林望先生のいう書誌学の常識が批判されているのだが、林望先生のいう書誌学上の常識
は(多数派かどうかはしらないが)そう突飛な意見でもない。大学時代、私は複数の先生が林望先生と同様のことを述べていたことを覚えている。ただし、注意していただきたいことが2点ある。「ベストセラー」と「本が滅びる」の定義だ。
林望先生の言葉を孫引きすると以下の通り。文芸春秋2002年12月号に掲載されたそうだ。
私は書誌学者であるからこういうベストセラーというものの末路についてよく承知している。ベストセラーというものは、一言でいえば群集心理によって発生する。歴史的事実を書誌学的に検定したところでは、「ベストセラーの書物ほど滅びやすい」と断言することが可能である。(中略)そこで仮に出版後十年五十年百年という風に指標をとって、それぞれの書物が何冊現存しているかということを調べると、結局ベストセラーになったものほど、残存数が少なくなっているという皮肉な現象が起こる。それは書誌学上の常識である。
林望先生の定義は曖昧なので、私の聞いた話における定義を簡単に紹介する。
まず、「ベストセラー」とは単にその年によく売れた本という意味ではなく、ベストセラー作家の書き飛ばした(それでも凡百の本よりはずっとよく売れた)本のことをいう。
次に、「本が滅びる」とは新刊書店で入手可能な状態が持続することではなく、学究機関の蔵書目録から消える(=文献として検索できなくなる)ことを指す。
林望先生が間違ったことをいった、という話ではなく、一般人に対して説明をサボったので誤解を招いたのではあるまいか。というとまた誤解を招くだろうから、いくつか補足しておく。林望先生のいうベストセラーの書物ほど滅びやすい
とは、たしかに誤りだ。まったく世間に無視された書物など、最初から滅んでいる。やはり生き残っていくのは、それなりに名をなした作品ではある。じゃあやっぱり林望先生のいっていることは嘘じゃないか、といわれると困ってしまうのだけれども、仲間内ではいわんとするところは通じるんだ、といいたいわけです。私は別に、素直に文字通りの解釈をする人を責めているわけではなくて、えーと。
西村京太郎、内田康夫、赤川次郎、山村美紗といった、売れてはいるが評論家筋からまったく評価されないタイプの作家の作品は、大学図書館にほとんど所蔵されていない。ある意味、最初から滅んでいる。だから卒論で西村京太郎研究をやろうとしても、参考文献がろくにないということになる。頼みの綱は全国各地の市民向け図書館だが、維持費削減が叫ばれる昨今では古くなり読まれなくなった本は次第に処分されていく。最終的には大学図書館と市民図書館を合計しても、評論家筋で評価された作品が検索可能な生き残り部数で勝っていくだろう。
真に名作として長生きした作品、あるいは大作家として評論家筋からも認められたケースではまた話が違ってくるのだが、いわゆるベストセラー作家の書いたよく売れた本の大半がどこかへ消えていく。その点、山田風太郎は偉大だったと改めて感嘆する。あれほど多作であり、よく売れながら、評論家筋の受けがよく様々な全集が刊行され続けている。大学図書館は全集をよく買う。山田風太郎はそう簡単には滅ぶまい。