趣味Web 小説 2003-03-27

マイノリティの声

報道機関は公正中立を標榜する(ことが多い)ものですが、それはあくまでも「恣意的な情報の捏造はしない」「特定の党派に与せず、主義主張を言論の軸とする」という程度の意味だと私は考えています。客観報道にも記者(あるいは組織)の価値観は当然のように入り込みますし、それは悪いことだとも思いません。各社それぞれ特色ある報道をし、消費者は自分好みの言説を選ぶわけです。反戦平和主義なら朝日、日米同盟重視なら産経、好きな方の新聞を読めばいいのです。主観を排した報道などありえない(情報の切り取り方にも主観は関わってくる)のであって、むしろ各社がその意図を剥き出しにしている現状は、おおよそ理想的なのではないでしょうか。

辞書的な言葉の意味が、実際に流通している言葉の実相を表さないことはよくあります。それが悪いことだとは思いません。

ところで、報道機関は各々の価値観に基づいて情報を送信しますから、当然のようにそこには大衆を煽動する要素(特定の価値観の宣伝)が含まれます。このことについてナナコさんは、報道機関による煽動が社会に認められるかどうかは特定のコミュニティにおける、あるいはそのコミュニティの土台となっている価値=最大公約数的「快」「不快」を踏まえたものでなければならないのではないか、とおっしゃっています。……なんだか話があさっての方向へ飛んでいっているような気がしますが、せっかくなので少々おつきあいしましょうか。

先に結論を書けば、概ね同意、ということです。

産経新聞が売れないのは、折り込みチラシが少ないとか、ページが少なめといった物理的問題以上に、その主張がマイノリティーの声を反映するものだからだということができます。イラク攻撃には以前より賛成であり、新たな国連決議は不要との主張を展開していましたが、これは大方の日本人の賛同を得られない考え方でしょう。産経新聞は自らマイノリティーであることを認めており、世論調査でイラク攻撃支持の声が3割あったことについて、意想外の支持の堅さとの評を付しています。自説が多数派の意思に反するものであることを、まったく隠そうとしていません。

呉智英が従軍慰安婦問題等と新聞報道について、産経が(日本政府/日本軍による)強制連行なし、経済的活動の延長だと主張し、朝日がまったくその逆スジを突くのは、単に読者層の違いによるのだと解説したのは、まさに卓見です。ただしここで注意すべきは、単に商売でそうやっているというわけではなくて、産経の記者にとっては「強制連行なし」が真実であり、朝日の記者にとってはその逆が真実だということです。お互いに本気で自説を信じているわけで、マジで犬猿の仲なのです。……どうも話が脱線気味でいけませんね。

産経はマイノリティーの主張を汲む新聞です。しかしそうはいっても毎朝200万部を売るわけですから、日本人の2%が概ね納得する(まあまあ許せる)ような主張しかできません。いくら産経といえど、それほどハチャメチャなことを書いたりはしないのは、そのためです。

個人サイトでナナコみたいにせんそー大好きっていっちゃう人もいれば○子妃をレイプしたいとかいっちゃう人もいるかもしれないし、それが認められてるという状況があるとすれば、それは各サイトの読者層が非常に限定されているためです。現在の日本では、マイノリティーの主張も無闇に弾圧されないよう配慮されています。ですから、慎重に同好の士を集めて狭いコミュニティーを構築すれば、その中ではある種のひどい主張が歓迎される雰囲気を作りあげることができるわけです。

単純にせんそー大好きと喜ぶ価値観に共感される方は、慎重に集めればそれなりの人数になるでしょう。地道にやっていっても、ナナコさんのサイトは毎日数百人~数千人が見るような状態にまでなったかもしれません。○子妃をレイプしたいといった発言をネタとして楽しめる方も世の中には相当数いるわけで、やっぱり慎重に価値観を共有する読者を獲得していけばそれなりの人気サイトともなりえます。

しかしながら、こうした話はいずれも形成したコミュニティーの質を問うていることに注意しなければなりません。産経新聞の主張は産経新聞の読者にとってはまあまあ正論風に聞こえますが、そのまま例えば日テレやテレ朝のワイドショーに出したらボコボコに叩かれます。まともに話も聞いてもらえないことさえあります。個人サイトの場合も同様で、ナナコさんの主張はナナコさんファンには受けたのでしょうが、斬鉄剣やダークマターから流れた多くの読者には拒絶されました。そして掲示板はしっちゃかめっちゃかになり、閉鎖しろだの死ねだのといった誹謗中傷、あるいは頑迷かつ執拗な批判が絶えない状況に陥ったわけです。

私は個人サイトに特別な可能性があるようには思いません。テレビや新聞であんまりメチャクチャな意見が出ないのは、単に(視聴者/読者の)多数派の共感を得られないからに過ぎないわけです。どちらかというと新聞の方が個性がはっきりしているのは、テレビよりも消費者像を限定しやすいからです。雑誌がさらに特異な方向性を打ち出せるのは、さらに特定少数の読者を想定して商売できるからです。個人サイトが好き勝手書けるというのは、もっともっと読者を限定していった結果に過ぎません。

ここまでは概ねナナコさんのご意見に同意なのですが、どうもこうしてみると、結局のところ多数派の価値観は一部個人サイトの活躍などでは微動だにしそうもありません。現にナナコさんも、強烈な圧力の前にサイトの方向を(自発的に)転換するにいたりました。一部個人サイトがタブー破りの発言をするとしても、それは所詮、すでに友人同士のジョークというレベルでは口頭で散々語り尽くされてきたレベルのネタを(一応は)公開された場にさらけ出してみる、記録してみるということに過ぎず、単に表現の形式が変わっただけではないかと思われてなりません。

一般大衆の耳目を集めている場でタブー破りの発言をすれば、すぐさま咎められ、発言の撤回に加えて謝罪まで強要されます。その構図はじつのところ、Web上でも何ら変わりないのです。

……てなわけで、ナナコさんもゆっくり時間をかけてファンばかり数千人集めたなら、今回のような叩きにはあわなかったろうに、と思うのでした。まあ常識的な一般大衆を集めてガツンとぶちかます、というのがナナコさんの狙いだったようですから、その意味では「見事に成功してよかったね」という感じなのですけれども。

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