著作権01 発端

平成15年2月23日

そろそろ徳氏の暴走の予感。面白くなってきました。まぁ、何でも著作権で片付けようとする氏の姿勢はどうかと思いますが。著作権以外にもプライバシー権とかいろいろあるのになぁ。少しずつ周囲が見えなくなって来てるのかな?

回答代わりに。どんな文章も著作物になると思っている方には、かなり衝撃的な内容。そしてプライバシー権も、そうそう簡単に認めてもらえるものじゃないってことがわかります。

ちなみに、メールに限らずイラストなども著作物として認められない場合が多々あります。

S販売が大阪市内の商店街から依頼されて装飾街路灯のデザイン図を作成。町会は大阪市を訪れ、デザイン図のような街路灯の設置を要望した。しかし、このデザイン図を基に設計図を作成した大阪市は、97年に指名競争入札を行い別の施工会社を決定。出来上がった街路灯が、S販売が提出したデザイン図とほぼ同じだったため、S販売は大阪市に損害賠償を請求していた。

2001年に大阪高裁はデザイン図の著作権を否定し、請求を棄却しています。デザイン図は鑑賞を目的とした純粋美術のような芸術性を持っていないという説明。著作権というのは、案外、簡単には認めてもらえないようですね。

平成15年2月25日

ん?回答になってるのかな?んーと。誤解があるといけないんで書いておきますが、何でも著作物として認められるわけではないという点には同意。ってか僕もそういう意見です。むしろ著作権は関係ないと思ってます。徳氏のサイトを見ても、「なんでここで著作権という単語が出てくるんだろう?」と疑問に思うくらい(そういうツッコミが多いのかなぁ?)。でも徳氏は、メールは著作物とは認められないから大丈夫、という観点から離れられていない。そもそも、引用されている判例自体は、著作権は認めないけど、プライバシー権を"認める"という判例だからね。公表した人は負けてる。負けた例を挙げられて、「この例では結果として負けてるけど、著作権については勝ってるから、フツーは勝つよ。そうでしょ?」といわれても、僕は全く納得できない。だって現実に負けてるじゃん。著作権は関係ないということは分かった。じゃぁ、その他の条件は、今回の場合はどうなのさ、と。要は著作権は関係ないと。じゃぁ議論の中に出してくるなと(極論)。この判例でも分かるように、背景を吟味していかなければいけない。公表しようとしている文書ひとつずつについて。あの例ではOKだったから、今回もOKと常にはならない。ケースバイケースだから、まとめて論じることもできない。

著作権がなぜ関係するかといいますと、もしメールが著作物である場合、公開の形態などを決定する権利が著作者に生じるためです。件の判決から考えるに、間宮さんのメールは著作物として認められそうにありません。

また、件の判決では確かにプライバシー権が認められていますが、その理由が重要です。私が重視しているのは、判決によれば、プライバシー権が認められるためには法的保護に値する理由が必要だ、と読めることです。間宮さんと私の間にはそもそも信頼関係などないので、間宮さんがあのメールは私信だったといっても裁判ではプライバシー権が認められそうにありません。

問題になるのは著作権とプライバシー権の2つだけじゃない。上の文では「プライバシー権とか」って書いたけど、「とか」だからね。前の日記でも書いたけど、成文律と不文律がある。法律にだけしか焦点を当てていないんだったら、不完全だとしかいいようがない。まみや氏との具体的な背景を僕は知ることができないから、具体的な方向性を示すことはできないけど、とにかく、いろいろな方向から考えていかなくてはいけないと思う。そりゃもう、行動に移す前に、ものすごくいろいろな方向から膨大な考察が必要だと思う。だから現在でもこの問題(メールの転載・内容の公表)に関しては、一般的な見解が存在せずに、グレーなままなんだと思う。でも徳氏のサイトには、メール内容の公表に関して、著作権からの観点以外からの記述が極めて少ない。むしろ、「著作権」という単語を全く使わないで論じるくらいでないと、いけないんじゃないかと思う。

簡単に問題をモデル化できないから、みんなこの問題にはあまり触れたがらない。安全策を採ろうとする。僕もそうです。そこに敢えて挑戦する姿勢は素晴らしいと思うし、頑張って欲しい。だからこそ余計に、いいかげんな考察と行動はやめて欲しいなと思うわけです。

簡単に申し上げるなら、間宮さんの従来の主張が繰り返されているだけのメールの公開を決めるにあたり、ものすごくいろいろな方向から膨大な考察が必要だとは考えません。それほど大げさな話ではない。頭を使うに値する問題は、もっと他にいろいろあります。

私は法的問題をクリアできればいいと考えます。しかし間宮さんにサーバ業者へ直談判されると、サイトの存続自体が危うくなります。業者はトラブル処理の手間を嫌うからです。月額1000円で言論の自由は守れません。だから私は最初から間宮さんの主張に一定の配慮をしてきました。しかし間宮さんは配慮の不十分を指摘し、改善なき場合には業者との直談判を開始することを伝えてきました。そこで一層の譲歩を余儀なくされたという経緯があります。

因みに、メール内容の公表とは離れますが、この日記(2/10〜2/21)の転載は、無断転載です。こちらへの事前連絡は一切なかったし、このサイトを隅々まで閲覧した形跡もありませんでしたし、 robots.txt を参照している形跡もありませんでした(転載の例として、Google や Internet Archive を挙げられていますが、ここが Google や Internet Archiveと大きく異なる点。一応、ロボットは、robots.txt でそのサイトの方針を調べますからね)。徳保氏は、このサイトが転載についてどういうスタンスなのか、どこで調べたんだろう?まぁ、うちは、転載自体については消極的ながらも黙認するという、こういうスタンスなので、そういった雰囲気を読みとったんであろう徳保氏はさすが勘が鋭い、空気読むのがうまいなぁ、と感心する一方、無断転載を手放しで推奨できるほど、僕は徳保氏に心を許した覚えはない。「無断はあんまりやろ」とちょっとムッとしたのも事実。

しかし、それよりも、こんなんで言及サイトに挙げられるのか、とちょっと不思議に思ったりするのも事実。

跡地では、事件にちょっとしか関わらなかったサイトの謝罪文なども転載しております。線引きが難しいので、目いっぱいたくさんのファイルを転載するという方針でやっております。言及サイトの収録も同様に判断しています。

当事者の発言のオリジナルは既にその大半が失われていますが、言及サイトの発言もまた、1年後2年後には多くが消えていることが予想されます。現在でも既に、それらのログの少なからずがサイト構造の奥深くにしまいこまれてしまっています。事件と騒動について考える資料を整理している者として、これは憂慮すべき事態です。そこで私は、当事者の発言と同様に、言及サイトの発現もまた転載することにしました。

言及サイトの発言を記録することには理があります。今回の事件と騒動を読み解くポイントは、その「場」を支配する多数派の価値観を理解しないマイノリティーの悲劇です。プリシラさんたちの要求を価値観の違いゆえに理解できなかったゆきさんは、謝っても謝っても赦されることがありませんでした。プリシラさんたちもまた常識外れの価値観を持っていたため、いくら自分たちの正当性を主張しても理解されず、あるいは謝罪してもポイントを外しているため赦されない、といった事態に陥りました。事件当時者の資料からは、ゆきさんがあの場でマイノリティーだったことは理解できますが、責めていたプリシラさんたちもまたマイノリティーだったことは証明できません。騒動の構図を示すには、言及サイトの言葉を資料として提示する必要があるのです。

事件の当事者の発言のログを取るにあたって、私は無断転載を認めているかどうかなど、一切勘案しておりません。言及サイトにも同様の姿勢で臨みます。Google など多くの検索ロボットがrobots.txtやmeta要素を読むのは、単にクレームを減らすためです。したがって、それらの紳士協定を無視するロボットもありえます。私は転載に公益ありと判断し、まず問答無用で転載します。クレームは、もしあれば対応するという立場です。その処理の手間は惜しみません。商売でやっている Google とは手間暇の削減という項目の優先順位が異なりますので、作業手順も異なってくるということです。