趣味Web 小説 2004-04-08

リンクは「転載」ではない

リンクによる参照で徳保さんが書いている「例え話」は、どういう結論を導くためのものなのか、自分には今一つ理解できないところでした。「コピーされる」ということで言えば、そもそもウェブで閲覧されるリソースは全てウェブサーバからPC等のクライアントへコピーされるものであるし、「転載」が人の手による外部リソースのコピーであるならば、iframeはコンピュータによる自動的な外部リソースのコピーとも言えるわけで、大した違いは無いように思います。

整理しましょう。Web リソースは「複製」なしに利用できませんが、これは私的利用の範囲内での複製という説明も可能ですし、技術的に避けられない問題として許される問題でもあるでしょう。私は Web リソースについて、閲覧に必要不可欠な「複製」と(Web リソースから Web リソースへの)「転載」「引用」を、次の条件によって分離して考えています。

今回、私は北村さんの文章を「引用」しました。「引用」されたリソースは、引用元の URI によって特定されるリソースだけでなく、私の用意した URI によって特定されるリソースの中にも存在する状態となっています。iframe 要素によって北村さんの文書を「参照」した場合、参照側のリソースには北村さんが当該文書に与えた URI へのリンクが存在するだけで、その内容は含まれません。

北村さんが引用元の文章を消した場合を考えれば、両者の違いは明らかです。「引用」であれば、引用元が消えても存続します。しかし「参照」は、参照先が消えれば「参照不能」になります。

端的にいって、「リンクする人」が当該リソースを複製も移動もしていないのに、「転載」と呼ぶのはおかしいでしょう。iframe 要素にせよ img 要素にせよ、見た目がそれっぽいだけであって、実態は「参照」に過ぎないというべきです。現在の WWW ブラウザにおいて iframe 要素などによって「参照」されたリソースの URI がわかりにくい(最大シェアの IE では「右クリック→プロパティ」の手順で表示)のは、ブラウザの設計がまずいという話に過ぎません。

しかし現在、iframe 要素による「参照」を「転載」とみなす人がいるのは事実です。そして裁判所が同様の判断を示す可能性も否定しません。ただ、技術的には「転載」ではなく「参照」の方がぴったりくるだろう、ということです。

なお、前回示した例え話は、公共の電波を拾ってテレビに映す行為を「転載」とはいわないでしょう? という話です。番組はテレビ局が持っていて、番組を公開しているのもテレビ局で、テレビの持ち主はただその信号を拾っているだけなのですから。家電売場のテレビで番組が放映されているのを見て、「転載」だという人はいないでしょう。テレビ局が放送をやめたら、途端にその番組は画面から消えてしまうのです。

追記:2004年4月10日

私は「転載」に対置する概念として「参照」を持ち出していて、表現は「参照」に付随する低次の問題と考えています。a 要素と iframe 要素の違いは表現にあり、その意味で iframe 要素にとって表現は重要でしょう。しかしリソースの実際の所在に注目すれば、表現によらず「参照」が「参照」であることは明らかです。

また embed が現在の WWW ブラウザでは「転載」と誤認されやすい表現になっている現状を、私は支持しません。多くの人にそれが「参照」だとわかる embed の表現も工夫次第では可能です。現状の実装が唯一の解ではありません。iframe 要素の技術的本質はリンクしたリソースの embed だ、という意見には賛同しますが、現状の実装による表現を根拠に「概念は転載に近い」とする見方には与しません。私は「転載」と「参照」の区別は表現より高次の領域で決まるものと考えますから。

以前「リンクによる参照」と書きましたが、「リンク(<参照)」と整理した方が、私の(直感的な)理解をより正確に反映しています。リンクは「参照」の一形態です。iframe 要素によるリンクは、リンクの一形態です。すべて、「参照」の範疇にあります。

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