趣味Web 小説 2003-12-15

箱庭のような世界を好む

私が純文学を好かない理由はハッキリしないのだけれど、とりあえず、(私にとって)どうでもいい描写の中に物語を回転させる描写が埋もれてしまっているようなのは困る。私のように読むのが遅い人は、じっくり読んでいるわけではなくて嫌でも時間がかかってしまうのであって、3ページ前に何が書かれていたかを十分に覚えていられない。目先の数行だけで脳の処理能力が限界になってしまうので、だから読むのが遅いのだということもできる。

そういうわけで、物語の展開を馬鹿にもわかるように繰り返し描写してくれるエンターテインメント小説の方が好きだというか、そういうのしか読めないというか。純文学は、読み終わってから「で、どういう話だったっけ?」と頭カラッポになってしまうことが多くて困る。

ひとつの対応策として、純文学に限っては、私はなるべく先に粗筋を読むことにしている(註:実際問題としては、よほど有名な作品以外は粗筋を見つけらない)。でないと、物語の転回点を読み落として、何度も読み返すことになっていらつくことになる。

純文学をそうやって読んでいるせいかもしれないけれど、私はミステリを読むときにもネタバレに頓着しない。むしろ、いったん放り出したのに、最後まで筋を聞いてはじめて読了できた本も少なくない。「今はつまらないけれど、この先面白くなる」という保障があると読めるという理屈。犯人がわかったくらいでつまらなくなってしまうような作品は所詮凡作だ、とも思う。

そんなわけだから、犯人が結局わからない作品には不満を感じる。桐野夏生の「柔らかな頬」は、初稿では犯人を明示していたのだという。編集者が犯人を隠すよう助言して、作品は直木賞を受賞した。文学作品としてはそれでよかったのかもしれないけれど、俗な読者としては、やっぱり犯人を明示してほしかった。私は、犯人が明示されるような世界が好きなんだと思う。

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