人物だったりするわけで。
そして非常に奇妙に感じるのが、自己表現とゲームが対立する概念とされていること。ゲームとしてのサイト運営は、雄弁な自己表現となりうるのではないでしょうか。
というわけで、私は説得力を感じませんでした。遥かな道しるべによれば実体験あっての意見ということのようですが、自分がこうなったから他人もそうなるだろう、というのは単純過ぎるように思います。自分をふつうの人と思いたがる方は多いのですが、愉快な神父さんの記事と同様、ほとんどの人はたとえ一生懸命真似しようと努力ても、さしたるアクセス向上につながらないのではないでしょうか。
当サイトは基本的にアクセス解析をしていません。ReadMeの計測結果でページ毎のPVを見ているだけです。なぜかというと、当サイトは圧倒的にブックマークが多く、それ以外はいくつかの相互リンクサイトから少々おいでになるという程度だったからです。つまり、リンク元を毎日チェックしても何も面白いことがなかったんですね。結果としてどのページに人気があるのか、ということだけが役に立つ情報で、それならReadMeで十分だという結論になっていたわけです。
ところがここしばらく、一時的な現象とはいえいくつかのサイトでコメント付きで紹介されるようになりました。しかし、2ちゃんねるでご意見くださった方には全レスをいたしましたが、それ以上の対応はしてきませんでした。しかしこれは無視してきたというわけではなく、単に知らなかったためです。本日の巡回で数件、コメントを拝見いたしましたので、順次反応していきたいと思います。
迷惑かもしれませんが、私自身の感想を書き留めておきたいので……。
とか言ってる人ほどいざとなったら払わないんだろうな〜 r(^^;)
払うような羽目にならないという確信があって、インパクトのありそうな言葉を選んだ、ということです。ただ、ある程度は条件を譲歩しました。払う可能性があるかも、という雰囲気を作りたかったんですね。けれども、なにせ200サイトですから。2ちゃんねるで祭りにならない限りは大丈夫だと思っています。
……というネタばらし風の発言には、もちろん狙いがあります。が、それは後日に語りたいと思います。
Operaタンでへんてこりんになっていた原因は判明。要するにOperaよけを外してしまっていたのだ。外部CSSファイルを指定するときにtype属性をscreen,tvにして、指定したCSSファイルの@media screenで{}でくくってやっていたのだが、うっかり外してしまっていたのだ。ネスケ7でやたら右によってたのはpaddingの指定を忘れてたせい。ボックス周りの計算は、互換モードでも仕様通りになるのをすっかり忘れてたです。とりあえず、これでIE6とN7とOpera6.05での確認終了。あとは、WinIE5.5,5.01,MacIE5.1での確認を。Winは平日でもいいけど、Macは休日にならないとむりだにゃ〜。今回の格言:ボックス周りで困ったときは、borderを出すに限る。
会社からWWWを利用する人への配慮を理由に、サイトで音楽は鳴らすなと主張するようなあまりにレベルの低いサイトはともかく……。信頼のおける記事を提供している訪問者に優しいWebサイト作りでさえ、訪問者にデザイン選択の自由があることを啓蒙しようとせず、自分の意図通りのデザインを提供することに一生懸命になっている。
このところ、アクセシビリティーやユーザビリティーを解説するサイトでは老人のWWW利用が増えるから、今のうちにデザインを改良しよう、という主張が多いけれども、それでは根本的解決にはならない。老人向けブラウザに、サイトのデザインを自動的かつ徹底的に改造して老人向けにカスタマイズするといった機能を持たせる方が、よほど理にかなっている。
あらゆるニーズにこたえうる単一のデザインなどあるわけがないのだから、サイトの製作者は特定のデザインを閲覧者に押し付けるべきではない。CSSでデザインするのは、閲覧者が製作者の提供するデザインを拒否できるようにするためだ。現状、たしかに閲覧者のスキルは低い。Webサイトを、製作者の用意したデザインで見るのが当たり前だと思っている。ひどいデザインに出くわしても、自分で何とかしようとせずに、製作者の努力を望むだけだ。
小さい文字が好きな人は自分でブラウザの設定を変えればいい。いくらなんでもこの程度は常識だと思っていたのだけれど、女子高生のやっているサイト批評サイトで「私は文字サイズ中で見て、文字が10ptより大きいサイトは基本的に読みません」といわれたときは唖然とした。なぜ女子中高生のサイトには、文字サイズ最小にすると文字が読めない場合が少ないくないのか。それは、文字サイズ中で見ても文字サイズが十分に小さい
ことを目指しているからだった。
なるほど、これはある意味、正しい発想だ。女子中高生の個人サイトの読者のほとんどは、やはり女子中高生。お客さんの望むデザインを、お客さんの手間をできる限り排除する形で提供しようとすれば、当然、最初から文字サイズを小さくしておくという結論が導かれる。
何度も書いているように、携帯電話でもインターネットTVでもPCでも共通に使える視覚デザインなんてありえない。だから、本来、HTML文書の見た目はユーザエージェントが決めるべきなんだ。製作者がCSSを添付して、これがお勧めですというのは勝手だけれども、それを採用するかどうかは閲覧者の自由。なのに、閲覧者自身がその自由に気付いていない。権利を行使しようとしない。
閲覧者は自分は無力だと思い込んでいる。この努力を放棄した姿勢が、結果的に女子中高生のサイトの文字を小さくし、あるいは固定幅のレイアウトを生み(文章を読みやすくするために固定幅にするんだって!!)、テーブルをレイアウトに使ってしまったり、といったことにつながっている。
だから、サイトの製作者は増長する。JavaScriptで振り分けるなどして、特定の環境での閲覧を強制する例さえ後を絶たない。自分の望み通りの視覚デザインを閲覧者に押し付けようとするのだ。もちろん、多くのサイト製作者は善意でそれを行っているのだからたちが悪い。誰もが満足するデザインはありえないのに、選択不可能な形でひとつの結論だけを提供する。たしかに、各サイトの主な閲覧者層にとっては、これは便利なことだろう。何の苦労も勉強もなしに、自分のお望みのデザインが得られるのだから。
けれども、こうした多数派万歳の状況が、製作者のお客さんのための努力が、客は客らしくただ要望をいっていればよいという怠惰が、すべて少数派への冷たさにつながっている。
この状況を打破するにはどうしたらよいか。
私は長らく、これはサイト製作者の問題だと思ってきた。正しいHTMLによる記述とCSSによるデザインの徹底がなぜ重要なのか、サイト製作者がそれを意識することが大事なのではなかろうか、と。けれども、だんだん、そういう話ではないな、と思うようになってきた。
企業サイトのほとんどはテーブルレイアウトだ。プロは、HTMLがどうこうという話をちゃんと勉強している。にもかかわらず、CSSデザインを採用しない。それはなぜか。
現状では閲覧者の側に、WWWは自分の好きなデザインで、自分にとって使いやすいデザインで利用するものだ、という意識が欠けている。だから、より多くのPC用視覚系ブラウザでまずまずの表示結果(少なくとも健常者にとっては)となることが期待できるテーブルレイアウトを採用せざるをえない。閲覧者が自分なりのデザインで利用とした場合に障害の少ないデザイン手法(それがCSSデザイン)は、どうしても採用しがたい。デザインを自ら選択する閲覧者が非常に少ない以上、ブラウザのCSS実装の不具合への対処というデメリットばかり大きいからだ。当サイトのような趣味のサイトではないから、自分で何とかできない閲覧者は無視、というわけにはいかない。
つまり、WWWのアクセシビリティー底上げの最大の障害となっているのは、閲覧者の意識なのだ。多くの健常者の閲覧者が、何のカスタマイズもせずに自分の一番お望みの表示結果を得られることを望んできたから、少数派は苦労する。誰もが少しずつ、負担を分かち合えばよいのだけれど、怠惰に慣れきった圧倒的大多数の閲覧者は、きっともう動かないのではないかと思う。
ただひとつの望みが、障害者より圧倒的に人数が多い老人の存在だ。目が悪い、マウスの操作が苦手。彼らのために、例えば俺ナイザーのような、どんなサイトも特定のレイアウト、特定の文字サイズで表示する機能をデフォルト設定で用意したブラウザが一気に大きなシェアを取ってはくれまいか。プロはこれに対応せざるを得なくなるし、不勉強なアマチュアもここでようやく目覚めるのではないか。HTMLで視覚デザインなんてできないのだ、と。デザインは閲覧者が決める、HTMLにできるのは、あくまでも見出しや段落を明示することだけだ、と。
視覚デザインを閲覧者が選ぶということが常識になれば、自然と、WWWのアクセシビリティーは向上する。HTMLが本来の使い方以外に利用されなくなってくるからだ。
……だがしかし、世の中はこの方向には進んでいない。老人は、なぜか苦労をおしてでも提供されたデザインそのままでサイトを見ようとしている。現在のブラウザでもかなりサイトの見た目を変えられるのだが、誰もそのことを教えようとしないらしい。教えられないのかもしれないが……。いずれにせよ、残念なことである。
この流れからいくと、ちょうど雑誌やテレビ番組のように、サイトの視覚デザインが読者を選ぶという状況に何の変化も生じそうにない。誰もが、ストレスなく、あらゆる情報にアクセスできるはずだったWWWの自由は、閲覧者自身のあまりの怠惰によって殺されてしまった。そしてもう二度と、生き返ることはないのかもしれない。
形ばかりの敗北宣言で追い討ちを回避(←実際には、自分に非があるとは思ってない)
非はないと思っていますよ。だから、非があるなんて書いてはいないつもりです。私の批判文が駄文なのは事実だが、主張は正しいといっているだけです。
俺ニュかTECHか連邦あたりがツールで200ばかりダミーサイトを作り、「はい、ボーナス全額頂戴!」ってやったらどうか。
にちゃんねらーでダミーサイトたちあげて、ボーナスを。。。(藁
それでうまくいくかどうかはともかくとして、神父さんの主張と全然関係ない方法で大ヒットだけ達成されても……。ただ、200という数字は、俺ニュースさんなどの大手サイトが協力してもまず達成不可能だろうと考えた結果です。言葉足らずは認めますが、私は瞬間風速の1000越えを考えているわけではありません。神父さんはミリオンヒットサイトを作る方法を解説していたわけだから、当然、安定して1000アクセスを越えるサイトを想定しているわけです。すると、第3者の陰謀ではまず無理。それを実現できるのは、神父さんの主張が実効性を持つ場合だけではなかろうか、と思うわけです。
ようするに、本当に払う羽目になるとは全然考えていません。でもひとつ不安なのが、2ちゃんねるで祭になる可能性。たかだか30万円強でも本当にお金が動くとなると、可能性なしとはいいきれません。私は、神父さんの主張の正しさが証明された場合、神父さんに一時金を全額差し上げる、というつもりでいたのですが、なんだかサイトを作った人にお金が回るという解釈もあるようですね。30万円を200で割れば1500円にしかならず、私は私で振り込み手数料が非常に痛い。けれども、祭りになってしまうとこのあたりの冷静な判断が双方から失われそうなので、怖いですね。
なんかありきたりでつまりません。
というのは、おっしゃる通りです。このままどんどんつまらなくなるので、適当に忘れてください。そういう狙いなんです。
調べて数字を示すといった件のデータ、さっさと出せという方もいらっしゃるでしょうが、勢いでバカなことを書いたと思っています。遠からず
といった手前、この週末のうちにどうにかしたいところではありますが……。
神父さんの連載も終わってしまいましたし、終盤では誰でも
とはいわなくなっていました。……燃やす燃料が尽きて、やる気がなくなったということです。ダメダメ。
今日中に終わればいいと思います。自動で調べるツールを作成するスキルがあればなあと思いますが、いかんせん勉強不足で……。
愉快な神父さんの楽して作るミリオンヒットサイト特集を脊髄反射で批判した理由……それは直接的には、ななめよみ。が記事で取り上げたからです。私はななめよみ。が嫌いです。馴れあいでアクセスアップとか、そういった都市伝説を真実のように語っているサイトだからです、たぶん。とはいうものの、日々の更新は面白いので読み続けています。
アクセスを向上させたい、という方、多いんです。私はそうした方々にアドバイスするのに飽き飽きしています、正直いって。それでもアドバイスを求める人には何らかの回答をしたいとも思います。趣味ではあっても、ある程度力を入れてやっていれば何らかの責任感というか、根拠のない使命感を感じるような瞬間があるものではないでしょうか。けれども、多くにサイトに対して私は、アドバイスの言葉を用意できなかったのでした。「アクセス向上はあきらめた方がいいと思います」と、断腸の思いでいわざるをえませんでした。
そんなこんなで、ストレスが溜まっているのかもしれません。だからななめよみ。が嫌いなのかもしれません。私が悩んでいることを、いい加減な、しかし耳あたりのいい仮説で説明してしまうから。
愉快な神父さんの特集について、ななめよみ。はこちらは効果的。だからこそ危険
と紹介しました。私はムッとしました。効果的だって? じゃあ証明してみせてくださいよ、と。これが机上の空論でないと示してくださいよ、と。本当にこれが誰にでも実行可能で、効果の確実な方法なら、私は救われるのです。ところが、賢いななめよみ。は特集記事にしたがったアクセス向上を目指したりはしませんでした。
ななめよみ。のばんかさんは、本当は神父さんの説が成功者の語る定石に過ぎないとわかっているのでしょう。ずるいと思います。
以上、私怨でしたー
の解説ということで。
本日付の更新分よりも、昨日付けの更新分のほうが重要。これは定説です。私は成田(定説ミイラの発祥地)育ちだったりします。あの事件のときは登下校のたびに、警察署前の道路に堂々と違法駐車しまくるテレビ中継車に「ケッ」と毒づいていたものでした。
結論。私怨でしたー。ってことでよろしいでしょうか。
2ちゃんねるでご意見くださった方へ、簡単に返信など。
正直、ここまでわざわざ反論するということに理解できない(251)
右のメニューが幅を取りすぎて、800×600だとかなりうざい(252)
きもいやっちゃなー(253)
荒牌の歌みてえに恐ろしく縦長のサイトになりますYO ユーザビリティ万歳(254)
578x585の俺の立場はどーなるか(254)
そこ、すげー(w デザインも内容も。真性だな。(255)
文字しかないくせにやたら重い(256)
言ってることもなんか電波入ってる(257)
誰にでもという欺瞞だけは受け入れられない、ということです。
アクセスアップには定石があるという仮説(258)
誰にでも楽にミリオンヒットサイトが作れる、というのは嘘だ、といっているに過ぎません。
私怨だらけの怪文(258)
誰にでもできるという類いの呼び文句には、たしかに恨み骨髄ですけれども。
闇黒日記みたくね?(259)
陳腐さんの実験データと反論サイトの業績、どっちが正しいんだろ?(259)
自分はこの世界では結構有名で大御所だと思ってるくさいのも痛い(261)
Operaで見るとレイアウトは崩れるわ文字は小さくて読めないわで悲惨(262)
ネタにマジレスカコワルイ(263)
要するに不快な陳腐さんは「今、多数存在する駄ニュースサイトくらいなら誰でも簡単に作れるんだよボケが」と言いたいのだと思われ(264)
W3C厨にありがちな現実の実装よりもルールに重きをおくタイプ(265)
狭い画面だと見辛いページ(266)
どっちもどっちだと思うけど(267)
誰でもミリオンヒットサイトを作れる神父さんの主張は、私がくり返し書いている通り欺瞞です。これをどっちもどっちといっては、神父さんには失礼かもしれません。
誰でもなんてのは所詮ただのキャッチフレーズでしかないわけです。そんなところに噛み付いている私は、ピエロに過ぎません。
共感はしなくても理解はできる(271)
丁寧な言葉でいっしょうけんめい喧嘩売ってる様を見るとすごく笑える(272)
大手を煽って、アクセスアップしろとアドバイスしているのか(藁(273)
脳死界隈で名前を見かけた事がある(274)
ちゆは著作権放棄なんてしてない(275)
他人の作成したコンテンツを転載して、Readmeアイコンつけてる(277)
Readmeアイコンを張るのはアクセス厨のする行為。読み物じゃねーじゃん。(278)
読めるHTML書けと(286)
うわすごいよデザアバのここ(287)
不勉強( ゚д゚)ポカーン(290)
大物キタ━━━!!!!って感じ(292)
HTMLキチガイ(296)
HTMLキチガイはスクロールできなくなるようなサイト作ったりしない(299)
ダークマターで当サイトが紹介されていますね。そうですか、それでお客様が多勢いらしていたわけですね。なるほど、2ちゃんねるのスレッドのひとつで話題になっていたんですね。ちょっと読んでみます。
CSSを使う方はずいぶん増えたけれども、いまだにCSSで全ての視覚デザインを行うことの重要な意味に気付いていない方が少なくありません。私はHTML概説で書いています。
「赤い字に注目してください」といった文書の記述は、よくありません。色彩を解釈しないユーザーエージェントの存在もさることながら、スタイルシートはユーザー側でも指定できるという事実は重大な意味を持っています。HTML文書の製作者がどんな表現方法を指定しても、ユーザーはそれを無視できるのです。それをユーザーの横暴というのは当っていません。HTML文書は、表現によらず情報を伝えられるように書かれるべきなのです。ブラウザで表示結果を確認しながらHTML文書を作成するのは愚かなことです。あなたの利用しているブラウザは、世の中に無数に存在するユーザーエージェントの一部に過ぎません。
CSSはHTML文書とは別に用意されています。したがって、CSSを削除したり、取り替えたりしてもHTML文書の内容は伝わります。逆にいって、CSSはそのように使うべきものですし、HTML文書はCSSとは独立に存在しうるものとして書かれるべきです。
Windows版のIEがCSSをOFFにできない仕様になっているのは、重大な欠陥です。またMozillaやNN7などがユーザスタイルシートの適用方法を明快に示しておらず、またその取り扱いが面倒でまだるこしいのは、改善されるべきポイントです。これに対してOpera6はその辺りしっかりしているから、当サイトのデフォルトスタイルがどれほど崩れて表示されても私は安心していられました。ユーザCSSを適用されるか、CSSをOFFにしていただければよいだけのことだからです。CSS対応を謳うブラウザはすべからく製作者CSSとユーザCSSの両方に実用的なレベルで十分に対応し、またその取り扱いの簡便を目指すべきです。
さて、CSSは閲覧者が自由に削除したり取り替えたりしたりできるよう仕様が作られているわけですが、この性質は旧来のWebデザインの発想を大きく変えるものです。
HTMLで視覚デザインまで行おうとする旧来のWebデザインは、必然的にHTML文書と視覚デザインが不可分ですから、閲覧者は製作者の意図通りのデザインを押し付けられる他ありませんでした。したがって、ユーザビリティーやアクセシビリティーなどは、視覚デザインとの兼ね合いを考えつつ、サイトの製作者の匙加減で決められてしまう状況が生じていました。
簡単で正しいHTMLとCSS利用の視覚デザインによる新しいWebデザインでは、この状況が大きく変わります。すなわち、閲覧者はWindows Media Playerのスキンを変えるように、気軽にWebサイトのデザインを変更できるわけです。製作者が用意したCSSを唯々諾々と受け入れる必要はありません。気に入らなければ無視してよいわけです。
これでは閲覧者にばかり得があって面白くないという製作者も多いことでしょうが、実際にはそうでもありません。閲覧者側に選択権を与えることで、逆に安心して特定環境のみを想定したデザインを提供できるようになるのです。つまり、多環境対応に汲々としてデザイン的意図を抑制する必要から開放されるわけです。
当サイトのデフォルトスタイルは、じつは少なからずの環境で不具合を生じます。ローラーが効かないなんてのは序の口で、ページ内移動のリンクが効かなかったり、レイアウトが崩れて何がなんだかわからなかったり、CPUの弱いマシンでは固定背景が重かったり、いろいろあります。いずれも各種Webブラウザ等のユーザエージェント側の実装に原因があるもので、私のCSSの記述に問題はありません。
それでも、ちゃんと見えないのは困るという方も相当数にのぼるでしょう。けれども、デフォルトCSSの表示に不具合があるならば、CSSをOFFにするか、適当なユーザCSSを適用していただければ問題は解決できるわけです。だから私は、好き勝手をやっています。
アクセス向上といった視点からは、不勉強なユーザを排除するとして戒められる行為でしょうけれども、私は本当に困っている人、それでもWebにある情報を必要とする人は勉強するものだと考えています。もっといえば、これだけ閲覧者側に協力なツールが用意されているのですから、これを利用しない手はないし、利用しないのはもはや不勉強な本人の責任とさえいってよいと思います。
CSSで全ての視覚デザインを行うことの重要な意味、それは最終的な表示結果が閲覧者に委ねられる、ということです。この結果、閲覧者の自由と自己責任が大幅に増大する一方、製作者の責任は縮小され、また自由は増大します。製作者、閲覧者、双方にとって自由が増大するのですから、これは悪い話ではないと思いませんか?
会社でサイトを見るなら、音楽くらいOFFにしてはどうでしょうか。WinIEではインターネットオプションの詳細設定タブより設定可能。動画が嫌なら動画を再生しないようにすればよいのです。FLASHが嫌いなら、プラグインが起動しないようにすればOK。そうした設定は少なくともWinIEでは可能なのですから、閲覧者の98%にとって、それらは本来何の問題でもないはずです。
にもかかわらず、多くのWebデザインマナー講座系サイトでは、いきなり音楽を流すべきではないとか、流れ出した音楽を止められるようにしようとか、FLASHコンテンツの前には予告の注意書きが必須とか、あるいはスキップリンクを用意せよとか、愚にもつかないことを書いています。そうやって閲覧者を甘やかしているから、いつまでたっても大衆は愚かなままなんです。
製作者はこうして、本当は閲覧者にいろいろな選択権があるという事実をひた隠し、一番やられたくない視覚デザイン選択権の全面的な閲覧者側への委譲(つまりCSSデザインへの移行)を避けようとしているのかもしれません。
……というのはもちろん冗談で、ただ単に製作者も不勉強なのです。(註:プロはさすがにわかっています。わかっていますが、仕事でサイトを製作する以上、無知な閲覧者に媚びへつらわざるをえないのですね)
ホームページランキング第7位の人気サイト。そうですか、今やこんなサイトの作り方をしても内容次第で支持を得られますか。軽いサイトを作ろうとか、HTMLは文字情報の伝達が……といった正論を粉砕するパワーにあふれていますな。
やってらんないよ! だって反則じゃないか、こんなの。と、駄々をこねてみる。
週明け以降、当然のように更新は滞ります、と今週も書いておきます。
今日はデザイン講座の新作を予定していたけど、結局無理みたいです。備忘録をたくさん書きすぎました。
突然のランキング発表。
じつは私も参戦していた(そして飽きて放り出していた)わけですが、Top10にかすってもいませんね。惨敗。手抜きなりにきれいなのを出したつもりだったのですが、ランク入りしたスキンを見ると、全然方向性が違う。ううむ、客層を見誤ったなあ。
画像をほとんど使わないシンプルなのが流れになっていることもあって、私ごときのテクニックでもCSSだけでテーブルを使わずに上位陣とそっくりなのを作ることはできるんですよね。でも自分では、それ風の、しかしパクりじゃないデザインというのを思いつかない。ダメだ、勝ち目がない。
……あ、CSSでも同じデザインできるんですけど、どうですか? みたいに上位陣の製作者の方に掛け合うという手も。というか何を目標にしていたんだっけか。
Opera6では当サイトのデフォルトCSSがまともにレンダリングされないという問題があったのですが、Opera7のベータ版では不具合が半分くらい解消されていますね。やっぱり私の書いたCSSには問題がなくって、Opera6の方に非があったということがこれで証明されたんだ、といってもいいのではないかと思います。W3CのCSSチェックでOKが出ていたからある程度自身はあったんですけれども、これで一安心。
今まで当サイトをまともに見られなかったOperaユーザは、もし使用しているOSがWindowsならOpera7に乗り換えることをお勧めします。まあ、これまで通りCSSオフで見るのが一番いいのかもしれませんけれども。(解消した不具合は半分だけ。残り半分の不具合は相変わらずなので)
お申込のあったアドバイス4件、すべてメールをご送付いたしました。ご意見、ご質問等、常に受付中です。何かございましたら、掲示板でもメールでも、お好きな方法でご連絡ください。なお、新規の受付はまたちょいとお休みします。休んでばかりですみません。忙しいというわけでもないので、次の週末付近にまた再開告知の方向で。
決して私は、当サイトがとくにデザインのいいサイトだなんてことは考えていませんよ。けれども、人様のサイトを見ていて、「これはダサいなぁ」と思わずつぶやいてしまう場合もあるわけで。で、そうしたダサいサイトはHTMLもめちゃめちゃだったり……。
いや、細々とやってる初心者サイトなら、これから頑張ろうということでいいのですが、毎日相当のアクセス数を集める講座系サイトとなると……。わかんないんですよね、正直いって。先日ご紹介したチョコレイトゥもそうなんですが、同じようなサイトで、解説もデザインもよほどマシなところがいくつもあって、しかもチョコレイトゥ自身がそれらのサイトに堂々と表紙からリンクしているわけですよ。それなのにお客さんがチョコレイトゥを見捨てずにどえらい人数集まってくるという……。
大抵のサイトには、それぞれそれなりに人気の理由が説明つくんですけれども、そりゃないよなあ、というサイトもちょこちょこ見かけるんですよ。なんなんだろう、こういうのって。許せるタグ屋と許せないタグ屋がある、というか、こりゃあんまりだ、といいたくなるタグ屋には怒るよりも先に呆れてしまう。それでも人が集まるんだよね。たしかに凡百のサイトよりは内容の充実がずっと凄い(それは認めざるを得ない)といってもさ、いってもさ〜?
まあアドバイスサイトとして後発で実績のなかった当サイトにも大勢の方がいらしてくれたわけですから、文句をいえば明日は我が身なんですけれども。
いろいろ突っ込みを入れたくなったけど、とりあえずマークアップが面白い、ということで。プログラマのサイトでHTMLがしっかりしてるところってほとんどない。せめてプログラマなら、という期待もあるだけに、怒りも倍増。PerlやVBの仕様には忠実なくせに、HTMLは馬鹿にするわけね。ふーん、そうですか。(こういうネタが闇黒日記にもありましたね。というかあの日記にはこの手のネタは出尽くしている)
……と、こういうことをしていると、うちの記述も未修正の部分をどうにかしたいなあと思ったり。アドバイスのログには、ちょこちょことんでもない記述が紛れ込んでいます。
つまらないことで叩かれたサイトがあります。現在、トップ記事は謝罪文になっているわけですが、これは見過ごせない状況なので備忘録に書きとどめておきます。問題の記事は以下の通り。
ところであの拉致ヴァカ家族どもはどーにかならんですかね?(挨拶) 日本の民主主義による選挙によって選ばれた社民党の議員を「あれは北朝鮮の政治家です」とか言うのは、民主主義の否定、つまりは北朝鮮と同じ事を言っていることにならんのですか?そんなことも分からずにテレビで堂々と放言するような奴は、はっきり言って国賊だと思う。「コメを出すならば、子供と交換するようにしてください」ってのもどーか。こいつは自分が北朝鮮国民の立場だったら同じ事を言えるのか?その程度の想像力もない感情的なヴァカに操られている日本国民って、はっきり言って情けないよね。
たしかに言葉は悪い。しかし、いっていることはよくある意見の範疇です。この程度のこともいうことを許さない、いわゆる優しい人々にはほとほと愛想が尽きる思いがします。
備忘録の古い記事を少々刈り込んで再掲しておきます。拉致問題に関する当サイトの見解、ということで参考まで。
曽我ひとみさんは何に怒っているのか? 週刊金曜日の記事を読んだ曽我さんが「私は怒っている」といったという件で、なぜか週刊金曜日が多くのメディアや個人Webサイトで糾弾されているわけですが、おかしな話です。他の拉致被害者(の内の生存者)は、もう諦めているから、被害者の家族を喜ばせるような発言ばかりするようになりました。真情を素朴に吐露する曽我さんは、日本に拉致されたことを怒っているのです。日本国政府に対して怒っているのです。拉致被害者家族連絡会の面々に怒っているのです。そして政府と家族会を応援する日本国民に怒っているのです。曽我さんの家族は、さすがにこのことをよくわかっています。妹の金子さんが行ってきたこれまでの数多くの発言には注目するべきです。
自称支援者の方々は全然曽我さんの気持ちがわかっていない。その一例をあげます。
心ない報道で、曽我さんはどうしても「家族に会いたい」との思いを募らせたと思う。慎重にしてほしい。
家族に会いたいという思いが強くなっては困るというかのような談話です。そうなのです。これは家族会の気持ちを、ご都合をいっているのです。拉致被害者本人の気持ちなんか、全然考えちゃいないんです。
曽我さんは以前から、何度も、家族に会いたいといっています。なぜ曽我さんは家族に会えないのか。それは「生きていてくれさえすればいい」といっていた拉致被害者家族が、どんどん要求をエスカレートさせ、本人の希望よりも家族の幸せを、大義名分を優先させたからです。そして「そもそも拉致が言語道断なのであり……」という小泉談話も出て、すっかり拉致被害者の日本永住は既定路線となりました。
大義名分は後からくっついてきたものです。もともとは家族会のエゴでした。どうして、どうして被害者当人の幸せがないがしろにされるのでしょうか?
正午過ぎに励ましの電話を入れた中山恭子・内閣官房参与と話した曽我さんは、記事の中に日本の政府関係者や曽我さん本人が、曽我さんの家族との間で「十日間で(北朝鮮に)帰ってくると約束した」と書かれている点について、「約束した覚えはない」と互いに確認しあったという。
これも悲惨な記事です。けれども、鈍感で残酷な日本国民は、何も気付きません。
中山さんとの電話後、曽我さんは、なぜ十日で帰るとはっきり約束しておかなかったかと、心中煮えくりかえる思いだったことでしょう。この中山さんの電話が、どれほど曽我さんを苦しめるか、想像するだにあまりあります。これに比べれば、週間金曜日の報道は、当たり前のことを当たり前に伝えているに過ぎません。曽我さんに帰ってきてほしいと向こうの家族がいっているのは、疑うまでもなく本音です。もし一部報道にあるように、北朝鮮の政府がそういえといっているからそういっているのだ、としたら、それこそ寒い話ですね。本当は帰ってきてほしくないのだとすれば、それほどひどい話はないですよ。なのに服部孝章氏は、週間金曜日の記事は北朝鮮政府の管理下で作られているといって憚らない。
週刊金曜日を責めるマスコミは、なぜ中山さんを批判しないのでしょうか。あるいは最近話題のblogとやらでもいいですけど。中山さんは仕事でやっているわけだから、個人を批判しても仕方ないのですが、しかし誰も何の物言いもつけない状況は異常です。
これに関連して。蓮池透さんは、最近マスコミをにぎわすコメンテータのうち、私が最も嫌う人物です。世の中のありとあらゆる事象を、自説に都合よく解釈します。そして異議を唱える者を洗脳しようとします。許し難い人物です。
以前にも書いたことですが、北朝鮮の拉致と洗脳には怒るくせに、被害者家族が行っている日本への拉致と日本人的考え方への洗脳には誰も怒らないのですね。北朝鮮で幸せに暮らしていた人たちを、「あなた方は不幸だったんだ」とくり返しくり返し説明し、ときには恫喝してでもそう納得させようとし、北朝鮮には絶対帰さないといい、実際にそうしてしまう。被害者のうち4人は順応性の高い方々だから、今回の日本への拉致に対しても、早速、家族連中を喜ばせるような発言をしはじめています。拉致被害者の家族は度し難い自己中だから、「やっと本音をいうようになってきた」と口を揃えていっています。蓮池透さんは、その自己中では筆頭級だから、マスコミ向けというわけではなく本気で洗脳が解けてきたと信じているらしい。
午後4時半頃には蓮池薫さんの兄・透さん(47)も曽我さんに電話。「一時的なショックはあったようだが「私は頑張る」といっていた」と語ったうえで「弟も今回の取材について「あの国(北朝鮮)で自由意志で話ができるわけがない」といい、曽我さんに励ましの電話を入れるといっていた」と明かした。
蓮池薫さんは、もう透さんと喧嘩するのに疲れきったようで、このところ透さんには何をいえばいいかよくわかってきたようです。北朝鮮の悪口をいえばいいらしい。あることないことを問わず。それを無邪気に喜ぶ透さんは、自分の罪に本当に無自覚なんですね。まあ、だからこそ日本人に受けて、マスコミが重宝する存在となりえたわけですが。
拉致被害者がどんなに北朝鮮での暮らしは幸せだったといっても、まったく耳をかさない日本人には呆れます。北朝鮮はたしかに物質的に豊か、社会制度的に自由ではありません。しかし、自分は幸せに暮らしていたと断言し、それを否定する家族と一晩中口論するような人が、日本にどれほどの割合でいるというのでしょうか。北朝鮮に帰せば、日本にとどめおくより不幸な生活をさせることになると決め付けている日本人が多すぎます。物質的豊かさを、他人の悪口をいえる自由を、日本人がこれほど愛しているとは知りませんでしたよ。ええ、本当に。
拉致被害者がここしばらく口にし続けている「私は頑張る」という言葉は、北朝鮮に向けられたものではありません。被害者が頑張っているのは、「必死に築いてきた幸せな生活が日本に拉致され灰燼に帰した運命を受け入れ、幸せな生活を0から再構築しなければならない現実に向き合うこと」に他なりません。無邪気に「応援します」だなんていっている人は、自分が加害者であるということにいい加減気付くべきです。
家族のために、国家のために、個人の幸せが犠牲になる。それは致し方ないことです。ただね、靖国神社へ参拝するように、犠牲になった個人をないがしろにしないことだけは、大切にしなければいけないのと違いますか。曽我さんも、そのうちに口をつぐむようになるでしょう。そして最後には、家族を喜ばせるために、私たち日本人を喜ばせるために、日本に永住したい、家族を呼び寄せたい、北朝鮮での生活はひどかった、日本での生活はみなのご支援があって幸せです、というようになるでしょう。本音で。すっかり洗脳されて。あれほど北朝鮮での生活に戻りたかった気持ちを忘れて。そのときに、一件落着だなんて、ふざけた感慨を持つような連中が多勢いるだろうということは容易に想像できます。これはじつにじつにふざけた話で、許し難い話で、いうなれば、私は怒っているのです。本当に怒っているのです。
拉致被害者・曽我ひとみさん(43)の夫で元米兵のチャールズ・R・ジェンキンスさん(62)を共同通信とTBSが入院先の平壌市内の病院でインタビューした報道について、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」の蓮池透事務局長(47)は30日、東京都内で報道陣の質問に答えた。「北朝鮮で本当のことを話せるわけがない。(日本に行けないという)ジェンキンスさんの話は、まったく信用できない」と語った。
蓮池さんは「なぜ病気で入院した人がインタビューに応じるのか。みえみえのやらせだ。北朝鮮がこれ以上何をしても、5人の意思は変わらない。日本のマスコミは、北朝鮮の先棒をかつぐ報道をやめていただきたい」と話した。 (23:28)
ジェンキンスさんは本当は病気じゃないし、入院もしていない、曽我さんに会いたいとも本当は思っていないと信じたいのは誰でしょうか? 答えはもうわかりますね。それは蓮池透さん自身なのです。蓮池透さんは、自分の世界観にとって邪魔なものはすべて、陰謀、洗脳の産物だと強弁するのです。妄想の世界に生きている人なのです。こういう人のいうことを、いちいちありがたく拝聴していてはいけません。
もうひとつ。北朝鮮の生活に諦めをつけ、日本で生きる運命を完全に受け入れた地村夫妻の談話。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による拉致被害者で福井県小浜市の地村保志さん(47)は30日、「5人を北朝鮮に帰すべきだ」という北朝鮮外務省高官の29日の発言について、「なんとも思っていません。私たちは何も動揺していません」と語った。同市内で開かれた「ふるさと料理を楽しむ会」に出席後、妻の富貴恵さん(47)と一緒に代表取材に応じた。
日朝交渉について、保志さんは「今は膠着(こうちゃく)状態だが、どこまでも日本政府の対応を信じて、日本で子どもと会えるよう頑張っていきたい。曽我さんが頑張っているのを見ると力になる」。富貴恵さんは「一日も早く子どもに会いたい。(交渉は)うまくいかないが、我慢しなきゃいけない。心は絶対変わりません。待っています」と話した。
地村夫妻が拉致問題について直接語ったのは、11月14日の記者会見以来。 (01:03)
日本に帰ってこれてよかったね、万歳、と暢気に考えていたみなさんにも、いくらかでも地村夫妻の発言の重みを感じていただければと思います。地村富貴恵さんには次のような発言もあります。
これまで親や兄弟が必死で捜して待っていてくれたことを思うと、子供に会いたいという気持ちなんかちっぽけなことやと思いました。
うん、そうだ、ちっぽけなことだよね、なんて思う人は一回死んだ方がいい。多くの場合、親と子どもを天秤にかけたら子どもを取る。とくに母親は。しかし富貴恵さんはあえて、自分の気持ちをちっぽけなこと
といいました。誰のために? まず家族のために。そして問題解決に尽力している政府のために。そして、日本国民のために。
ところが情けない日本国民は、そうだ、北朝鮮は許せないぞ! と、何も考えずに他人様を責めて終りにしています。日頃、問題を自分にひきつけて考えることが大事だ、なんて正論をいっているのはどこの誰なのでしょうか。富貴恵さんの発言は、まさに私たち日本国民に向けられているというのに、どうしてしっかり受け止めようとしないのでしょうか?
上京している拉致被害者の曽我ひとみさん(43)は29日午前、東京都内のホテルで記者会見し、前日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)から夫のチャールズ・R・ジェンキンスさん(62)の入院が伝えられたことについて「正確な情報がないので心配していますが、政府の方針に任せています」と話した。
会見によると、曽我さんは東京で夫と娘にコートとセーターを購入し、外交ルートで届けてもらうよう外務省に依頼した。「元気でいるのか。早く会いたい」などと朝鮮語で書いた手紙も添えたという。
永住帰国については「どこに住もうと家族が一緒に暮らせることが大切だと思う」「私としては日本に住みたいが、家族と会わないと分からない」と語った。
会見に先立ち曽我さんは内閣府で中山恭子内閣官房参与にあいさつ。午後、上越新幹線と船で新潟県真野町(佐渡島)に帰郷する。 (12:25)
曽我さんはずいぶん賢くなりました。遠からず、どこに住もうと家族が一緒に暮らせることが大切だと思う
といった、日本の家族を困らせる発言をしなくなるでしょう。そして、日本の大儀のために、自分が北朝鮮に帰る望みを完全に捨て、家族の呼び寄せだけに注力するようになるでしょう。
この苦しみを、絶望を、日本国民は理解するべきだと思う。何にも気付かずに、単純に、そりゃあ北朝鮮よりは日本のほうがいいに決まっているよね、だなんてぼんやり考えている人は、あまりにも脳が不自由です。拉致被害者のみなさんは、そうした状況すら諦め、受け入れ、日本国民の皆様のご支援に感謝しますというのです。この悲劇、残酷な、悲惨な物語は、どこか遠い世界の話ではありません。東京から新幹線で2時間の、新潟で、佐渡で繰り広げられている現実なのです。
拉致被害者は、誰のために苦しみを背負う覚悟を決めたのか、私たちは、そこを想像しなくてはいけないのと違いますか。北朝鮮に帰りたいと駄々をこねなくなったね、洗脳が解けてよかったね、などといっている日本国民は、みんな馬鹿です。馬鹿なのです。
うちはウンザリ度0だそうです。まあ文章の内容を理解しないプログラムだからね。
愉快な神父さんは私に限らず多くの方から突っ込みを受けています。それでも「楽して作るミリオンヒットサイト」特集の連載開始以降、概ねアクセス数は上昇傾向にあるようです。これは当然でしょう。サイトの表紙に連載されているこの記事は、たしかに非常に興味深く、そして大きな需要のある内容を突いています。
楽して作るミリオンヒットサイトへの反応は大きく4種類だといいます。
- わりと正しい。続きも読みたい。
- 正しい。しかし、そんな運営法で大きくなっても嬉しくない。
- 間違っている。そんな運営法で大きくなっても嬉しくない。
- 間違っている。努力せずにいいサイトは作れない。
私は4番目の立場です。そして私が最も嫌うのは、2番目の立場の方々です。3番目の方々は意味不明。愉快な神父さんが間違っているなら、そんな方法ではそもそも大きなサイトを作ることは不可能なので、何も心配は要らないはずです。1番目の方々は素直でよろしい。
さて、愉快な神父さんから、嬉しくない
派はともかくとして、私のような不可能
派に対して反撃が行われています。
「
間違っている」と主張するのなら、まず「ブログ運営において、努力とヒット数には、正の相関がある」という事と、「ブログ運営において、努力は、アクセスアップに対する必要条件である」という2つの仮定を証明しましょう。加えて、「大手ブログサイトを作るには、特殊な能力を必要とする」という証明も必要です。
アクセス向上というテーマで記事を書き、アクセス向上を目指すならば、すべからくこうすれば貴方にもアクセス向上を達成できるというテーマ設定をするべきです。ふつうの人にはアクセス向上なんて不可能です……なんて、みんな本当はわかっているわけです。わざわざアクセス向上の記事を読む人の大半は、それでも夢を諦めきれない人でしょう。愉快な神父さんは、少なくとも連載が終了するまでは決して「ぶっちゃけ凡人には無理なんだよ」とは口が裂けてもいえないはずです。
愉快な神父さんは演出がうまいので困りますね。見事に話をすりかえている。今まで常識的に否定されていたことを認めさせようというのですから、証明が必要なのは愉快な神父さんの側です。そしてこれまで愉快な神父さんが示してきたのは、私はこうやって成功しました、という話ばかりなんですよ。それはつまり、私はこうして楽に人気サイトを作ってきました、という証明でしかない。
愉快な神父さんの主張は、ふたつあります。アクセス向上に苦労は要らない。そして、誰でもできる。
あらためて、再整理して私の反論を述べましょう。
アクセス向上に苦労しない人もいるでしょう。けれどもそれは、その人が苦労を感じなかったというだけの話で、他人が真似をするには苦労するのがふつうです。この問題はデザイン中級講座[企画篇]のメインテーマとして取り上げています。
私はこれまで300以上のサイトにアドバイスしてきましたが、依頼の約半数はアクセス向上の悩みに多かれ少なかれ関係していました。悩んだ彼らが、実際にどんな対策をしていたか。実態を調べた私は、そのたびに、薄ら寒い思いをしたものでした。すなわち、あまりに無策、あまりに不勉強、あまりに努力が足りないのです。たかだか1日数行の日記さえ3日坊主で終わっているサイトのなんと多いことでしょうか。内容の充実よりもサイトのリニューアルの方がよほど作業時間が長いサイトのなんと多いことでしょうか。はっきりいって、レベルが低すぎるんですよ。アクセス向上云々以前の問題といっていい、はっきりそう斬り捨てていいサイトがあまりに多いのです。
愉快な神父さんは、努力なしのサイト運営を掲げていらっしゃいますが、そういっている楽して作るミリオンヒットサイトの連載自体が実情に反しています。12月1日の更新分だけで文章の量が原稿用紙15枚を越えます。塾で作文の授業をする際に、テーマをたくさん与えて好きなものを選ばせ、とにかく長い長い作文を書かせるという手法があるんです。他人に読ませることを考えなくてもいい、とにかく量を書け、というやり方。中学3年生の3クラス52人に対して同じ授業をやった結果が手許にあるわけですが。えーと、優秀なAクラスでさえ結果は平均4.2枚。勉強の苦手なCクラスは平均1.3枚。Bクラスでは平均2.7枚。で、15枚って?(ふはははは、やった!! 反論の糸口を見つけたよ)
まあこれは比較するのも問題のあるようなデータだけど、この線は行けそうですね。予告します。遠からず、ReadMe!登録の個人ニュースサイトを上位中位下位よりそれぞれ抽出して、更新頻度と紹介記事の件数、紹介記事の分量等を調べます。調べないうちからいうのもなんですけど、私の経験上、この勝負、勝算はあります。愉快な神父さん、首を洗って待っててくださいよ。
ふつうの人のレベルの低さに驚くがいいんです。圧倒的多数の不人気サイト運営者が、どれほど気抜けしたサイト運営をしているか。何を研究する気もない、あるいは研究する能力もない存在か。そのくせアクセス向上だけは望むというやっかいな心をもっている。その現実を数字で見せて差し上げる。(いいんかいな、ここまで大口叩いて)
結局、前項で私が予告したデータが示すのは、愉快な神父さんが苦労せずに行った数々の行動を、誰もが真似するのは不可能という事実を示すものとなるでしょう。
もし、その程度の更新を ”努力”というのなら、確かに私の意見は間違いです。
私が示そうとしているのは、その程度の更新
を努力なしにできる人間はおそらく少数である、ということなのです。
ブログ運営において、努力とヒット数には、正の相関があるか?
そんなものはないでしょうね。私は、アクセス数を決めるのは第一に才能だと思っています。そもそも、ある種の努力をできるかできないかは才能によっています。私が一切のスポーツを嫌い、どれほど馬鹿にされても体を鍛えない一方で、座学のお勉強だけは人一倍やるという一例をあげるまでもなく、人には努力できる分野とできない分野がある、ということは事実といってよいでしょう。
これと同時に、努力を努力と感じもしない分野、というものが人により様々な分野に存在します。愉快な神父さんはアクセス向上の秘策を探るために様々な手段を通じてデータの収集をはかってきたわけですが、これまでそのようなことをしたいと思った人(例えば私)は多勢いても、実行できる人はいませんでした。例えば私にとっては、得られるデータの魅力と比較して要する努力が大きすぎたのでした。しかし、愉快な神父さんにとってはそうではなかったわけです。
誰もが、アクセス向上に直結する効率のよい更新を努力なしにできるわけではありません。重要なポイントのいくつかが非常に億劫に感じられる人、単にその手法に(アクセス向上を心から望んでいるにもかかわらず)嫌悪感がある人、とにかく飽きっぽい(そして愉快な神父さんの提唱する手法に飽きを抑制するだけの魅力を感じられない)人、これら様々の要因を抱える人をどんどん除外していくと、一見、誰もがとはいわずともかなり多くの方が実現できそうに見える手法であっても、本当に実行できる人は相当に限られてくるでしょう。
最後にもう一度確認しておきますと、努力とアクセス数に正の相関はない。これは私も賛成です。ただ、愉快な神父さんの提唱する手法が、努力を要さない方法だというのは嘘だと断言します。はっきりいって、愉快な神父さんの記事を全部書き写すだけでもたいへんな労力です。分量が凄い。これだけの記事を書くことを苦労と感じない人は多くないんじゃないのか。
ブログ運営において、努力は、アクセスアップに対する必要条件であるか?
必要条件じゃないでしょう。当人が努力を努力と認識していないというのはよくあることですよ。私もよくいわれます。よく300件もアドバイスしましたね、大変だったでしょう、って。私は趣味でやっていたら自然とログがたまったという認識だから、別に苦労した記憶はありませんねー、なんて答えます。ただ、それはこの記事を書いたのが私だからであって、他人が真似をするには努力が必要になるのは当たり前だと思っています。
この理屈が、理解できませんかね。当人はさしたる苦労と認識していないわけだから、努力は、アクセスアップに対する必要条件
といわれても遠い世界のことのように感じる。けれども他人からは、それは十分努力しているように見える、と。
大手ブログサイトを作るには、特殊な能力を必要とするか?
こんなの、証明するまでもない。というか、特殊な能力
というから変な感じがするのかもしれないけれど、事実として一部のサイトしか人気が出ていないのだから、既に自明のことといっていい。百歩譲っても、こういうことができます。
少なくとも、自分で大手の個人ニュースサイトを作る方法を見つけることはできなかった人々が大半である、と。
ひょっとすると、愉快な神父さんの記事が一部の特殊な管理人さんの知恵を普及することで、現状を破壊するのかもしれませんね。けれども、それは愉快な神父さんがこれから証明するべきことですよ。
そうか、これなら誰にでもできそうだ、というのでは証明になりません。それなのに、自分は証明したから反証を示せというのは重大な欺瞞ですよ。それは貴方の成功談に過ぎない。誰にでもできるという主張を証明するためには、神父さんの主張を実践した人が全員ミリオンサイトを作ることに成功した、という事実が必要なのです。
現実として、一部の人以外は人気サイトを作れないという状況があるのです。これは、大手ブログサイトを作るには、特殊な能力を必要とする
自明な証拠です。まず愉快な神父さんが、この事実に挑戦してくれなきゃあ困る。
愉快な神父さんは、自説に反論するなら反証を示せという。私は少し頭を働かせたから、一理ある努力不要論は認めることにしました。誰でもという主張の誤りに焦点を絞れば、何もしないでも反証できるからです。ただ、待つだけでいい。
愉快な神父さんは、この件こそ本当に、首を洗って待っているといいよ。半年後、1年後に、ミリオンサイトの作成は誰でも楽に可能だ、ということが果たして常識となっているかどうか。それだけで勝負が決まります。断言してもいいですよ。そんな状況は決してやってこないと。神父さん、貴方の負けを予告します。
アクセス向上を願う人は多勢います。楽してミリオンサイトが作れるなら、それに越したことはないと思うでしょう。愉快な神父さんの記事に従えば、誰でもそれを実現できるそうですが、あっはっは、大口叩きすぎですよ、神父さん。
先日の宣言を、くり返しておきましょう。
誰もが、楽に、アクセス向上を達成する方法、なんてものを本気で布教する人間は許し難いですよ。1600人のお客さんのうち、愉快な神父さんのお説通りにアクセス向上に成功できる人間は一握りに過ぎない。今冬のボーナスを全額賭けます。ReadMe!に、神父さんのご高説通りにやって成功しましたと自称する1日1000VISIT OVERのサイトが200以上、新規に登場したらボーナスを全額差し上げます。冗談ではなくて。これは、誰もが人気サイトを作れるという主張と比較して、まだしも譲歩した条件だということに注意していただきたい。
以上。