こういう更新をするというのが、凄い。ちゃんと録画していて、それを安易に動画のまま出すのではなくて、ちゃんとテープ起こしをする。偉いというか、人のほしがる情報をちゃんと提供される方には敬服します。
今日も某所で「アクセス向上できないんですけどー?」みたいな相談に勝手に回答してきたわけですが、やることやってからそういうことをいえ、といいたい。自分の持っているCDの感想だけ書いてアクセス向上なんてできるわけがないだろう、という話。いや、たまにそんなことで成功する方がいるわけですが、例外に気をとらわれない方がいいと思う。
そもそも俺はHOT WIREDがどういう規模のサイトかを知らないのだけれどもね。
「Web Design 2003」ASCII刊によれば1日30万ページビューです。ページビューでこの数字ですから、往時の「侍魂」程度の読者数なのでしょう。
事実をいくつ並べても、価値観は生まれない。
今月読了した本を中心にいくつか。読むたびにマメに記録をつけておけばいいのだけれど、面倒なのでついつい忘れてしまう。読み終わった本はしばしば人にあげてしまうので、思い出せなくなってしまうんですよね……。閲覧者にとってはどうでもいい情報かもしれませんが、私にとっては割と重要度の高い情報なので、ときどきはこうして穴だらけの記録をつけていこうと思います。それにしても前回の記録が1月12日とは。
××ネタの最終形はここに明かされたとか
清涼院さんが提唱している「本書くミステリ」はこれで解答が出たなんて面白そうなことが書かれていたので、何軒か書店を回って探してきた。その甲斐はあった。メタミステリ好きの方は、運よくみつけたら、ぜひご一読ください。Amazonではもう買えないみたいです。いまだに文庫にもなっていないし、売れなかったのかな。残念。
昔、読んだ本など。
ただしこの小説の中に、そのゲームは出てこない。なんて書いている。えーと。
続きは明日。
今日からちょっと書き方を変えようと思う。1日分の記述は後に後に付け足していく。これまでは前に付け足したり後ろに付け足したり、てんでいい加減だった。そろそろ、前か後かを考えるのが面倒になったので、ルールがほしくなったというわけ。まあ、適当にルールを破ることは今後もありうるので、それはそれで注意していただきたい。
昭和55年に第26回江戸川乱歩賞を受賞したのは井沢元彦「猿丸幻視行」だった。最終選考に残った作品には島田荘司「占星術のマジック」があり、これは後に「占星術殺人事件」として刊行され大きな反響を呼んだ。TBSで報道記者として修行中だった井沢は後に専業作家として独立し、地味に地歩を固めていったのだが、次第に小説よりも評論活動が主となっていった。近年では政治と歴史問題の評論家としてすっかり有名になったが、肩書きは「作家」を通している。教官として招くような大学がないのか、あるいはそうした話を蹴っているのだろうか。一方の島田荘司は本格推理の旗手として80年代をリードし続けた。90年代には実際の事件に材をとり大作を著す。「秋好事件」「三浦和義事件」がそれだ。井沢を右よりとすれば、島田は左よりへ進んだ。
井沢の受賞は至極順当なものだったようだが、もし島田が受賞していたらどうなったろうか。井沢の小説で最も有名なのは結局のところ「猿丸幻視行」らしい。井沢はもともと自説を展開することに興味があり、根拠の薄弱を物語を利用することで補うために小説という形式を選択したに過ぎない……ように思われる。「猿丸幻視行」の中で大学の先生が、史料に矛盾する点のある仮説も、通説を覆す強力な証拠があれば再考の余地があると述べている。通説では説明のつかないことが世の中には多々あり、通説はあくまでも最も瑕疵の少ない説に過ぎないというわけだ。小説の中では、実在しない重要人物が登場して井沢説の正しさを保証してしまう。無茶といえば無茶なのだが、歴史ミステリーというのはしばしばそういうものであって、読者の慣れの問題ではないかと思う。
井沢が小説という形を借りてやりたかったことは猿丸大夫の謎を解くことであって、推理小説を書くことではなかった。受賞作はそれでも一応は推理小説の体をなしているのだが、殺人事件が起きるのは全体の3分の2を過ぎてから。クライマックスを作るための読者サービスに過ぎない。結局、それ以外の部分の面白さがちゃんと評価されて受賞にいたったのだが、ここで受賞できなかったら井沢の今はなかったのではないかと思われる。井沢が近年ライフワークのように取り組んでいる「逆説の日本史」は、小説ではない。もはや井沢は自説の裏付けに作中人物の保証を必要としない。だが、井沢の著書は学問的には無視され続けている。作家だから出せる本なのだ。私は井沢の著書を楽しく読んでいるので、島田荘司が江戸川乱歩賞にクオリティーを向上させた「占星術殺人事件」ではなく完成度の低い「占星術のマジック」を応募したことをありがたく思う。
ところで「猿丸幻視行」は近所の古書店でたくさん買った内の一冊で、後で確認すると50円の値札がついていた。一ヶ月で増刷がかかった第二刷で、定価は980円だった。乱歩賞の受賞作は私が生まれてから20数年で7割以上も値上がったことになる。規定枚数は当時と変わらない。本が売れなくなったということなのか。両親が幼いころ、書籍の値段が高かったことはよく知られる。蔵書を増やせば家財が消えたという。その後、好景気でインフレの時代に書籍の値段は長く微増にとどまり、父が20代の頃はバカ安になっていた。それで父は、読みもしない本をたくさん買ったらしい。
祖父母に聞くと、案外と昔の人も本を読んでいない。日課のように本を読むのはインテリゲンチャであって、庶民には字も読めない人がごろごろしていた。なるほど文盲は少なかったが、漢字は自分の名前しか読み書きできないなんて、珍しくもなかった。何せ小学校さえまともに通っていない人がたくさんいたのだ。それで本にも新聞にも振り仮名がたくさんあった。それはともかくとして、日本人はみなよく本を読んだなどというのは、60〜70年代の夢物語だったのではないかと思われてならない。
父は80年代にも本を買い続け、そのいくらかは読んだらしい。だが、小説をさっぱり読まなくなった元文学少女の母にとうとう「本を買うのはいいけれども、置き場についても考えなさい」と叱られた。近所に図書館が建ってしまったのだ。自転車で5分の場所に図書館があるというのに、なぜ読みもしない本を買う必要があるというのだろうか。その指摘はもっともなのだった。会社帰りの手持ち無沙汰に本を買うのがパターンだった父は、これですっかり本を買わなくなった。と同時に、いっそう本を読まなくなった。新聞だけが父の御供となった。そして90年代、書籍の値段は高騰していくことになる。
林望先生のいう書誌学の常識が批判されているのだが、林望先生のいう書誌学上の常識
は(多数派かどうかはしらないが)そう突飛な意見でもない。大学時代、私は複数の先生が林望先生と同様のことを述べていたことを覚えている。ただし、注意していただきたいことが2点ある。「ベストセラー」と「本が滅びる」の定義だ。
林望先生の言葉を孫引きすると以下の通り。文芸春秋2002年12月号に掲載されたそうだ。
私は書誌学者であるからこういうベストセラーというものの末路についてよく承知している。ベストセラーというものは、一言でいえば群集心理によって発生する。歴史的事実を書誌学的に検定したところでは、「ベストセラーの書物ほど滅びやすい」と断言することが可能である。(中略)そこで仮に出版後十年五十年百年という風に指標をとって、それぞれの書物が何冊現存しているかということを調べると、結局ベストセラーになったものほど、残存数が少なくなっているという皮肉な現象が起こる。それは書誌学上の常識である。
林望先生の定義は曖昧なので、私の聞いた話における定義を簡単に紹介する。
まず、「ベストセラー」とは単にその年によく売れた本という意味ではなく、ベストセラー作家の書き飛ばした(それでも凡百の本よりはずっとよく売れた)本のことをいう。
次に、「本が滅びる」とは新刊書店で入手可能な状態が持続することではなく、学究機関の蔵書目録から消える(=文献として検索できなくなる)ことを指す。
林望先生が間違ったことをいった、という話ではなく、一般人に対して説明をサボったので誤解を招いたのではあるまいか。というとまた誤解を招くだろうから、いくつか補足しておく。林望先生のいうベストセラーの書物ほど滅びやすい
とは、たしかに誤りだ。まったく世間に無視された書物など、最初から滅んでいる。やはり生き残っていくのは、それなりに名をなした作品ではある。じゃあやっぱり林望先生のいっていることは嘘じゃないか、といわれると困ってしまうのだけれども、仲間内ではいわんとするところは通じるんだ、といいたいわけです。私は別に、素直に文字通りの解釈をする人を責めているわけではなくて、えーと。
西村京太郎、内田康夫、赤川次郎、山村美紗といった、売れてはいるが評論家筋からまったく評価されないタイプの作家の作品は、大学図書館にほとんど所蔵されていない。ある意味、最初から滅んでいる。だから卒論で西村京太郎研究をやろうとしても、参考文献がろくにないということになる。頼みの綱は全国各地の市民向け図書館だが、維持費削減が叫ばれる昨今では古くなり読まれなくなった本は次第に処分されていく。最終的には大学図書館と市民図書館を合計しても、評論家筋で評価された作品が検索可能な生き残り部数で勝っていくだろう。
真に名作として長生きした作品、あるいは大作家として評論家筋からも認められたケースではまた話が違ってくるのだが、いわゆるベストセラー作家の書いたよく売れた本の大半がどこかへ消えていく。その点、山田風太郎は偉大だったと改めて感嘆する。あれほど多作であり、よく売れながら、評論家筋の受けがよく様々な全集が刊行され続けている。大学図書館は全集をよく買う。山田風太郎はそう簡単には滅ぶまい。
いろいろな作家名を入れて試してみると面白い。
そういえば「このミステリーがすごい!」で内田康夫の名前を見ることは滅多にない。赤川次郎や西村京太郎の乱作とは一線を画し、毎年ていねいにベストセラーを送り出しているにもかかわらず。パトリシア・コーンウェルもデビュー作が一度顔を出しただけで、以降はほとんど無視されている。年に1〜2冊というペースなのだが。
ミステリーは、大衆文学の中にあって最もよく研究・評論が整理されてきた分野のひとつではなかろうか。その発祥から重要な作家・作品が概ね系統立てて語られてきており、古典的作品から連続的に現況を俯瞰することができる。鯨統一郎「ミステリアス学園」は、ちょっとミステリーをかじってきた人が読むと参考になるのではないか。この手のジャンルガイド本が紹介する定番作品にブレがないのが、ミステリーの特殊なところだ。売れる本と重要視される本を、等号で結ぶことはできない。ミステリーの里程標となった作品は、必ずしもよく売れていないし、よく売れても何の里程標にもならない作品は無数にある。
ただし、まるっきり売れなかった本ではどうしようもないということはできる。国立国会図書館は建前としては日本で刊行されたすべての本が所蔵されていることになっているが、唐沢俊一は以前、実際にいって検索してみたら自分の本は半分も入っていなかったと書いていた(と思う)。まともな出版社のまともな本しか所蔵されていない、のだそうだ。書籍コードつきの本は自費出版でも製作できるのだ。本当にすべての本を蒐集しようとしたら、国立国会図書館の事務局は業務が破綻してしまうに違いない。
酔歩した展開を起点に戻すと、なるほど滋賀県立図書館の脇坂さおりさんらによる研究成果は林望先生の発言への有効な反論とはなるだろうが、おそらく林望先生の真意を否定できるものではない。林望先生は今後も、ベストセラーは滅びるといい続けるのではあるまいか。
明治時代には森鴎外と夏目漱石が現役作家だったわけだが、当代随一の人気を誇っていたのは尾崎紅葉だった。その後も伊藤整や梶原季之といった人気作家(作家という言葉が引っかかるなら著述家といってもよい)が現れては消えていった。で、作家の死後10年、20年、50年と経ったとき、同世代の作家のうち最も多くの本が検索可能なのは誰か? 基本的にそれは、最もよく売れた作家ではないだろう。
……いや、わかりますよ、林望先生の文章をそんな風に読むのは無理がある、というのは。でも林望先生のようなものの言い方を最初にガツンとやった後で、前述のような説明をするという羊頭狗肉は実際にあるわけで、しかもそれは工学部生だった私が出席したたかだか100単位分程度の教養科目(試験も受けて実際に取得したのは50単位くらいだったと思う)の中で複数回耳にした内容なのであって、だから私もピンときたわけで、えーと、そういう事情もちょっとご理解いただけるとありがたいなー、みたいな。
というか、新刊書店で本が入手可能な期間を単純に比較したら、ベストセラーほど長い期間にわたって買うことができるというのは、あまりにも当然なのではなかろうか。まあ林望先生の粗雑な言葉遣いが癇に障ったのだろう。意地悪して言葉通りに調査したという話に過ぎない。図書目録に記載されているかどうかを「本が滅びる」の基準とした時点で勝ちは明らかなのだった。
現在のベストセラー作家のうち、末永く生き残りそうなのは、例えば村上春樹と宮部みゆきだろう。高村薫も「マークスの山」「照柿」「レディ・ジョーカー」の3部作で山脈を築いたから、ことによると……。西村、内田、赤川の3巨頭は厳しいだろうと思う。13年も長者番付作家部門の首位を守った赤川はたいへんな作家だが、国語便覧に1ページを割いて掲載されたりはしないのではあるまいか。そもそも、代表作がシリーズものだというのがつらい。大沢在昌の「新宿鮫」シリーズなら第1作が十分にシリーズを代表するが、三毛猫ホームズを1冊だけ抜き出すのは……。宮部みゆきは「龍は眠る」「火車」「理由」「模倣犯」など代表作がはっきりしている。村上春樹は既に別格の地位にいる人であって、この人の著作が後世に残らないということはあるまい。
結論が先に決まっていて、後から説明を考えた場合、説明を否定されても結論は倒れない。説明がうまくできなかっただけであって、結論自体が否定されたわけではないからだ。ディベートにおいて、敗者が最終的に自説を曲げる必要がないのは、こうした理由による。次回、よりよい説明を思いついたなら勝敗は逆転する可能性があるのだ。
説明が先にあって、そこから結論が導かれた場合、説明が倒れれば結論も倒れる。結論を支えるものがなくなってしまうのだから、当然だ。
人はしばしば、あらかじめ問に対する答えを持っている。確信だけがあり、説明はない。だがその確信は主観的なものだから、黙っていたのでは、なかなか理解されるものではない。現に、自分とは違う答えに到達し、公に発表する者がいる。自分ひとりの確信では他者に伝わらない。仕方なく、説明を考えなければならなくなる。
確信の強さと比べ、思いつく説明のなんと弱々しいことか。予想に反してその弱々しい説明が活躍してくれることもあり、もちろんあっさり敗れることもある。敗れたら次の説明を案出する。また敗れたら、さらに新しい説明を導入する。強力な説明を思いつくか、確信が挫けるか、(自分/相手が)飽きるまで説明案出の作業は続く。
記念すべき100サイト目をGETして登録した相互評価Webランキング一字ですが、いただいた評価が10件に到達したのを機に、脱退することにしました。結果は平均73.5点で110サイト中2位。ま、こんな感じでいいんじゃないですか、という査定ですね。私は11件評価しましたが、被批評者のつけた評価に対する評価(ややこしい)は優良4、良い2、ふつう1というわけで、まあまあ私の感想も参考になったようですね。一字の登録サイトは140件近くになり、すっかり軌道に乗りました。これで安心して脱退できます。
このところよく読んでいるサイト。
それぞれの道で地歩を築いてきた方々が、集まって日常雑記をめいめいに書いています。皆さん実名で書いていらして、いかにも趣味然とした感じなのですが、地に足がついている感じがちょっと新鮮でした。赤裸々に日常生活を綴っているようなサイトでも、実際よく読むと「結局のところ何者なのかわからない」ことが多い。煙に巻かれてしまって。このサイトでは、基本的にそういうことがない。だから匿名と作られたキャラクターのあふれるサイトをたくさん見たあとでちょっと覗くと安心できます。そんなサイトです。
管理人さんは阪神ファン。引っ越してきた方なのかな。ところで、鹿行という地名ははじめて目にした。北総に20年暮らしていたのだけれど、茨城のことは驚くほど何も知らない。利根川の向こうは今でも、私にとっては異世界という感じがする。筑波万博の印象が強すぎるのかもしれない。それ以降、ほとんどいったことがないし。あ、大学4年のときに東海村に原研の見学に行ったなあ、そういえば。
CSSの続き。CSSを使うと例えば<em>で囲んだ時の効果(IEではデフォルトでは斜体になる)なんかもいじれるが、いじれるが故に混乱しやすいのも事実である。よく言われている例としては、<a>の下線を消す(消すという言い方もアレだが)ことによってアンカーが本文に埋もれてしまい、見辛くなってしまうことなどが挙げられる。初めて見るサイトで文章の本文中に色の違う文字が出現したとき、考えられるのは<a>,<strong>,<em>,<q>など、多数ある。わざわざポインタを文字の所まで持っていって確認しないといけなかったりする。
んー、だから私はいつもユーザスタイルシートを使っているわけです。
他人の作ったCSSにつきあうなら、やはりいろいろな不都合は我慢せざるをえないのではないでしょうか。
素晴らしいサイトがこれほどたくさんあるのに今更……という気もするのだけれど、たいへんよくできていると思う。信頼できるサイト。
だいたい忠告というのは非難がましいものとなりがちだ。勉強しなさい、という親の言葉を思い出したらいい。
「勉強しなさい、と忠告された」「勉強しなさい、と叱られた」「勉強しなさい、と責められた」……全部、日本語として通じる。忠告するのも責めるのも実態としてはほとんど差異はないのであって、これを妙に厳格になって腑分けしてみても意味がない。ようするに、極端なケースを排除すれば足りる。字面の良し悪しだけ見たってしょうがないのだ。いっている側が忠告だと思っていても、聞いている側は責められていると感じることは多い。
横長の画面を見ているときは、これをトリミングするなんてとんでもない! と思うのだが、実際にテレビ放映を見ると不思議と違和感を感じない。どういうことなんだろう。トリミングの調整がうまいのだろうな。
たしか今日はこれを渋谷で再現しようというオフが開催されていたような気がする。
リンク集とBBSとログとバナー画像とトップ絵がないことを心もとなく思っていらっしゃるようですが、ログは次第に溜まるだろうし、それ以外のものはあってもなくても閲覧者は困らないから、これでいいんじゃないかと。
シュリーマンがトロイ遺跡を発見したのは1873年の6月14日だといわれていますが、この日付け、どの程度信用できるものなのでしょうか。発掘作業は長いスパンで考えるもの(例えば竪穴住居跡の「発見」から「発掘完了」までには何日もかかる/掘り進んでいったら勘違いが判明することもある)ですから、トロイのような遺跡単位の話となると……。
ところで、トロイに町があったことは判明しましたが、トロイの木馬やトロイア戦争自体が証明されたわけではありません。火事で焼けて滅んだらしい、ということまではわかったものの、それが本当に戦争による火事だったのかどうかは今もって謎です。そもそも、シュリーマンが掘り出したのは本当にトロイだったのでしょうか。他にそれらしい(様々な傍証との矛盾が少ない)遺跡がないからトロイなんだろう、ということのようですが。仁徳天皇陵が本当に仁徳天皇陵なのかどうかはわからない、という話にも似ているような気がします。
古墳が天皇家をはじめとする有力者の墓だということは(ごく一部の人々を除けば)長いこと忘れ去られていた事実で、戦国時代には相当数の古墳が切り崩されたといわれています。その説のひとつの発端となったのが城跡の石垣研究でした。太閤殿下の死後、家康の覇権は全国におよび、家康の命令で各地に城が建設されます。家康は特定の大名に築城を命じたので、この時期の築城については研究がよく進んでいます。(注:家康が権力闘争に勝利し安定した江戸時代を迎えたため、家康方の大名家の資料は散逸を免れており、また築城記録がまとまって存在するので研究の効率がよい)
藤堂高虎は家康の信頼厚く、近畿地方を中心にいくつもの築城を命じられました。短期間に特定の地域で多くの城を建てる場合、もっとも入手に困る材料が石です。実際、この時期に建設された城の多くは、石をそのまま積み上げた荒っぽい石垣が大半です。石を磨いて形を整える作業には大変な手間と時間がかかります。1〜2年程度で一定以上の規模の城を完成させるならば、石垣の質は大目に見なければなりません。さて、高虎の建てた城は一部にたいへんきれいな石が使われていることが知られており、長く謎となっていました。戦後の研究からこれが古墳からとられたものだったことがわかってきています。(石の表面に書かれていた文字などからわかったらしい)
考古学は少ない証拠と膨大な想像からなる学問で、石器がひとつ見つかった途端に町のパンフレットに古代集落の創造図が描かれるという状況。藤村新一さんの遺跡捏造事件では教科書も書き直されることになりました。少ない事実から……といえば恐竜の化石発掘とか、人類の祖先を探るなんて話はもうとんでもないことになっているわけで、例えば数千年後にたまたま日本でKONISHIKIの骨が見つかったら、「日本人はみんなでかかった」というところまで話が飛躍するんだろうな、と思ったり。
昨日今日明日と気分次第で言うことがコロコロ変わる。平たく言えばこういうのを価値相対主義者と言う。しかも自分が価値相対主義者であることの自覚はゼロという。この手の人間が言っていることには価値がない。なぜなら端的にはこういうことだからだ。
- 「昨日は他サイト言及は素晴らしいと思った。だから俺は他サイト言及をした」
- 「今日は他サイト言及は馬鹿らしいと思った。だから俺は他サイト言及をやめることにする」
- 「でも明日は他サイト言及は素晴らしいと思うかもしれない。だから俺は他サイト言及をするかもしれない」
こんな人間の言うことを誰が信用できようか。
別に信用できなくても誰も困らない。あなたにとって価値があろうとなかろうと、あなたがその内容を信用できようとできまいと、書きたい人は書く、読みたい人は読む。だからあなたの発言は空回りしていると思うのだが、私は面白いと思ったので紹介してみた。
備忘録は価値相対主義者が価値がなく信用もできないことを書き連ねる場です。
いろんな意味で懐かしい感じがするサイト。某系統のセオリーに忠実な日記群に一種の様式美を感じる。
携帯電話って今はまだ発展途上にあっていろいろな環境がありますよね。PCからのアクセスは80%以上がほぼ同じ環境といっていいのですが、携帯電話だといまだにモノクロの場合もあって……。基本的にはCSSを読み込ませないのがいいんじゃないかと思います。まあ、実際問題としては、CSS対応機はだいたい一定水準以上なのであまり心配することもないのでしょうが、とりあえず。
**するのは人としておかしい、という意見があるわけだけれども、だったら私はあなたのいう「人」ではないということでしょう。
私は基本的に、「人としておかしい」ということはいいません。なぜか? そういうことをいう方々ほど、無邪気にひとつの価値観を信奉できないからです。ええ、無邪気だと思いますよ、そういうことをおっしゃる方々はみんな。人間はこうあるべき、と個人的に思っていたり主張したりするのはけっこうですから、それはそれでいいわけですが。
鯨を食べるのは人としておかしい、とかいっているアメリカ人がいたなあ、なんてことを思い出したり。定番の返しネタを使って「牛を食べるのはなんでOKなんだろう?」といってやったら怒った。人を殺すのは人としておかしい、といった意見はたいてい、この程度のものだと思っている。
天氣豫報は、外れれば、人が傷つくばかりか死ぬ事もある。けれども、豫報の外れた翌日に、御詫びの文章が新聞に載る譯でもない。氣象予報士は、豫報を外せば慚愧に堪へないだらうが、だからと言つて謝罪してまはる事などない。
何でも謝罪すれば良い、と思つてゐる人が昨今、多過ぎる。
最近の議論の流れの一環として出てきた発言なんだけれども、ふつうはこれ、心の中では思っても実際に書いたりしない。もし書くなら、ほとぼりが冷めてから。以前一から生れた一太郎。
という更新があって、やはり闇黒日記は凄い、なんて思ったものだった。野嵜さんと私とでは基本的なところが違いすぎる(とかいって私は具体的な方策を何もとらない)ので、私はいつまでもただ憧れているだけ。私も大まじめに闇黒日記のような更新をしてみたいなー。
ところで、模倣犯は刺身をリスペクトしているサイト。どちらも面白い。これに対して私は闇黒日記のファンですが、当サイトは闇黒日記リスペクトではありません(むしろ闇黒日記に表現されている多くの価値観と相容れないものであふれかえっています)。んー。
うちの会社の業績、これでちょっとは上向かないか? でも人頼みじゃいけないな。私が、そしてみんなが、成果を出していくしかない。
Yahoo!ファイナンスの株価情報から企業別の掲示板を覗くことができるのだけれど、明らかにうちの社員と思しき複数の人物がさんざん会社の悪口を書いていた。こういう社員はさっさとクビにした方がいいと思った。Yahoo!ファイナンスで自社株情報を確認するのは最初で最後ということにしよう。下がりに下がった正月以降、どんどん株価が上がって2〜3倍になっている。新聞でその様子は確認していたから、値上がりのグラフを見ようと思ったのだった。元気が湧いてくるかなあ、と。違う意味でふつふつとエネルギーが湧いてきた。
今週末にはうちのボスが退任する。後はお任せください、だなんてとても胸はっていえるような状況ではないのが残念でならないが、今期は成果を出す目処がついている。あと一歩。この「あと一歩」に半年かかる。年内、目標は年内。必ず。
携帯電話にCSSを読み込ませたくなければ、中川さんがちゃんとメディア属性を指定すればよいのです。携帯電話の進化の方向性は間違っていません。メディア属性を使えば携帯電話に専用のCSSを適用させることもできます。
<link rel="stylesheet" type="text/css" media="screen" href="sep.css">
今年は火星が大接近するそうで、火星儀が例年になくよく売れているという。
そういえば昨年は部分日食があった。部分日食というのは東京の話で、じつはマリアナ諸島までいくと金環日食を見ることができた。地球を固定して考えた場合、月は楕円軌道を描いている。月が地球から離れ太陽より小さく見えるときに日食が生じると、金環日食となる。
マリアナ諸島にはテニアン島がある。年配の方には郷愁を感じる方もいらっしゃることだろうと思う。日本は第一次大戦の戦勝国である。テニアン島は敗戦国ドイツより割譲され、多勢の日本人が暮らした。中山義秀の小説「テニヤンの末日」は昭和23年(1948年)9月に発表された。平和だったテニヤン島においても、駐屯部隊の末路は悲惨だった。現在この作品は新潮オンデマンドサービスで3200円にて購入できる。
中山義秀は昭和8年まで私の母校で教鞭と取っていた人物である。文学に傾倒して教師としての評判は芳しからず、病身の妻を抱えていながらついに職を追われることとなった。そして妻の敏は亡くなってしまい、生活はいよいよ困窮した。昭和13年になって「厚物咲」で芥川賞を受賞、翌年の「碑」で名声を高めた。以後、終世を文士として暮らした。新潮社は中山と縁が深く、死後に全集も刊行している。現在、オンデマンド出版を手がけているのもそうした縁あってのことかもしれない。しかし、おそらく現在もっとも手に入りやすいのは講談社文芸文庫「土佐兵の勇敢な話」ではなかろうかと思う。
闇黒日記はいつも楽しく読んでいるのだけれども、私はこうして野嵜さんがどなたかを猛烈に批判しているのを読むのが一番わくわくする。
徳保スレのログはBBSログにありますので、よろしければどうぞ。
ForLoops経由。target属性を用いずに外部リンクを新窓で開くjavascriptの解説。rel属性を利用します。
アーチ・エル・オン経由。
定期券を忘れて寮を出たので、西武池袋線某駅の改札口で呆然としてしまった。池袋まで300円もかからないわけだけれど、往復で500円を越えるのは痛い。会社は池袋ではなくて高田馬場にある。だから池袋から高田馬場まで山手線2駅分のお金も貰っているのだけれど、そちらはいつも歩いている。乗り換えに時間がかかるのと、高田馬場駅から会社が遠いということもあって、歩いた方が早いのだ。新入社員の頃は何も知らなくて、毎日お金を無駄にしていたものだった。先輩社員がみなJRへの乗り換えが便利な先頭付近の車両を利用していないことに気付くまで、2ヶ月近くかかったものだった。
私と同じ電車を利用しているベテラン女性社員の方がいる。背の低い50代の方で、片足の具合が悪いらしく、いつもびっこを引いている。えっちらおっちらと体を揺らしながら一歩一歩進む。私は早足だから、池袋駅を出るとすぐにこの先輩をすいっと抜き去る。「おはようございます!」……ところが、なぜか会社につくのは先輩の方が先なのだ。私が会社につくと、先輩もう、作業着に着替えているのである。いつもいつも。私も頑張ったのだが、1年経っても、この差はどうしても縮まらなかった。私は焦りを感じた。そして、ついに反則を犯すことにした。走ることにしたのだった。
ジョギングペースで快調にとばす。道の左手に会社の門が見えてきた。目の前に迫る。ゴール! 勝った、と思った。……ところが、本館に入り更衣室のある地下へとおりる階段で、先輩の背中に出くわしてしまった。そんなバカな。先輩は、相変わらずよたよたとした動きでゆっくりと歩を勧めていた。
翌朝、私は駆けた。タイムをはかるつもりで疾走した。途中でばてた。疲れて、少しトボトボ歩いた。ダメだ、勝てない。いや、ここで負けてたまるか。そしてまた駆け出した。ぜーぜーいいながら会社の近くまできた。踏切警報機が鳴る。通れるか? 無理だ、間に合わない。ガタピシいいつつ電車がやってきた。そして、踏切の隣にある停留所のホームで止まった。そして、先輩を降ろした。あー。あー。「やあ、今朝は急いでいるんですか」「ええ、まあ(ぜーぜー)」
というのがまあ、先週の話。今日、6月10日は路面電車の日だそうです。1995年の路面電車サミットで決まったそうな。日本限定。「路→ロ→ロク→6/電→デン→テン→10」んー。
松尾さんから譲り受けた列島リンクの公開を待ってます。それと、コメントつけちゃってすみません。
いつの間に更新を再開したの?
ちゃんとフォローがあるのが、ここの管理人さんの人がいいところ。
あのですね、根拠なしに発言することを外道といっているわけじゃなくて、根拠がないならそれなりに抑えた表現にしてみてはどうか、ということ。自分の正しさを十分説明できないのに、反撃されることはないだろうと思って安心すると強気で人をくさす……日記にムッとしたのでテキストを一通り読んだのだけれど、たいていそんな感じの印象。愚痴を書くにしても、もう少し書きようがありそうなものだと思ったわけです。共感してくれる人ばかりではないわけだから。反作用を想定せずにきついことを書くのはどうかと思う。
たいよーさんは愚痴に反論するのは美学に反するということをおっしゃった。私はしかし、愚痴のように書くことで反論をキャンセルしつつ人の悪口を平気で書くことだって十分、美学に反するのではないかといいたい。反論されたくないなら、愚痴を書くにしても無用の波風を立てないように書いてはどうか。私だって自説に反する愚痴にいちいち反論して回っているわけではない。反論する場合にだっていつもきつい言葉を使っているわけではない。
愚痴を書くのは自由だし、人をバカにしてみせるのだって自由だろうけれども、ならばその愚痴をきつい言葉で批判し、皮肉をいうのも自由だということです。もちろん、そういった行為は紳士的でない、品性下劣だといった意見は甘んじて受けますとも。それは承知で、私は書いています。(私に対する批判と悪口がたくさんあるのが徳保スレの有意義なところ。批判者の存在は私の自由を拡大すると思います)
蓮画像、見たわけですよ。皮膚病持ちとしては、この程度で今世紀最悪のグロ画像とかいわれているのはショックだったと、感想を述べておきます。
痴漢論議に追記しました。
私はナツさんの資料が出たときに、好意的に紹介しているわけですよ。いい資料が出た、と。私はこの資料を見た時点で、痴漢被害に服装は関係ないという事実については「争う気なし」です。でもその資料がなぜ世間の常識になっていないのか、という疑問がわきました。それで、せっかくいい事実があっても世間の常識となるのはたいへんですね、ということを書いたわけ。今にして思えばまるでピエロですね。私が常識だと思っていた意見の方が少数派で、多数派の常識はとっくに件の資料の線に添ったものになっていたのだから。でもどっちが多数派なのか、ということはなかなか見極めがつかなかったので、私が「まとめ」として当初の意見の誤りを認めるまでに時間がかかってしまったのでした。
私の当初の意見が間違っている、というナツさんの指摘には納得したわけですが、ナツさんの意見のそれ以外の部分については納得できないので、話が続いている、といった状況です。
私は我慢強いので、夏でもずっと長袖を着ています。暑い。
サイト読みサイトがどれくらいあるのか知りませんけれども、その一覧だけでも作っていただければなあと思います。でも俺ニュースだって別に、個人ニュースサイトだけを情報源としていたわけではないです(当サイトも情報源となったくらいです)し、情報源数百サイトのリストが公開されたのもそう昔の話じゃなかったような……。孫サイト読みサイト的な更新が軌道に乗ってからでけっこうですので、ひとつよろしくお願いします。
ところで、ニュースのログは残さないのかな。まあ、いいや。転載しておこう。
BMWを知らない人は、BMWといわれても何のことやらわからない。ユーザ層を限定するBMWは、車種ごとにブランドネームを設定していない。3シリーズとか5シリーズというように、型番だけしかない。その点、BMWはまだいい。トヨタとか、ひどいよね。クラウンとかカローラとか、知らない人が聞いたら「何の暗号ですか」って感じ。そんな暗号を数十も取り揃えている。タイトルというのは、別に内容の要約でなくてもいいということなんだと思う。
本のタイトルとか、テレビ番組の名前となると比較的内容に添っているかな、と思うものが多い。けれど凄いのもたくさんあって、例えば「グミ・チョコレート・パイン」というタイトルだけで何の本かわかった人は只者ではない。食べ物の本じゃないよ。(暗喩としては「食べ物の本」という言い方も間違いではないかもしれないけれど)
サイトのタイトルは例えば会社名のように、わけのわからない無意味な言葉で十分なんじゃないのかと思う。むしろそうやって無理をしてでも「他の何か」と区別しておく方がいいんじゃないかというような気がする。俺様ブランド。個人サイトは、管理人の個性をブランド化してサイトで何をやるのも自由ということにしてしまった方が、気楽に運営できるのではないか。「Web系日記」と名付けてしまうと、Web系以外のことをやりにくくなるわけでしょう。今夜の晩御飯の話題とか。
でも考えてみると、豊田自動織機とかフジ写真フィルムみたいな嘘つき社名もたくさんあるんですよね。
関東地方ももうすぐ梅雨入り……というわけで紫陽花の話。
ハラポネットを見にいったら読み物サイト超ランキングのバナーがあった。うちにも勧誘のメールがきたことを思い出す。私はタイトルだけ読んで迷惑メールだなあと思って捨てちゃったんだけど、案外まともに活動しているランキングだったんですね。で、ランキングを見てみたら斬鉄剣がトップになっていたのでひっくり返った。
関係ないけど、豺狼の路が閉鎖するそうですね。それで豺狼の路へのアクセスが増えている、のかな。豺狼の路経由のお客さんがいきなり6倍増になっているわけですが。偶然かもしれないけれど。そういえば豺狼の路の管理人氏はハンドルネームがギリシャ数字の2で、これが機種依存文字だからよろしくないという意見が以前あった。文字参照でどうにかならないのかと思ったのだが、調べてみたらどうにもならないことが判明。つまんないですね。Πとすればかなりそれっぽいけれども、これはパイの大文字。
L・A・Kに阪神打線の新しい名前としてネバサレ打線が選ばれた、という話が出ている。冗談が本当になっちゃったんですね。
そういえばしばらくHAGAKURE理論を見ていなかったなあ、というわけで検索エンジンを使ったんだけど、なぜかHAGAKURE理論が出てこない。備忘録のログがひっかかっただけ。おかしいなあと思ったら、HARUKAGE理論と書いていたのだった。ずーっと勘違いしていました、ごめんなさい。ハルカゲ……我ながらそのセンスがわからん。(参考:Google検索 HARUKAGE理論)
そういえば、と思い出したのが仮面の忍者 赤影だった。私が小学校低学年の頃、絵柄つきのプラスチック製のコップが洗面所にあって、いちおう私専用ということになっていた。そこに描かれていたキャラクターが赤影だったのだ。ちなみに実写版ではなくて横山光輝先生の絵。漫画連載初期のタイトルは飛騨の赤影だったらしい。私が産まれる12年前にテレビ放映は終了している。なんでうちにそんなコップがあったんだろう……。それにしても、2000年に再び映画化されていたとは知らなかった。3年もたっていまだに広報サイトが残っているというのも凄い話だとは思う。
ところで、HAGAKURE理論のデザインが以前とまったく変わっていて驚いた。神岡さんがデザインしたそうで、なるほどなあ、という感じ。神岡さんといえば、Archelonがスタートしたということで、ようやく拝見しました。うははは、カッコいい。
長く続く……のかな? 続いてほしいんだけどね。
メモ。何となく気にいったリンク元サイト。(管理人が表紙で断っている通りのサイトなので要注意)
修学旅行で奈良へ行ったときのこと。修学旅行は制服で行くのだけれども、奈良は史跡があちこちに散らばっているので、班ごとに自転車に乗って好きなところへ行きなさい、ということになっていた。もちろん事前に計画書を出していて、史跡に到着すると先生がその時刻を調べていたりするわけだ。で、その事前の準備のときの話。学校の近所の商店街の女の子が、この自転車に難色を示したんだな。「スカートで自転車なんて乗ったことがない。スカートで自転車に乗るのはよくないよ。だって……(以下、口ごもる)」というのだった。男勝りの(という表現は問題があるのか知れないが)活発な人、まあ正直に書けばがさつなことで有名な人だったので、その場にいたみんなが「え〜?」と驚いてしまった。ところが、優しい人ばっかりだったのかどうかわからないけれど、とりあえず代案をいろいろ考えたものだった。彼女には荷台に横座りしてもらう、という今にして思えば名案もあったのだけれど、情けない男子諸君が「それは禁止」と口を揃えたので流れてしまった。
それからしばらく、スカートで自転車に乗る人を見かけると、なんとなく彼女のことを思い出した。彼女とは別の班になったということもあって、彼女が結局スカートで自転車に乗ったのかどうかは思い出せない。バスの駐車場は石舞台古墳の近くにあったわけだから、歩いていろいろ見て回ることも不可能ではなかったと思う。
「イラクの政権崩壊と復興と」というテーマで連続更新中。楽しく拝見しています。
痴漢の話題は2003年の主要記事にまとめました。ここまでのまとめ、みたいな文章も書きました。
えーと。久しぶりにリンク元を見たら、けっこうあちこちでオフレポが書かれていたので、ついでに私が出てこないのもまとめて読んだわけです。そしたら案外、こういうのって知り合い同士の楽しみなのかな、と思いました。今まではオフレポってのは割と純粋に読者サービスなのかと思っていたんですが(私はHAGAKURE理論のログをオフレポ読みの起点とするくらいにオフレポ読むのが好き/飽きるまで手当たり次第に読む)、自分が参加してみるとどうもそうじゃないのかもな、と。オフレポなんて内輪ウケでつまんない、という人の気持ちがちょっとだけわかる気がした。といいつつ、思いっきり私信を書いてみる試み第二弾。(第一弾は消しました)
私の名前を出すのは全然かまわないのですが、スルーされたネタにこだわるのだけは勘弁してください。ウソもつき続ければホントになる系の体力勝負は得意分野ではありませんので。申し訳ないのですが。(ネタにマジレス)
というかですね、エントーさんも困っていらっしゃいますでしょう。ありもしない謎をひっぱるものだから。このネタは死にスジなので、そろそろ諦めてほしいと思います。幹事のぽよさんだけにメールでそう伝えて、本条さんがいうところの凄い方
に連絡しなかったのは正直申し訳なかったと思いますが……。
ぽよさんといえば予想通りいい人っぽくて、正直「これだから顔を合わせたくなかったんだよなあ」と思いました。先日は2回(?)電話をいただいたのに知らん顔しててすみませんでした。でも私は会社にいて、電話は家に置きっ放しだったんでしょうがないのです。で、これからも基本的に電話はつながりません。申し訳ない。ぽよさんだけが特別なんじゃなくて、誰からの電話もつながらないので安心してください。しかしあれだ、ぽよさんの日記を読むと毎日あちこちで人に会っているみたいで、そのフットワークの軽さには驚く。趣味でよくそんなことやってられるものだ。いや、人と会うのが好きなんだろうから、忙しいのは本望なのかもしれないけれど。
そういえば「趣味のWebデザインオフ」とかやらないんですか、と誰かにいわれたんだけれども、なんでそういうことを思いつくのかわからない。あんたはホントにうちのサイトを読んでいるのか、といいたい。でも「読んでない」といわれそうだからいわなかった。というのはウソで、冗談に毎回毎回マジレスしてもしょうがないということ。でもマジレスしたいという欲求に取り付かれることが少なくない。コマイヌ式を読んだらcimさんのサイトが「テキスタイルポッポ」と書かれていて、そのcimさんの日記に(cimは)ただのハゲ・デブ・ロンゲのオッサンです
とか書かれていて呆然としたこととか。何かに騙されて勘違いしていたので、とても驚いた。
ヒグラシさんのオフレポにこの人には相当お世話になったのにお名前が
なんて話が出てくるんだけど、私も思い出せない。そんな人いたっけ。あ、5万円様かな。関係ないけど、私が一番まともに喋れたのは板橋会のなんとかさん(思い出せない/長谷川さんじゃない方という言い方もなんだけど/あ、ぽよさんでもないので念のため)だった。私がどれほどつまらないことをいっても笑ってくれたので、とてもいい人だと思った。私は最初から最後まで偉そうにしていたので、「何様だ?」ときかれたらどう答えようかとか思っていた。というのは今作った話。
テキコン最後の晩餐のオフレポと関係テキストを読んでいたら、ぷちねこさんの正体について堂々と公開してしまっているものを発見。いいのかなあ。まあ正体がわかってみればTAKEXさんが既にばらしているようなものだったということもわかっちゃうのですが。(いま確認したら、本人がばらしてた。な〜んだ、OKだったんだ)
慣れないことを書いて疲れちゃったのでこれでおしまい。名前も出てこなかった皆さん、ごめんなさい。名前さえ出したらそれでいいのか、という話はあるんだけど。
結論。私は参加しないけど、みんなはどんどんオフ会をやって、オフレポを書くといいんじゃないかと思う。
アドバイスの依頼をされていた方、週末の内にアドバイスできなくて申し訳ありませんでした。もう少しお待ちください。規約の二週間以内には必ず何とかしたいと思います。
意見交換の内容自体は他愛もない(少なくとも私はまじめに考える気にならない)ものだけれど、こういうやり取りを読むのは楽しい。
テキコンの決勝戦、まだまだ投票受付中。私は投票しました。
千人祈批判の急先鋒といえばこちらのサイト。一ヶ月近く更新なし、か……。6月5日に本が発売されたらまた更新されるのかな。それとも……。
いろいろなご意見への反応は午後になってから、頭をスッキリさせてからやります。
水曜日が職場の新入社員歓迎飲み、金曜日が社員寮の新入社員歓迎飲み(しかも二次会まで参加したので帰宅したら日付けが)、土曜日は休日出勤+よくわからない飲み(二次会まで参加して帰宅したのは日が昇ってから)、ちょっとありえない状況。もう寝ます。月曜まで寝ます。
あー、報告書を作らなきゃいけないんだった。仕事を結局、持ち帰っちゃったんだった。うわー。でも寝ます。
知らない人ばっかりのオフ会に、初めて顔を出しました。私がオフ会に出ない理由は「遠くにいくのが面倒くさい」とか「会っても話すことないし」とかそういったことなんですけど、今回は私が4月2日に書いた無理難題をのみますというので、ぐうの音も出ませんでした。
オフレポ? 書きませんよ、私は。書きませーん(たぶん)。一次会はみなさんにお世話になりました。二次会は一部の方にお世話になりました。ということにしておきます。どうもありがとうございました。
以上、私信。つーか、そういうことはメールでやっておけ、と。でも誰が参加してたか覚えていないので、一応これでその。