当初の感想・独白

当初の感想

提言騒動を概観する

興味深い話題なんだけれども、私はあまり関わりたくないと思っています。メチャクチャに叩かれている先発優先という提言なんですが、まあ、ありうる考え方だろうとは思うわけですよ。これまで剽窃疑惑が持ち上がった事例では、たいていこの考え方が大なり小なり影響してきたんじゃないですか。つまり、先発作品は絶対に白ですが、後発作品は「限りなく白」ではあっても、純白とはなりえません。「純白の証明」は不可能ですから。だから、もともと先発作品の作者の方が、有利な立場にあるわけです。後発側にとって、疑惑はかけられ損だということ。

ただでさえ後発に不利だというのに、さらに先発優先を明文化したものだから、とうとうこういう大騒動になった、というわけなのかな。サイレントマジョリティーが眠りから覚めたということか。でも、これはなかなか難しいことをいい出したと思いますよ。ある種のローカルルールとしてなら、先発作品優先というのは問題処理の簡便な方法として有効なんです。これまでの状況が状況だから、今は逆ネジが効いているのでしょうが、遠からず「かなーり似ている後発作品」が問題となるんでしょうね。剽窃かそうでないかの判断は難しく、いつもそこで議論が収拾つかなくなるわけです。そのときどんな解決策を取ればいいのか。今度は後発側が強気、強気になって、際どい事例が続出するかもしれない。

私は、異論を述べる者を徹底的に潰すというやり方が嫌いです。かつての社会党は非現実的なことばっかりいうダメ政党でした(政権をとった途端に自衛隊を認めたあたり、本当はわかっていたんだろうなあ)が、あれはあれで自民党をけん制する役割がなかったとはいえません。自民党内で不祥事が起こればちゃんと予算の年度内成立が危うくなったり、審議拒否でいくつかの法案を没にしたり。自分たちの政策はまったく法案にできなかったかもしれないけど、自民党による一党独裁を阻み続けたことは無意味でもなかったろうと思います。

提言を叩く人々を見ていると、提言の発案者たちの考え方を何が何でも変えなきゃ気がすまないって感じの方も少なくないので、怖いなーと思う。私なら「先発優先だなんて、あんまり大声でいわない方がいいよ」と説得するところですが……。完膚なきまで敵を叩き潰そうとするのは了見が狭い。議論に勝ったからといって、他人の価値観まで変えようとするのはやり過ぎでしょうし、虚しい努力だと思います。

追記。提言関係ログ倉庫がポータルなんだろうと思いますが、私の跡地とのスタンスの違いが興味深いですね。事件の解決がサイトの重要な目的となっているかどうか、そして多方面への配慮と自分の伝えたいこととのバランス、そのあたりに大きな差があるようです。私はもちろん、あのサイトで騒動を解決しようだなんて全然考えていませんでしたし、多方面への配慮よりは自分の信念を優先させてきました。そのためかどうか、提言関係ログ倉庫では管理人の顔が見えないのに対し、跡地は私の個性が強烈に表れているように思います。どっちがいいというわけでもないのですが……。

いずれにせよ、提言の発案者たちをこうまで責める必要があったのかな。こんなことが許されるのなら、阿呆なネットマナーを布教している有害サイトを片っ端から血祭りに上げたいという欲望がうずうずと……。あと、あんまりにもあんまりなHTMLの解説をしているサイトとかね。それはないだろう、ということをいっているサイトというのはいくらでもあるわけで。なんていうか、議論に勝てない考え方を布教していたというだけでここまで叩かれるというのはどうなのよ、という違和感があります。

私にとっては、そうした観点から興味深い騒動です。

反提言側の気持ち悪さに気付く

古いスレなど読んでいたら段々むかむかしてきた。我ながら阿呆だ。

この場合のラストエリクサーって何?

提言管理人が全員改心し、間違った部分を全部理解してちゃんとした謝罪をし、的確な被害対応案を出してヲチャの突っ込みどころがない位完璧な事後処理が出来るようになり、提言による被害が一切なくなる事。

凄いこといってるな。改心だの謝罪だの被害だの、言葉がインフレを起こしている。実際問題として強制力のない提言だったわけで、そんなもの気に入らなければ単に無視すればいいだけの話だった。提言自体は、著作権法に何ら違反しないわけです。提言バナーを掲示しているサイト同士のトラブルを解決するためのローカルルールに過ぎなかったわけだから。

的確な被害対策案だって、ちゃんとあったわけですよ。あくまでもローカルルールです、という説明はとっくの昔に出されていたのですから、私はそのローカルルールには賛同しませんといえばよかった。その程度の反論もまともにできない人は、当人の能力の問題ではないのだろうか。

とはいえ、同人界には、想像を絶するデンパがいるんだよ。提言は、その人たちに刃物を与えちゃったんだよという嘆息には同情する。実際、そうなんだろうな。だからやっぱり、許せないという気持ちはわかるのだけれど。

結局、提言を批判するのはいいけれど、おかしな意見をいうのは罪で、改心だの謝罪だのが必要なのか、というのが私の疑問。もしそうだということならば、私はHTMLについて嘘ばっかり書いてきた連中(例えば1年前の私とか)にも改心と謝罪と的確な被害対策案を求めたい。で、それをできない奴はみんな血祭りに上げる。各個撃破で。なんだかわくわくしてくるけれど、さすがに実行できない。

私は跡地の件の着地点についての考察としてボクの終戦工作を公開したわけだけれど、提言騒動でも、この手の解決策(=ここらで許してやるか)に持っていくしかないと思う。それとも、それはわかっているけれど、既に払った代償が大きすぎて完勝じゃなきゃ納得できない、ということなのか。しかし先発優先と考えたい人たちの頭の中まで改造しなきゃおさまらないとなると、先は長い……。

騒動の落としどころについて考えてみた

Aさん(というのが誰か知らないけど)を剽窃者よわばりしたのは悪かった、謝るよ、というところで手打ちにしたらいい、というのが私の感想。そこにポイントを絞れば、うまくコトが運ぶのではないか。

提言を行ったことを責めるのは、いろいろ問題があります。間違った考えを表明し、布教することを罰する、という発想はかなーりヤバイです。それだけは注意しなきゃいけないと思う。

以上が、私の結論。とくに反応がなければ、これ以上の言及はしないつもりですが……手厳しい異見が出されるんだろうな、たぶん。

独白

価値観の違いに根ざす意見対立は、突き詰めていくと結局、対立を解消できないことが明らかになります。しかし現実に生きていく上で、それでも意見のすりあわせをせざるを得ない場面が生じます。お互い、相手の言葉に説得されないわけですから、両方が意地を張り合えば泥沼です。そこで、お互いがある程度譲り合うことになるのですが……残念ながら、半分ずつというわけにはいきません。意見のつぎはぎというのはなかなか難しいものがあります。多くの場合、大筋で一方の案が通り、対案には少々配慮する、というあたりで決着が図られます。このあたりの匙加減を決めるために、議論を通してお互いの意見を理解しあう過程が必要なのだ、と私は考えます。

さて、対立する両者の人数比が圧倒的に偏っている場合には、少し異なる展開を迎える場合があります。多数派が少数派を宇宙人扱いして意見をまったく理解しようとしない、ということがしばしば起きます。そして多数派は、ときに自らの絶対の正義を確信し、少数派に「価値観を変えますか? それとも、人間やめますか?」と強硬に迫るのです。

人の拠っている価値観は、多くの場合、理屈なしにそこにあるものです。だから、議論で完膚なきまでに敗れても、価値観を変えることは困難です。何度も何度も踏み絵の試練に直面し、泣く泣く聖母像を踏みつけて生きることを許されてきた私にとって、行動の迎合のみならず、価値観の迎合までもを強制する人々は最も憎むべき存在です。ある議論に接した際、どの意見が最も真っ当か、どの意見が最も理に適っているか、ということよりも、まず多数派の無邪気な(純粋で強い)正義の確信に深い怒りを覚えるのは、そのためでしょう。

たいていの人は、自分の中に棲む鬼を殺すか食うか手なずけるかするのでしょう。私はいつの間にか鬼に食われたので、死ぬまで変人(それでも人だ!)であり続ける道を歩みます。自分たちの轍は踏ませまいと、私を真人間にしようと頑張った両親には、本当に申し訳ないと思っています。