なんでも美談にすればいいってものでもないだろう、とは思うけれど、教育用(?)には悪くないのかもしれない。とはいえ、物言わぬ存在に勝手に気持ちと声を与えて操り人形とする発想は、基本的には動物を原告とした環境裁判と同じ。この物語にも、人間の作者がいる。今のところ何の罪もない存在なのだけれど、警戒しておいた方がいい。
例えば「とき325号記念館」を作ろう、みたいな税金の無駄遣いが計画されたときに、安易に乗っかったりしないために。