趣味Web 小説 2003-03-30

「客観的」と看板は掲げても

自サイト批評だそうですが、「批評」という言葉は「パクり」と似ていて、何かと小議論の種となりやすい。私が「アドバイス」を標榜し、決して「批評」といわないのはそのためでもあります。さて自サイト批評は、自虐ギャグに持ち込むか、当り障りのないことを書いてお茶を濁すか、思いっきり自画自賛するか、といったあたりが定番ですが、ぽよさんは大方の予想通り自虐系を選択。

それはいいとして、私がアレッと思ったのは、自己批評はタブー破りだと解説していること。そんなタブーは初耳ですし、何度読み返しても自己批評をタブーとする根拠が何も書かれていません。私はピーコが自分のファッションチェックをしたっていいと思うし、水野晴郎がシベリア超特急の解説をしたって何も問題ないような気がします。というか、ここしばらくのうちに読んだ水野さんのインタビュー記事は、みんなシベリア超特急関連でした。どのインタビューでも水野さんは上機嫌で、概ね謙遜しつつも自作品の見所やもう少しこうしたかったという心残りなどを語っていらっしゃったように思います。これは広義の自己批評といっていいのではないでしょうか。私はそうした記事を楽しく読んできたので、自己批評をタブーとする発想が理解できません。

何とか0点に持っていくためにタブー破りのペナルティーが必要だったという事情は理解できますが、自己批評をタブーだと思わない人への説得力が、いささか欠けていたように思います。ピーコと水野晴郎の例で「なるほど」と思う人はいいのだけれど、そこで全然ピンとこないと置いてけぼりになります。まあピンとくる人がたぶん多いのでしょうから、現状維持がスマートなのかもしれませんが。(でも、小説好きの私としては、書評家出身の作家が対談やインタビューなどで自作品を解説したり批評めいたことをしたりする面白い記事をいくつも目にしてきたので、どうしても納得いかないんですよね)

ところで、批評は公正中立になるべく主観を捨てて客観的になるようにやっています。という一文も私としては気になるところ。私は「アドバイス」について「主観的な見地からご意見差し上げます」としばしば言明しています。自分のアドバイスは客観的だ、などといったことは(おそらく)一度もありません。で、別にそれで何も困ったことがないというか、依頼者だってそれでいいんじゃないのかな、と。ぽよさんが客観的であろうと努力されるのはかまわないのですが、実際には主観的なことばかり書いていらっしゃるわけで、私はむしろそうした羊頭狗肉(私は別に客観が優れているとは思いませんが言葉の綾ということで)の方が気になって仕方がないのです。

例えば毛字がへたくそ。という評がありますが、上手下手の客観的基準はどこにあるのでしょうか? ごちゃごちゃし過ぎ。との意見も書いていらっしゃいますが、それではごちゃごちゃしているかどうかを判断するボーダーラインはどのあたりにあるのでしょうか? 背景色が駄目、文字間も駄目。とありますが、背景色と文字間隔の良し悪しはどのような要素で決まってくるのでしょうか? 雑記は0点、下手すぎ氏ね。だそうですが、これをどう解釈すると閲覧者・管理者ともに何かを得てくれるような批評となるのでしょうか? こうしてみると、ぽよさんが客観的であろうとするために何を努力されているのだか、私には全然理解できません。

結局、主観的な意見を書いてます、といってしまってOKなのではないでしょうか。少なくとも現在のぽよさんは、「客観的」な批評などまるでやっていないわけです。でも、それでいいと思うのですよ、私は。(念のため補記。私は前段落でぽよさんに投げかけた疑問文のすべてについて、ある程度まで自説を展開できます)

……上記文中では疑問文を多用していますが、このところ罰ゲーム続きでお忙しいぽよさんの回答を、私は求めていません。本当に回答がほしければメールを出すかメッセンジャーで話し掛けています。まあ、そういうことです。

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