趣味Web 小説 2003-03-29

人を怒らせる平和主義者

アフガンでは今日もヘクマティアル派による暫定政府軍への攻撃が続いている。タリバンの残党を追いつめる大規模作戦も継続中だ。

戦争を止める手段はただ1つ。真実をこれでもかと見せつけることだ。

ニュースでは爆撃などの派手な部分しか戦争を見ることができない。だけど、その裏では多くの人が怪我をし、そして、死んでいるのだ。

メディアの流す映像だけを見ていると、まるでテレビゲームだ。被害者の姿は目にできず、僕たちは戦況しか知ることができない。

本当に戦争を止めたいのなら、爆撃の映像だけでなく、戦死者や、血まみれの負傷者の映像も合わせて流せばいい。「これが戦争です」と、大きな声で主張すればいい。

不快な映像だから流しちゃいけない?そんなわけねえだろ。何を持って不快な映像なんだよ。戦争自体が不快なんだ。目を背けたくなるものなんだ。爆撃の映像は流して良くて、どうしてその爆撃の結果の映像を流してはいけないんだ。すべての事実を、どうして流さないんだ。

全世界の人間がすべての事実を映像で知れば、戦争を肯定することなどできなくなるだろう。爆弾、銃弾で強制的に終了させられた人の命など、見たい人はいないだろう。

メディアは、アメリカ大統領にこの戦争で死んだ人の映像を見せて、こう言ってやればいい。

「これが、あなたが私欲のために戦争を起こさなければ死なずに済んだ人たちです」と。

そんなことで戦争が止まるなら、前線の兵士はとっくに職場放棄しているはずだ。双方ともに。あるいは、イラクの市民はフセイン政権を支持するよりも、早急な国外への亡命を求めることだろう。イラクが無抵抗なら戦争はそもそも起きていない。

カタールに拠点を置く衛星放送局アルジャジーラは、アフガンやイラクで襤褸切れのようになって死んでいく人々の映像を連日放映してきた。Webサイトでも多くの遺体の画像が配信されている。しかし戦争は止まっていない。止まるわけがないのだ。

目先の悲劇を回避するためには大きな悲劇の予防を怠ってもよい、という発想に私は賛成しない。第一次世界大戦のために戦争を忌避するようになった欧米列強は、そのためにファシストの台頭に対し有効な手立てを打つことができず、ついに第二次世界大戦を防ぐことができなかった。

イラクはかつての日本やドイツのような現代の世界秩序に対する脅威とはなりえない、それ故に今回のイラク攻撃はアメリカの暴走だ、という意見なら話はわかる。しかし人が死ぬから戦争はだめだ、という近視眼ではお話にならない。第二次世界大戦では千万単位で人命が失われた。イラク攻撃で数千人死んだとしても、最悪の危機を予防できるなら、やはりイラク攻撃もやむなしと私は考える。

もちろん優しい日本人の少なからずが、今起きている悲劇を嘆き悲しみ、あるいは目の前の悲劇で頭がいっぱいになって戦争を非難することを、私は全否定しない。それはもう仕方ないことで、認めるしかないと思っている。だが、テレビを漫然と眺めているだけの人間が、被害者の姿は目にできず、僕たちは戦況しか知ることができない。などと書いていることにはむかっ腹が立つ。犠牲者の姿を見たければ見るがいい。悲惨な現実を好きなだけ見るがいい。情報はそこにある。

コーイチさんにとって今回の戦争はまるでテレビゲームなのかもしれないが、その責任はコーイチさん自身にある。アイルランドへの留学を考えていらっしゃるそうだけれども、だったらなぜ北アイルランドの人々が悲惨な武力闘争を継続してきたのか、理解しようとする努力をなさってはどうか。テロ活動大好き! 人を殺したい! みたいな人もひょっとするといるのかもしれないが、ほとんどの人はそんな理由でテロ活動に参加しているわけではないだろう。

たいていのイラク攻撃支持者は、「世界中でどんどん戦争が起こってほしい」だなんて思っていない。「戦争→楽しいこと」だなんて考えてはいない。人命が失われること、その悲惨な現場を想像できない(しない)わけでもない。それでもイラク攻撃は支持せざるをえないと考える理由があって、支持しているのだ。イラク攻撃の支持者はたいてい、反戦平和の感情論を理解(しようと)するけれど、その逆のパターンはなぜか少ない。想像力のない人でなしどもが戦争を支持しているといってバカにする人が多すぎる(ような気がする)。

結局、22日に書いたことと同じなのだけれども、戦争はないに越したことはないというのは共通認識としてあるわけだ。で、少しでも戦争による悲劇を小さくするためにはどうしたらいいか。問題はそこなんだろうな。とにかく反戦平和だという方々は、ありとあらゆる軍事作戦を否定して、その結果、将来の大きな危険を予防することを考えない。反戦平和といっていれば相手もわかってくれると思っている。それはそれでいい。しかし私は、話の通じない相手は力で押さえ込むしかないと考えるので、将来の危険を予防するためにフセイン政権を戦争によって打倒するのは致し方ないと結論付ける。平和を維持するために、イラク攻撃はやむなき選択だと考えるわけだ。(なので私は統一地方選挙において菅さんの指導する民主党あたりには絶対に投票しない/野田さんが党首になっていたらちょっとは迷ったろうけれど)

ところで。

当然の事ながら私は戦争に反対だ。これは何時になっても変わることは無いだろう。現実を考えろ?甘いことを言うな?正論はまっぴらだ?ふざけんな。キリが無いだろうが。いちいち細かく考えすぎるな。簡単に考えれば良い。理想論で良い。戦争は忌むべき行為だ、この世から無くしたい。それで十分だ。

中略

今の日本や世界を「おかしい!」と思っている人が多いだろう。そして「おかしいのに何故変わらないのか?」といらつく人も多いだろう。変わらない理由は簡単。「どうせ、私1人が何を言っても変わらないから・・」と、多くの人間が変えるのを諦めているから変わらない。多くの人間が「個人は無力で何も出来ない」と思い込んでいる事が、「自分を無力で何も出来ない存在」にしているからだ。

後略

……ぽよさんらしいな、と思うのだった。平和を願うといいながら、わざわざ私(あるいは私に近い考え方の人間)を怒らせるような書き方をする。自説の正しさに一片の曇りもないと信じているかのようだ。それでいて自説の根拠は何も書いていない。産経新聞の精神主義に私はしばしば辟易するのだけれども、対抗勢力はそれに輪をかけて精神第一主義だったりするから、私はいよいよ困惑してしまう。

理想を掲げ、行動するのはいい。ただ、できることならスローガンをぶち上げてそれで終わりというのではなく、価値観の異なる人間(例えば私)に向かって説得を試みてほしい。平和を維持するために避けられない戦争があると主張する私を、ちゃんと論破してほしい。もし完璧に論破されれば、反戦平和主義の蔓延する日本で、私は今より少しだけ生きやすくなる。

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