趣味Web 小説 2003-02-25

ネットバトル 1

なにをもってネットバトルといっているのかわからないけれども、単に他サイトの記事を批判するだけなら、それは当然サイト上でやる方が双方にとっていいのではないですか。文章書いて人に見せるのがテキストサイトなのだから、せっかく面白そうな記事を書けたならサイトで公開すればいいに決まっています。例えば連邦の吉野さんが紹介するソフトウェアのバグを発見したとして、作者にフィードバックはしなくても、サイトの記事にはする、というような感じ。ソフトウェアのバグ改善には興味ないけど、バグ情報に感謝する読者は意識する、というスタンスは十分ありなんじゃないですか。

私はよく他サイトの記事にいちゃもんをつけますけど、相手が読んでいてもいなくてもどうでもいいです。反応があれば面白いけど、スルーされても困らない。この備忘録の目的は、私が何をどう感じたかを記録することなので。だから読者がついてくるかどうかも、個々の記事についていえば興味ないです。サイト全体としてまあまあ期待にこたえていれば十分だと思う。だから先日は、唐突に中学理科の話題を扱ったりもしました。

たろたま騒動で私が騒動解消のために動いたのは、特別な動機があったからです。例外です。そしてもちろん、サイト上ではなくメールという手段を用いました。裏を返せばサイトでいろいろ書いているのは、火事場中継のレポーターをやっているようなものです。「消火活動を手伝ったら?」といわれても、それは私の仕事じゃない。私は視聴者のためにレポートしているのであって、騒動の解消は当事者が頑張ればいいのではないかと。むしろマスコミが事件解決に向けて動き出すのもどうかという感じがします。

ちょっと話は変わりますが、批判されるとすぐに「喧嘩売られた」と捉える人がいて、たいへん困ります。備忘録の最近のコンセプトが「怒りを素直に文章に落とす」なので、いかにもといった感じはしますが、批判はどこまでいっても批判です。意見交換の枠内の出来事をバトルといわれても、というか。あなたにとってはバトルなのですね、ふーん、熱くなるのもほどほどにね、みたいな。(もちろん私は怒りで頭が沸騰している)

困るといえば、読者にも「喧嘩はやめましょうよ」なんていいだす人が出てくることがあって、これまた困ります。たぶんこういう方は会社の会議が紛糾しだすと「喧嘩はやめてくださいー」っていいながら目をつぶって両耳を手でふさいだりするのでしょう。

ところで、批判や議論はふつう、相手の考えを変えるためにするものではありません。共通理解を導くための過程です。会社の会議でグループの方針が一本化されたとします。その案がぽしゃったときに、また0から案を出し合うバカ社員ばっかりだったら会社はつぶれます。一度は論破された案が、再び脚光を浴びることがあります。批判に屈した意見が、見直されることがあります。一度は敗れた腹案も、安易に捨ててはいけません。もちろん、あまりにダメな意見にこだわるのは(ほとんどの場合)バカです。けれども、議論に負けることと、他人の意見に染まり自分の意見を考えを変えることとは異なります。大切なのは、他人の意見を理解することなのです。

めけめけ@DCのぽよさんは、デリケートな話題なんで、最初に言っておきますけど、別に他サイト言及をして論戦を売ろうなんて思ってる訳じゃ無いですよ。基本的に私の意見も吉野氏と似通ってますし。それに他人と意見が違ってたって、変えさせようなんて気は無いですからね。読んで自分の意見と違っても「そういう考えの人もいるな」って静観しててくださいとおっしゃる。あいにく、私はこうした議論封鎖の提案には煮え湯を飲まされてきたので、看過いたしかねます。ひょっとして「論戦=バトル=基本的によくないもの」という認識なのかと思いましたので、異論を示しました。

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