趣味Web 小説 2003-02-25

騒動関連:優しい人々

私は優しい人々にいらいらさせられることが多い。

だがしかし、書いたことに関してどこまで確信を持てるかという点では自信が無い。わかりやすく言うと2ヶ月前に「胡麻豆腐嫌い、胡麻豆腐ファック!」と書いた私が、現在は「胡麻豆腐大好き 胡麻豆腐ないと生きていけない」となる可能性がある、という感じか。

そこで、うっかり「胡麻豆腐ウマイ!」とか書いてしまって、知らない人に「しろくまさんが二ヶ月前に胡麻豆腐ファックと書いてくれて私は非常に救われた気がしました。なぜなら私は胡麻豆腐という文字を目にするだけでジンマシンが出るくらい胡麻豆腐を憎んでいるからです。それなのに、2ヶ月前の発言を平気で翻すような今回の胡麻豆腐大好き発言。私、傷つきました。とても傷つきました。どうして自分の言ったことに責任がもてないんですか?もう27歳ですよね?どうして公の場で書いたことを平気で裏切る発言が出来るんですか?」とか掲示板に書かれたとして、そこで何を反論できるか。

ああやべえと二ヶ月前の日記を削除したところで、グーグルはキャッシュを拾ってしまうし、その前に誰かが保存して勝手にミラーサイトを立ち上げていたらどうなんだろう。「人の味の好みなんて変わるんですよ」と書いたところで「それが解っているなら、最初から胡麻豆腐ファックとかそういうことなんて書かなければいい」「言論には責任を持て」「かねてからしろくま君の言動は矛盾が多すぎる。例えば・・・・・・・云々」とかいくらでも反論されるだろうしなあ。

何を反論できるか、ですか? 私なら、あなたのような馬鹿にはつきあいきれません、と答えます。勝手に傷つけばいいんじゃないですか、と。もしも何か合理的な理由があって、理屈は一貫しているが結果としての好みが変わったという場合には、もう少しだけ誠意を見せて変節の理由を解説してもよいでしょう。けれども、ただなんとなくということであれば、自分が豆腐の好き嫌いに関しては一貫性のない人間だと認めてしまえばいい。

傷ついたとか何とかいって訴えてくる連中には、まともに取り合わない方が賢明です。もうちっとマシなことを訴えてくるまで、放置してよいのです。人を傷つけるのを必要以上に恐れる人は、しばしば、それでも自分が人を傷つけているということに気付かない。それならば、自分が人を傷つけながら生きていることを自覚し、罪を引き受けながら生きる方がずっとマシだと私は思っています。

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