いろいろな作家名を入れて試してみると面白い。
そういえば「このミステリーがすごい!」で内田康夫の名前を見ることは滅多にない。赤川次郎や西村京太郎の乱作とは一線を画し、毎年ていねいにベストセラーを送り出しているにもかかわらず。パトリシア・コーンウェルもデビュー作が一度顔を出しただけで、以降はほとんど無視されている。年に1~2冊というペースなのだが。
ミステリーは、大衆文学の中にあって最もよく研究・評論が整理されてきた分野のひとつではなかろうか。その発祥から重要な作家・作品が概ね系統立てて語られてきており、古典的作品から連続的に現況を俯瞰することができる。鯨統一郎「ミステリアス学園」は、ちょっとミステリーをかじってきた人が読むと参考になるのではないか。この手のジャンルガイド本が紹介する定番作品にブレがないのが、ミステリーの特殊なところだ。売れる本と重要視される本を、等号で結ぶことはできない。ミステリーの里程標となった作品は、必ずしもよく売れていないし、よく売れても何の里程標にもならない作品は無数にある。
ただし、まるっきり売れなかった本ではどうしようもないということはできる。国立国会図書館は建前としては日本で刊行されたすべての本が所蔵されていることになっているが、唐沢俊一は以前、実際にいって検索してみたら自分の本は半分も入っていなかったと書いていた(と思う)。まともな出版社のまともな本しか所蔵されていない、のだそうだ。書籍コードつきの本は自費出版でも製作できるのだ。本当にすべての本を蒐集しようとしたら、国立国会図書館の事務局は業務が破綻してしまうに違いない。
酔歩した展開を起点に戻すと、なるほど滋賀県立図書館の脇坂さおりさんらによる研究成果は林望先生の発言への有効な反論とはなるだろうが、おそらく林望先生の真意を否定できるものではない。林望先生は今後も、ベストセラーは滅びるといい続けるのではあるまいか。
明治時代には森鴎外と夏目漱石が現役作家だったわけだが、当代随一の人気を誇っていたのは尾崎紅葉だった。その後も伊藤整や梶原季之といった人気作家(作家という言葉が引っかかるなら著述家といってもよい)が現れては消えていった。で、作家の死後10年、20年、50年と経ったとき、同世代の作家のうち最も多くの本が検索可能なのは誰か? 基本的にそれは、最もよく売れた作家ではないだろう。
……いや、わかりますよ、林望先生の文章をそんな風に読むのは無理がある、というのは。でも林望先生のようなものの言い方を最初にガツンとやった後で、前述のような説明をするという羊頭狗肉は実際にあるわけで、しかもそれは工学部生だった私が出席したたかだか100単位分程度の教養科目(試験も受けて実際に取得したのは50単位くらいだったと思う)の中で複数回耳にした内容なのであって、だから私もピンときたわけで、えーと、そういう事情もちょっとご理解いただけるとありがたいなー、みたいな。
というか、新刊書店で本が入手可能な期間を単純に比較したら、ベストセラーほど長い期間にわたって買うことができるというのは、あまりにも当然なのではなかろうか。まあ林望先生の粗雑な言葉遣いが癇に障ったのだろう。意地悪して言葉通りに調査したという話に過ぎない。図書目録に記載されているかどうかを「本が滅びる」の基準とした時点で勝ちは明らかなのだった。