WWW を利用している人は周りにたくさんいても、案外、サイトを持っている人はいませんよね。案外いない……って、具体的にはどれくらい? と疑問に思ったことのある方、いらっしゃるのではないでしょうか。
アクセスメディアインターナショナル株式会社とインプレスの共同調査によると、2003年4月末時点の WWW 利用者の内、個人Webサイトを開設・運営中の方は 14.1% だそうです。約7人に1人ですから、なるほど、少ないですね。
個人サイトなんてなかなか続かないのに、運営中の方が 14.1% で、休止と閉鎖の合計が 10.8% にしかならないということは……休止(閉鎖)してるあのサイトのオーナーもきっと今頃、どこかで新しいサイトを運営しているのかもしれませんね。この調査は複数回答ではないので、運営中のサイトがひとつでもあれば、他にいくつのサイトを放り出していても運営中に分類されるのでしょうし。
あと、こうしてみるとやっぱり、個人サイトを開設・運営した経験のある方は少なくないのですね。運営中、休止中、閉鎖しましたの合計が 24.9% ということは、なんと4人に1人! 「個人サイト? ふっ、ぼくがそんなもの、やるわけがないじゃないか」みたいなあの人も、じつは経験者? などなど、いろいろ楽しい想像が広がる統計です。
ただし、個人サイト(の開設・運営)なんて興味ない人が過半数だ、という厳しい現実にも目を向けておくことが大切ではないかと思いますよ、私は。あと、これからやろうとかいっている人の大半は、たぶん当面やらないんじゃないかという気がします(何の根拠もない予想ですけれども)。
ちなみに、みんながどこでサイトを作っているのかというデータもご紹介しましょう。ちょっと意外な感じがするでしょうけれども、これが現実なのだそうです。
独自ドメインをとっている人が 11.5% もいるとは知りませんでした。というか、無料レンタルサーバの利用者とかって、意外に少ないんですね。仮に「わからない」が全部それだとしても、プロバイダのところでやっている人のほうが多いというのですから。個人サーバの利用者が多いのは、研究室のサーバを使っている大学生なども含む数字でしょうけれども、それにしても意想外に多いものだな、と思いました。
ところで、選択肢の用語の使い方が不正確な統計は嫌ですよね。
WWW を利用するために用いているパソコンに搭載されている通信機能について、インターネット白書2003では次の調査結果が紹介されています。回答者は、ユーザー。
パソコンメーカの商品企画担当者が見たら、目を回しそうな統計です。せっかくいい機能がついていても、あんまり認識されていないという話。というか、自分が「わかっていない」ということさえわかっていないことがよくわかる、面白い調査結果ですね。
あと、Bluetoothは何ではやらなかったんでしょうね。技術者受けはよかったんですけれども。ひょっとすると、これからブレイクするのかもしれませんが。(DVDもようやく一昨年あたりに市場が立ち上がったわけですし)
選択科目が文系か理系か、進路が就職か進学か、といったことによって、高校卒業資格者の学力レベルに差があってよいのだろうか。もちろん、理系の学生しか勉強しない高度な数学の問題を文型の学生が解けなくても問題はない。しかし、必修科目である数学や理科の基礎科目を、すっかり忘れた状態で(あるいは最初から理解しないまま)卒業してしまうのであれば、問題ではないのか。
就職するなら数学なんていらないよ、というのであれば、「だったらなぜ高卒をほしがるのか?」という問題が出てくる。高校は基本的には勉強する場所なんだから、勉強に期待しないというなら、高卒を希望する必要はないはずだ。もちろん、高校卒業が「あまりにひどい人材」を簡単にふるい落とす便利な基準として機能している現実があるわけだけれども、それでいいのかという疑問は出てきていい。
文型の学生は数学なんか勉強しません、という現実は是としてよいものなのか。それならなぜ、数学Iは必修科目になっているのか。理科もIAまたはIBを最低2科目が必修なのだ。文系を選んだら数学も理科も忘れ去ってよいというなら、必修科目にしているはずがない。私は、仮にも普通科の卒業生というならば、英数国理社いずれも、ある程度は身につけているべきだと考える。
こう考えるならば、文部科学省が何を調べたかったか、何を期待していたかということは、自ずと理解できると思う。
ところで、報道発表一覧 月別一覧(平成16年1月)には文部科学省は23日、全国の高校3年生約10万5000人を対象に、02年11月に実施した学力テストの結果を発表した
という報道に対応する記述がない。朝日が嘘つきなのか、文部科学省が怠慢なのか。
追記:27日現在、報道発表一覧において23日付で平成14年度高等学校教育課程実施状況調査についてという文書が参照できる。朝日新聞の報道が正しく、文部科学省が怠慢だったことがわかった。
同一の電話番号を持つ携帯電話端末がいつのまにか複製され、身に覚えのない通信料金が請求されるという「クローン携帯」の存在が取りざたされている。昨年夏ごろからうわさが広がり、十一月には国会でも取り上げられたほど。しかし、疑われたケースを調べてみても、これまでにクローン携帯による被害と断定されたケースはゼロ。携帯各社は「複製はまず不可能」と口をそろえ、クローン騒動の火消しに躍起だ。
陰謀論はこうして生まれる、という過程がよくわかる興味深いケース。概要をまとめると、こういう話だ。携帯電話で動画配信にハマると、予想外の高額通信料金を請求されることがある。たいていの人は契約書に示された通信料金と自分の利用時間を掛け算して納得するのだが、中には算数の苦手な人がいて、自分は何か犯罪に巻き込まれたと思い込んでしまう。こうして生まれたのが「クローン電話」という犯罪神話なのだ。
かわいそうな話だけれども、通信事業者はこういう愚かな人々を客として業績を拡大してきたのだから、覚悟を決めなければならない。
ある通信関係者は「少なくとも日本国内では一般利用者レベルでのクローン携帯の製造は不可能。仮に製造ができたとしても使い続けることは難しく、クレジットカードなどの偽造とは違って、割には合わない」と話す。
技術的に不可能ではないが、割に合わないといっているわけだ。技術の壁と成功報酬のバランスを根拠とした「不可能」は、けっこう信頼できると私は思う。1円玉の偽造は技術的には簡単だが、やっても割に合わない。500円玉くらいになると、何度も偽造硬貨が問題になっている。そういう話なのだ。人間の技術に「絶対」は存在しないのに、各キャリアとも自信ありげに「存在しない」と言い切っていることが怪しい。
という意見は、どうにもこうにも話がズレている。
……と、いいたいところだが、NTT DoCoMo の公式見解の文面は、技術的に絶対不可能といっているようにしか読めない文面なので、私は困った。ここで話を仕切りなおすことにする。
たしかに、「技術的には絶対に不可能だというわけではないが云々」というと、その言葉の端だけをつかまえて大騒ぎする人がたくさん出てくることは容易に想像できる。情報開示という面からは問題があるのだが、これもひとつの大人の判断ということか。しかし、愚かな人々も「何か情報が隠されている」ことをかぎつける嗅覚だけは優れているのが、悩ましいところだ。
ちゃんと説明しているのに話を聞いてくれない、理解できない人々がたくさんいるので、ごまかし含みの発表をした方がいいということはよくあって、社内文書などはいつもそんな感じだ。聞く側のレベルに合わせた情報統制というやつ。これは自分では賢いと思っている大勢の人を怒らせるのだけれど、なんでもオープンにするとろくなことにならないということは歴史が示しているのだからしょうがない。
今回の件では、新聞記事に公式見解と異なる通信事業者の本音が書かれている。こういう日本の情報公開のあり方は、情報を手に入れる側がもう少し自覚的になれば、そう悪いものでもなくなるのではないか。テレビは大衆向け、新聞はもう少し「わかっている」人向け、専門誌はその道の人向け、というように。
よくわからない人に、「技術的には可能だが云々」と話せば、続きの難しい話を聞かずに冒頭のフレーズだけで震え上がってしまうことは、火を見るよりも明らかだ。ならば、そうした層には「技術的に不可能です」といってしまってもかまわないのではないか。実際、ちょっとやそっとの技術力では不可能なのだから。少なくともテレビ局には、不安を煽る報道をしないでほしい。
「私達は大企業の情報隠しを許しません」というスタンドプレーで人々を煽り、自分の商売に利しているマスコミは度し難い。庶民は庶民であるが故に大企業だのエリートだのが嫌いで、そういう連中はみんな悪いことをしていると思い込んでいる。そりゃあ悪いことをしていないということもなかろうが、そういった空気を無批判に利用して稼ぎに変えるマスコミがいう正義なんてのは、そうそう信用できたものではない。
監督官庁の総務省では「クローン携帯」騒動は「予想を超えた高額請求に対する理由付けのよりどころとなっている」と分析、事業者に対し、利用者の予想以上に通信料が高額化しないよう、動画像を送受信した場合の料金目安を記載するなどの工夫をするよう要請した。
何はともあれ、総務省のクールな対応には安心した。客なんてのは身勝手なものなんだから、それに合わせて商売を工夫するしかないんじゃないの、というわけだ。「まもなく電車が参ります」というアナウンスだって、散々ぼろくそにいわれてはいるが、あれがないとやっぱり事故が増えるのだろう。これからは動画像を送受信する場合にいちいち通信料金が表示されるようになったりするのかもしれない。ばかばかしい話だが、やっぱりそういうのが世の中には必要なんだろうと思うのだった。
正直びっくりしてしまった。こういう話って、とっくの昔に終わっていたものだと思っていた。第一、今時アクセス解析をつけているサイトを避けたり、いちいち悪感情を抱いていたら、まともにネットを回るなんてできないと思うんだけど。ふつう企業のサイトはつけてるわけだしね。
巡回範囲が偏っていると、ごくふつうの現象を見ても驚くという話。
GAIAX系のコミュニティーなど、もっと初心者寄りの世界では、十年一日のごとく議論がループしているのです。儀礼的無関心にせよ、リンクの自由にせよ、「こっちの世界」で話題になると今更だけれども、大勢の初心者にとっては、いつだってホットな話題であり続けているのです。
WWW利用環境の世帯普及率は1998年に7%、1999年に13%、2000年に21%、2001年に28%、2002年に40%、2003年に48%となっています。世帯普及率は、職場、学校、携帯電話、PHSなどからの接続を除いた数字です。これを見ると、常に新しい層が入ってきていることがわかります。うぶな話
がとっくの昔に終わってい
るはずがありません。
ついつい「HTML&スタイルシートトレーニングブック」のレビューではきついことを書いたのだけれども、書店でパラパラやっていると、ホントにひどい本というのは他にいくらでもあることに気づかされます。星2つというのは Amazon ではあまりにも低い評価で、ちょっと悪いことをしたかなあ、と思う。星をたくさんつけても本文で批判することはかまわないわけだから。
というのは、星は検索結果のリストなど、あちこちで使われているのです。レビュー本文とセットというわけではないのですね。ずっとひどい本が星4つとかになっているのに、渡辺先生の本が星2つというのは、ひどいかもしれない。
実際に
「読まれないような解説を書くやつが悪い」とまでぶっ飛んだことを仰る方がいるのかはさて置き、仕様書はわかる人にしかよくわからない代物なので多くの利用者は仕様書を読まない。で、わかる人にしかわからない仕様書というのがわからない人にとって問題になるわけですね。たとえば、MT や HTML の仕様について予備知識が無い方が仕様書を読んだところで、誤解せずにしっかりと使い方を理解出来るかというと疑問。家電の取扱説明書でもなんでもそうなのですが、説明を苦労せずに理解するためにはある程度の予備知識が必要になってくる。家電は日常生活でよく触れているので何となく使い方がわかりそれが予備知識となる。しかし HTML やら MT やらは身近な存在とは言いがたい。すなわち、予備知識に乏しい。そうするとたとえ仕様書にきちんと目をとおしたのにも関わらず、使い方がさっぱりわからないという方が出てくる。
で、HTML や MT の予備知識を得るのかというと、これはよくある「楽しげな解説」からなのでしょう、多くの方は。そこである程度の (そして誤解含みの) 下地を作り、更に興味が出てきた人はきちんとした解説に辿り着き、誤解を誤解と認識できるようになり、正しい使い方を学ぶ。やりたいことだけに着目し、囚われてしまった方々は誤解したまま使いつづける。
一見、正しい使い方を知ることが出来た方の方が幸せのように見られるのですが、誤解を誤解と認識できない人の方が実は幸せなのかもしれませんね、というお話。ルールというのはいつも厳しく、そして窮屈なものです。
同感。日本の理科教育が、最初は直感的にわかりやすく、そして間違った説明をするのは、決して故なきことではないと思います。私も経験上、多くの人は HTML を学ぶために「遠回り」を必要とするのではないか、と考えます。HTML の場合、間違いを教える必要まではないでしょうが、初期の段階ではレガシーな HTML を許容するしかないのではないでしょうか。装飾に font 要素を使うことを、黙認せざるをえない。テーブルレイアウトも、見て見ぬふりせざるをえないだろう、と。
生徒は講師が何も教えずとも、勝手にそういったテクニックを学んできて使いたがります。これを叱っても無意味ですし、何故ダメなのかを話しても通じません。たまに賢いというのか、向いているというのか、すんなり話を理解してくださる方もいらっしゃいますが、まあ例外ですね。おじさんには、案外、例外が多いです。子どもには期待しない方がいいです。おばちゃんはその中間。お兄さんお姉さんに教えたことはありません。
装飾をCSSに委ねるとき、一部ではなく全てを任せよ、という原則があります。元々CSSは、そのように使うものとして設計されているのです。しかし実際にCSSでデザインしていくと、各部分のデザインはうまくいっても、レイアウトで躓きがちです。本書はCSSデザインの最難関、「レイアウト」について真正面から取り組んだ労作です。
本書はHTML文書の装飾を全てCSSに任せるという大方針のもと、5種類の基本的なレイアウトに焦点を当てて解説しています。レイアウトのバランスについての記述は秀逸です。しかしなんといっても本書の白眉は、実際の製作過程を詳細に追っていることでしょう。初級者の方には、本書の解説を「手で追う」ことをお勧めします。完成形を眺めるだけでは見えてこないものがたくさんあります。
本書の難点は、HTML周りの記述にあります。div要素に頼り過ぎた作例、要素とタグの同一視など。HTMLの正しい使い方、アクセシビリティー関連の話題については、別に学ぶ必要があります。しかし「レイアウトとCSSの解説書」と割り切れば、有用な一冊ではないでしょうか。
初級者が挫折しにくい、「わかりやすい」解説と見やすいレイアウト。よく工夫された本です。
本書はたしかに、初級者の現に存在するニーズを満たすものです。購入者は、十分に満足できると思います。しかし、初級者が事前に抱いている誤解を正すどころか、むしろ誤解にすり寄るような解説をしますから、将来に禍根を残します。
表紙のイラストでHTML,div,class,CSSの4語が紹介されています。div要素がフィーチャーされていることに注目してください。本書の解説では、HTMLは視覚デザインのために用いる道具としてしか扱われません。だから、CSSデザインの作例にdiv要素が頻出し、テーブルレイアウトやフレームに多くのページが割かれています。
本書ではHTML文書のあるべき姿、そうあるべき理由を学ぶことはできません。「作りたいものを作りたいように作る」ことを肯定しているからです。HTMLもCSSも、その基礎基本の概念・存在意義を初心者に伝えるのは難しいことです。しかし、プロがその職責を放棄してよいのでしょうか。本質的でない方法を紹介し、皮相なレベルでニーズを満たしてしまってよいのでしょうか。
「HTMLとスタイルシートによる最新Webサイト作成術」や「ひとりでつくれるホームページHTML入門」のような意欲的な書籍が既にある中で、本書の著者の怠慢は指摘されてもよいでしょう。
HTMLとCSSをそれぞれ本来の役割にしたがって使う方法を解説したWebサイト作成の入門書。「なぜ?」を起点にていねいな解説が行われている好著です。
本書では、ごく自然にHTMLによる文書構造を明示する考え方とCSSによるデザインを紹介しています。またサイトのコンセプトを考える段階から完成後の更新まで、幅広くサイト作成時の留意点を押さえており、「最初の1冊」に最適ではないかと思います。
「スタイルシートWebデザイン(HTML版)」とは異なり語り口が柔らかく、世間に広まった間違った考え方を論破しようとする迫力はありません。なので、ガツンといわれるとつい反発してしまうような方が正しいHTMLとCSSの使い方を再勉強するのにも向いています。入門書なので、再勉強に使う方は知識の拡充には期待せず、HTMLとCSSを使う「考え方」を重点的に学ぶとよいと思います。
なお、HTMLとCSSの使い方を正しく説明する入門書もようやく増えてきましたが、本書はとくに「HTML&スタイルシートレッスンブック」「Webスタイルシート・デザインガイド」等の類書よりもHTMLの解説が正確です。
芥川賞の話題を追う中で目にした加藤千恵の公式サイト。作家がご自身で作成なさっているサイトというのは、かなり高い確率であれなんですけれども、加藤先生も例に漏れず……。
それにしても、この内容・デザインでこのアクセス数。バスルームで髪を切る100の質問。のように、致命的なまでに読みにくい文書も、ファンはデフォルト設定の IE で頑張って読むわけでしょう。さすが、お金出して本を買う読者のいる作家は偉いものだと思った。
距離的にも不適から近い某講座
って? 近かったのか……。
悪徳商法?マニアックスには有用な記事がたくさんあります。興味深い事実を紹介する記事です。Beyondさんの本領が発揮された傑作記事をひとつご紹介します。
こうした、事実の裏づけのある記事だけだったなら、Googleの検索インデックスから削除されることはなかったでしょう。事実に基づく記事と憶測で中傷する記事が混在しているから、目次が削除されたのです。
私は、悪徳商法を攻撃する目的のために、憶測で中傷する記事は不要だと思います。乏しい根拠で悪徳業者と決め付けなくとも、こういった事実を積み重ねていけば、自ずと伝えたい情報は伝わっていくものではないでしょうか。地道に積み重ねた事実こそ、真に頼るべき武器です。憶測による中傷は信用の置けない、諸刃の剣です。
一部の問題記事のために、有用なサイト全体が存亡の危機に陥ることを、私は残念に思います。「島津奔る」「逃げろ家康」が絶版になったときの悲しさを思い出しますが、Webサイトは改訂すれば生き残ることができます。どうか、危機をうまく切り抜けてほしいと願う次第です。
- googleから、削除された理由(わけ)
1月6日にgoogleに質問を送った返事が返ってきました。簡単にまとめると、「クレームが来たので、検索結果から削除した」と言うことのようです。
ご連絡ありがとうございました。お返事を差し上げるのが遅れました事をお詫び申し上げます。
弊社ではGoogleインデックスに表示されるドメインが、登録されている国の法律に従っている事を確認するよう努めています。弊社では、法律で公認されているコンテンツを削除すること及び情報アクセスの制限を行っておりません。しかしながら、特定のページのコンテンツが日本の法律に違反していると判断された場合、そのページをGoogle.co.jpから削除することがあります。この場合、クレームを頂いたユーザーから詳細情報を記載した署名入り文書を弊社法律部に提出していただく必要があります。
この度ご指摘になったページは、日本の法律上、名誉毀損罪(刑法230条)及び営業妨害罪(刑法233条)に該当すると判断され、Google.co.jp及び弊社パートナーサイトから削除させていただきました。何卒ご了承いただきますようお願いいたします。
今後とも Google をどうぞよろしくお願いいたします。
当サイトがgoogleで検索できなくなったことに対し、「SEO対策」だの「偶然的結果」だの本質を全く見ようとしない方も多くおられましたが、これで「googleの検索結果は、恣意的なものである」ことがハッキリしました。もっと、たしかな目(略称、たし目)を養って欲しいと思います。
# それはともかく、googleの解答は、なかなか趣がある解答な気がします。
さて、ここで皆さんに考えて欲しいことがあります。良く、インターネットの登場により、市民と組織が言論という同じ土俵の上で戦えるようになったと言われます。一般論としては、正しいでしょう。しかし、インターネットと言う「自由競争市場」では、権力や影響力、富と言った「価値」が、一極集中していく傾向にあるため、間違った意見だとも思います。
現在、サーチエンジンと言えば google です。googleに表示されないと言うことは、誰も見ないのと同じことです。google と言えど一企業ですから、当然、資本の論理が働き、不都合なページは積極的に削除していくでしょうね。資金力のある企業なら、「広告で、批判記事を潰す」、「弁護士を雇い、法的威圧をかける」ことなど朝飯前です。
既に、いくつかの企業については、企業側に都合の良い情報しか見つけられない状況になっています。今後、ちょっと批判的な記事を書いたり体験談や感想を載せたりすると、「google八分の刑」や「プロバイダにクレームが行く」ことが頻繁に起こるようになるでしょう。ヤクザは身内を攻めるように、本人に攻撃するより効果的な場合が多いものです。
もはや、インターネットで正直な気持ちを書くことは許されないのでしょうか?消費者が、商品やサービスについての情報を集めることは不当なことなのでしょうか?「ひとりの普通人として、なにが出来るか」、考えてみて欲しいと思います。
P.S. この記事を見て、早速動き始めた企業が、きっといる。間違いない。
P.S.2 googleへの返事は、うまいツッコミが思いつかなかったので送ってません。誰か送った方がいたら、結果を教えてください。
- 【再掲】
今のところ、googleで検索できないページ一覧。さらに、調べて追加しました。これ以外に検索できないページがありましたら、教えてください(www6.big.or.jp 上にあるもの)。
このBeyondさんの発言に賛同する方が非常に多いようですが、私は反対意見を述べます。
まず、検索できないページとして5つ挙げられた例のうち、京都の事件に関する記事は2つとも京都新聞から許諾を得ずに転載されたものであり、著作権法に違反しています。これは明々白々な事実であります。京都新聞では1年以上昔の記事の閲覧を有料サービスとして提供しており、Beyondさんの行為は京都新聞社のビジネスを不当に阻害しています。Googleが当該記事を検索インデックスから削除したのは、当然のことでしょう。内容以前の問題です。
問題は、その他の記事の削除が正当かどうかです。Googleは日本の法律上、名誉毀損罪(刑法230条)及び営業妨害罪(刑法233条)に該当すると判断
しましたが、法的判断は分かれるでしょう。Beyondさんも法的判断の問題には触れていませんし、私もその点には踏み込みません。以下、Beyondさんが考えてほしい
とおっしゃったことについて、書いていきます。
私は小なりといえども一部上場を維持している某企業の一社員ですが、当サイトの累計ページビューは、社の公式Webサイトの12倍です。Googleの定めるPageRankも、当サイトの方が高いのです。
私の会社は曲がりなりにも大企業に分類されていますから、Webサイトにもそれなりのお金と手間と時間がかかっています。仕事の一環で、給料をいただいて製作にかかわっている人が何人もいるのです(ただしサイト管理専業の社員はおりません)。営業部門が企画書を出し、偉い人が承認して、外部の業者と打ち合わせし、発注する。リニューアルするという話が社内で出てから、1年経ってもいまだに表面上は動きが何もない……というくらいに、じっくりとよく考えて、コトが進められているのです。
それでも、私が趣味で適当に作ったサイトの方が10倍も人を集めるし、PageRankも高いのです。こういうことが起きるという意味では、WWWは個人と組織が同程度の影響力を持ちうる可能性がある世界だ、といえなくもないでしょう。ただ、これに類する事例は出版や音楽の世界などでは以前より存在し、WWWが特別にどうだという話ではないかもしれません。近年の「モンゴル800がダブルミリオン」「静山社がハリポタでミリオン連発」といった話題は、まだ記憶に新しいと思います。
いずれにせよ、「自由競争市場」では、権力や影響力、富と言った「価値」が、一極集中していく傾向にある
ことは、インターネットの登場により、市民と組織が言論という同じ土俵の上で戦えるようになった
という説を間違った意見だ
とする理由にはなりません。組織ではなく個人のもとに「価値」が、一極集中し
た事例は、世の中にたくさんあります。WWWでは、とくにその種の事例がたくさん見つかります。
ここで少しだけ「らしい」ことを書きます。WWWにおいて、プロの手になるコンテンツよりも、個人が趣味で作成したコンテンツが幅を利かせているのは何故でしょうか?
アルミサッシの掃除の仕方、犬の散歩のさせ方、などなど、日常生活の細々とした情報の需要を満たすのはたいてい、趣味の個人サイトです。Yahooディレクトリを見れば、そのことはもっとよくわかります。例えばホームページ作成で紹介されているサイトの大半は趣味の個人サイトです。(趣味が高じて雑誌に記事などを書くようになった方もいますが)
しかし、みなさんご存知の通り、HTMLなどの解説書は無数に出版されており、掃除のテクニックも本や雑誌の特集によく登場します。ペットの飼い方は実用書の定番ですね。そしてそれらの記事を、趣味程度でやっている人が書くことは滅多にありません。
先ほどの問いの答えは、「商売にならないから」です。他に、重大な理由は何一つありません。WWWはコンテンツ自体ではなかなか儲けが出ない世界であり、それ故に、採算を度外視した趣味の個人サイトに(場合によっては)優位性が生じるのです。
多くの場合、個人よりも有利だから組織が存在するのであって、本来、個人が組織に勝てるわけがありません。しかし、多くの組織は金銭的な利益を追求する集団なので、利益につながらないことには力を発揮しません。だからWWWでは組織が弱く、低いレベルながら、個人に勝ち目があるのです。はっきりいって、掃除について本当に勉強したかったら本を買うべきです。HTMLの解説だってなんだってそうです。利益が出る世界なら、(たいていの場合)組織は強いのです。
「……なーんだ、そんな当たり前の話をもったいぶって書かれてもね」という声が聞こえてきそうですが、後につながる話なので、許してください。
googleに表示されないと言うことは、誰も見ないのと同じこと
とは、趣味の個人サイトの実態を反映していない発言です。趣味の個人サイトの9割以上は零細サイトであり、零細サイトにおいて検索エンジン経由のアクセスは重要ではありません。当サイトは現在では更新せずとも検索エンジン経由で毎日数百人の方がいらっしゃいますけれども、それにしたって大した数ではありません。
当サイトがどのような経緯でアクセス増を実現してきたかを考えるに、検索エンジンはほとんど意味がなかったといえます。まず人気が出てきて被リンク件数が増加してから、検索順位が上昇しました。この順番は一度も逆転しておりません。ふつうはYahooディレクトリに一発登録できるはずもなく、地道に常連客を獲得していきながら、ジリジリとPageRankを上げていくことになります。
人気サイトになれば検索エンジン経由の訪問者が増えますが、しかしブックマークやお気に入りからの訪問者は、もっともっと多いでしょう。一般的な傾向としては、趣味の個人サイトは人気に応じて検索エンジン経由の訪問者(の割合)が増えていくのであり、その逆ではないのです。ですから、検索エンジンからの訪問者がいてもいなくても、不人気サイトは不人気だし、人気サイトは人気サイトなのです。
1割減、あるいは4割減となると、たしかにつらいものがないとはいいません。しかし、googleに表示されないと言うことは、誰も見ないのと同じこと
というのは誤りです。例えば私は、検索エンジン経由でBeyondさんのサイトを訪れたことが一度もありません。かれこれ200回以上、訪問しているわけですが。考えてみれば、「侍魂」も「俺ニュース」も、検索エンジン経由で辿り着いたことは一度もないのでした。
資本の論理はどう働くか
Googleの商品は二つあり、ひとつは検索サービス、もうひとつは広告サービスです。現在の収益の柱は検索サービスですが、将来は広告ももう少し売っていきたいようです。Googleはどちらのサービスも「利用者に利益があるものにしなければ成功しない」と考えており、計算機による自動処理システムを用いた手法と、人力による恣意的な手法(例えばODP)を併用して最適解を探ってきました。
被リンク件数が少なくても、ODPに登録がなくても、学会や重要な公的機関などの公式Webサイトが高いPageRankを与えられてきた事実は、Googleの研究成果の一端を示しています。(補注:Googleは個別のサイトのPageRankには介入しません。しかしPageRankを調整する手段は多々あり、だからプログラムの更新とともに検索順位が大幅に変動することがあるのです)
いま重要なことは、検索インデックスから悪徳商法?マニアックスを削除したことが、Googleの利益になるのかどうか、です。多くの方が、Googleは「検索インデックスの信頼性を低下させた」「金で悪徳商法の軍門に下った」と評価しているようですが、私の評価は違います。
Googleは悪徳商法の情報を適切に提供する一方で、事実無根または根拠薄弱な中傷記事も許さない、という方針を示したのです。じつに真っ当な判断です。ウェディングは疑惑の渦中にあり、黒い噂がいくつもあります。将来的には、経営陣が逮捕され裁判で有罪が確定するかもしれません。しかし有罪と断定する証拠もない現時点で、「ウェディングは悪徳業者だ」といいふらしてよいはずがありません。(また仮に有罪が確定した後にも、誹謗中傷は許されません)
Beyondさんとその支持者は、ウェディングが悪徳業者であることを確信しています。しかし、本当にウェディングが本当に悪徳業者であるとしても、証拠もなしに憶測でそうと決め付けてよい、ということにはなりません。たとえその人物が真犯人であっても、証拠もなしに罰してよいのか、しかも私刑を加えてよいのか、ということです。映画やドラマでは、しばしば「法の裁けぬ悪を討つ」ヒーローが活躍しますが、物語ならともかく、現実がそうであってはいけません。
Googleは資本の論理
で動きます。Googleが「憶測に基づく悪口」を肯定するWebサイトを検索インデックスから削除したのは、それが利用者の利益になるからです。Beyondさんとその支持者は、自分が「憶測に基づく悪口」の対象になる可能性、「憶測に基づく悪口」に騙される可能性を失念しています。「ウェディングは悪徳業者に決まっている」という確信に目を曇らせて、「この憶測は真実を言い当てている(ので削除するべきではない)」と考えるのは危険です。
事の発端は上記参照文書冒頭のやり取りにある通りです。ウェディング会長室長の米盛さんが「ウェディングを誹謗する投稿を削除せよ」と要求したところ、Beyondさんは「協議のうえ最小限の削除を行うこととしたい」と回答しました。これに対しウェディング会長の田中敦子さんは、協議に応じず法的に対処する旨を通告してきたという次第。
削除要請の対象となった投稿(投稿者:拙電器さん)を引用します。
どうもトリックスターさんの辞書には「デート商法」や「アポイメント商法」って言葉が無い様ですね(笑) それとも検索術って術を知らないンでしょうか?
相談事例です。
まあ、トリックスターさんの中では淡い鯉の思い出なんでしょうが、向こうのお姉ちゃんにしてみれば鯉じゃなくてカモなんですね。んでまあ、こういうマトモな商売が出来ない会社はマトモな情報管理なんて出来ッこないですからその内、名簿なんか流出したりマッチポンプでこんな事にもなっちまうんですね。
「会員権」を「宝石」に置き換えて下さい。まあ、ウェディングがやるかどうかは判りませんがその危険性があるって事です。
この投稿が徹頭徹尾、ウェディングに対する悪意ある憶測に基づいた(明確な)根拠のない中傷であることは明らかです。明らかなのだから、「協議する必要はない」という意見には一理あります。これほど明白な中傷であっても協議なしに削除せず、しかも部分削除による決着を示唆されたとあっては、匿名の怪人物であるBeyondさんとの話し合いは法廷で行った方がよいだろう、という考えにも頷けます。
とはいえ、ある発言が「中傷」かどうか、という判断は人によって異なるので、引用した投稿は「中傷ではない」という方もいらっしゃるでしょう。しかし、「確かな根拠なしに悪印象をばら撒く発言だ」ということまでは否定できないはずです。
補注:「徴用」は(狭義の)「強制連行」にあたらないとして、先日のセンター試験世界史Bの問題にクレームがつきました。「強制連行」と同様、「デート商法」「アポイメント商法」には悪いイメージがあります。こうした言葉には注意が必要です。ウェディングは、少なくとも狭義の「デート商法」「アポイメント商法」とは無縁と主張するでしょう。事実を表現する場合も、言葉の選び方次第で名誉毀損となりかねません。警察が犯罪を立証する前の段階において、個別の具体例について名指しで「デート商法」「アポイメント商法」と断定する批判記事が滅多にないのは、故なきことではないのです。
Beyondさんは最初の申し入れへの返信において、削除依頼のやり方について詳述しています。正規の手続きを踏まなければ対応しない、と門前払いしたのでした。しかし、この正規の手続きというのが実に面倒くさい。しかし考えてみれば、中傷発言を放置していて本当に困るのは管理人なのです。数多の2ちゃんねる裁判の判決が示したのは、「掲示板は管理されなければならない」ということでした。中傷発言を放置して処罰されるのは、管理人なのです。
新聞、雑誌が悪徳業者について書くとき、批判対象が名指しされることは滅多にありません。その理由は簡単で、違法性を立証できないからです。しかし、批判的な記事にしたい。となれば、業者を匿名にする他ありません。
既に、いくつかの企業については、企業側に都合の良い情報しか見つけられない状況になっています。
と書けば、「なるほど、それはまずい」と思われるでしょうが、これは巧妙な煽りです。Beyondさんの主張は、「ウェディングは悪徳業者だ」と断言できるだけの証拠を示してから、いうべきことです。現時点では十分な証拠を示すには至っていないので、Beyondさんは「根拠薄弱なまま、合法な手段で利益を追求している企業を「悪徳業者」呼ばわりしている」に過ぎません。
「悪いヤツを攻撃するためなら、この程度のことはやっていい」という考え方はありえます。私も、あれこれやってきました。しかし、法律に照らして非が多いのはどちらか、という問題から目をそらすべきではありません。悪徳業者を名指しで攻撃すれば、大衆受けします。しかし、カッコつければリスクもあるのです。
世の悪徳業者は、私にではなく、まずプロバイダにクレームを付けるのですが、それに耐えかねたプロバイダが「サイトを削除するか、個人情報を業者に教えるか、選べ」と脅してきました。
大変困りました。どこか良いプロバイダは、無いものでしょうか?
ウェディングが悪徳業者だという証拠があるなら、挑戦を受けて立つべきです。そのとき、致命的な傷を負うのはウェディングです。しかし、実在の企業を名指しで「悪徳業者」と断定していながら、何の証拠もないのだとすれば問題です。Beyondさんが匿名のままリスクなしでカッコつけられるなら、新聞記者と雑誌記者は泣くでしょう。証拠集めに日夜追われる警察官も、仕事が虚しくなるというものです。
おそらく、Beyondさんは「裁判になったら負ける」と考えていらっしゃるのでしょう。ウェディングを「悪徳業者」と断定するだけの証拠を持っていないからです。ならば現在、Beyondさんのやっていることは反則なのです。
反則を反則と認識されているのなら、相手が法的手段に訴え出た段階で観念すべきです。なおもカッコつけてリスクから逃げ続ける手など、あるはずがない。カッコつけたいならリスクを負うべきですし、リスクを負いたくないなら、信念を曲げて妥協するしかありません。それなのに、Googleなんかに難癖をつけて、被害者ぶっています。状況認識が、どこかずれているのではありませんか。
人を一人雇ったら、社会保障費なども考えれば1時間に1000円程度の人件費がかかります。クレーム処理のため1人を1日拘束したら、それだけでもう8000円の負担になります。そして、1ユーザあたりの月々の収入は、せいぜい10000円なのです。プロバイダがトラブルを嫌うのは当然です。この現実の前には、正義も何もかもちっぽけです。プロバイダは、そんな現実をよくわかっています。クレームを申し立てる人も、そうです。
ヤクザは身内を攻めるように、本人に攻撃するより効果的な場合が多い
というのは実態と異なりましょう。損得で話のできない聞き分けのない相手と交渉しても仕方ない、ということに過ぎません。
趣味でやっている人は、生活基盤に踏み込まれると、途端に腰砕けになります。趣味の話が趣味の世界で完結している限りは、趣味の人間は最強です。生活のかかっているプロバイダは、相対的に交渉ごとに弱い。しかし趣味の話が生活基盤に侵食してくると、ふだんの覚悟と準備がないから、うろたえることになります。
組織が本気になると、裁判を起こすことになります。むやみやたらに訴訟を起こしてはいけないわけですが、裁判はお金がかかるので、訴訟なしで済ませたいのは組織だって同じです。一方、ふつうの人は最初から裁判という選択肢を想定していません。組織の利益獲得を阻害する行為を、安易に考えているのです。
「弁護士を雇い、法的威圧をかける」こと
をBeyondさんは疑いなく「悪」と認識されているようです。けれどもここで大切なことは、「威圧」として機能するのは副次的な効果に過ぎず、組織にとってその裁判は必要なものなのかもしれない、という想像力です。しがない趣味の個人サイトをつぶすために大金をかけて弁護士を雇い裁判をやる……それだけ、相手は本気だということです。何が組織をそこまで追い詰めたのか、あらためて考えてみるべきです。
Beyondさんの「悪徳業者」攻撃は、相手の生活を脅かしています。だから相手は本気にならざるを得ないのです。
もはや、インターネットで正直な気持ちを書くことは許されないのでしょうか?消費者が、商品やサービスについての情報を集めることは不当なことなのでしょうか?
と、Beyondさんは書いています。煽るのがうまいですね。
私は、こう答えたい。
正直な気持ちを、何でもそのまま書いてよいものでしょうか。憶測で誹謗中傷してよいはずがありません。根拠薄弱なのに「悪」と断定してよいはずがありません。消費者が、商品やサービスについての情報を集める
とき、それらのいい加減な情報に惑わされるのはよくないことです。毎年のように、何らかの風評被害が起き、多勢の人々が泣いていることをご存じでしょう。よくないものをよいという嘘が糾弾されて然るべきであるように、悪いのかどうかはっきりしないものを、疑いなく「悪」と断定するのも、少なくとも褒められた話ではありません。
私はBeyondさんの記事を一概にダメだとはいいません。こういう情報を発信するサイトも、たしかに世の中には必要でしょう。しかし、Googleが検索インデックスから排除したことに、私は理解を示します。
banbanさんのメールマガジン(第82号 2004/1/23)に、来年開かれる愛知万博の公式サイトでは、トップページ以外のリンク、個人サイトからのリンク、商用サイトからのリンクを禁じると発表しました。
とあったので、ふうんと思って見に行ってみた。
案外、ふつうのことが書かれてあったので拍子抜け。要は、リンク切れを厭わないのであれば、どこでもリンクしてよいといっているわけです。
ボーダフォン版の XHTML 仕様書について、「**は規格外なので動作を保証しない」という文面を「**してはならない」と誤読(注)する人がたくさんいたけれど、地球博のリンク問題も同様の話なのかも。あるいは、批判が多いので文面を変えたのか。(注:正しくは「ブラウザの動作チェック項目に入っていないので保証できない」という意味。文法自体は「6.ボーダフォンライブ!向け XHTML仕様」に示された DTD の通り。動作チェックの規格と文法の仕様は別なのだ)
似たような話に、「原則としてリンクは自由ですが、なるべく連絡してほしい」という文章に怒るケースがあります。「なるべく」なんだから、連絡したくなければ連絡しなければいいんじゃなかろうか。「なるべく」が抜けている場合には、適当に補ってやればいいのではないか。
「ひみつのアッコちゃん」懐かしい。昭和44(1969)年にはまだ生まれていなかった私ですが、昭和63(1988)年の放送は見ていました。平成10(1998)年の放送は見ていませんが……。というわけで、お答えしましょう。
とりあえずジャブ!(必読)によると、意味ない
のだそうです。それもそうか、と。でもひょっとすると、変身呪文「テクマクマヤコンテクマクマヤコン ***になあれ」と対になる戻身呪文「ラミパスラミパス ルルルルル」には意味があったりして……。まあ、赤塚大先生のことだから、きっと何もないのでしょうけれども。
アッコちゃんの永遠のライバルといえば「魔法使いサリー」でしょう。
サリーちゃん関係の豆知識は魔法使いサリーのページにまとめられています。たいへん興味深い内容なので、サリーちゃんに興味のない方もご一読あれ。「マハリクマハリタ」の名フレーズは小林亜星先生の思い付きだという話は有名ですが、じつはあれもこれも……。
読者の方から興味深い情報が寄せられましたので、以下、ご紹介します。文中で紹介されているサイトは必読。
「ラミパスラミパスルルルルル」の「ラミパス」は、「スーパーミラー」をひっくり返したものです。「懐かしのアニメ特集」みたいな番組でデーモン小暮閣下がそう誇らしげに語ってらっしゃったのできっと本当です。あと、調べてみたら「テクマクマヤコン」という呪文に決まるまでのいきさつなどが書かれたサイトを見つけたので、よろしければ参考になさってください。
赤塚先生の発言からは、酔っぱらい独特の記憶の捏造の気配がプンプン漂ってきます、面白いですけど。なので僕はこちらのシナリオライターの方の意見を真実だと思うことにしました。
みんなホントにこんなことが知りたいんですか?
……という自己紹介。
MT のヘルプは英語で書かれているので、編集画面でヘルプを参照してもそれから先が面倒くさい。わからない単語が多いので、辞書をたくさん引かなければいけない。そこで、私はヘルプの日本語訳をダウンロードして、それを英語版ヘルプを置き換えるようにアップロードしています。こうすれば、編集画面からヘルプを参照したときに、最初から日本語訳を読むことができます。
この日本語訳が実によくできていて、ちゃんと元の英文を載せてくれているのですね。だから、訳文の誤りに騙されることがない。
HTML の解説がそうであるように、MT の解説も適当なものが少なくありません。正規のヘルプがあれほど充実しているのだから、まずはそれを読めばいいだろうに、「試行錯誤してこんなやり方を発見しました」という能天気がのさばっているのです。その手の適当な解説のコメント欄に「うわー、こういう機能を探してたんですよ!」とかお礼を書いている人がいる。自分の馬鹿さ加減を棚に上げて、単純に他人を崇め奉っていられるおめでたい精神には呆れます。
とはいうものの、正規のヘルプや仕様は、いつもいつもなぜか読まれない。すると「読まれないような解説を書くやつが悪い」という意見がすぐに出てくるのですが、それは間違いです。HTML の仕様書がそうであるように、MT の仕様書もよくできています。わかる人には、これほどわかりやすい解説はないといってもいいくらいです。MT も HTML も一貫した流れに沿って設計されています。正規の解説には、その事実がよく現れています。
流れを丁寧に追えば、正規の解説はよく理解できます。ただ残念なことに、ある一部分だけを切り出した場合には、適当な解説の方がツボを心得ています。今やりたいことを実現するために必要な情報を、その意味やシステム設計の思想抜きに皮相な Tips として提供する記事が、需要をダイレクトに満たします。
多くの人は、まともに勉強する気がありません。予断と偏見に基づき、HTML とは何か、MT とは何か、といったことを無視して、自分のやりたいことだけを主張します。消費者とは、そういうものです。しかしその身勝手さが、結局は消費者の不利益を生み出していくのです。
だめな HTML 文書があふれかえったので RSS という屋上屋が必要になりました。HTML 文書を適切に読み書きできる(例えば見出しを見出しと認識する)ワープロも滅多にありません。HTML とは何かということを勉強せず、経験的直感によって誤解を積み重ねてきた結果です。消費者は製作者の思いつかない新しい用途を見つけ出す……なんて、まやかしです。いつもメーカは「この商品によってこんなことやあんなことまで可能になります」と夢のような話をしますが、それが実現できないのはなぜですか。
消費者は身勝手で、どうしようもなくて、みんな泣かされています。けれども、人類が争いをやめられないのと同様に、これはひとつの必然的事象なのでしょう。私のいっていることは、非武装中立平和論と同程度に実現可能性が低い話なのでしょうけれども、だからといって私が黙ると思ったら大間違いだ! ……なんて書いてみると、なるほど、非武装論者がなぜ大声を張り上げるのか、わかる気がします。「己を知り、敵を知れば百戦危うからず」などといいますが、非武装論者の頑固にはかないませんね。あれは無視するしかない。とすると、(以下略)
MT のデフォルトテンプレートを作った人は HTML をよくわかっていない。以前、森田雄さんが雑誌の記事で詳細に指摘していた。私は先にその記事を読んでいたので、デフォルトテンプレートには何も期待していなかった。
私はヘルプを読みつつ、0からテンプレートを書いた。これまで私は「当サイトでは MT の不要な機能を削って使っている」と説明してきたが、「必要最小限の機能だけで構築した」という方が実態に合っているだろう。
とにかくデフォルトテンプレートは(情報整理の見地からいうと)だめで、そのだめなテンプレートを CSS だけ適当に交換してカッコつけてみても、根本的な改善は無理なんである。情報をデザインするというとレイアウトのことばっかりいう人がいる。私はここでは、そういう意味でいっていない。だから CSS でカッコつけても仕方ないといっている。
スタイルシートのテンプレートにちょっと手を加えただけでも Rebuildしないとサイトに反映されないし、少しずつ変更してそのたびにRebuildしてたのではサーバーにも負担をかけてしまう。ところが、Rebuildしなくてもスタイルシートの変更を反映させることができるという話を聞きました。やり方はとっても簡単。
- 「テンプレートの編集」よりスタイルシートのテンプレート(styles-site.css)を開く。
- 「インデックス・テンプレートを再構築するときにこのテンプレートを自動的に再構築する」のチェックボックスからチェックを外す
- 「このテンプレートにリンクするファイル」に、スタイルシートの名前(styles-site.css)を入力して保存するだけ。
これで、スタイルシート変更のたびに再構築する手間が省け、サーバーへの負担が少し軽くなります。
そういうやり方もありますが、単純に、テンプレートにこう書けばいいんじゃないですか。
<!DOCTYPE html PUBLIC "-//W3C//DTD XHTML 1.1//EN" "http://www.w3.org/TR/xhtml11/DTD/xhtml11.dtd">
<html xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml" xml:lang="ja" dir="ltr">
<head profile="http://purl.org/net/uriprofile/">
<meta http-equiv="Content-Type" content="text/html;charset=<$MTPublishCharset$>" />
<meta http-equiv="Content-Style-Type" content="text/css" />
<meta http-equiv="Content-Script-Type" content="text/javascript" />
<title>タイトル</title>
<link rel="stylesheet" href="***.css" type="text/css" media="screen,tv" title="css_title" />
以下略
これなら、FTP で CSS ファイルをアップロードするだけでデザインが修正されるわけです。ブラウザから更新するんだ、という発想にしがみつかなければ、グッと自由度が広がります。CSS は変更時期に集中して修正アップロードを繰り返し、その後はしばらく触りません。あるいは、変更前にローカルでいじり倒したいものでしょう。もともとブラウザから更新するという形態に、あまり利益がありません。エディタで作成し、ローカルでチェック、そして FTP ツールでサーバにアップロードする。この手順でいいと思うのです。
CSS 切り替えとか、CSS 振り分けとか、そういったあれこれをやりたい場合には、やっぱり FTP ツールでファイルを上げるのが一番シンプルだと思います。MT にいろいろプラグインを入れていったら何でもできるのかもしれませんが、何でもかんでもブラウザでやろうとすれば、どこかに無理がきます。たかがファイルのアップロードとはいえ、FTP は FTP ツールに任せた方がいいんじゃないでしょうか。
私が MT を使っているのは、テンプレートを利用して、ひとつの入力から3種類の記事を出力するためです。他に理由はありません。プラグインを導入しても MT でマークアップをするのは(あまりにやりにくくって)我慢なりません。たかが CSS ファイルひとつをアップロードするたびに、余計な画像ファイルをたくさん読み込まねばならないのも不愉快です。だから私は手許のエディタで原稿を編集しているし、CSS ファイルは FTP でアップロードしています。
私が実機の実装状況には興味がないといいつつ、ボーダフォンの資料を読んでみたりするのはなぜか。
いくつかの説明が考えられるのだけれども、一番大きいのはおそらく、実装状況をめぐる意見交換には関心があるからでしょう。私は「実装状況に振り回されるのはプロだけでいい」という考えだけれども、この意見を主張するにあたって、裏付け調査の一環として実装状況のチェックという項目があがってくるわけです。なぜ、実装状況など気にする必要がないのかを説明するためには、実装状況についての知識が必要なんですね。
いずれにせよ、私は携帯電話向けに小さな文書を用意しようとは考えないし、文字コードも MT を利用して生成している文書では UTF-8 を使い続けます。
要素の中に要素の入れ子が殆ど出来ません。かなりの制限があります。p要素中でのハイパーリンク、
というのは少々疑問。ボーダフォンライブ!向けの開発ガイドの XHTML 編には<p><a href="http://***.com">りんく。</a></p>
も実質不可能。ダメだこりゃ。「下表に無い組み合わせ」および「下表で網掛けを施した組み合わせ」は「ボーダフォンライブ!向けXHTML」の規定外であり、そのような組み合わせの動作は保証しない。
とありますが、注意すべきは「保証しない
とは、動作しないと同義ではない」ということです。
XHTML 編の「6.18. ボーダフォンライブ!向けXHTML における制限事項」には、以下の記述があります。
- ol 要素の入れ子は 3 個まで
- ul 要素の入れ子は 3 個まで
- table 要素の入れ子は 5 個まで
ところが、呆れたことに、ol 要素や ul 要素の入れ子は、「下表で網掛けを施した組み合わせ」
に含まれています。li 要素の入れ子として ul,ol 要素を配置した場合の動作が保証されていないのです。
ボーダフォンの端末に搭載されたブラウザが <p><a href="http://***.com">りんく。</a></p>
という記述を解釈することは、実質可能でしょう。ただ、正規のチェック項目には含まれていないので、ブラウザの動作を保証しない、ということだろうと予想します。保証しないはずのリストの入れ子も3個まで
はできるようですし。
ボーダフォンは、曖昧なことをいっているドコモや PC 向けの各ブラウザ開発者よりも誠実だと思います。ただ、PDF から HTML 文書を作ることは(品質さえ問わなければ)難しくないのだから、HTML 文書版も公開してくれたら嬉しいのですが。
なぜ「+」に多様な解釈を認めませんか。「+ = 足す」という曖昧な定義によれば、「1+1=1」でも「1+1=2」でも構わない。通常の四則演算における「+」の意味に従えば、「右手に1つ、左手に1つ泥団子を持っているので、合計2個の泥団子を持っている」というわけだから「1+1=2」という説明が正しい、ということになる。けれども、「+」(と「=」)の意味を拡張(あるいはスライド)すれば、私の挙げた例も理屈に合う。
私がいっているのは、「+」の解釈をどう取るかは価値観の問題だ、その前提の取り方次第で結論も変わる、ということ。滅・こぉるさんが「+」の意味をひとつの価値観に基づいて意味を固定し、私の挙げた例を不適切だと批判なさるのは、どうもなんだか「伝わっていない」感じで云々。こういうことが繰り返されるから、当然のこと
が本当に当然なのかどうか、疑わざるをえないわけでありまして。記号の意味するところが「1+1=1」と「1+1=2」で異なっていることは、ちゃんと説明されているのです。それでも趣旨を読み取っていただけないという。
端的に反論するなら、私は「記号を用いて事象をモデル化した」のです。私はたまたま計算式と同じ形を採用しましたが、このモデルを見て「計算と論理は違う」というのは、ずれた批判でしょう。
ところで、通常の語義における加法以外で「+」を使うべからず、という主張には正当性を感じません。「+」という記号は、現に多種多様な事象を表現するために用いられています。それを認めない、というのは自由ですが、その主張を徹底したら大勢が困ってしまうでしょう。「+」はいろいろな使われ方をする、と考えた方が、世の中の便利にためにはよいと思います。
数学は奇々怪々な学問です。安易に「数学的」なる語を用いると足元をすくわれることがあります。例えば、「平行線」の定義を「方向の同じ2本のベクトルをそれぞれ無限に延長したもの」としましょうか。このとき球面幾何学の世界では、平行線は必ず2点で交わります。直線は必ず閉曲線になります。あるいは、平面の和については、「1+1=1」の式が数学的にも成り立ちます。同一の平面を2つ足しても、元と同じひとつの平面にしかなりませんからね。
余談になりますが、3DCAD における「オフセット平面」の考え方は興味深いものです。平面には厚さがないので、平面は無限個の平面が重合したものと考えることができます。オフセット平面は「自分自身を参照すること」により作成されますが、これは、重合していた平面のひとつを分離・移動する操作に等しい。