著作権02 展開

平成15年3月11日

言葉の解釈の問題でまたもや面倒なことに……。

趣味のWebデザイン(管理人・徳保隆夫さん)に言及します。正直いって、関わりたくないですし、他サイト言及もしたくないのですが…著作権について誤った認識をこれ以上広められるのは我慢できません。

リンクは用意しません。引用部のcite属性に原本のURIを示しめしておりますので、興味のある方はご参考まで。

「著作権を放棄している」と製作者が主張しているソフトウェアはありますが、実際に著作権を放棄できた例は日本国内ではありません。

すれ違いはこの辺りにあるようですね。私は、ニュアンスをわかりやすくするために著作権放棄と述べておりますが、いま少し正確な言葉遣いを心がけるならば、「著作者が一切の著作権を主張しないため、(著作権法違反が親告罪であり続ける限り)あらゆる著作権法に違反する行為が事実上可能である状態」となります。

私が自サイトの説明に管理人は当サイトについて著作権を主張しません。との文言を採用していることから、ほとんどの方は私の真意を補って解釈してくださいます。しかしそうではない方もいらっしゃるのは、もちろん十分に予想されることです。そのこととは別に、「サイト全体の姿勢から文意を補って読め」という立場に反対する意見もまた、ありうるでしょう。各々の文中においても正確な言葉遣いをするべきだ、という考え方は理解できます。しかし、それらを突き詰めるといろいろ困ったことになります。そこで程度の問題ということになりますが、私は著作権放棄という言葉を、いちいち注釈をつけずに用いることにしているわけです。

したがって、著作権は(現行法のもとでは)放棄できないというご意見には、「常識ですよね」と相槌を打つばかりです。

Web上の日記は、その著者が自覚するか否かにかかわらず著作物であり、すべて著作権の対象となります。

全くの誤りです。グレーゾーンなので、著作物扱いしておくのが無難ではあるけれども、裁判で著作物と認定されない可能生が高い日記は、かなりの割合にのぼります。思想又は感情を創作的に表現したものという著作物の定義のうち、とくに問題となるのが創作的という部分です。例えば北村行夫弁護士によれば、多くの場合百科事典の各項目の説明は著作物ではないと考えられるそうです。ただし百科事典全体は多くの場合、編集著作物となります。

たいていの日記にはさして創作性がないので、著作物というには当たらない、とされる可能性が相当大きいのです。実際、メールや手紙については、著作物ではないと判断された事例が多数あるそうです。今回はとりあえず反論することが目的なのでしっかり調べませんが、実例の提示を求める声が非常に大きい場合には、腰を据えて調べることにします。

「節足動物園」も「ちゆ12歳(旧)」も「著作権放棄」とはどこにも書いていません。

どうもそのようですね。ただ、著作権放棄をうたうサイトはたくさんあります。それは事実です。

でも、おかしいな。「節足動物園」も「ちゆ12歳(旧)」も、転載に加えて改変も認めています。つまり、私が書いた(事実上の)著作権放棄という文脈から考えれば、まさに定義通りの例なのですけれども……。つまり、私がいいたいのはこういうことです。著作権放棄という言葉だけにこだわってぶつぶついうのはどうなのか、ということです。

私はこれまでにも、「誤解を招きかねない」という意見はいただいてきました。しかし著作権放棄をいちいち「著作者が一切の著作権を主張しないため以下略」と書くのは冗長でしょう。そもそも誤解を招きかねない、とおっしゃる方は私の真意を読み取っているわけで、まあ問題なかろうと思っていたわけです。真正面からこう、字面通りに読んで批判されたのは初めてのことで、ああ本当にこういう方もいらっしゃるのだなあと改めて世間の広さを実感したわけでありまして……。

「転載自由」や「著作権フリー」と「著作権放棄」は違います。

転載自由と著作権フリーは違います。「転載自由」や「著作権フリー」とは不正確な書き方ですね。転載自由という場合、多くの著作者は著作者名や転載元の明記を義務付けます。これは改変まで認める(著作者人格権を行使しない)ケースとは明らかに異なっています。したがって、少し正確に書き直すならば、「転載自由と著作権フリーと著作権放棄は違います」となります。

私は苦笑するのですが、著作権フリーという言葉遣いなら、(言葉通りの意味の)著作権放棄と誤解される可能性がなくなるのですか? 私が程度の問題というのは、要するにそういうことです。言葉の定義などというものは、厳密にしようとして細かく腑分けすればするほど正体が見えなくなっていきます。私はとりあえず、先述のような著作権放棄の真意の解説をしましたが、著作者や著作権についてはいちいちその中で再定義しておりません。著作権を語るうえで必須の著作物の定義について、私と清水さんとでは立場が異なっているわけですが、あえてその点に踏み込まず、著作権という言葉を自明のものとして使ってしまっています。

こうした説明の省略は何を書く際にも避けて通れないものです。私は何度も、著作権放棄をテーマとした文章を書いています。そのたびに、同じ言葉の定義をくり返すのはバカバカしいわけです。一見さんは確かに誤解するかもしれませんが、どこまで配慮するかというのは程度の問題であり、ケースバイケースであるべきです。

それは暴論だと思います。すくなくとも、検索エンジンには、検索やキャッシュの対象になるのを拒否する方法があり、サイトにその方法を明記してありますが、徳保さんの、事前通告のない転載を拒否する方法はありません。

それこそ暴論ですよ。検索エンジンは、キャッシュを取る前に事前通告しません。したがって、検索エンジンにキャッシュを取られるという事実を知ってから、慌ててロボットよけの記述をすることになるわけです。「無断転載禁止」でGoogle検索してみてください。80000件以上引っかかります。こうした事実をどうお考えですか。

Googleなどのロボット型検索エンジンは検索対象の取捨選択に人の意思が 介在せずというのもひどい物言いですね。Googleの運営者が、なぜそのような(著作者の意思を確認しないという意味で)身勝手なシステムを構築し、それが許されているのか、という問題をまったく無視しています。Googleは人為の介在なしに独立に進化した電脳ではなく、人が様々に条件設定し、組み上げたプログラムです。Googleのシステムには、運営者の意図が色濃く反映されています。Googleが著作者の意図を事前に確認しないことと、私が事前に確認しないこととは、並列に論じることが可能です。

事前に無断転載がOKかどうかを確認すると、結果的に転載できる情報が大幅に減少します。とりあえず転載してしまってから相手の意思を問う方が、Googleや私にとって都合がよいことは明らかです。だから、Googleも私も、まず転載してしまうのです。これはある意味ひどいことですが、私はこの件について、公益と私益のバランスという観点から説明を試みております。興味がございましたら、過去ログに当たってください。

私は基本的に、事後対応で苦情を受け付けています。既に2件、跡地の件言及サイトからの転載記事を削除しております。ただし、騒動の核心に関わるファイルについては、ちょっとやそっとでは転載をやめません。転載を継続する方が、世の中のためになると考えるからです。

ところで、Yahooの話はここではまったく無意味です。Yahooは登録サイトの内容を転載していませんし、またページ検索はGoogleエンジンを採用しているため、非登録サイトを中心に一部転載(あれは引用の要件を満たしていないのではなかろうか)を大量に行います。

厳密に当てはめなくても、このような無断転載は非合法的行為です。

また言葉の解釈の問題になっているわけですが、私は例えば、Googleキャッシュに代表されるような転載がなぜか許されている社会的実情を鑑みるに、過去の判例などから考えれば明らかに違法な行為もしばしば社会的に容認されうるという結論を導いているのです。その文脈を踏まえて、法解釈通りの考え方を厳密にと表現しているわけです。最初から法の世界の常識を持ち出して話をするなら、厳密もくそもありません。ごく基本的な問題として、無断転載は違法ですとも、そりゃたしかに。

自分の違法行為の正当性?を、誤解を招く表現を用いて主張するのは止めていただきたいと思います。

程度の問題ですね。私から見て、誤解する人が無視できる割合なら、大勢にとってわかりやすい簡潔な言い換え表現を採用します。私は、清水さんは例外的存在だと思っています。

徳保さんは3月6日の備忘録で御自分で違法と明言していますし、法的問題をクリアしてないですね。

それはメールの公開の話。メールの公開にはさして公益がないと思ったので、それでも公開するとなると別のロジックを持ち出す必要がある。メールの公開であれば、ふつうのメールが著作物と認定されないという過去の判例を知っているので、自信を持って合法といえます。だから私は、メールの公開については、いくら相手が泣こうが喚こうが、法的問題さえクリアできればそれでいいと言い切ったのです。

こんなところで文脈を読み違っている指摘は初めてです。これには本当に驚きましたね。

★WE☆のミラーサイトを短期間で消去なさったのは何故ですか?

WEのミラーサイトは今も健在です。

徳保さんは自サイトの全ページともリンク、転載、改変はご自由にどうぞと主張していますが、他者が著作権を有している他サイトの無断転載文書も再転載、改変は自由と主張なさるのですか?

質問する前に自分でも少しは調べてください。管理人は当サイトについて著作権を主張しません。という文章全体がアンカーになっている理由に、なぜ思い至らないのでしょうか。

正直に言いますと、私も著作権に関して、これまではそれほど厳正に遵守してサイト運営してきた訳ではありません。著作権関連で言及してしまった以上、今後は厳正な運営をしなければならないですけど。

徳保さんの一番の失敗は、「無断転載」という違法行為を、引用の要件を逸脱しているにも関わらず、「報道・批評・研究のための引用」と言い換えて実行し、また、不特定多数の閲覧者に、「無断転載」が法的に問題ないという、誤った認識を与えてしまった事ではないでしょうか?

感想を述べるならば、著作権関連で言及してしまった以上、今後は厳正な運営をしなければならないというのは奇妙な理屈だし、「報道・批評・研究のための引用」と言い換えてだなんて私は一度も書いていないのに、かってにそう決め付けているのもおかしな話です。私は引用だなんていっていませんよ。違法な無断転載だと認めています。ここまで散々、言葉を字句通りに真に受けてきた清水さんが、最後の最後に文脈から私のまったく意図していない解釈を導き出してしまうあたり、私は言葉による意思疎通の虚しさを覚えずにはいられません。

平成15年3月12日

清水さんへの再回答。

検索エンジンと個人サイトを一緒にするのはおかしいと指摘したはずです。キャッシュの削除やキャッシュ対象からの除外は、被キャッシュ側に選択の余地があります。

被キャッシュ側に選択の余地が生じるのは、検索エンジンのキャッシュを認識している場合に限られます。検索エンジンはキャッシュを取る前に事前通告をいたしません。したがって、気付かない人は一生キャッシュに気付かないし、当然、対策も取りません。無断転載禁止と明言しながら、Googleキャッシュにたくさんファイルを拾われているサイトが少なくないのはそのためです。

これは私のやり方とまったく同じなのです。meta要素もキャッシュ削除の希望受付も所詮は事後対応です。検索エンジンの運営方針を知っている人にしか意味がありません。検索エンジンの運営業者は、質問されればロボット避けの方法を教えてくれます。しかし自ら進んで教えてくれるわけではありません。この点を見落とされては困ります。

なお、検索エンジンの運営業者と私とでは社会的信用が異なる、というのはおっしゃる通り。しかしGoogleも私も違法な無断転載をしていることには変わりありません。

ただし私も通常であれば、転載が許可されない文書を無断転載しないよう心がけています。相当の公益を見出せないからです。跡地の件関連は例外措置です。

私は読者に無断転載を勧めているわけではありません。なぜ違法行為をするのか、という批判に対し釈明しているだけです。たしかに私の意見に感化された方は今後、公益ありと認めれば無断転載を辞さないでしょう。しかし多くの方は、「他人がやるのは黙認しても、自分がやるのは(たとえ公益があるにせよ)やめておこう」と思うのではないでしょうか。

だから、清水さんのご心配は杞憂に終ると思います。

平成15年3月14日

清水さんが嫌がりそうだったから、話し合いだけしてリンクを用意してこなかったのですが。

まず、徳保さんは引用部のcite属性に原本のURIを示しめすなどという奇怪な事をしてないで趣味のWebデザインから私のサイトに直リンクするべきではないでしょうか?

HTMLの仕様は、地の文と引用部分をはっきり区別し、また引用部分と引用元との関係を明快に関連づけるよう定められています。引用部分と示すのがblockquote要素、またはq要素です。いずれもcite属性により、原本のURIを明記することができます。IEはcite属性に対応していませんが、この仕様は5年も昔に定められたものです。マイクロソフト社の怠慢は明らかです。Netscape7など仕様に準拠したUAはcite属性に対応しており、cite属性から引用元を参照できます。

仕様通りに作成されたHTML文書は、プログラムによる自動処理によって引用部分のみ抜き出したり、逆に地の文のみ残したりできます。また引用文献一覧なども自動で作成できます。さらに同一文書から複数回の引用を行った場合、引用元文書ごとに引用部分の一覧を作成することなども可能です。

清水さんは、HTML文書における引用の文法を無視しています。適当な位置に引用元へのリンクを用意し、引用部分を太字で示して事足れりという風を装っています。しかし清水さんのやり方では、地の文と引用部分をはっきり区別することは不可能です。そして引用部分と引用元との関係も明示的ではない。いずれも文脈の読み取りという曖昧な手段によってしか判断がつきません。引用部分を太字にしているじゃないか、という意見もあるでしょう。しかし清水さんのサイト内だけに限っても、太字=引用という規則は成立しません。だから、例えば検索エンジンのような自動巡回処理によるデータベース作成を考えた場合に、清水さんは他者の著作権を侵害することになるかもしれません。

私は引用を厳密に扱っています。清水さんはルーズです。ただルーズなだけならともかく、自分の不勉強を棚に上げて奇怪な事などという。

やっていることが検証サイトにリンクしないプリシラさんとたいして変わらないと思いますが。

検証サイトなど存在しません。また、私はプリシラさんは考察サイトにリンクするべきだなどと一度も書いていません。そのような考え方には反対だからです。私は事件についての感想を、考察としてまとめました。その中で、プリシラさんが本当に反省すべき点は何か、ということを書いています。しかしながらボクの終戦工作にある通り、現実的な騒動への対応策としては、私はそもそも間宮さんにもプリシラさんにも反省すら求めていません。ただ世間を納得させるお詫びの言葉さえ発してくれたら満足だと述べています。

清水さんが検証サイトにリンクしないプリシラさんを否定的に捉えていることはわかりましたが、私はそもそもそうした考え方に与しません。私は批判者は相手を明らかにすべきだと考えていますが、批判された人には、それを無視する自由があると思います。プリシラさんは当サイトへの批判を公言しておらず、したがってリンクする必要もないでしょう。間宮さんは現在でこそ取り下げているものの、一度は当サイトなどを批判しました。その際に対象を明記しなかったのは反則だったと今でも思っています。

違法行為の実行が容認されてしまっては、法律の存在する意義がありません。

検索エンジン側が、誰が、何処で、何時新規サイトを開設したが知る事ができれば、検索エンジン側からサイト開設者にキャッシュの承諾を求める事もできると思いますが、それは非現実的です。

矛盾したことを主張されるなら、それなりの説明をいただきたいものです。清水さんの説に従えば、Googleキャッシュのような違法行為なしに維持できないサービスは、そもそも禁止です。検索エンジンは登録型に限定したらいい。

私は清水さんがおっしゃるようなガチガチの法治国家には住みたくありませんね。現状程度に適度に法の執行が緩やかな社会の方が、私好みです。

この時点では、法的問題をクリアできればいいと主張し、今になって「公益」という名目で違法行為を実践していると釈明する徳保さんのサイト運営方針は、論理的に破綻しています。

何度説明したらわかるのか。私は跡地を立ち上げた2月2日の時点で既に、違法な無断転載としていることを認めています。25日の備忘録で書いているのは、無断転載するだけの公益性が認められない(と私が思っている)間宮さんのメールの公開についてです。メールの公開には公益がないが、やっても問題ない。なぜなら法的にOKだからだ。そういう話です。騒動関連資料の無断転載とは、まったく別の話をしているのです。ごっちゃにしないでいただきたい。

クレームがあったので、日記と掲示版を撤去して転載を許可された批評部分だけを残した訳ですよね。

クレームはなかったと思いますよ。私が忘れただけかもしれませんが。ただ、まよさんが転載を認めていたのは批評だけでした。だから批評以外の転載を止めたのです。私が法を犯してまで転載するのは、相当の公益を確信した場合のみです。ふだんは、転載が認められ(てい)たもの以外は転載しません。だから、まよさんの日記などは転載をやめたのです。

徳保さんは、原点に戻り、違法性を是正して、Webデザインのアドバイスを主目的としたサイトに回帰するべきだと思います。

アドバイスばっかりやっているのに飽きたから、備忘録をこんなに更新しているのです。嫌々以前の状態に回帰してなんになるというのでしょうか。私は現状の、備忘録の更新に追われる合間にアドバイスをぽつぽつこなすというペースに満足しています。

というか、当サイトの原点はにゃごろう村にありますが、あの時代には戻りたくても戻れません。当時の私はサイトの作成のみを担当し、文章は山田大佐が書いていました。今ではもう山田大佐とは連絡も取れませんし、どうしようもありません。よく知りもしないくせに、原点に戻れとかいってほしくない。

平成15年3月14日

例の話の続きです。

法を犯してまで、転載が認められていないし、相当の公益を確信していない、まよさんの日記を無断転載し、まだ稼動中の掲示版にリンクを貼って、完全ミラーサイトを再現した後で、クレームがないのに批評部分の転載に切り替えたのですね。・・・徳保さんは、いったい何をなさっておられるのですか?

間違いに気付いたので、行動を改めたのです。

では、平成15年2月28日の備忘録はいったいなんだったんですか?自サイトが違法である事を認識しながら、閲覧者に合法であるかのように記述し、サーバー情報を求め、善意の第三者に対し違法行為に協力させたのですね。この備忘録が原因で始まったニュースサイトの報道や2chの書き込みによる抗議で発生したloopsプロパイダに対する風評被害に対しては、徳保さんはどう責任をとられるのですか?

私は著作者のあらかじめ許可していない無断転載を合法だと書いたことは、一度もありません。しかし私の無断転載が違法であることとは別に、サーバ業者への申し立てが虚偽に満ちていることも事実です。今は必要最小限の転載しかしていないものをほとんど転載しているといい、テキスト情報を転載したらレイアウトの改変といい、無断引用を著作権法違反という。と私は書きましたが、全てその通りではありませんか。それでも無断転載の非合法は明かだから、細かなことを言い立てても反論にはならないでしょう。

また、Loopsというサーバ業者は、公益とクレーム(しかも法律違反)を天秤にかけたりしません。そのことは私もよくわかっていました。だから、素直に移転することにします。と述べているのです。

風評被害の件ですが、私の見る限り、Loopsへの批判は風評ではなく事実に基づくものでした。事前通告なしに強制解約の通知が届いたこと、事実誤認と法律への無知であふれた(しかし無断転載を批難している一点で有効な)クレームをそのまま受理するルーズさ、公益を斟酌せず規約を最重視する運営方針……いずれも事実です。それぞれ賛否両論ありえるわけですが、私のサイトを支持される方の多かった2ちゃんねるでは、批判の声が多かったというだけのことに過ぎません。

私が無断転載を合法のように書いたからLoopsが抗議された、というのは話が違います。私は無断転載は合法だなどと書いていないし、Loopsも風評で批難されたのではなく、実際の行動について批判されたに過ぎません。

他サイト管理人の権利を侵害してまで、「公益」を主張するのは間違っていますし、徳保さんも実際は自分が間違っている事を認識しておられるはずです。

私は公益を確信しており、他サイト管理人の権利を侵害するのもやむなしと考えているのです。根本的な見解の相違です。

公益というものの本質は、個人の最低限の権利が守られてから成り立つものだ。

私と清水さんとでは、最低限の権利という言葉の解釈が異なるのです。清水さんは、例えば有事法制などにも反対の立場でしょうか? 日本の現行法規では、有事の際に自衛隊が民家を破壊して陣地を築くといった行動を取るために、いちいち家主の許可が必要です。しかし本当に危機が訪れたとき、どこかへ退避してしまった家主を探して判子を書類に押してもらっている余裕はないのです。平時の権利、平時の法と、いざというときにも守られるべき権利というものは異なると、私は考えます。

現在、有事法制は整備されておりません。しかし、もし今日明日に危機が訪れた場合には、必ず超法規的措置が取られます。そしてそれは、正しいことです。私は少なくとも、それを支持します。(あんまりひどい事例でなければ)

みだりに無断転載が行われてはならない、それは当然です。無断転載されない権利が、著作者にはあります。しかし、いつどんな場合にもその権利が守られねばならないか。私はそうは考えません。無断転載が社会的に容認される場合があると考えます。跡地の件の記録には公益があり、無断転載するに足るのではないでしょうか。私が繰り返し説明しているのは、そうした考え方なのです。

徳保さんは訴訟を起こされたら100%負けますし、そこまで事態が悪化する前に違法性を是正すべきです。情けない戦いはおやめください。

敗訴確定の裁判でもドンとこいというほど大物ではないので、そこまで事態が悪化する前には私もサイトを放り出します。ただし私は確信犯です。跡地の件関連の無断転載については、法律よりも私(の考える公益)に正義があると考えています。だから、そう簡単には違法行為をやめません。こんな私を危険人物とみなす清水さんは、ある意味、常識人だと思います。ただ、たまたま現在、跡地の件を知る方々の大半は私の違法行為を黙認してくださっています。これを暗黙の支持と受け取っても、あながち間違いでもないでしょう。

ご忠告は痛み入りますが、もうしばらく私の情けない戦いは続きます。

違法行為だからやめるべし、という清水さんに対し、私は様々な観点から違法行為が社会的に容認される可能性について説明してきました。清水さんはそれでも法律にこだわるようで、私の釈明を口先だけの不誠実な回答とおっしゃる。たいへん残念です。とくに、法的問題をクリアできればいいと考えます。の文脈(あるいは真意)を、これまで散々説明したにもかかわらずご理解いただけないことには、がっかりしております。

清水さんは口先だけの時間稼ぎともおっしゃいますが、たしかに私は肝心の無断転載について、もともとまともに譲歩するつもりがありません。だからといって話し合いが無意味だというわけではないのです。私は少しでも自分の考え、立場を清水さんにご理解いただこうと意を尽くしてきたつもりです。どうやら清水さんは、私が無断転載を止めない限り、口先だけとおっしゃるつもりらしい。違法と認識しながらも行動を改めない、という理屈を絶対に認めようとされないのですね。私とは価値観が違うということでしょう。

清水さんの批難の言葉を読むと、単にお互いの立場を理解しあうだけの話し合いを無駄だとお考えの様子。私はそう考えませんから、清水さんのご質問には今後も(基本的に)お答えします。ですからもし、私が譲歩する意思を持たない限りこれ以上の意見交換を無意味だと感じていらっしゃるならば、清水さんの方で今後の対応をお考え下さい。

平成15年3月15日

例の話、これでひと段落しそう。

そして私は敗北宣言。我が説得術の未熟をあらためて実感。

最後にひとつだけ。徳保さんを支持する人間は、自サイトの著作権を主張できない。とのご意見ですが、主張するのは自由でしょう。ただし時と場合によっては、著作権を侵害するなという正論に支持が集まらないこともあるわけです。人生の規範は法だけではないので。