気になった点その2。
「痴漢の言い訳」を受けての徳保さんの文章はこゆさんと全くかみ合ってないように思います。こゆさんの文章は私憤であると述べているように感情にまかせて描かれているため文章の構成上問題があり、そこのところを徳保さんが誤解したのではないかと思うのですが。(私はそういう文章を直した方がいいといいたいのではありません。読み手はそこのところをしっかり踏まえる必要があるといいたいのです。)
題名が「痴漢の言い訳」であることからわかるように、この文章は痴漢に遭って腹を立てた、こゆさんが討論番組などの意見から彼女が推測した痴漢の言い分を論破するという内容です。従って、こゆさんは最初から「悪者自身が自分を正当化する話」に対して反論することを目的としているのであり、「悪者を正当化する話ではない」という徳保さんとはそもそもかみ合っていないことになります。徳保さんの例えでいうなら、イラクが「クウェートはスキがあるから攻撃したんだ、俺は悪くない」と言うのをクウェートが批判したというのがこゆさんの話でしょう。
>当たり前ですが、わざわざ危ない格好をしている必要もないだろうと思う人がたくさんいるのも当然のことなのです。
ちなみに痴漢がターゲットにするのは「おとなしそうな人」だそうで、また、その対策もピーク時を避けるとか、普通列車にするとか、ドア付近に寄らないとか、そういうことだそうです。危ない服装をすることと痴漢に遭遇することってどれくらい相関があるのでしょうか?痴漢に関する限り、服装について批判することは少ない可能性について論じているだけで痴漢予防の根本的議論にはなりえないように思えます。そういう意味ではこゆさんの意見も痴漢の実態に関係の無い話ではあるのですが。
私の知る限り、討論番組で「痴漢を正当化」する意見は出ません。痴漢は悪いに決まっている、というのが常に話の前提となっています。出てくるのは、被害者に同情が集まるのはどういうケースか、という話なのです。「チャラい格好をしていた人が被害にあっても仕方ない。自ら犯罪を引き寄せているんだからね(でももちろん、犯人は逮捕するべきですよ、それは当然です)」というように。括弧の中は言葉にされませんが、それは議論の前提条件だから、あえて繰り返されないというだけの話に過ぎません。つまり、「痴漢の言い訳」という感想を持ったこと自体が、こゆさんの勘違い、思い込みであるという点を、まず押さえていただきたい。
その上で、討論番組などで「チャラい格好をしている人には同情しがたい」という意見が出るのは、故あることだ、と書いているのです。こゆさんが怒っても、討論番組からその手の意見はなくならない、と。
最後に。服装と被害確率の相関は不明です。こういうことは統計を取らなければなんともいえません。つまり、私はこう思うという話をしても、あんまり説得力を持たないということです。ただ、とりあえず服装次第で世間の見る目が違ってくるのだから、同情されやすい格好をしておいた方が得だと私は思います。これは痴漢ではなくて世間の問題なので、痴漢に対して怒っても仕方ないことです。
実際には、たいよーさんがおっしゃるように、ピーク時を避けるといったことが痴漢そのものの被害を避けるための対策になるのでしょう。しかしピーク時に電車に乗ったので痴漢に遭いました、という話に同情しない人はまずいません。みな、乗らざるをえない事情を推察するからです。チャラい格好をせざるをえない事情については理解されませんが、ドア付近に寄らざるをえないとか、普通列車に乗らざるをえないとか、そういった事情には社会の理解があります。したがって、それらの要件が重なって痴漢の被害にあったとしても、たいていの方が同情してくれるわけです。
こゆさんが当該の記事で怒っているのは、記事タイトルが「痴漢の言い訳」となっているのは勘違いであると喝破すれば、そのじつ、世間様の反応であることは容易に読み取れます。チャラい格好は世間の目が冷たいのです。それが現実です。服装なんて、被害確率には関係ないかもしれませんよ。でも、現に世間様の目はそうなっていて、これは簡単には覆せないのです。だから私は、逆にそれを利用して、世間の同情を集めやすいよう注意して行動した方がいいと述べているのです。対策のやり方は明らかなのに、それをせずにわざわざチャラい格好をしておきながら、「なぜ世間の目は冷たいんだ?」といってもしょうがないのです。
私が徳保さんの解釈に疑問を抱いたのは次のような点からです。末尾の文章の>ごちゃごちゃ語って自分の犯罪を正当化させようとしないで、とっとと常識身につけてね。と涙を浮かべつつ笑顔で言ってやりたい・・・。
これは痴漢に対して言っているのですよ。 また、>TVの似非討論番組で「露出度の高い姿で電車に乗ってくる女も悪い。 被害者側にも非がある。」と言われると「はぁ?」と言ってしまいますよ。
こゆさん自身、上のように書いていて「被害者側にも非がある」というのですから、こゆさん自身が討論番組では「加害者側にも非があるのは自明」としていることに気付いていたでしょう。
繰り返しになりますが、痴漢の言い分という題名からも討論番組とは関係ないことを示していると思います。
>「痴漢の言い訳」という感想を持ったこと自体が、こゆさんの勘違い、思い込みであるという点を、まず押さえていただきたい。
これについてはどうですかね。討論番組の被害者批判の部分を痴漢の言い分として採用してもそれほどおかしくはないと思いますが。むしろ討論番組での批判意見自体を痴漢の言い分として採用した事を、徳保さんが勝手に「こゆさんが加害者の非を前提としている事を無視し、悪人を正当化する意見が番組にあると考えているとみなし、その意見が痴漢の言い分であるという感想を持った」としたのは、徳保さんの勘違いではないでしょうか。上の引用でも触れましたが、こゆさんは討論番組では加害者にも非があると考えている節があるのになんでそれを無視するのですか?こゆさんは女性ですから、徳保さんにいわれるまでもなく、世間の目くらい分かっていると思うけどな。
> これは痴漢に対して言っているのですよ。
いや、何もいっていない痴漢が、なんで討論番組に出てきた人の言葉に対する反論を受けなければならないのでしょう?討論番組に出てきた人がいっているのは、世間の痴漢事件に対する見方のひとつです。
一方の非を述べることは、他方の正当化につながるわけではない、という点にご注意ください。ここが重要です。どれほど被害者の非をあげつらっても痴漢は正当化されません。討論番組における某氏の発言は、痴漢を正当化するものではないが、しかし被害者にも非があるという世間の見方を示しています。そこがわかっていない(痴漢を正当化していると勘違いしている)から、おかしな発言につながってくるのだろうと思います。
>いや、何もいっていない痴漢が、なんで討論番組に出てきた人の言葉に対する反論を受けなければならないのでしょう? それはこゆさんが討論番組の批判意見を痴漢の言い分だと考えているからでしょう。番組の批判意見を痴漢を正当化していると勘違いしているという徳保さんの主張はわかりました。では、逆に徳保さんにお聞きしたいのは勘違いの上で意見を痴漢の言い分として採用したという事実を無視して、それ以降に書かれたこゆさんの文章を痴漢の言い分に対するものとせずに、あくまで世間の目に対する反論だとしてどうして採用できるのですか?こゆさんが番組の批判意見に反論するつもりでいたなら、別の議論の展開をしたかもしれませんよ。
つまり、意見を番組の批判的意見とするか、痴漢の言い分とするか、あるいは「番組の意見に被害者にも非があるとあった」というように自分の文章に書いておきながら、加害者にも非があることを認識できないで、悪人を正当化する意見として受け取っているかで議論の展開は異なります。犯罪者が被害者を批判しているのか、周りが被害者を批判しているのか、といった立場によっても異なりますし。徳保さんがそれらを考慮していないのは問題だと思います。ダブルスタンダードを許容する人だということは知っていますが、それを許容しない人間も多いことをご理解ください。(別の意味で私もダブルスタンダードなのかもしれません)
だから、あくまで勘違いでその勘違いが問題だと徳保さんは言いますが、その主張自体が徳保さんがこゆさんの文章を世間の目に対する反論としてとったため起こっただけで、そのように解釈しないのなら勘違いは勘違いとして受け取ってどうしていけないのかと思うわけです。私の考えでは痴漢の常習者は別として衝動的な痴漢の言い分としてはありそう、ただし、痴漢自身がそれをもって自分自身を正当化しているのかというとそうでもない気がする。悪いと知りつつ思わずやってしまったというような……まあ、痴漢の考えることは私にはわかりません。わからない以上、ひとまずそれを痴漢の言い分というか、自分自身を正当化した言い分として正しいと仮定すると、こゆさんの論旨も受け入れることが出来ると思うのですよ。
>一方の非を述べることは、他方の正当化につながるわけではない、という点にもご注意ください。それでも痴漢が悪いに決まっている、という前提がある以上、どれほど被害者の非をあげつらっても痴漢は正当化されません。
そのとおりですよね。だからこそ、>悪党を責めるばかりで、自分の無防備を正当化するのはどうかと思います。
という文章が納得いかないのですよ。こゆさん、自分の無防備を正当化してます?具体的な部分をご指摘ください。悪党を責めているのは文章から読み取れたのですが、そんな記述なかったように思いますが。それとも一方の非を述べることが他方の正当化につながることを、こゆさんが是としていると思ってるからですか?ちなみに「番組の意見に被害者にも非があるとあった」というように自分の文章に書いておきながら、加害者にも非があることを認識できないでいるほど、こゆさんが愚かだとはとても思えないので、悪人を正当化していると勘違い云々という考えには私は同意できません。
で、これは感想ですが、こゆさんも露出の多い服を着ている女性も世間の目をわかってないわけではないと思うし、危ない服装は避けた方が無難だということもわかっているとは思うのですよ。じゃあ、どうして討論番組の意見を「はっ?」と受け取るのかといえば、「おっさん」が被害者を「悪い」というからむかつくのであって「よく痴漢に遭う女性」が被害者に露出を抑えた服に「した方がいいよ」といえば実際にそうするかは別として意見としてはそれなりに受け入れられると思うのですよ。彼女なり、カミサンなりの愚痴を分析して理路整然と対応策を述べても、女の人の満足って得られないでしょう。逆にさらに相手を怒らせることになったりして。長い長い愚痴を聞いてあげて、その苦労をねぎらいつつ、こうした方がいいかもというふうにアドバイスすれば結構意見というのは通りやすいものです。だから、こゆさんがある意見に対してむかついているということがその意見を否定するということを意味してはいないと思うのです。その辺の解釈が徳保さんと違うのだと思う。
しかし、痴漢に毎日遭うわけでもないのに痴漢に対処するだけのために女性のファッションをかえるという話も結構むちゃくちゃだと思うなあ。徳保さんもあんまり実際的じゃないと思っているんじゃないですか?
最後の論点について。私は、みなリスクとうまく付き合ってほしいと思っています。降水確率30%……傘を持っていくか→雨降らない→なんでだよ!といって怒るのはヘン。降水確率はあくまでも30%なのだから。予想通りの事態なのに、「なぜ?」をカマトトぶられても困る。どんなファッションでも勝手だけれど、世間の目が厳しいとわかっている服装を選択するからには、リスクも背負うべきなのです。リスクなしで自由だけ拡大というムシのいい話はありません。私がいいたいのは、そういうことなんですよ。
感想について。私がいちいちこゆさんの意見に反論したのは、「はっ?」という書き方にムッとしたからです。たいよーさんが想像するように、こゆさんがいろいろな考え方についてわかっていながらそう書いたのなら、なおのこと見過ごせませんね。私は、こゆさんの書きように怒ったから反論を試みたのです。愚痴を書くにも書きようがあるんじゃないですか。まあ私のような変人に反論されるというリスクを気にしないならともかく。
勘違い(?)について。私が指摘したいことの第一は「見当違い」そのものです。その指摘を起点として、こゆさんの意見をひっくり返してみせる、というのが今回の私の話の組み立てなのです。初手が違っているから続きも全部ダメだ、と。もし初手が正しいとすれば、なんて話には興味ないし、つきあいきれません。
(痴漢の言い訳)>で、そういうイメージがある以上は、逆にそれを利用した方がいい。
という言い方だったので納得いかなかったのですが、>世間の目が厳しいとわかっている服装を選択するからには、リスクも背負うべきなのです。
という言い方なら、話はわかります。特に異論はありません。付け加えるなら、服装と被害確率の相関に関する根拠が曖昧であることを世間に対して指摘していくことに意義はあろうかと思います。こゆさんによるとコートを着ていても痴漢に遭うようですし。
>私がいちいちこゆさんの意見に反論したのは、「はっ?」という書き方にムッとしたからです。
徳保さんがムッとしていたのは>「電波」とか「困ったチャン」とかに絡まれやすいのは、単に類は友を呼ぶという話なんではなかろうか。>不幸自慢する人が多くて困るよ、という不幸自慢。>悪党を責めるばかりで、自分の無防備を正当化するのはどうかと思います。
の部分でわかります。こゆさんが持ち出した理屈によって彼女自身批判されるという、皮肉ですね。しかし、批判された当事者でもない徳保さんがきつい皮肉を浴びせたことに関しては正直、困惑してます。そこまで言うか!というように。だから、私の提示した解釈というのはこういう風にみれば好意的に読むことが出来ますよ、ってことでもあるのです。
>愚痴を書くにも書きようがあるんじゃないですか。
文章が感情にまかせた暴論であるのも事実ですが、痴漢に遭ったりして同情の余地があると私は思っています。誰でもそういうむちゃくちゃな愚痴をいう時ってあるよな!暴論なのは明らかだから、徳保さんもきつく当たらなくても!というような。それに徳保さんは初手が違っているから続きも全部ダメだと切り捨てているけど、見当違いにせよ、痴漢に憤りをぶつけてやりたいという気持ちは文章から伝わってくるのです。痴漢に対しての憤りの念をぶつけるということが文章の目的なら、目的は果たされていると思います。私からみると、論理性云々という方が表面的な話に思えます。むろん筋が通った文章に越したことはないので、徳保さんの指摘は有益なことです。しかし、こゆさんの事情を考慮に入れてないように見える徳保さんの反論もまた私には首をひねるものです。
>もし初手が正しいとすれば、なんて話には興味ないし、つきあいきれません。
それは残念。それなら、それ以外の話で私の立場をまとめると、1.徳保さんの文章はこゆさんを皮肉る箇所があり、疑問に思う。2.こゆさんの文章が書かれた経緯を考えると、徳保さんの指摘は枝葉の部分に対してなされていると考える。
私が徳保さんにいいたいことは「徳保さんの話の筋は通っているけど、痴漢されたわけだから、痴漢に対して文句をつけたっていいじゃないか!討論番組は実はあんまり関係ないんじゃないの?」ってことです。メールで絡まれ、相手サイトで祭りになったり、しつこく愚痴られたり、痴漢に遭ったり、そういう嫌なことに対して愚痴るくらいはよいと思うのですよ。相手のサイトを荒らすとか、繰り返し同じことを愚痴るとか、痴漢に怪我をさせるとかじゃないのだから。それを「不幸自慢」とか、「電波」だとか、「自分の無防備を正当化している」とか、言い過ぎじゃないかと思います。何が徳保さんをここまでいわせるのだろう?(補足)私がこゆさんの文章に痴漢への憤りをみるのは元々こゆさんが文章を書いた動機が痴漢に遭ったことだったというのが大きいです。他にも色々指摘できる箇所はあるけど、徳保さんの興味のない範疇の話なので略します。
私はムッとしたから、わざわざ反論を考えていろいろ書いたんであって、ムッとしなければ「よくある意見」に過ぎないのでスルーするだけです。私だって自分と違う意見に対して全部反論するほど暇ではないので、読んでいてとくにイライラさせられたもの、ムッとしたものについてだけ反論を書くわけです。
まあ、ムッとするかどうかは私の気分次第でもあり、必ずしも暴論の程度と私の怒り具合は対応しないので、「なんでこの程度の記事に怒るんだ?あっちの記事の方がどうみてもひどいのに」と自分でも驚く場合が少なくありません。
といった話はともかくとして、愚痴くらい自由にいわせておけ、みたいな意見は多いのですが、愚痴に怒るのも反論するのも自由だと思います。私だってWWWにある無数の愚痴のごく一部にしか怒らないし、反論もしません。私は自分の興味の範囲内であれこれ書いているだけです。多くの人は「愚痴には決して反論しない」のが正しいかのような物言いをなさいますが、愚痴に共感する意見はしばしばあるわけで、そういうのはヘンだなあと思いますね。賛成だけが許されるというのは、おかしな話です。
ところで、こゆさんの「事情」の件ですが、内閣の調査では女性の痴漢被害の経験率は60%だそうです。たいていの女性が痴漢の被害にあったことがある。むしろ私はそれを踏まえて書いています。これほど痴漢被害は身近な問題なのだから、理想論(服装によらず被害者はていねいに扱われるべき)ばかりいっていてもしょうがない、と。
それから、討論番組はたしかに枝葉なのでしょうが、つまらない形で引き合いに出されて「はっ?」とかいわれてしまう「おっさん」をかわいそうだという人はいないのでしょうか。討論番組が枝葉なら、そもそも枝葉を持ち出したのはこゆさんです。そして私はその枝葉の扱われようにムッとしたわけです。だから私の反論は枝葉の部分に集中している。だから話の筋は通っているというか、私はそもそもたいよーさんの指摘されているこゆさんの話の本筋は相手にするつもりがないわけです。
他のテキストへの言及について。日記の更新でムッとしたので、他のテキストにもいちいち反論したくなったということです。でもひとつだけ、共感したものがあって、備忘録の更新ではそれを一番上の記事で紹介しました。
>愚痴くらい自由にいわせておけ、みたいな意見は多いのですが、愚痴に怒るのも反論するのも自由だと思います。
もちろん自由です。しかし、感情にまかせて書いた文章に「論理的に矛盾がある」と指摘するのは容易いことです。矛盾を指摘するだけなら、まだしも徳保さんは皮肉まで言っている。そのように相手を過剰に攻撃するからにはそれなりの反発があることは覚悟すべきではないですか?こゆさんのテキストを5つ文中リンクし、そのうち4つは批判意見のみ。皮肉つきで。ひどいと思うけどなあ。「こゆさんのテキストが愚痴であると認識していることを明記する」あるいは「皮肉を言わない」のいずれかがなされていれば私は何も言わなかったでしょう。そうでない以上、徳保さんは「こゆさんのテキストが愚痴であることをきちんと認識していないのではないか、だから厳しく批判するのではないか」と考えるのも私にとっては自然なことだったのです。しかし、愚痴に対しても怒るのも反論するのも自由というのが徳保さんの立場というのはわかりました。
>賛成だけが許されるというのは、おかしな話です。
許す許さないの問題ではなく、「勝つとわかりきっている勝負に勝って相手をいたぶるのはしのびない」、というある種の美学の問題です。また、平常の精神状態であれば決して書かれることのない種類の文章であり、感情をじかに伝わる種類の文章だと考えているからです。そもそも論理的ではないものに理屈を求めても仕方なかろうと。念のため言いますが、異論のある箇所を指摘し、正すのはよいと思うのですが、「叩く」のは野暮だと思うのです。野暮を承知でやるのもいいですが、周りから「野暮だね」といわれることは覚悟して欲しいと思います。
>つまらない形で引き合いに出されて「はっ?」とかいわれてしまう「おっさん」をかわいそうだという人はいないのでしょうか。
ところで、討論番組では加害者側の非、被害者側の非、加害者が悪いのは議論の前提条件であることが全体としてバランスよく論じられます。しかし、意見を述べる個々の人をみると、加害者側の非しか述べない人、被害者側の非しか述べない人などバランスの偏った人がいます。中には敢えて露悪的に言ってギャラリーからブーイングされる人も居ます。しかし、出演料をもらっている立場にたって考えると、ブーイングを浴びて目立つことは重要です。無難な意見ばかり述べる人ばかりいてはテレビとしてつまらないから。「おっさん」にしても個人的に話をするときにそんな態度はとらないだろうし、ブーイングを浴びることはむしろ「おいしい」ことなのです。「おっさん」はそのような誤解を受けるのは十分わかっていて、むしろある程度誤解を生む発言をわざとしているのです。「おっさん」が誤解を受けるのは仕事上のリスクであり、背負うべきものなのです。だから、こゆさんが誤解したのもある意味当然のこと。もちろん徳保さんがこゆさんの誤解を正したのは有益だったと思います。やり方には異論がありましたが。後、こゆさんの事情と「本筋と枝葉」の件についての徳保さんなりの立場は理解できました。
もちろん「野暮だね」というのはみなさんの自由なので、どんどんいえばいいんじゃないですか。私はそれに反論したければするし、面倒になれば放置するし、目障りだと思えば(可能ならば)消してしまうこともありえます。
また私の書き方はどぎついので、おとなしく書くより反発があるのも当然でしょう。
>私はそれに反論したければするし、面倒になれば放置するし、目障りだと思えば(可能ならば)消してしまうこともありえます。
了解しました。もし放置されたり、消されてしまえば悲しく思うでしょうが、催促したり、徳保さんに抗議のメールを送りつけるようなことはしませんよ。徳保さんをわずらわせるのは本意で無いので。
ところでムッとするのは自由だけど、それは相手に関係ない、個人的事情で客観性もないわけだから、ある程度表現上配慮したら?というのはやっぱりダメですかね?←しつこい!まあ、レスは期待しないことにします。(笑)
>私としては、可能性があってもなくてもいい話です。
「いかがですか」というから答えたのになあ。「検査しました。もう大丈夫です。」のくだりについては続いて「感染者は出ていないので、潜伏期間を過ぎれば安全宣言を出せます」とか、そういう言葉が出てくるのかな、と思っておりました。それを補強する根拠を示す事はできません。でも、それも私の勝手な解釈ですね。正直、わかりません。それ以上は重低音さんに聞くしかないですね。
私の意図がうまく伝わらなかったようで、申し訳ない。疑問形だからといって答えを求めているというわけではないのです。しかしこれは私の文章の問題です。
はじめまして。いつもいろいろと考えさせてくれるトピックを提供してくださり、ありがとうございます。もう徳保さんの頭の中では過去に分類されているのかもしれませんが、すこし発言させてください。5/25の備忘録の件です。
>相手の意見が経験則と(中略)確率の問題について何ら傍証を挙げることに成功していない。とおっしゃいますが、これは要するに「男性は衆人監視の電車内であろうがいともた易く理性を蒸発させるような程度のイキモノである」ってことに賛成されるわけですか?それはちょっと嫌ですね。というか、こゆさんがご覧になった番組でどういう風に「痴漢行為に及ぶ心理」が「間接的に裏付けられていた」のか、あの文面からは私にはまったく推し量ることはできませんが。徳保さんもその「似非討論番組」を見ていらしたのでしょうか。
>「服装は関係ないんだ」というデータがない以上そんなデータは集まりようもありません。痴漢として捕まった以上、(冤罪でない限り)「自分の罪状に対する印象を少しでも良いものにしたい」と考えるのは当然のことでしょう。「誘うような格好をしていたから」「つい出来心で」なんて口から出るのは当たり前です。それが取調記録なりに載り、統計として処理されたり、タプロイド紙なんかに載れば、「服装が…」というのがあたかも有意の結果として人々の記憶のどこかに引っ掛かることもあるでしょう。そして「ああ、俺もムムッと来たことあるな、そう言えば」という記憶と結びつくのはた易いことだと思います。このことを以って「感覚的・経験的に実態を推測」している(=世間の見方)と捉えているとおっしゃっているのであれば、ぜひご再考いただきたいです。
万引という犯罪も、「つい魔が差して」が言い訳によく使われますが、じゃあ万引(窃盗ですね)された店やスーパーに対して「警備が万全でなかったから」「いかにも取ってくれ、って感じで商品が並んでたから」ってのも立派な抗弁として通用するってことでしょうか。飛躍しているとおっしゃるかもしれませんが、徳保さんが余談で書かれている自衛隊の話よりは構造的にずっと近いと思います。徳保さんは、ご自分が仮にスーパーで働いていて万引犯を捕まえたら、「魔が差したんだ」と言って泣かれたら信じて「もう二度としないように」って諭して釈放される、寛大な方なのでしょうね。万引犯のほとんどは常習犯です。たとえ捕まったのが初めてだとしても。そして私服警備員や防止システムを入れても、万引被害はゼロにはなりません。突破する気があれば、やれるからです。では窃盗という犯罪は「警備が手薄だったから」という理由で減刑されるのでしょうか。損害賠償請求(民事)においてはありうるかもしれませんが。
>その後の世間の支援に違いがあるのです。これには同意します。しかし、その後の世間様の「目」が同情を含んだものかそれとも侮蔑を含んだものかどうかと、痴漢に会う会わないの確率の問題はそれこそ切り離して論議すべきものだと思います。それとこゆさんは、世間のものの見方に対して怒ってらっしゃるとは思いますが、「世間の同情」を集めたいわけではないと思います。徳保さんが「こゆさんは痴漢に対してというよりは、世間の反応に対して怒っている」とおっしゃるのは、その通りだと私も思います。しかし「露出度の高い服装をしていたら痴漢されて当然」という世間様と、「あんなにおとなしい格好していたのに痴漢に遭って可哀想に」という世間様はまったく同じものの裏表です。前者に怒っているこゆさんが、なんで後者の支持を得たいと思っていると徳保さんが考えられるのか、そこが分かりません。それゆえに痴漢に遭ったことのある女性(私含む)にとって、「服装で自己防衛するのが対策(傘)となりうる」という徳保さんの主張が納得できないものとなっているのではないでしょうか。
>どんなファッションも勝手(中略)リスクも背負うべきです。(BBSレス)横になりますが、「世間の目が厳しい」服装を選択して負うリスクの中に「痴漢に会う」までを包含されているのに驚きました。いったい混雑した電車の中で痴漢に遭った人のどれくらいが、そこまでのリスクを負わなければならない服装をしていたのか知りたいところです。服装で負えるリスクと言えばせいぜい「カタギじゃない」「バカにしか見えない」「普通の職業に就きにくい」くらいが限度と思うのですが。
初めての投稿というのに、こんなに長くなってしまって失礼しました。これからもご活躍を期待しています。
上から順に。まず最初の話題。私の記述は「ムムッと思う人が多いのが露出の多い服装だ、というのは事実です。といってもムムッと思う人のほとんどは痴漢行為なんかしないで、仏頂面を決め込みます。」というもの。一部の人はそもそも無関心だし、関心を持っても、ほとんどの場合、表情にさえ出さないと書いているのです。私の文章から「男性は衆人監視の電車内であろうがいともた易く理性を蒸発させるような程度のイキモノである」という解釈を導くのは、いささか無理がありませんか。あなたの偏見を私の意見と勘違いされては困りますよ。
私は問題の討論番組、みていません。しかし、こゆさんが反応された意見は、非常にありふれたものです。「露出の多い服装にムムッと思う人は多い→つい魔が差して痴漢行為に及んだという言い訳が本当ならば狙われやすいのは露出の多い服装の方だろう→露出の多い服装をしていて痴漢被害にあっても、あまり同情できない、なぜならその格好が危険なことは容易に想像がつくからだ」……ね、自分の経験を起点として間接的に服装と被害確率を論証していますでしょう。
似た例をあげます。殺人事件の被害に遭いやすいのは、冷たい人か、優しい人か?実際に殺人を犯したことのある人は滅多にいないけれども、冷たい人の方が殺されやすいだろう、という説に賛同する人は多いでしょう。それはなぜか。誰かを殺したい、あるいはこんな人はいなくなればいいのに、と自分が強く願う対象は、経験的に、冷たい人の方が多いという事実があるからです。ちゃんと統計を取ってみたら、実際には性格と被害確率には何の関係もないかもしれませんけれども、みんながそう思うという現実はあります。だから、冷たい人が殺されたら「やっぱりね、ざまーみろ」と思う人は少なくない。
この手の自分の経験から何事かを類推するという論理展開は、よくみかけます。本当のところはどうなのか、全然証明になんかなっていないわけですが、だからといって無視できるわけじゃありません。賛同者が多ければ、それが真実であろうとなかろうと一定の力を持つからです。
さて、服装と被害確率の相関データですが、私はそういうの、あるはずだと思っています。警察が被害者から事情聴取する際に、被害当時の服装について必ず聞いているはずだからです。というわけで、調べました。Google検索「痴漢服装」の結果、兵庫県警と岐阜県警が痴漢被害と露出の多い服装には関係があると明言しています。
一点、注意してください。痴漢といえば電車ばかりが有名ですが、ここでは人気の少ない路上で発生するタイプの痴漢も込みの話となっています。電車内の痴漢に話を限定すれば、話が変わってきます。警視庁の解説に服装のことはまったく出てきません。
おまけ:とくに資料として信頼できるわけではありません(統計的資料によらず管理人たぶんこう思うという意見が一般論として紹介されている)が痴漢対策情報のサイトとしては日本有数だと思います。このサイトでは、電車内の痴漢についてはむしろ派手な格好の方が被害に遭いにくいという経験談が出ています。しかし路上の痴漢対策を考えると、やはり派手な格好はまずいという……。まあその辺は読んでみてください。
さて、続きいきましょう。えーとですね、私は被害者にも非があるということは、「加害者を正当化するものではない」と繰り返し述べています。警備が手薄で泥棒にやられたという場合、警察は被害者にも注意を促します。しかし、警備が手薄だったことは、犯人が情状酌量される材料とはなりえません。警備が手薄「だから」泥棒に入っていい、なんて理屈は絶対に通らないからです。とはいうものの、警備手薄のまま何回も何回も泥棒に入られた場合、だんだん検挙率は低下していくでしょう。被害者自身に防犯意識が欠如しては、警察もやる気がそがれるというものです。
痴漢も同じことで、被害者の服装がどうあれ、加害者は減刑なんかされません。けれども、被害者がチャラい格好をしていた場合には、「あんたも、もうちょっと服装に気をつけなさいよ」と愚痴られるかもしれません。わざわざ犯罪者を増やすようなことをしないでよね、という意味です。実際には服装と被害確率には何の関係もないかもしれない、と私は何度も書いています。正直いって、ほとんど関係ないと思っています。けれども、世間はそう見るということなんですよ。
だから、だから私はこういわざるをえない。被害にあったときに社会からあたたかい支援がほしいのなら、愚痴や嫌味をいわれたくないのなら、世間様を味方につけられる服装を心掛けた方がいい、と。わざわざチャラい格好をするならば、いざというときにみなに冷たくされることも覚悟しなきゃいけない、と。
どんな服装であれ、被害確率はほぼ同じかもしれない。けれども、その後が違うのです。被害にあった後が。犯人の方は同じですよ。どんな服装の相手を狙おうとも、等しく冷たいところへぶち込まれます。どの服装なら刑が軽くて、なんてことはありません。でも、被害者はそうはいかないのです。
私がここでいっているのは、理想論ではなくて処世術です。
> 前者に怒っているこゆさんが、なんで後者の支持を得たいと思っていると
ある種の理想をいえば、どんな服装であれ等しく被害者は大切にケアされるべきですよ。でも、それは現状では夢の世界の話です。だったら、当面の自己防衛策としては、ちゃんと同情を集められるよう注意しておいた方がいいでしょう。あるいは、あえてチャラい格好をするのなら、被害にあった後の冷たい扱いはリスクとして想定しておかねばならないのです。あらかじめ認識していれば、いざという場面でもショックは最小限ですむでしょう。ちゃんと反論することさえできるかもしれません。
最後の論点、リスクの話。えーと、それはゆりさんの誤読です。ここまで読んでいただいたなら気付いてくださっていると思いますが。私は被害にあった後の話をしています。被害にあった後で、「そんな格好して……あんたも責任あるよ(もちろんだからといって犯人の刑は全然軽くならないけどね)」といわれるのは悔しいでしょう。悔しいでしょうけれども、それはいわれるとわかっている言葉なのです。世間様の、予想通りの反応なのです。だから、あえてチャラい格好をするのなら、そのリスクは認識すべきだといっているのです。
長文のレスをありがとうございました。しかし、なにかうまく流されてしまっているような感が否めないのですが…
まず、BBSのたいよーさんへのレス(No.307)ですが、これはたいよーさんの「痴漢に対処するために女性のファッションを変えるのは…」という段落に対してのレスですよね。ですので徳保さんの「どんなファッションでも勝手だけれど、世間の目が厳しいとわかっている服装を選択するからには、リスクも背負うべきなのです。リスクなしで自由だけ拡大というムシのいい話はありません。」というレスは、世間の目の厳しさのことだけを述べているようには、私には読めません(頭が足りないだけと言われればそれまでですが…)。何よりももしこのレスが、「世間に対する処世術」ということならば、それはたいよーさんの「最後の論点」についてのレスとは言えないと思うのですが。
同様の感想を、私の書いた「服装は関係ないというデータは集まらないだろう」という段落に対しても感じました。提示いただいたHPを見ましたが、それは単に「ある」と言ってるだけです。「痴漢はそんな服装が好き」とか。データとしての有意性はまったくないと思いますが。それとも「警察が言ってるからにはきっとそうなんだ」ってことですか?もし電車の痴漢について(いわゆる外での痴漢はここでは除きます、もともとこゆさんが言及されたのが電車の痴漢なので)、本当に「服装と被害確率の相関」を調べるならば、被害者の服装を調べて「チャラい」かどうか分類するだけでなく、「そのとき同じ車両にいた他の女性たち」の服装と比較しない限り客観性のあるデータは出てこないと思いますが、いかがでしょうか。私はそう思ったから、「データは出てこないだろう、出てきても……」というニュアンスでああいう文を書いたのですが。
>被害にあったときに社会からあたたかい支援がほしいのなら、愚痴や嫌味をいわれ>たくないのなら、世間様を味方につけられる服装を心掛けた方がいい、と。>わざわざチャラい格好をするならば、いざというときにみなに冷たくされることも>覚悟しなきゃいけない、と。
徳保さんの主張は、結局はこれに尽きるのですよね。そしてこれを処世術とおっしゃるのも分かります。どこに行ってもよく聞く言葉ですから。
不快を承知で、仮定の質問をさせてください。徳保さんの恋人、またはお姉さんか妹さん(実際にいらっしゃるかどうか知りませんが)が、電車で痴漢に遭ってしまったとします。そのとききっと徳保さんご自身、その女性の家族や親友はみんな、そのことを聞いたら深く憤るでしょうし、「可哀想に」と思うでしょう。たとえその被害者の方が挑発的な格好をしていようが、きっと彼女を護る側につくと思います。それは当たり前のことです。で、もう少し遠い人、例えば職場の同僚や親戚、学校の友達やなんかだったらどうでしょう。「ひどい」と言う人もいるでしょうし、家族同様に憤る人もいるでしょう。でも中には「痴漢に遭うなんて、どうせミニスカートでもはいてたんじゃないの」なんて言う人もいるでしょう。興味のない人は「ふーん」で終わるでしょうし。もう少し遠い人。例えば近所の方々、職場の同僚だけど部署やフロアの違う人、つきあいのなくなった同級生、むかしバイトしてた店、なんかでその噂が流れてきたらどうでしょうね。常識のある人や、自分もそういう被害に遭った人は「そっとしといたげなよ」て言うだろうし、ある人は「へー、痴漢ねー。案外冤罪じゃないの?」なんてことを何の根拠もなく言ったりするわけです。これ以上関係の遠い人に、電車の痴漢の一件が伝わるためには、例えばなにか特殊な理由(犯人が高名な人物だったとか)があって、マスコミを経由しないかぎりは流れないでしょう。
で、徳保さんのおっしゃる「服装をちゃんとしていたら、暖かい目で見てくれる世間」って、どのレベルのことを指してらっしゃるのでしょうか。家族や親しい人々は違いますよね。大体のところ、面識はなくはないけど決して親しくはないレベル以上の遠さとすると(これが私の「世間」認識です)、実際問題、そんな人々の誰が、「○○さんが痴漢に遭ったとき、これこれこういう服装をしていた」なんて知ってるはずもない。せいぜい「そう言えばさ、先週の土曜日に結構派手な服着てたわよ」とか「あーそう言えば、よくミニスカートとかはいてるものねー彼女」みたいな、思いっきり不確かで狭い情報(とも言えない)を垂れ流すのが関の山。たとえ実際にはミニスカートは週に一回着ればいいところだったとしても、その「派手」は他の人から見たら全然派手じゃなかったりしても、です。ああ、毎日モンペでもはいてすっぴんで満員電車に乗ってれば、みなさん等しくおっしゃってくださるかも。「あんな地味な子でも痴漢に遭うのね、最近は」って。ただこれが暖かい目なのかどうかは個人の判断によりけりでしょうが。ただ一点、徳保さんのおっしゃる「世間」に合致するかな、ってのがあります。それは事情聴取する警察です。化粧っ気のない、見るからにおとなしそうな女性と「チャラい」格好の気の強そうな女性がそれぞれ被害者として現れたとき、両者の取り扱いが違うかもしれない、というのは容易に想像できます。
で、何が言いたかったかと言うと、「世間なんてあてになりません」というただそれだけです。近所の覚えをよくしたいのなら、服装よりも普段の挨拶や勤め先や家族仲のほうが重要でしょう。ちょっとくらい派手な格好してたって、「あの子ほんとにいまどき珍しいくらいの親孝行なのよ〜」とか言って擁護してくれるかもしれません(苦笑)。
最後に。一番めの段落についての反論は、つまり「痴漢する男と自分を一緒にするな」ということですね。一緒には(当たり前ですが)していません。「露出の多い服装に魔が差す」ことを肯定されている(信じている)以上、そして「魔が差す」という言葉が「その気もないのについその時だけ何故かふらふらと」という意味である以上、男性が「衆人監視の電車内でいともた易く理性を蒸発させる」可能性があり、そしてそれは誰に起こるか分からない(だって魔が差すんですから)=誰にでも起こりうる(生物学的に?)という意味だと解釈したのですが。
ここまで書いてきて、私はやっぱりすごく不思議な気分がしています。パナウェーブの一件なんかでも、徳保さんはどちらかと言うと、多数派の陥りがちな罠に警鐘を鳴らすタイプだと思っていました。けれど痴漢被害ということに関しては、まったく世の中の多数派と同じなのですね。長文、失礼しました。今後の備忘録も楽しみにしております。仮定の質問の下りでご不快を覚えられたら、申しわけありません。
追伸:徳保さんのおっしゃる「チャラい」服装(=世間から冷たく見られる服装)ってどんな程度のものですか?興味があります。
たいよーさんへのレスですが、これは私の回答がずれています。私は本音をいえば服装を気をつけても(電車内の)痴漢被害は防げないというのが頭にあったので、たいよーさんの発言を誤読したのです。たいよーさんは痴漢被害自体を予防する話をされていたわけですね。
服装は関係ないというデータの件ですが、私は被害者当人の服装を見るだけで十分だと思います。だから警察には(統計資料として整理されてはいないにせよ)データがあると思う。で、防犯記事はそうしたデータに基づいているのではないか、と予想しているわけです。
世間の範囲について。案外、中傷の声は耳に聞こえる距離で生じます。例えばこゆさんは、それをテレビ番組の中に発見してしまったわけです。そして怒った。こゆさんが、例えば私のように趣味的に怒るタイプの方なら、これでまたネタになったといって面白がるかもしれません。しかし実際にはそうではないようです。だったら「ふーん」といって流せる余裕を持った方がいい。そのためには、(世間様に冷たくいわれる)リスクの認識が必要だと説明したのです。予想していれば、実際にひどいことをいわれた際にも怒りはいくらか少なくてすむでしょう。
ところで、「痴漢する男と自分を一緒にするな」ってのは違います。ほとんどの人はいつまでたっても魔が差さないのです。しかし、その前段階の気持ちは理解できる(と思う)場合が多いといっているのですよ。実際の痴漢は常習犯が多いので、現実と世間の見方は食い違ってくるのです。
そして多数派云々について。私は最初から、服装と痴漢被害に関連がある証拠はない、という書き方をしています。そのうえで、処世術として多数派に合わせた方が生きやすいと書いている。いつも通りの発言だと思います。「ボクの終戦工作」以来、何度もくりかえしてきたアレです。無自覚なマイノリティーが無体なことをいうのはいかがなものか、と。とはいえ、痴漢の被害にあったことのある女性は48%(http://www.gender.go.jp/yoron/bouryoku/bouryoku.html)だそうですから、いい加減に誤解がなくなってもよさそうなものです。(あるいは、誤解でないならちゃんとした統計がほしい)
追伸について。難しい質問につき、おこたえいたしかねます。さまざまな服装をチャラ度の数直線状に並べたグラフをどなたかが作成してくださったなら、このあたり、と指差すこともできるでしょうが……質問者によるそうした準備なしにはおこたえできません。
(ゆりさんへのレスから)徳保さんは「最初から」多数派の正しさに疑問を呈してなどいません。防犯と泥棒の関係のように相関がある例を持ち出して被害者が対策するように書いている。最初に痴漢についての相関の曖昧さを指摘したのは私ですよ。徳保さんも内心はそう思っていたかもしれませんが、最初の文章でそう解釈するのは無理です。最初の文章は多数派を是とし、被害者の無防備を責める内容になっています。それから、徳保さんは「世間の支援が違う」といったから、ゆりさんが「世間はあてにならない」と言ったのですよ。それを徳保さんは「冷たい目を受け流せるよう、リスクを認識すべき」と答えている。しかし、テレビの中の発言や一般論は例え、こゆさんがどんな服を着ようとも防ぐ事はできませんよ。じゃあ、そもそも心構えをするだけで服装なんてどのように着ようがどうでもいい話じゃないですか。指摘と回答がずれてますよ。
で、いいたいのはBBSなどのやりとりを通して文章の内容を発展・洗練させていくのはいいけど、発展させたものを元々の意見であったかのように書くことや、質問と回答をずらして答えたりするのは止めてほしいということです。
失礼しました。「最初から」の件は私の手落ちです。「最初の文章でそう解釈するのは無理」ですね。痴漢を電車内と路上でしっかり区別してこなかったので、いろいろごっちゃになっています。単に痴漢としか書いていないものが、電車内、路上、あるいはその両方という3通りの解釈のいずれかとなっていて、一貫していません。だもので「いずれかの解釈で統一すると」明らかな矛盾が生じます。あと、書き始めた当初の時点では自分の考えもはっきり認識できていなかったのは事実です。意見交換の意義は、相手の意見を知ることだけでなく、自分の意見を知ることでもあるのだなあと思います。
「世間はあてにならない」の解釈は保留します。慌てて「誤読でした」というだけの確証をもてません。
テレビ発言の件は、あれでいいのです。予想通りの言葉であれば、「聞き流すことができる」あるいは、「落ち着いて反論できる」というのが主旨だからです。リスクを認識するというのは、ひどいことを「いわれる可能性」に思いを致すことをさしています。つまり、リスクを考えた結果、「自分は」ひどいことをいわれたくないならば服装を変えればいいし、そうした(誤解含みの)風潮に負けたくないと思うならばひどいことをいう人がいることを予想した上で着たい服を着ればいい。
で、私は先に「世間の支援」と書いたけれども、痴漢問題についていえばたしかに世間は支援をしてくれない。むしろ、マイナスの方向へ作用する。そのマイナスを少しでも軽減するにはどうしたらいいか、というのが実際的な話になってくるので、またここでズレが出てくる。ん〜、とすると、これはあれかな。「支援」というプラスの言葉を使った私が誤解の発信源なんでしょうね。世間の「反応」と書けばよかった。