趣味Web 小説 2003-03-29

いくらツールが進化しても

RYU's HOME P@GEというサイトがある。そのサブフォルダに福島中年探検隊があるのだが、さらに下位層のファイルとして別のサーバに用意された見え方の違い関連の記事が興味深い。とくに中年うぇぶ 栗えいたは中年初心者向けとしておすすめできる記事。

だいたい「ほーむぺーじ」作成の入門記事は子ども向け風になっている。中年初心者はそこでまずプライドを傷つけられる。しかもその内容がいい加減極まりなかったりするから、ますます始末におえない。なんだかんだいって「何はともあれこうするのだ」式のバカっぽい解説から逃れられないのが入門記事の常(だってそう書かないとたいていの初心者は読んでくれないのだから仕方ない)で、中年うぇぶ 栗えいたにもその欠点は厳然と存在する。しかしながら、凡百の解説よりはずっと志が高く、これは許せるレベル(少なくとも先へつながる解説)ではないか。

ところで、私が前々から思っていたことをズバリと指摘している箇所があって、感銘を受けたので以下、引用する。

正しいホームページを書くツール

こんなものはありません。 正しい HTML ソースを吐出するという意味で使われることが多いのですが、使う人次第です。 例えばある文章の内容が「著作者情報」であるにも関わらず、インデントのために <blockquote> を吐出するような操作を使用者が行なったとします。 作成ツールは文章の内容を読んで、使用者に警告を発しません。 言われる通りに処理してしまいます。

いや そうでなくて、使用者が正しい意図で操作しているにも関わらず誤った処理をする作成ツールはイカンということなら、たぶん自分で HTML ソースを書いた方が早いでしょう。 大雑把にページの骨組みを作成ツールで組んでおいて、詳細は自分で書く。

そうなのだ。ValidなHTMLとCSSによるサイト製作が常識となるには、ツールの進化が欠かせないなどとよくいわれるのだけれども、私はそのような考え方は誤りだと認識している。現在のハード/ソフトでは自然言語をそのまま解釈できないからHTMLが登場したのであって、HTMLを知らない人が正しいHTML文書を作成できるなどという時代がやってくるとしたら、そのときにはもはや(本質的には)HTMLなど必要なくなっているはずだ。文章を入力するだけでどこが見出しでどこが段落かを計算機の方で判別できるなら、わざわざマークアップなどしなくてもいいのである。

で、もしそうなれば、それこそ見栄えだけをいじるレイアウト用の言語が登場してもいいということになる。これはスタイルシートの概念とも矛盾しない。並立しうる。なぜなら、スタイルシートで見た目を指定する際に、もはやHTMLなどによる文書構造のマークアップは必要ないので、見栄えをいじるマークアップ言語があってもそれを無視して自動でスタイルを指定できるからだ。このときおそらく、現行のHTMLはCSSの仕様の中に吸収されていくことになるだろう。おそらくいつまでたっても訪れないこの未来世界において、HTMLで明示されるのはa要素とlink要素と一部のmeta要素だけになってしまうのではないか。ひょっとすると「はてなキーワード」のような仕組みがWebを支配してa要素さえ不要となるかもしれない。そうなれば、世界にはただテキストファイルさえあればいいということになりそうだ。

以上は夢想家の弁であって、実際には実現しえない。そもそもテキストファイルから適切な文書タイトルを一意に決めることは不可能である。見出しの階層だって、単純にこうだと決められるわけではない。定義リストなのか見出し+段落なのか、という問題は製作者の判断なしに解決できない。だからいつまでたってもマークアップは必要なのであって、そうである以上、HTML文書の製作者にはマークアップという概念への理解が必要とされるのである。

ホームページビルダーのどこでも配置モードは、、文法的には概ね妥当なHTML文書をCSSでレイアウトするシステムを実現しているが、この意欲的な試みが完全に失敗していることを認めない人は(HTMLをある程度理解している方なら)滅多にいないはずだ。マークアップの考え方を理解しない人は、どんなツールを使ってもろくな結果を生み出さないと断言していい。

計算機が絶対に対応できないことをマークアップにより実現しようというのが大元の話なのだから、「ツールの進化により人間は勉強しなくてよくなるだろう」と考えるのは根本的に矛盾した話なのである。

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