趣味Web 小説 2003-04-28

人々は主体性を発揮したがらない

なんでうちのサイトが紹介されているんだろう。何の追加情報もなかったんだけど……。まあいいか。

よくわからないといえば、みみむBBSでの紹介のされ方も謎。私は、サイトで勝手に音楽を鳴らしてもいい、という意見なのです。なんでそれをダメと説明しているサイトの仲間にされているのだろう。

基本的に、勝手に音楽が鳴るようなUAは、音楽を無視するようにも設定できます。世界中のすべてのサイトから音楽の自動演奏を排除するなんて不可能です。閲覧者が自分好みにUAを設定し、音楽を無視する方がよほど確実で理に適っています。「会社でいきなり大音量の音楽が鳴ったら困る」「深夜に音楽の鳴るサイトを訪問すると吃驚する」「私はCDを聞きながらネットサーフィンしているので、サイトでまた音楽が鳴ると音が重なると不愉快だ」などとよくいわれるわけですが、いずれも閲覧者が自らのバカさ加減をカミングアウトしているだけの話。サイトで音が鳴ったら困るとわかっているのだから、ボケっとしていないで、さっさとUAを設定すべきなのだ。

リンクターゲットの話との最大の違いは、それを無視できるかどうかという点です。音楽は、閲覧者の側でシャットアウトできます。しかしtarget="_blank"とされたら、絶対に新しくウィンドウ(あるいはタブなど)が開いてしまいます。(というか、そうでなかったらリンクターゲットなんてのは意味がないということになってしまう)

音楽を鳴らすとか、くだらないJavaScriptをたくさん使うとか、文字サイズを固定するとか、そんなのは管理人の自由でいい。どれもくだらないことだけれど、UAにはちゃんとそれらを無視する機能がついています。逆に、無視する機能がついていないUAはそもそもそれらの特殊効果に対応していないから、もっと安心です。閲覧者がもうちっとばかし賢くなって、管理人に自由にさせてやったらどうかと私は思う。

HTML文書というのはあらゆる環境で利用されることを想定しています。それゆえに、「ベストな表現形式」が存在しうるという発想を、そもそも否定しています。だから閲覧者の側で文書の表現を制御して、各人が自分の好きな表現形式で文書を利用しましょうね、という仕様になっているわけ。そこのところがわかっていない人が結局、くだらない自由の制限を押し付けた挙げ句に、視覚系UA以外では意味のないテーブルレイアウトなんかを平気な顔でやり始めるわけです。

自分のお望み通りの、ベストな表現形式を閲覧者に押し付けて、閲覧者様はそれをそのまま利用しろという製作者の不幸。閲覧者に文書の表現形式を勝手に変えられては困るという発想があるから、製作者の側であれこれ考えをめぐらして表現形式の最適解を見つけようと不毛な努力をくりかえす。それで音楽はダメ、JavaScriptはダメ、という話になる。自縄自縛に陥った挙げ句、じりじりと状況は悪化するばかり。

画像が多すぎるサイトは、画像オフで閲覧すればいい。音楽のうるさいサイトは音楽を切って閲覧すればいい。JavaScriptでエラーが生じるなら、JavaScriptなど使わずに閲覧すればいい。選択権は閲覧者にあります。だから製作者は足枷を外し、閲覧者に問題への対処を丸投げしたらいいのです。閲覧者が主体性を持つようになれば、逆に製作者も本当に賢くなっていくでしょう。画像オフでも情報が伝わるためにはどうしたらいいだろう? とかね。いまはまともに考えている人が非常に少ないアクセシビリティーの問題などについて、みんなが考えるようになります。

……とはいうものの、しょせんこれは夢物語。享楽的な大衆はいつまでたっても文書の表現形式の制御を主体的に行おうとせず、それゆえに今後もバカな製作者に悩まされ続け、文句たらたらの生活から逃れられないのです。文字が小さいといっては文句をいい、音楽が流れるといっては文句をいい……。誰もが納得するデザインなんて、ありはしないのですから。

えーと、私はようするに、政治の問題について書いているわけです。みんな死ぬまで「政治家はダメだ、官僚もバカばっかりだ」といい続けるといいと思います。そしてじわじわと不幸になっていくといいと思います。

Information

注意書き