趣味Web 小説 2003-04-13

きれいに負ける

議論に強くなるにはどうしたらいいか。それを教えてくれたのは父だった。

父は議論に負けそうになると、「わかった」という。納得したところは素直に受け入れる。全部納得したら、そこで議論を終わりにする。もちろん、相手はいろいろ捨て台詞をいう。けれども、勝ったはずなのに捨て台詞になってしまう、ということに注意しなければならない。父はたいてい母に言い負かされていたけれども、それでも母は町内会の会合に自分が出ることは一度もなかった。その母もPTAの会合には仕方なく出ていたが、いつも何一つ発言せずに帰ってきたというのは、いまにして思えば凄い話だ。

いい考えを思いつく人が、議論に向いているというわけではない。私はしばしば、そう思う。詳述はしないが、父は愚かな人だ。「にちじょうちゃめしごと」と50年近くいい続けてきて、誰にもダメ出しされなかったほどだ。交通事故にあったとき、父は自宅の電話番号をいえなかった。病院の先生が母に問う。「ご主人は、ふだんから記憶力が弱いのですか」「そうなんです」「じゃあ問題ありません」実際、退院後も父はしばしば自宅の電話番号を忘れていた。けれども、ただ愚かだったわけではない。

思い出になってしまえばみないい人、とはよくいわれるけれども、私は実家にいた20年余り、あまりに父をバカにしてい過ぎた。毎日顔を合わせていると、なんでこうも愚かなのかと思わずにはいられないのだ。だが、実家を離れて、ようやく父の立派なところがはっきり見えてきたように思う。それとも、これも幻想なのか。

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